我が身貪れアメイニアス

春海水亭

前編

よく熟れた果実がやたらに甘ったるい匂いを発するように、

もうほとんど腐る直前の俺の人生はやたらに甘ったるい匂いを発していた。

果実ならば果肉をくれてやる代わりに、種を運ばせるのだろう。

俺は果肉の代わりに自分の人生を切り分けて、金を運ばせる。


平日、午前も少しを過ぎた辺りからラブホテルへ向かう。

何も知らない子供が「あれ、なぁに?」と尋ねるような奇抜な飾りはない。

城のようでもなければ、自由の女神があるわけでもない、ただのビルだ。


滞在時間は8時間程度、入るのは1人だけだ。

後から誰かが来るわけじゃない、俺の仕事は1人で始まって1人で終わる。

301号室のルームキーを受け取って、エレベーターで3階に向かう。

なるべく飾り気のない部屋を選ぶ。

壁に海、床に砂浜、天井に青空が描かれているような部屋だと虚しくなる。


自分の部屋に入ったら、鏡を覗き込む。

白くきめ細やかな肌をした、美しいかんばせの男が映っている。

二重まぶたの目は大きく、雪色の肌の中で唇は燃えるように赤い。

鼻は低くも高くもなく、自分の存在を慎ましく主張している。

生まれつき美しい顔は、二十歳を遥かに過ぎた今でも美しくある。


服を全て脱ぎ払う。

身長は平均的な日本人男性と同じぐらいで、体重はそれより僅かに重い。

元々薄い毛は剃れるだけ、剃っている。

なるべく自分の身体が女に見えるように。


全てを脱ぎ払った後に、女性ものの下着を身につける。

白いパンティーの内側で自分のものが慎ましく存在感を主張し、

白いブラジャーは支えるべきものを持たず、それこそただの飾りのようだ。


その上から、安物のセーラー服を着る。

本物じゃない、コスプレ用品だ。

本物を着るには、育ちすぎてしまった。


黒い長髪のウィッグを付けると、

鏡の前には背の高い女子高生がいるようにしか見えない。

少なくとも、顔に関しては。


最後にマスクを付けて、顔の下半分を覆い隠す。

身バレを防ぐためだが、俺は顔を全て見せてしまっても構わないと思っている。

それでも顔を隠すのは、存在しない最後の一線を守ろうとしているのかもしれない。

最後の一線なんてものがあるとしたら、とっくに踏み越えてしまったのだろうに。


最後に鞄から、ローションと男根を模した玩具を取り出すと、

スマホを三脚に構える。


俺は誰かに買わせるために、自分のAVを撮っている。

その誰かが女装をした男が好きな奴か、ちんこの生えた女が好きな奴かは知らない。

ただ、その誰かのために、月に数度ラブホテルでマスターベーションを行う。

これまでもずっと1人だったし、これからも1人でやるのだろう。


撮影を終えると、ネットカフェに戻る。

狭いスペースに俺は暮らしている。

手続きが面倒で家は借りていない。


狭いアパートでも、漫画喫茶のスペースよりは広い。

溜まっては捨てていくコスプレ衣装のことを置いていくことが出来る。

ラブホテルの代金であるとか、漫画喫茶の料金であるとかも、

気にしなくても良いだろう。


それでも、契約のために文字列を見たり、誰かと話したり、

手続きのための様々な金を払うことが面倒くさくてたまらない。

不動産会社は俺ではなく自分が得するために、様々なことをするだろう。

でも、俺はその様々なことにどうやって対抗すれば良いかわからない。

最高の選択がしたいと思っているけれど、どうすれば良いかわからない。


東京に初めて来た時、その時は、多分アパートを借りようと思っていたはずだ。

けれど、何もしないまま何年もこのネットカフェで暮らしている。

ネットカフェの会員登録で、自分の名前や住所を書いたり、

1日の宿泊料金を払うことは、俺の手に負える範囲の面倒臭さだ。

自分の住む家を年単位で契約するということを考えると頭が痛くなる。

インターネットの契約もよくわからない。

ネットカフェに住んでいる限りは、少なくとも面倒臭くはない。


もしも高校時代に親が俺のスマートフォンを契約しなければ、

この商売道具すら、俺は持っていなかったのかもしれない。


より良い明日を思うには、時間が経ちすぎてしまった。

惰性の今日は泥沼のように俺の身体に纏わりつく、

死ぬまでこのままで良いと思っている自分を否定出来ない。


然程良いとはいえない画質の動画を、無料のアプリで編集し、

同人サイトにアップロードする。

誰が買っているのかわからないけれど、少なくとも誰かが買っていて、

なんとなく暮らしていくことが出来る。


女装が好きなわけじゃない、ケツの穴を広げるのもそうだ。

ただ、切り分けた自分の人生が数字の形になって増えていくのは嫌いじゃない。

動画の販売数は緩やかに増えていき、今では数百を超える。

時折、熱心なレビューが付く。


本当は芸能人になりたかったし、ホストでも良かった。

苦労せずに暮らせるなら女のヒモだって最高だ。

東京に来れば何かが変わると思って、田舎から出てきた。


俺は本当に美しいかんばせを持っている。

けれど、そんなものは才能の1つで、

他の人間は俺よりももっとたくさんのものを持っていて、

そして俺自身は顔以外に何一つ良いものを持っていなかった。


人の目を見るのが苦手だ。

だからだろうか、人の顔を覚えることが難しい。

会話をすれば声が震えるし、文章を覚えることも出来ない。

かといって声が美しいというわけでもない。


俺の美しさを愛そうとする人間は何人もいたが、

俺を愛することが出来る人間は誰もいなかった。

バイトすらも長続きしないのに、人並みになにかになれると思って東京に来た。

そして、俺は人でないものになろうとしている。


映像の中の俺は何もボロを出さないから、美しいだけの存在でいられる。

余分なものを取り払って、ただ顔も知らない誰かの望むがままに振る舞っている。

人間を相手にすると緊張するが、画面の向こう側にいる人間は人間じゃない。

ただ、自分を撮っている分には美しいだけのものでいられる。


ほとんど腐っている自分の人生の美しい部分だけを他人に見せて、

そうやって、なんとか生きている。


ツイッターもフェイスブックもやらない、

ただ美しいというだけで、なんとなく動画は売れ続ける。

これはいつまで続くのだろう。

明日や明後日のことぐらいならば考えられても、

俺は一ヶ月以上も後のことになるとまるで考えられない。

無駄だとわかっていても、それでもどうしても考えてしまうことがある。


顔に皺が走る時、腹回りの余分な脂肪が離れなくなった時、

そして理由もなしに飽きられてしまう時。

終わりの予兆は今は見えない。

それでも、いつかは訪れる――そして、俺は抗う力を持っていない。


生まれた時からの美しさは維持する術を知らないまま美しくあって、

その寿命を伸ばす方法を俺は知らない。


俺の人生が完全に腐りきってしまって、

腐臭しか放たなくなれば、果実と違って、俺はその場に種を残すことすら出来ない。


それでも、なりたかった理想も訪れる破滅もあまりにも漠然としていて、

俺は今日も具体的な何かをしないまま、ぼんやりと暮らしている。


いつかが今日でも明日でもないことだけはわかるから。


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