第四章 【エピソード 3 狂女との別れ】


 2021年3月26日 午前1時

 《堀田佳奈》自宅 LALA 304号

 津島陸

 

 今夜、ようやく動き出した。

 今日いや昨日か、午後8時くらいからビブリオの車が急に変則的な動きをしだした。

 

 この2ヶ月足らず、ビブリオの車に取付けたGPSの動きと、葵の行動を監視することに持てる時間の全てを費やした。

 

 一度はGPSのバッテリーの交換に隣県まで出向いたが、周囲の目が無い深夜に行動したので高梨や松木の様子を伺うことは出来なかった。GPSで監視している限り、午前9時紫花女学院高等学校登校、午後5時下校。それ以外は朝と夕方、コンビニに立ち寄る。毎日毎日、この繰り返しで監視しているこっちの息が詰まった……休日も同様、出かける先はコンビニのみ。もしかしたら公共交通機関で出掛けていたかもしれないが……一度見た松木の容貌から想像するのは、鬱屈うっくつとビジネスホテルの部屋で過ごす2人の姿だ。

 

 葵はというと、2人とは対称的に精力的に行動していた。何度も銀行へ足を運び、三月に入ってからは、ほぼ毎日、佳奈のマンションへ行きポストをチェックしていた。3月9日にお目当てのものが届いていたようで翌日には役所に行き《堀田佳奈》のマイナンバーカードを手に入れ満面の笑みで役所から出てきた。

 この時は、引っ捕まえてマイナンバーカードを取り上げ、知っていることを洗いざらい吐かしてやる!という衝動に駆られたが、すんでのところで思いとどまった。まずは佳奈を無事見つけることが重要だ。佳奈が何処にいるかわかるまでは、この女を泳がせておく必要がある。この女は佳奈の失踪に少なくとも関わりがあるはずだ。

 ふっと佳奈はもう死んでいるのではないか?!という考えがまた浮かんだ……佳奈がいなくなってから、何度も何度も意識に浮上してくる……その度に打ち消しても打ち消しても、また浮かんでくる……

 死んでいるはずは無い!死んでいるのなら遺体が見つかるはず……遺体が見つからないのは何処かで生きている証拠だ!佳奈は生きている……必ず見つけ出す。

 

 その後、葵は佳奈名義のパスポートを作ったようだった。何処かに逃げられる前に何としても知っていることを聞き出さなければ……タイミングを見計らっているところだ。

 

 佳奈のことを口説いていたという、千房というやつのことも3日ほど監視したが、こいつは無関係だと、すぐに判断した。

 千房という男、根っからの女好きなだらしないやつでガールズバーやスナック、歯科助手、果ては主婦にまで手当り次第に口説いて回っている。こんなくだらない奴に佳奈が不用心について行くとも思えない。もし何らかの方法で佳奈を連れ出し、何処かに監禁しているとしたら、こんなに呑気に毎日飽きること無く、女を口説くのに全精力を注ぐとは思えない。

 俺は早々にこいつは対象から外した。

 

 ビブリオの車が市内に入った。このまま行くと、高梨のマンションに到着する。

 俺も高梨のマンションに向かおう。




 2021年3月26日 午前2時45分

 丸抜小学校 廃校跡地

 葵

 

 松木と、目があったとき、私は死を覚悟した……しかし、せめて一矢報いたい……

 

 そのとき……

 

 「よせ……」

 

 誰?私に言った?

 

 松木が叫んだ。

 「千房課長?千房課長助けに来てくれたんですね!琴子、怖かったぁ殺されるところでしたぁ高梨部長も水田もこの女が殺したんですよぉ」

 「……黙れ」

 

 ゴッ……

 

 誰?松木、殺されたの?

 懐中電灯……あっ……あんな遠くに転がって……

 

 男が言った。

 

 「聴きたいことがある。ひとまず、この女のストッキングを脱がしてくれ」

 「え?……松木、死んだの?」

 「いや、意識を失ってるだけだ。いつ起きるかわからない。急いで」

 「……」

 

 言われた通りに松木のストッキングを脱がそうとしたが、暗くてよく見えない。

 

 「懐中電灯、持って来ていいですか?」

 「ああ」

 

 懐中電灯を松木と男の方へ向ける。

 そこには頭から血を流して、ぐったりとしている松木と、見たことの無い細身で長身の男が、松木を身動き取れないよう、抑えている。

 私は急いで、松木のストッキングを脱がし男に手渡した。

 男は受け取ると、念の為というように、松木の首に回していた腕で、松木を締め付けるようにしてから、松木を離し、ストッキングをふたつに引き裂くと、あっという間に松木を拘束した。

 

 「そこの鞄からハンカチかタオルのようなものが無いか探してくれ」

 「はい」

 

 タオル地のハンカチがあった。

 

 「これでいいですか?」

 「うん」

 

 男は松木の口にハンカチをねじ込んだ。その後、松木を乱暴に横たえると

 

 「知っていることを全て話してもらおう」

 「その前に、あなたは誰?」

 「俺は、《堀田佳奈》の婚約者だ」

 「そんな……」

 「お前が、《堀田佳奈》に成り代わろうとしていることは知っている。高梨の母親に借金をさせて金を奪ったことも、そこに死んでる女が佳奈の指輪を隠し持っていることも、佳奈の……最後の言葉も……」

 「……」

 「全て正直に話せ。俺には知る権利がある」

 「わかった……初まりは去年のクリスマス・イブ……」

 

 私は自分の身に起きたこと、高梨から聴いた経緯、全て嘘偽りなく話した。

 《堀田佳奈》の婚約者の哀しみを湛えた目を見て、自分に都合のいい嘘をつくことは出来なかった。話し終えたとき、殺されるのかもしれないと思ったが不思議と恐怖は無かった。

 私が話しているあいだ、彼は一言も発することは無かった。

 話し終え私が口を閉じると、静寂に包まれた……

 

 先に口を開いたのは私だった。

 

 「松木をどうするの?」

 「……殺す……」

 「私も殺すの?」

 「……お前が佳奈になろうとさえしなければ、殺す理由は無い」

 「私、警察に行くわ。知っていることを全て話して、自分のしたことも話して……勿論あなたのことは言わない」

 「好きにしろ」

 

 そう言うと彼は水田の鞄から何かを取り出した……袋に入った薬指と指輪だった……

 その指輪を握りしめ彼は震えていた。最初、泣いているのかと思った……しかし、その目に涙は無く、哀しみと狂気を宿して妖しく光っていた……

 

 彼は指と指輪を袋に戻すと、壊れないように優しく優しく……胸のポケットに納めると、高梨の鞄から車のキーを取り出し、松木の巨体を軽々と担ぎあげた。

 

 「俺は、こいつを始末する。お前は好きにしろ。ただし今後、佳奈の名を語るようなことがあれば、必ず殺す……何処にいようと……それからスナックのママから伝言だ『帰りを待っている』と」

 「……ごめんなさい」

 

 彼は行ってしまった……




 2021年3月26日 午前4時

 交番

 葵

 

 何処に行くのが正解なのかわからなかったので、とりあえず一番近くの交番に来た。かなり迷ってしまい思ったより時間がかかった。

 

 お巡りさんに事情をかいつまんで話すと、丸抜小学校 廃校跡地をひとまず確認してくれるらしい。

 彼のことは、言わなかった。これからも言う気は無い。

 松木が高梨を殴っている最中に、隙を見て逃げてきたという説明で押し通す。

 

 お巡りさん……遅いな、大丈夫かな?一人で行ったし……

 なんか、外騒がしいな。そうか!パトカーが廃校にむかってるんだ!

 

 「君、君が葵さんかい?」

 「はい」

 「私は、三伊みい署の佐藤といいます。こちらは谷口です。丸抜小学校 廃校跡地でのことで詳しく話しを聴かせてもらえるかな」

 

 怖い顔した痩せた、かなりのおじさんと、怖い顔した太った、まぁまぁのおじさんが来た。取り調べってやつかなぁ

 

 《堀田佳奈》の婚約者、もう松木を殺したかな……




 2021年3月26日 午前4時

 ME峠

 津島陸

 

 そろそろ松木の捜索が始まる頃か……急いだ方がいいな。

 

 ここならガードレールも無いし丁度いい。

 

 ここに来るまでの間、助手席に乗せた松木は何度も覚醒しかけたが、その度に顔や頭を殴りつけた……そのせいで、元々醜かった顔は腫れ上がり、もはや原型を留めていない。まぁ気にすることはないだろう。

 車を山道のギリギリ、前輪がはみ出すくらいまでのところで停車させ、松木を運転席に移動して、アクセルペダルにストッキングで右足を縛り固定し、ハンドルに両手をこれまたストッキングで固定。取り付けていたGPSを回収し、口を塞いでるハンカチを取り、準備したガソリンを松木に浴びせた。

 

 松木は目を覚まし、ぼんやりしている。階段から落とされて頭を強打した上、何度も殴りつけられたとあっては仕方ないだろう。

 

 「わかるか?」

 「……千房課長?」

 「俺は千房課長じゃない。《堀田佳奈》の婚約者、津島陸だ。お前は今から死ぬ。俺に殺されるんだ」

 「……嫌、死ぬのは嫌……助けて……私、なんでもするから……」

 「何もしなくていい、質問にだけ答えろ。何故、佳奈を殺した……」

 「……堀田が嫌いだった。いつも媚びたように笑って……美人でも可愛くも無い癖に、結婚するって幸せそうに笑って……大嫌いだった……許して許して許して……そうだ堀田の代わりに私が貴方の奥さんになってあげる!千房課長とは別れるわ!堀田より私の方が魅力的でしょ!それならいいよね!ね、そうしましょ!」

 「……それは無理な相談だ……何か勘違いしてるようだが、俺はお前ほど醜い女を初めて見たよ……外見も内面も……時間だ……」

 「え?何?何処に行くの?」

 

 俺はギヤをドライブに入れ、サイドブレーキを外し、ゆっくり前進する車の助手席から足を降ろしながら、松木の服の袖にライターで火をつけた。

 

 「生きたまま、焼け死ぬのがお前にはお似合いだ……」

 「嫌嫌嫌……熱い熱い熱い……ギャアァァァァ―――――」

 

 燃える松木を乗せた車はゆっくりと谷底へ落ちていった……数秒後、凄まじい音とともにビブリオの車は炎上した……

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