書く癖をつけるためだけの短編集
7osan
猫の子
私の子供は猫のように見えた。
否、現実問題―――つぶらな異色眼に縦走する瞳孔と柔らかな猫毛の髪の毛の間からのぞくあまり大きくない桃色の内側をした小耳、それと、犬のような牙ではなくて猫の様に小さな猫牙。
手に肉球はないけれど、身体に毛玉をためる機関はあるのか毛玉を吐いて(赤子のときからするせいで、大層驚いたように思う)、箸を使ってご飯を食べているのに食べ終われば指先をぺろぺろと嘗め回したりする。
窓際の―――太陽の良く当たる―――ぬくぬくとした場所にへたりと女の子座りをしたと思えば、小首をかしげて、優しく握った拳の親指の
私が大声で娘の名を呼ぶと、彼女は小さな耳をぴくりとそばだてて、元気よく「にゅあぁ」と鳴く。もうすこし、大人になったらきっとやめてしまうだろうと思うと悲しいような、この子のことを思えばありがたいような、不思議な気分になる。
けれど、そんな我が子が私は愛おしかった。
☆☆☆
ぱたんと扉を閉じる
「先に進む?」
背中に大きな人型のケースを担いだ男性が、私にそう語り掛けてくる。
私は少しむっとした感じで答えた。
「あなたが早くとせがむからでしょ」
そう答えると、彼は嬉しそうに背中のケースを揺らしながら私の後ろを、まるで忠犬みたいに尻尾を振りながらついてくる。
街中をぐんぐんと進んでいくと、周囲の雑踏に紛れて景色がごちゃごちゃと絡み合っていく。
床を埋めるタイルが崩れ、私の厚底靴の形にタイルがぽっかり模られる。ちらと後ろを見ると、巨大な尻尾を振る犬だけが真摯についてきている。
隣を歩く貴婦人の連れるトイ―――ビックプードルのもじゃもじゃが輪郭を失って、最後に黒い毛玉の様がモザイクのようになり、毛玉がブラックホールに置換されたときには貴婦人もろとも吸い込んで、空間の外側へ消えていってしまった。
街灯はうねうねと動いていると思えば、チンアナゴみたいに地中にもぐったり、飛び出したり、しまいには、空を泳いでおるわ、あッはッはと大名であれば言いたくなるぐらいには素っ頓狂な挙動を示している。
そんな痛快愉快な中で、遠くから私のほうに向かって走ってくる子供たちがいる。一人が転んで、一人がそれを両手を伸ばしたと思えば、巨大な掌になって、蚊でも潰すように潰してしまった。大きく笑う無邪気な表情がとても印象的で、モネだかダリだかもきっと失禁してしまうぐらいには抽象的になるだろう。
「ダリもモネも印でも、抽でもないけれどね」
「うっさいわね」
「君が知ったかぶりをしてそうだったからね」
後ろを振り返って、ぐちぐちと批評たれる口を持つ従者を蹴り上げながら、私はまた前を向いて歩く。今足を止めてはいけない。
「―――けれど、一体全体、これはどういうことなんだろうね」
「知らないわよ。知らないから、ここにいるんだから」
「けれど、ここは普通の街の一等地、スクランブル交差点だってある、普通の街中」
「そうね、だからって関係ないわ」
「そういうもん?」
疑問に思う彼を、私は小さくため息を吐いて見る。
「私は、普通の母から生まれたわ」
「………あ、そう」
「何、反応が悪いわね」
「散々聞かされてるからね。特段……………わぁーすごいなぁ! たしかにたしかに!」
白々しく、両手を一杯に広げ掌を私に見せながら、彼は口を大きく開けて驚くふりをする。
いらっとしたので、腹部に拳をぽぽんと叩き込む。
「………まぁ、けど、ここは結構結構だね」
無視して、先を進もうとすると、彼は私の手を引く。
振り払って進もうとする。すると彼は私の手を引く。
はたき落として進む。だけれど、彼は私の手を引く。
「ああもう! 語彙力無いくせになんだかそれっぽいこと言わなくていいのよ! 馬鹿は馬鹿らしくついてきなさいよ!」
「はぁーい」
と、えへへと後ろ頭を掻いて彼が進み始めた時だった。
「グミ!」
「ぁ、ヤッベ―――」
ケタケタと真っ赤に塗った口を大きく開いて嬉しそうに笑う子供たちに、彼は身体ごと持っていかれてしまったのだった。
とっさに投げナイフを投擲するが、身長の定まらない不確定な存在故に空を通り抜け、むなしい風切り音と徐々に戻り始めていた日常の音声が遠くから聞こえてくる。
「んんごごお、んご、ぬぁ!」
無数の手に抑えられ、身体が動かないところか口さえも開けないまま、彼は供物―――というよりは遊び道具を得たような上機嫌な子供の異形たちに連れていかれてしまう。
無様にもがいている様が彼に似合っていて、小さく呆れも込めて笑っていた。そんな私の頬をピリッとした感覚が襲う。
つまり、つまり、然り―――周囲が如常へと戻ろうとしているのだと感じ取ったのだった。そうで、あるならば、私にどうすることもできないなと、諦めるほかない。それこそ、今は。
どなどなと連れ去られていく従者を見送りながら、口に手を添え、か弱いか細い私の声を彼に届ける。
「グミ―――え、えと、あー、その、がが、がんばぇ!」
「んんーーーー!」
返事のできない口の代わりに片手を必死に上げ、サムズアップを取って見せる。男らしい最後だった。
ものの数十秒だったが、こちらとあちらが混じった瞬間に連れていかれるとは、なかなかどうして、愉快な展開になってきた。
私は、私にとっては、幸先の良いスタートになったと、にんまりと頬を静かに上げた。
すっかりと元の日常が流れる周囲に悟られぬように、静かに、そっと、少しだけ。
喉の奥にはまった毛玉を、ごくりと飲み込んだ。
☆☆☆
どの街にでもあるような小汚い市営? の喫煙所。
煙る中に煙草を一本も吸わない、副流煙ばっちこいOK美少女の私が、いやいやもぐりこんでいく。
私の師匠は、喫煙所は煙を吸って、肺を黒くして死ぬところだがッはッはと宣っていた。けれど、その実意は、「情報を知って、裏を知り、殺される」が正しいと思っている。
どういうわけか、古今東西喫煙所に集まる愛煙家の皆様方は、外で仕入れた話を煙の様に吐いて、副流煙のように他人の話を吸っていく。それで何が起きるかと言えば、超円滑で低コスト? な情報交換というわけだ。
煙草の是非について唯一、どうやっても覆せないのはこの一点これしかないと私は思っている。むろんむろん、単純に煙草を吸うその姿が、煙を吐くその姿がかっこいいからだとも重々承知していますのでご安心くださいと私はどなたかに頭を下げています。
「―――ちは」
私に軽く挨拶をして、ぷかぁと真っ白な煙を宙に吐く青年―――入道雲のタカシだ。
こいつは、煙草を吸い始めたばっかりの奴で、典型的な煙草を吸っている俺ってチョーカケー! ってタイプなのが割れている。その実、カッスカスのペラペラの銘柄を吸っているくせに肺に一つも入れずに、口でフカしてそのまま煙を吐いている一番痛い………微笑ましい奴である。口腔喫煙特有のぶわっと固まった煙ばかり口からいつも吐いている。タカシの上には芳醇な副流煙の入道雲がいつも浮いているともっぱらの噂らしい。
私はタカシに近づくと、慣れた様子で額に手を当てて敬礼のような挨拶をした。
「ちーっす、ちす。元気?」
「………元気だったら煙草吸わないよ」
「はは、そか!」
典型的なダウナー系を演出していればかっこいいと思っているお年頃なので、いっつもこんな反応が返ってくる。
初めは大寒波が身体中を襲ったが、いまや初夏の陽気を感じるぐらいには慣れてしまった。
私がきても相も変わらずスパスパと煙草を気持ちよさそうに吸って、煙で口を濯ぐとすぐに空に向かってぷかと吐き出す。
「………それで、どしたん」
女の気持ちを汲み取れる男だとでもいうのか、私に気がないけれど―――気にはしているように訪ねてくるので、私はいつも通り応え返す。
「え! 吸ってからでいいよ! ごめんね!」
「………いいよ、話きこか」
ぐじゅ、とちょっと長めの煙草の火をコンクリに押し付けて消すと、ポイ捨てしようとする。
「あ、あるよ!」
「………ん」
とっさに私がぽっけから取り出した携帯灰皿にタカシは素直にシケモクを捨てる。
「………で? 何」
話聞くならもうちょっと、他人に気を使った聞き方をしろ。と心の中で鞭を入れながら、私は静かに携帯灰皿の蓋を閉じてぽっけに仕舞って、口を開いた。
「最近、変なことよく起きるねってー」
あざとすぎない程度に、さらに近くに寄って、それでいてなんでもない話をあなたと話したいんだという雰囲気を醸し出しながら、言う。
「んー、この前の黒猫が私の前を歩くし、からすも私の下着を盗むし、あの、あれ、スクランブル交差点でこの前、事故もあるしさー」
大体私が、タケシと喋るときはこんな感じで、ただ喋りたい寂しがり屋の女を演じる。彼みたいに、イケイケゴゴー! って感じではない男は、こういう女が好みなのだろうと勝手に演じているわけだが、案外どうして、悲しきかな。そうなのかもなとうっすらと彼の反応を見て思ったりもする。
「あたしだけこんな不幸珍道中って感じなのかなーって」
私ぐらいの子が珍道中なんて珍妙な言葉を使うのかは不明だが、軽い不幸自慢を織り交ぜた変哲もないどうでもいい話をタカシにする。
すると、タカシは重たくない重たい口をゆっくりと開いて、小さな声でもごもごと喋りだす。思わずボコボコに殴っていつも半開きの口に砂を詰めて、アサリでも飼わせようかと思うが堪えて喋りだすのを待つ。いい女は待てるのだ。
「………大通りの、」
「大通りの………?」
「………………電光掲示板の下」
「した」
「にある、電信柱に止まっていたカラスが」
「うん」
「ぼやけてた、気がする」
「へぇ~~~~、目が疲れてるのかもね、眼科にいったほうがいいよ!」
これ以上の会話は、人生の浪費だとそうそうに話を切り上げ、喫煙所をあとにする。立つ鳥跡を濁さずというように、タカシ一人を残して、喫煙所は静謐さをとりもどしたことだろう。
タカシの言っていた場所へ、足早に進んでいく。
「ぼやけていた、ね」
目の霞み。そう聞けばそうだろう。しかし、このタカシという男、存外、そういったことを見極める能力は高い。
例えば―――駅構内にある煌々とつく電光掲示板のドットが一つ抜けていも、タカシは気づく。そしてそれを、宝物をこっそりと好きな人間にだけ教えるように、伝えてくる。
狡猾な蛇の様に眼光鋭く市井を歩き、厭世的に人生を過ごしつつ、悶々とした日々を過ごす。世界がいつ何時、崩壊しないかと思い続ける人間だからこそ、彼は世界の異変に気付きだす。
―――しかし、これで目星はついた。
今回の【界異】は私と非常に相性が悪い。
完全無欠の私、だけれど、そういう見解になってしまう。
タカシの力なんて本来借りたくはないが、私の感性では外的要因に頼らないと、グミが本格的にぐちょぐちょぴになってしまってからじゃないと、あちら側に行けなかっただろう。
なんせ、目的地は先ほどグミが連れていかれたあの、スクランブル交差点、その場所だった。灯台下暗しではない、もう、おバカ、ほんと馬鹿。とでも言いたくなる。
顔をパンとたたきながら、私は思いっきり地面を蹴り上げる。
猫の様に軽やかに塀に飛び乗る。
片足分の幅しかない薄く苔むした塀の上を、トントンと歩いていく。道路を歩く一般人が、夕日を受けながら、一日の終わりに辟易しながらも嬉しそうに帰路へとついている。
誰も私のことを見てはいない。
不便な身体だ。
―――けれど、母には感謝しているよ。
そう、母に告げながら私はいつも、この世界に紛れ込む。
マジックアワーの丑三つ時。世界が最もあちらとこちらで不安定に入り混じる。空が無限のカンバスのように入り混じり、溶け合っていく。
私は塀の上を進んでいく。日が落ちていくよりも早く、走り去っていく。
【
塀の下はドロドロに溶けたチョコレートの沼になり、ケタケタと笑いながら泳ぐ両手両足に人の顔が付いた大人がいれば、塀をヤモリのようにへたへたと上ってくる真顔の子供もいる。
ヒートアイランド現象対策として、植えられていた街路樹は葉の一枚一枚が宝石の様に輝き始めるかと思えば、すべてが鈴に代わり、ひと風吹くごとに耳障りな大合奏が始まりだす。
そして、この歪な空間と並行するように私が本来身を置く次元、【元座標】を生きる人々が霞のような、靄のようなぼやけた姿で日常生活を営んでいる。それがまた亡霊のように見えて、歪座標がより怪奇な空間に思えるのだった。
☆☆☆
「まったく、ようやく来たか」
「うわ、ちゃんと助かってる………」
「あたりまえでしょ。君の従者なんだから。これぐらいで死にはしないよ」
「なんだかなぁ…面白くないなぁ………」
歪座標につくと、連れ去られていたグミが意気揚々と子供の外見をした界異を人型のケースで蟻を潰すように潰していた。
「ハハ! これぐらいの界異が一番ちょうどいいね」
「うわー………自分より下の奴に対して強く出るタイプだ」
「………」
最後の一匹を潰すと、グミは不機嫌そうにケースを担ぎなおした。
「ふん。すべてが自分より下だからいいんだよ」
「何を言ってるのやら」
「ああ、もう、それで。今回のコレは何よ!?」
人のいなくなったスクランブル交差点の中心。地面に描かれた横断歩道やらの白線が、まるで魔法陣を形成しているかのように錯覚する。無限に点滅する信号機と、表の世界の夕焼けを映したかのように、暗い橙色で時たま明滅する街灯。交差点を取り囲む四つの角には四つの巨大なビルが建ち、企業の看板があるべき個所には皆一様に巨大な二針式のアナログ時計張り付いて、ラジャベイタワーよろしく、立派な時計塔が交差点の真ん中で軽口をたたきあっている私たちを見下ろしていた。
「静かね」
「今はね。俺が連れてこられたときは、ガキみたいな界異がワーキャーとうるさかったよ、ほんと」
「ふふ、いーじゃない。あなた子供好きでしょ」
「へ。まさか。子供と雌猫は嫌いだよ」
「へぇ、そんなこと言うの」
私はわざとらしく、肩をすくめて見せる。
と、グミの手が私の頭に伸びて、何をするのかと思えば、優しくつかんで思いっきり押し下げた。と、頭の上で何かが高速で飛び去って行くのが感覚的にわかった。
何らかの投擲物か射出物が私の頭部を狙ってきていたのを、グミが無理矢理回避させたということだろう。
私はとっさのことで姿勢を大きく崩すが、グミが私の手を取り、抱き寄せて転倒を回避してくれたおかげで、力なき乙女の様によよとグミ寄りかかる。
「ど、う」
「来たよ」
グミの見る方向には、アタッシュケースを手にさげ、反対側には黒い十六本傘を携えた眼鏡姿の冴えないサラリーマンが一人いた。
すべてが異質な
私はほんのりと自分の口角が上がっているのがわかった。それが、人間が持つ闘争本能からなのか、ネコ科の持つ生存本能を起因とする闘争本能からなのかは知らないが気分が高揚していた。
「あれが今回の原因?」
「さぁね、知らないよ」
「馬鹿に聞いてもだめか」
抱えられる腕をはねのけて、私は臨戦態勢をとる。
「………にしても至極まっとうなサラリーね」
「家には子供がいて、かわいい嫁がいて、偶然この世界に紛れ込んでしまって、訳も分からず歩いているだけの善良な無辜の民かもしれないのに………」
「っさいわね。もし殺してそうだったら、謝るわよ」
テープアジャスターをかちりとはずし、身体に這わすように回しながら背中に担いでいたフリントロックマスケットをヘンテコな形で構える。私の身体では銃は軽いとは言えず、取り回しも簡単ではない。両足を広めに開き、気だるそうに両手でしっかりと持つ、まるで槍でも構えているのかといつも言われるが、この格好が一番楽なのだった。
「敵は一人に、私たちは二人。わかるわね」
「相棒のことを信じなよ」
サラリーマンが十六本傘の先端を私たちに向けてくる。
どこぞのスパイ映画よろしく、次の瞬間発砲音と共に、弾丸が私たちのそばを通り過ぎていく。
私とグミは走り出し、私は右に、グミも右に走り出した。
「おい! お前!」
「え、俺、右利きだって!」
「馬鹿言うなよ、お前! おい!」
的が二つに分裂しない以上、敵は一直線に私たちのほうに近づいてくる。姿勢を低くし、十六本傘を構え、数発の弾丸を射出してくる。
「撃ちながら来てるって! どうすんだよ!」
「知らないわよ! あなたよくそれで、すべて自分より下とかほざいてたわね!」
「遠距離武器は反則だろ! おおわっ! あぶねぇ!」
射出された弾丸がグミのケースにぶっ刺さる。
弾丸が射出されていたと思い込んでいたが、どうやら十六本傘の骨組みを飛ばすヘンテコ兵器なようで、よく見れば鋭く固い骨組みが地面を穿って、突き刺さっている。
近距離においては、コンバットボウなどで射出される矢のほうが、そこらへんのライフル弾薬を使用する銃よりもよっぽど効果がある。やはり、質量こそすべてで、弾速は落ちるものの、この距離であれば十二分に効果を発揮する。
現に、グミのケースに突き刺さった骨組みは、横から入って裏側まで貫通している。
「棺桶でガードしなくてよかったぁ」
「してたら眼球の一個ぐらい、串焼きステーキにして食べないともったいないことになってたわね」
「ひえぇぇ」
全部で五本、骨組みが射出されると、敵はスーツケースを脇に挟み、十六本傘を槍の様に構えると、黒光りする革靴で地面を蹴りだし、突撃してくる。
「グミ、飛び道具とかないの」
「ないね。俺は卑怯な手は使わない」
「使えないわね、ほんと」
「鼻かみティッシュならあるけれど」
「あんたが死んだら顔にかけてあげるわよ」
どういうわけか、二人で同じ方向に走っているせいで、敵は迷いなく私たちの方向に突撃をかましてくる。
「って、避けなさいよ!」
「え」
グミの肩を押し、敵の突撃を避ける。
敵は急停止し、振り返る。それに合わすように私たちも振り返り、互いに向き合う。
傘を杖の様に持ち、アタッシュケースをぶら下げたサラリーマンと対峙する。
「なんつうか、無難な顔すね」
「そういうのは、言わない」
双眸はサングラスで隠れ、口元は固く結ばれ、表情は全く読めない。髪は短髪で清潔感のある社会人らしい。しわのないスーツに汚れの少ない磨かれた革靴。カフスボタンも輝き、手首の時計は高級そうな堅牢なものが光る。武器になっている十六本傘は六本の骨が抜けてふにゃけているが、質のいいビニルレザーのような布でできてる。
総じて、かなりの高給取りと見受けられる。
「しゃ、喋るのかな」
「しゃべらんでしょ。馬鹿なの」
グミの脛をマスケットで殴る。
飛び跳ねるように痛がる様を見て、少し溜飲が下がる。
「コンニチ、ハ」
清潔感溢れるサラリーマンの格好をした界異が固い蝋人形のような表情を無理矢理動かして、にっこりと笑う。
「コチラ、+DAWダsgクァ商事の、仇⒲だwだデス」
「喋った!?」
いままであってきた界異の中で、喋るものはいたが、それでも数は少なく、驚きが出る。
隣のグミは嬉しそうに、口を手で覆って、敵を指さしながら「ほれみたことか」とでも言いたそうにしているので、もう一度脛を殴ってやる。
「ッテェ! やめろ、それ!」
「うるさい」
私たちのやり取りをずっとにっこりと気味の悪い笑みで見つめるサラリーマンは、ゆっくりと頭を下げ、手を差し伸べてくる。
「ヨロシクデス」
握手を求めてくるのが、果たしてどういう意図なのか全くわからない。
握手とは、互いの手で互いの手を握り合う行為だが、その本質は、武器を持っていないというものから転じて友好を示す行為になった。らしい。
それが、界異のものからであれば? 示される意図は不明としか言いようがない。そもそも人語を解し、あまつさえ、人間の文化を解することがあるならば私はどうするのが正解なのか。
「ていゃ」
マスケット銃をぶん回し、サラリーマンの頭部を強打する。
困ったときは、殴る。だって別に極論敵だし。
「っぱ、姉さんはそうじゃないと!」
「うっさい! あんたも殴れ殴れ!」
落ちたサングラスには目もくれず、私は敵の顔を殴打しまくり、グミは斧を振るうように人型ケースを腹部を狙って右と左と打ち込み続ける。
が、頭部こそ私のマスケット銃のストックで打ち込むたびに揺れ動くが、それだけ。界異を引き潰すその膂力から繰り出される純粋な物理の暴力を平凡な中肉中背のサラリーマン型界異が平然と受け止めている。
グミの強打は、服の上からまるでクッションを叩くかのような、コンクリートを叩くような、柔らかく固いような音でしかなく、暖簾に腕押しでもなく、ダイラタンシーに腕押しぶん殴りのような、小さな破裂音が響いてくる。
一通り、殴り続け、私の息が切れ、グミの息が切れる。
手を止め、地を蹴り距離を取る。グミはケースを振りかぶったまま、じりと距離を取る。
直立不動のまま、首を落とし、ゆっくりと風に吹かれるように頭を左右に振りながら敵は静かに、暇を頂く喜びを嗜むように、ゆっくりと頭をあげた。
「………」
次は声を発さない。いや―――あれは。
「女………?」
いや違う。これは、男で、女で、子供で、少年で、少女で、翁で、老婆で、おもうさまで、おたあさまで、ママで、父で、君は一体―――誰。
「ウギ、、あどぁdw」
声にならない音が、敵の口から発せられる。
グミがその音に反応してか、振りかぶっていたケースを思いっきり頭部にぶち当てた。
「イ”;ダィ”””ッ!!!!」
悲鳴だ―――数十人の声が混じったような、
「あぎっ」
振り下ろしたケースを振り上げ、敵の下あごを射抜く。そして、サラリーマンの顔が定まり、幼い少女の苦痛に歪む表情に変化する―――と、思えば、また金髪頭のヤンキーのような顔になり、十六本傘を鉄バットのように振り上げ、グミの人型ケースをはじき飛ばした。
もともと切り上げていたケースをさらに押される形で弾かれたので、ケースに身体を持っていかれるように姿勢を崩したグミの、空いた腹部にお返しというように敵は十六本傘を叩きつける。
声を吐き出すよりも、油断でため込んでいた空気を口から吐き出しながら、数メートル後退するグミを視界の端に、私はフリントロックマスケットを握りしめなおした。
「厄介だね」
いやな汗が流れ落ちる。
「―――グミ! 大丈夫!?」
私の後ろに下がっていったまま、音沙汰のないグミに声をかける。敵は幸いにして振り切った腕をそのままに、まるで人形の様にピタッと動きを止めている。
「………ぁィ」
無理矢理空気を吐かされると人間は、過呼吸のような状態になる。最も、グミぐらいであれば、ものの数秒で元に戻るだろう。
「………ッカァ―――ぶ、な。一回、死ん、だ」
「五体満足でなにより」
「俺を、怒らせたなって感じよほんと」
動かない敵を目前に、グミの全線復帰を待って、行動を起こす。
マスケット銃を長刀のように回し、傘めがけて上段から振り下ろす。いなす様に止まっていた敵の身体が動き、スーツの皺が波打つように動き、右手に持った十六本傘が振り下ろされる長刀を殺なし、逸れた軌道に傘の先端を合わせたままくるりと巻き取るように回し取り、地面に叩き落とそうとする。私は握っていた手を放し、身体ごと持っていかれるのを防ぎ、身を引く。
代わりに飛びつくように人型ケースの頭部を握りしめ、上空から振り下ろすグミに気付き、降り下げていた十六本傘を振り上げるようにして防ごうとするが、圧倒的質量と重力加速によって叩き落され、勢いそのままに右肩から崩れるように地面にたたきつけられる。幸いにして、私のような柔軟な戦術は持ち合わせていないようだった。
グミはケースをそのまま振り切り、地を穿つと打点を中心に勢いそのままに体を宙に浮かせ、常人離れした広背筋と僧帽筋をもって、次は空中に浮いた自分を中心にケースを一回転させるように振り下ろした。
姿勢を崩し、膝をついていた敵の頭部に振り下ろされた変哲もないただの人型ケースはしっかりと敵の頭部を地面に押し付け、そのまま潰しきった。
飛び散る血液に似た何かと、人間の由来の歯や、脳片、黄色い脂肪がこの界異が人間であるかのように錯覚させるが、こいつはあくまで界異なのだ。
と、静かに決着がついた歪座標内に音が鳴る。
ちょうど、人が倒れるような、リュックをそのまま地面に落とすような、静かに人が崩れ落ちて、荷物が地に落ちる音。こうも的確に表現できるのはきっと、私のマスケットが敵に押しつぶされて最悪だなと思いながら、眺めていた敵の後ろに一人の人間が倒れたからだろう。
「姉さん!」
またグミに頭部を押さえつけられる。
「気を抜かない!」
弾丸が空気を穿って私の上空を通過していく。
頭部が靄がかったまま、敵はスーツケースを私に向けて、引き金を引いていた。
「どうして、スパイ映画ご用達な武器ばっかりなのよ!」
文句を言っている場合ではない。これは結構厄介な―――至極、最悪な界異だ。
次の弾丸を撃たれる前に、グミがもう一度振りかぶり、見分けのつかない頭部に向かってまたケースを振り下ろそうとしていた。
それを、私は静止する。
「だめっ、グミ!」
「えっ、は? えっ、え?」
止まらないケースが自由落下そのままに、敵の頭部を射抜く。力を入れていなかったために、潰すまで至らないが、頭部から地面に叩きつけられるように敵が突っ伏した。と、同時に、私の後ろあたりからトサっと小さな音が鳴る。
振り返ると、緑のセーターに淡い色のフレアスカートを履いた、大学生のような女性が茶色の髪の間から血を流しながら倒れている。
視線を戻すと、沈黙する敵の後ろに頭部をぐちゃぐちゃに砕かれた死体が転がっている。
そして、眼前の沈黙していたサラリーマン姿の敵がゆっくりと起き上がったと思えば、スーツケースを小脇に抱え、私の静止によって動きを止めていたグミのアゴに向かって脇のしまったストレートを繰り出した。
カクンと膝から崩れ落ちていくグミ。完全にハイったストレートパンチだった。
崩れ落ちていくグミの背を思いっきり蹴り、敵にかぶせる。その間に素早くマスケット銃を拾い上げ、気持ちを入れ替えるように、右手を上に、左手を下に左頬のあたりに銃身の先が来るように地面と垂直に持ち、踵を合わせて敬礼を行う。
そして、足を前後に開き、マスケットのストックを振りやすいように八相の構えで敵を睨みつけた。
「君は、単純明快な悪霊や悪酢 私の子供は猫のように見えた。
否、現実問題―――つぶらな異色眼に縦走する瞳孔と柔らかな猫毛の髪の毛の間からのぞくあまり大きくない桃色の内側をした小耳、それと、犬のような牙ではなくて猫の様に小さな猫牙。
手に肉球はないけれど、身体に毛玉をためる機関はあるのか毛玉を吐いて(赤子のときからするせいで、大層驚いたように思う)、箸を使ってご飯を食べているのに食べ終われば指先をぺろぺろと嘗め回したりする。
窓際の―――太陽の良く当たる―――ぬくぬくとした場所にへたりと女の子座りをしたと思えば、小首をかしげて、優しく握った拳の親指の
私が大声で娘の名を呼ぶと、彼女は小さな耳をぴくりとそばだてて、元気よく「にゅあぁ」と鳴く。もうすこし、大人になったらきっとやめてしまうだろうと思うと悲しいような、この子のことを思えばありがたいような、不思議な気分になる。
けれど、そんな我が子が私は愛おしかった。
☆☆☆
ぱたんと扉を閉じる
「先に進む?」
背中に大きな人型のケースを担いだ男性が、私にそう語り掛けてくる。
私は少しむっとした感じで答えた。
「あなたが早くとせがむからでしょ」
そう答えると、彼は嬉しそうに背中のケースを揺らしながら私の後ろを、まるで忠犬みたいに尻尾を振りながらついてくる。
街中をぐんぐんと進んでいくと、周囲の雑踏に紛れて景色がごちゃごちゃと絡み合っていく。
床を埋めるタイルが崩れ、私の厚底靴の形にタイルがぽっかり模られる。ちらと後ろを見ると、巨大な尻尾を振る犬だけが真摯についてきている。
隣を歩く貴婦人の連れるトイ―――ビックプードルのもじゃもじゃが輪郭を失って、最後に黒い毛玉の様がモザイクのようになり、毛玉がブラックホールに置換されたときには貴婦人もろとも吸い込んで、空間の外側へ消えていってしまった。
街灯はうねうねと動いていると思えば、チンアナゴみたいに地中にもぐったり、飛び出したり、しまいには、空を泳いでおるわ、あッはッはと大名であれば言いたくなるぐらいには素っ頓狂な挙動を示している。
そんな痛快愉快な中で、遠くから私のほうに向かって走ってくる子供たちがいる。一人が転んで、一人がそれを両手を伸ばしたと思えば、巨大な掌になって、蚊でも潰すように潰してしまった。大きく笑う無邪気な表情がとても印象的で、モネだかダリだかもきっと失禁してしまうぐらいには抽象的になるだろう。
「ダリもモネも印でも、抽でもないけれどね」
「うっさいわね」
「君が知ったかぶりをしてそうだったからね」
後ろを振り返って、ぐちぐちと批評たれる口を持つ従者を蹴り上げながら、私はまた前を向いて歩く。今足を止めてはいけない。
「―――けれど、一体全体、これはどういうことなんだろうね」
「知らないわよ。知らないから、ここにいるんだから」
「けれど、ここは普通の街の一等地、スクランブル交差点だってある、普通の街中」
「そうね、だからって関係ないわ」
「そういうもん?」
疑問に思う彼を、私は小さくため息を吐いて見る。
「私は、普通の母から生まれたわ」
「………あ、そう」
「何、反応が悪いわね」
「散々聞かされてるからね。特段……………わぁーすごいなぁ! たしかにたしかに!」
白々しく、両手を一杯に広げ掌を私に見せながら、彼は口を大きく開けて驚くふりをする。
いらっとしたので、腹部に拳をぽぽんと叩き込む。
「………まぁ、けど、ここは結構結構だね」
無視して、先を進もうとすると、彼は私の手を引く。
振り払って進もうとする。すると彼は私の手を引く。
はたき落として進む。だけれど、彼は私の手を引く。
「ああもう! 語彙力無いくせになんだかそれっぽいこと言わなくていいのよ! 馬鹿は馬鹿らしくついてきなさいよ!」
「はぁーい」
と、えへへと後ろ頭を掻いて彼が進み始めた時だった。
「グミ!」
「ぁ、ヤッベ―――」
ケタケタと真っ赤に塗った口を大きく開いて嬉しそうに笑う子供たちに、彼は身体ごと持っていかれてしまったのだった。
とっさに投げナイフを投擲するが、身長の定まらない不確定な存在故に空を通り抜け、むなしい風切り音と徐々に戻り始めていた日常の音声が遠くから聞こえてくる。
「んんごごお、んご、ぬぁ!」
無数の手に抑えられ、身体が動かないところか口さえも開けないまま、彼は供物―――というよりは遊び道具を得たような上機嫌な子供の異形たちに連れていかれてしまう。
無様にもがいている様が彼に似合っていて、小さく呆れも込めて笑っていた。そんな私の頬をピリッとした感覚が襲う。
つまり、つまり、然り―――周囲が如常へと戻ろうとしているのだと感じ取ったのだった。そうで、あるならば、私にどうすることもできないなと、諦めるほかない。それこそ、今は。
どなどなと連れ去られていく従者を見送りながら、口に手を添え、か弱いか細い私の声を彼に届ける。
「グミ―――え、えと、あー、その、がが、がんばぇ!」
「んんーーーー!」
返事のできない口の代わりに片手を必死に上げ、サムズアップを取って見せる。男らしい最後だった。
ものの数十秒だったが、こちらとあちらが混じった瞬間に連れていかれるとは、なかなかどうして、愉快な展開になってきた。
私は、私にとっては、幸先の良いスタートになったと、にんまりと頬を静かに上げた。
すっかりと元の日常が流れる周囲に悟られぬように、静かに、そっと、少しだけ。
喉の奥にはまった毛玉を、ごくりと飲み込んだ。
☆☆☆
どの街にでもあるような小汚い市営? の喫煙所。
煙る中に煙草を一本も吸わない、副流煙ばっちこいOK美少女の私が、いやいやもぐりこんでいく。
私の師匠は、喫煙所は煙を吸って、肺を黒くして死ぬところだがッはッはと宣っていた。けれど、その実意は、「情報を知って、裏を知り、殺される」が正しいと思っている。
どういうわけか、古今東西喫煙所に集まる愛煙家の皆様方は、外で仕入れた話を煙の様に吐いて、副流煙のように他人の話を吸っていく。それで何が起きるかと言えば、超円滑で低コスト? な情報交換というわけだ。
煙草の是非について唯一、どうやっても覆せないのはこの一点これしかないと私は思っている。むろんむろん、単純に煙草を吸うその姿が、煙を吐くその姿がかっこいいからだとも重々承知していますのでご安心くださいと私はどなたかに頭を下げています。
「―――ちは」
私に軽く挨拶をして、ぷかぁと真っ白な煙を宙に吐く青年―――入道雲のタカシだ。
こいつは、煙草を吸い始めたばっかりの奴で、典型的な煙草を吸っている俺ってチョーカケー! ってタイプなのが割れている。その実、カッスカスのペラペラの銘柄を吸っているくせに肺に一つも入れずに、口でフカしてそのまま煙を吐いている一番痛い………微笑ましい奴である。口腔喫煙特有のぶわっと固まった煙ばかり口からいつも吐いている。タカシの上には芳醇な副流煙の入道雲がいつも浮いているともっぱらの噂らしい。
私はタカシに近づくと、慣れた様子で額に手を当てて敬礼のような挨拶をした。
「ちーっす、ちす。元気?」
「………元気だったら煙草吸わないよ」
「はは、そか!」
典型的なダウナー系を演出していればかっこいいと思っているお年頃なので、いっつもこんな反応が返ってくる。
初めは大寒波が身体中を襲ったが、いまや初夏の陽気を感じるぐらいには慣れてしまった。
私がきても相も変わらずスパスパと煙草を気持ちよさそうに吸って、煙で口を濯ぐとすぐに空に向かってぷかと吐き出す。
「………それで、どしたん」
女の気持ちを汲み取れる男だとでもいうのか、私に気がないけれど―――気にはしているように訪ねてくるので、私はいつも通り応え返す。
「え! 吸ってからでいいよ! ごめんね!」
「………いいよ、話きこか」
ぐじゅ、とちょっと長めの煙草の火をコンクリに押し付けて消すと、ポイ捨てしようとする。
「あ、あるよ!」
「………ん」
とっさに私がぽっけから取り出した携帯灰皿にタカシは素直にシケモクを捨てる。
「………で? 何」
話聞くならもうちょっと、他人に気を使った聞き方をしろ。と心の中で鞭を入れながら、私は静かに携帯灰皿の蓋を閉じてぽっけに仕舞って、口を開いた。
「最近、変なことよく起きるねってー」
あざとすぎない程度に、さらに近くに寄って、それでいてなんでもない話をあなたと話したいんだという雰囲気を醸し出しながら、言う。
「んー、この前の黒猫が私の前を歩くし、からすも私の下着を盗むし、あの、あれ、スクランブル交差点でこの前、事故もあるしさー」
大体私が、タケシと喋るときはこんな感じで、ただ喋りたい寂しがり屋の女を演じる。彼みたいに、イケイケゴゴー! って感じではない男は、こういう女が好みなのだろうと勝手に演じているわけだが、案外どうして、悲しきかな。そうなのかもなとうっすらと彼の反応を見て思ったりもする。
「あたしだけこんな不幸珍道中って感じなのかなーって」
私ぐらいの子が珍道中なんて珍妙な言葉を使うのかは不明だが、軽い不幸自慢を織り交ぜた変哲もないどうでもいい話をタカシにする。
すると、タカシは重たくない重たい口をゆっくりと開いて、小さな声でもごもごと喋りだす。思わずボコボコに殴っていつも半開きの口に砂を詰めて、アサリでも飼わせようかと思うが堪えて喋りだすのを待つ。いい女は待てるのだ。
「………大通りの、」
「大通りの………?」
「………………電光掲示板の下」
「した」
「にある、電信柱に止まっていたカラスが」
「うん」
「ぼやけてた、気がする」
「へぇ~~~~、目が疲れてるのかもね、眼科にいったほうがいいよ!」
これ以上の会話は、人生の浪費だとそうそうに話を切り上げ、喫煙所をあとにする。立つ鳥跡を濁さずというように、タカシ一人を残して、喫煙所は静謐さをとりもどしたことだろう。
タカシの言っていた場所へ、足早に進んでいく。
「ぼやけていた、ね」
目の霞み。そう聞けばそうだろう。しかし、このタカシという男、存外、そういったことを見極める能力は高い。
例えば―――駅構内にある煌々とつく電光掲示板のドットが一つ抜けていも、タカシは気づく。そしてそれを、宝物をこっそりと好きな人間にだけ教えるように、伝えてくる。
狡猾な蛇の様に眼光鋭く市井を歩き、厭世的に人生を過ごしつつ、悶々とした日々を過ごす。世界がいつ何時、崩壊しないかと思い続ける人間だからこそ、彼は世界の異変に気付きだす。
―――しかし、これで目星はついた。
今回の【界異】は私と非常に相性が悪い。
完全無欠の私、だけれど、そういう見解になってしまう。
タカシの力なんて本来借りたくはないが、私の感性では外的要因に頼らないと、グミが本格的にぐちょぐちょぴになってしまってからじゃないと、あちら側に行けなかっただろう。
なんせ、目的地は先ほどグミが連れていかれたあの、スクランブル交差点、その場所だった。灯台下暗しではない、もう、おバカ、ほんと馬鹿。とでも言いたくなる。
顔をパンとたたきながら、私は思いっきり地面を蹴り上げる。
猫の様に軽やかに塀に飛び乗る。
片足分の幅しかない薄く苔むした塀の上を、トントンと歩いていく。道路を歩く一般人が、夕日を受けながら、一日の終わりに辟易しながらも嬉しそうに帰路へとついている。
誰も私のことを見てはいない。
不便な身体だ。
―――けれど、母には感謝しているよ。
そう、母に告げながら私はいつも、この世界に紛れ込む。
マジックアワーの丑三つ時。世界が最もあちらとこちらで不安定に入り混じる。空が無限のカンバスのように入り混じり、溶け合っていく。
私は塀の上を進んでいく。日が落ちていくよりも早く、走り去っていく。
【
塀の下はドロドロに溶けたチョコレートの沼になり、ケタケタと笑いながら泳ぐ両手両足に人の顔が付いた大人がいれば、塀をヤモリのようにへたへたと上ってくる真顔の子供もいる。
ヒートアイランド現象対策として、植えられていた街路樹は葉の一枚一枚が宝石の様に輝き始めるかと思えば、すべてが鈴に代わり、ひと風吹くごとに耳障りな大合奏が始まりだす。
そして、この歪な空間と並行するように私が本来身を置く次元、【元座標】を生きる人々が霞のような、靄のようなぼやけた姿で日常生活を営んでいる。それがまた亡霊のように見えて、歪座標がより怪奇な空間に思えるのだった。
☆☆☆
「まったく、ようやく来たか」
「うわ、ちゃんと助かってる………」
「あたりまえでしょ。君の従者なんだから。これぐらいで死にはしないよ」
「なんだかなぁ…面白くないなぁ………」
歪座標につくと、連れ去られていたグミが意気揚々と子供の外見をした界異を人型のケースで蟻を潰すように潰していた。
「ハハ! これぐらいの界異が一番ちょうどいいね」
「うわー………自分より下の奴に対して強く出るタイプだ」
「………」
最後の一匹を潰すと、グミは不機嫌そうにケースを担ぎなおした。
「ふん。すべてが自分より下だからいいんだよ」
「何を言ってるのやら」
「ああ、もう、それで。今回のコレは何よ!?」
人のいなくなったスクランブル交差点の中心。地面に描かれた横断歩道やらの白線が、まるで魔法陣を形成しているかのように錯覚する。無限に点滅する信号機と、表の世界の夕焼けを映したかのように、暗い橙色で時たま明滅する街灯。交差点を取り囲む四つの角には四つの巨大なビルが建ち、企業の看板があるべき個所には皆一様に巨大な二針式のアナログ時計張り付いて、ラジャベイタワーよろしく、立派な時計塔が交差点の真ん中で軽口をたたきあっている私たちを見下ろしていた。
「静かね」
「今はね。俺が連れてこられたときは、ガキみたいな界異がワーキャーとうるさかったよ、ほんと」
「ふふ、いーじゃない。あなた子供好きでしょ」
「へ。まさか。子供と雌猫は嫌いだよ」
「へぇ、そんなこと言うの」
私はわざとらしく、肩をすくめて見せる。
と、グミの手が私の頭に伸びて、何をするのかと思えば、優しくつかんで思いっきり押し下げた。と、頭の上で何かが高速で飛び去って行くのが感覚的にわかった。
何らかの投擲物か射出物が私の頭部を狙ってきていたのを、グミが無理矢理回避させたということだろう。
私はとっさのことで姿勢を大きく崩すが、グミが私の手を取り、抱き寄せて転倒を回避してくれたおかげで、力なき乙女の様によよとグミ寄りかかる。
「ど、う」
「来たよ」
グミの見る方向には、アタッシュケースを手にさげ、反対側には黒い十六本傘を携えた眼鏡姿の冴えないサラリーマンが一人いた。
すべてが異質な
私はほんのりと自分の口角が上がっているのがわかった。それが、人間が持つ闘争本能からなのか、ネコ科の持つ生存本能を起因とする闘争本能からなのかは知らないが気分が高揚していた。
「あれが今回の原因?」
「さぁね、知らないよ」
「馬鹿に聞いてもだめか」
抱えられる腕をはねのけて、私は臨戦態勢をとる。
「………にしても至極まっとうなサラリーね」
「家には子供がいて、かわいい嫁がいて、偶然この世界に紛れ込んでしまって、訳も分からず歩いているだけの善良な無辜の民かもしれないのに………」
「っさいわね。もし殺してそうだったら、謝るわよ」
テープアジャスターをかちりとはずし、身体に這わすように回しながら背中に担いでいたフリントロックマスケットをヘンテコな形で構える。私の身体では銃は軽いとは言えず、取り回しも簡単ではない。両足を広めに開き、気だるそうに両手でしっかりと持つ、まるで槍でも構えているのかといつも言われるが、この格好が一番楽なのだった。
「敵は一人に、私たちは二人。わかるわね」
「相棒のことを信じなよ」
サラリーマンが十六本傘の先端を私たちに向けてくる。
どこぞのスパイ映画よろしく、次の瞬間発砲音と共に、弾丸が私たちのそばを通り過ぎていく。
私とグミは走り出し、私は右に、グミも右に走り出した。
「おい! お前!」
「え、俺、右利きだって!」
「馬鹿言うなよ、お前! おい!」
的が二つに分裂しない以上、敵は一直線に私たちのほうに近づいてくる。姿勢を低くし、十六本傘を構え、数発の弾丸を射出してくる。
「撃ちながら来てるって! どうすんだよ!」
「知らないわよ! あなたよくそれで、すべて自分より下とかほざいてたわね!」
「遠距離武器は反則だろ! おおわっ! あぶねぇ!」
射出された弾丸がグミのケースにぶっ刺さる。
弾丸が射出されていたと思い込んでいたが、どうやら十六本傘の骨組みを飛ばすヘンテコ兵器なようで、よく見れば鋭く固い骨組みが地面を穿って、突き刺さっている。
近距離においては、コンバットボウなどで射出される矢のほうが、そこらへんのライフル弾薬を使用する銃よりもよっぽど効果がある。やはり、質量こそすべてで、弾速は落ちるものの、この距離であれば十二分に効果を発揮する。
現に、グミのケースに突き刺さった骨組みは、横から入って裏側まで貫通している。
「棺桶でガードしなくてよかったぁ」
「してたら眼球の一個ぐらい、串焼きステーキにして食べないともったいないことになってたわね」
「ひえぇぇ」
全部で五本、骨組みが射出されると、敵はスーツケースを脇に挟み、十六本傘を槍の様に構えると、黒光りする革靴で地面を蹴りだし、突撃してくる。
「グミ、飛び道具とかないの」
「ないね。俺は卑怯な手は使わない」
「使えないわね、ほんと」
「鼻かみティッシュならあるけれど」
「あんたが死んだら顔にかけてあげるわよ」
どういうわけか、二人で同じ方向に走っているせいで、敵は迷いなく私たちの方向に突撃をかましてくる。
「って、避けなさいよ!」
「え」
グミの肩を押し、敵の突撃を避ける。
敵は急停止し、振り返る。それに合わすように私たちも振り返り、互いに向き合う。
傘を杖の様に持ち、アタッシュケースをぶら下げたサラリーマンと対峙する。
「なんつうか、無難な顔すね」
「そういうのは、言わない」
双眸はサングラスで隠れ、口元は固く結ばれ、表情は全く読めない。髪は短髪で清潔感のある社会人らしい。しわのないスーツに汚れの少ない磨かれた革靴。カフスボタンも輝き、手首の時計は高級そうな堅牢なものが光る。武器になっている十六本傘は六本の骨が抜けてふにゃけているが、質のいいビニルレザーのような布でできてる。
総じて、かなりの高給取りと見受けられる。
「しゃ、喋るのかな」
「しゃべらんでしょ。馬鹿なの」
グミの脛をマスケットで殴る。
飛び跳ねるように痛がる様を見て、少し溜飲が下がる。
「コンニチ、ハ」
清潔感溢れるサラリーマンの格好をした界異が固い蝋人形のような表情を無理矢理動かして、にっこりと笑う。
「コチラ、+DAWダsgクァ商事の、仇⒲だwだデス」
「喋った!?」
いままであってきた界異の中で、喋るものはいたが、それでも数は少なく、驚きが出る。
隣のグミは嬉しそうに、口を手で覆って、敵を指さしながら「ほれみたことか」とでも言いたそうにしているので、もう一度脛を殴ってやる。
「ッテェ! やめろ、それ!」
「うるさい」
私たちのやり取りをずっとにっこりと気味の悪い笑みで見つめるサラリーマンは、ゆっくりと頭を下げ、手を差し伸べてくる。
「ヨロシクデス」
握手を求めてくるのが、果たしてどういう意図なのか全くわからない。
握手とは、互いの手で互いの手を握り合う行為だが、その本質は、武器を持っていないというものから転じて友好を示す行為になった。らしい。
それが、界異のものからであれば? 示される意図は不明としか言いようがない。そもそも人語を解し、あまつさえ、人間の文化を解することがあるならば私はどうするのが正解なのか。
「ていゃ」
マスケット銃をぶん回し、サラリーマンの頭部を強打する。
困ったときは、殴る。だって別に極論敵だし。
「っぱ、姉さんはそうじゃないと!」
「うっさい! あんたも殴れ殴れ!」
落ちたサングラスには目もくれず、私は敵の顔を殴打しまくり、グミは斧を振るうように人型ケースを腹部を狙って右と左と打ち込み続ける。
が、頭部こそ私のマスケット銃のストックで打ち込むたびに揺れ動くが、それだけ。界異を引き潰すその膂力から繰り出される純粋な物理の暴力を平凡な中肉中背のサラリーマン型界異が平然と受け止めている。
グミの強打は、服の上からまるでクッションを叩くかのような、コンクリートを叩くような、柔らかく固いような音でしかなく、暖簾に腕押しでもなく、ダイラタンシーに腕押しぶん殴りのような、小さな破裂音が響いてくる。
一通り、殴り続け、私の息が切れ、グミの息が切れる。
手を止め、地を蹴り距離を取る。グミはケースを振りかぶったまま、じりと距離を取る。
直立不動のまま、首を落とし、ゆっくりと風に吹かれるように頭を左右に振りながら敵は静かに、暇を頂く喜びを嗜むように、ゆっくりと頭をあげた。
「………」
次は声を発さない。いや―――あれは。
「女………?」
いや違う。これは、男で、女で、子供で、少年で、少女で、翁で、老婆で、おもうさまで、おたあさまで、ママで、父で、君は一体―――誰。
「ウギ、、あどぁdw」
声にならない音が、敵の口から発せられる。
グミがその音に反応してか、振りかぶっていたケースを思いっきり頭部にぶち当てた。
「イ”;ダィ”””ッ!!!!」
悲鳴だ―――数十人の声が混じったような、
「あぎっ」
振り下ろしたケースを振り上げ、敵の下あごを射抜く。そして、サラリーマンの顔が定まり、幼い少女の苦痛に歪む表情に変化する―――と、思えば、また金髪頭のヤンキーのような顔になり、十六本傘を鉄バットのように振り上げ、グミの人型ケースをはじき飛ばした。
もともと切り上げていたケースをさらに押される形で弾かれたので、ケースに身体を持っていかれるように姿勢を崩したグミの、空いた腹部にお返しというように敵は十六本傘を叩きつける。
声を吐き出すよりも、油断でため込んでいた空気を口から吐き出しながら、数メートル後退するグミを視界の端に、私はフリントロックマスケットを握りしめなおした。
「厄介だね」
いやな汗が流れ落ちる。
「―――グミ! 大丈夫!?」
私の後ろに下がっていったまま、音沙汰のないグミに声をかける。敵は幸いにして振り切った腕をそのままに、まるで人形の様にピタッと動きを止めている。
「………ぁィ」
無理矢理空気を吐かされると人間は、過呼吸のような状態になる。最も、グミぐらいであれば、ものの数秒で元に戻るだろう。
「………ッカァ―――ぶ、な。一回、死ん、だ」
「五体満足でなにより」
「俺を、怒らせたなって感じよほんと」
動かない敵を目前に、グミの全線復帰を待って、行動を起こす。
マスケット銃を長刀のように回し、傘めがけて上段から振り下ろす。いなす様に止まっていた敵の身体が動き、スーツの皺が波打つように動き、右手に持った十六本傘が振り下ろされる長刀を殺なし、逸れた軌道に傘の先端を合わせたままくるりと巻き取るように回し取り、地面に叩き落とそうとする。私は握っていた手を放し、身体ごと持っていかれるのを防ぎ、身を引く。
代わりに飛びつくように人型ケースの頭部を握りしめ、上空から振り下ろすグミに気付き、降り下げていた十六本傘を振り上げるようにして防ごうとするが、圧倒的質量と重力加速によって叩き落され、勢いそのままに右肩から崩れるように地面にたたきつけられる。幸いにして、私のような柔軟な戦術は持ち合わせていないようだった。
グミはケースをそのまま振り切り、地を穿つと打点を中心に勢いそのままに体を宙に浮かせ、常人離れした広背筋と僧帽筋をもって、次は空中に浮いた自分を中心にケースを一回転させるように振り下ろした。
姿勢を崩し、膝をついていた敵の頭部に振り下ろされた変哲もないただの人型ケースはしっかりと敵の頭部を地面に押し付け、そのまま潰しきった。
飛び散る血液に似た何かと、人間の由来の歯や、脳片、黄色い脂肪がこの界異が人間であるかのように錯覚させるが、こいつはあくまで界異なのだ。
と、静かに決着がついた歪座標内に音が鳴る。
ちょうど、人が倒れるような、リュックをそのまま地面に落とすような、静かに人が崩れ落ちて、荷物が地に落ちる音。こうも的確に表現できるのはきっと、私のマスケットが敵に押しつぶされて最悪だなと思いながら、眺めていた敵の後ろに一人の人間が倒れたからだろう。
「姉さん!」
またグミに頭部を押さえつけられる。
「気を抜かない!」
弾丸が空気を穿って私の上空を通過していく。
頭部が靄がかったまま、敵はスーツケースを私に向けて、引き金を引いていた。
「どうして、スパイ映画ご用達な武器ばっかりなのよ!」
文句を言っている場合ではない。これは結構厄介な―――至極、最悪な界異だ。
次の弾丸を撃たれる前に、グミがもう一度振りかぶり、見分けのつかない頭部に向かってまたケースを振り下ろそうとしていた。
それを、私は静止する。
「だめっ、グミ!」
「えっ、は? えっ、え?」
止まらないケースが自由落下そのままに、敵の頭部を射抜く。力を入れていなかったために、潰すまで至らないが、頭部から地面に叩きつけられるように敵が突っ伏した。と、同時に、私の後ろあたりからトサっと小さな音が鳴る。
振り返ると、緑のセーターに淡い色のフレアスカートを履いた、大学生のような女性が茶色の髪の間から血を流しながら倒れている。
視線を戻すと、沈黙する敵の後ろに頭部をぐちゃぐちゃに砕かれた死体が転がっている。
そして、眼前の沈黙していたサラリーマン姿の敵がゆっくりと起き上がったと思えば、スーツケースを小脇に抱え、私の静止によって動きを止めていたグミのアゴに向かって脇のしまったストレートを繰り出した。
カクンと膝から崩れ落ちていくグミ。完全にハイったストレートパンチだった。
崩れ落ちていくグミの背を思いっきり蹴り、敵にかぶせる。その間に素早くマスケット銃を拾い上げ、気持ちを入れ替えるように、右手を上に、左手を下に左頬のあたりに銃身の先が来るように地面と垂直に持ち、踵を合わせて敬礼を行う。
そして、足を前後に開き、マスケットのストックを振りやすいように八相の構えで敵を睨みつけた。
「君は、単純明快な悪霊や妖精や怪異ではないね」
このサラリーマン男に鉄槌を下ろすと、元次元から人間が死体になってこちらにくる。
別に、元座標の人間が歪座標に紛れて死ぬことも少なくないわけではない。私の様に歪座標に入れ混める人間もいるのだから、歪が高いところだと普通の人間でも自然と入り込むことは多々ある。
木漏れ日揺らぐ、穏やかな神社の並木道。突然周囲から人気が消え、怖気がする瞬間やエレベーターの中に入ってぽつんと一人になった瞬間。気づけば周囲に誰もいない図書館の席と偶然鳴り響いた館内放送のザーザー音。
紛れ込んでしまう瞬間は日常、漠然と生きている中でもいくらでもある。しかし、そのどれもが、あまり歪みのないある意味正常な偶然によって何事もなく済んでいく。
「だからと言って、人の助けをするような良い子でもないときた」
どちらかと言えば、最悪だ。
「人の皮を被ってアレコレする界異はよくいる。子供の皮を被って親子になりきり―――一通り楽しんだら、腹のぬくもりを楽しみたいとかいうキショイ理由で、母親の腹を裂いて、湯気を上げる腸に塗れながらきゃっきゃと笑う界異なんてのもいた」
私はマスケット銃をちゃんと構えた。
「けれど、君は違うね、そのどれとも。けれど、非常に迷惑極まりない。けれど―――何物にもなれるかもしれないという歪な空間だからこその、界異」
私は膝を曲げ、片膝を付く。
鮮やかな化粧を施した女の顔をしたサラリーマンがグミから這い出し、アタッシュケースを支えにしながら、銃口を私に向け、引き金を、引く。
放たれた弾丸を弾きながら、構えた銃身を空に向ける。
「迷惑な、”街”だ」
放たれた弾丸が、歪を直す―――
――――――午後の陽が柔らかく街を包む。遠くから汽車の汽笛が聞こる。歩行者たちの足音が道を埋め尽くし、時折車のエンジン音とクラクションが入り交じり、ウィンドショッピングをする人々の姦しい喋り声と、一転して余裕のない電話をするスーツに身を包んだ死んだように仕事をする人の音。交差点中に響き渡る喧騒と笑声やらが風にのって舞い上がる。
スクランブル交差点の中心で、銃刀法違反も真っ青なアンティークの銃を構えた私はさぞお笑い草だろう。
その隣でぶっ倒れている、ヘンテコなケースを持った人間もいればなおさら笑える。
「起きろ、グミ」
「………」
まだ気を失っているが、まぁいい。
もう少し、交差点は賑わい、スクランブルが続くだろう。
「あーつかれた」
大きな街はいい。
私がここで寝転がっていても、誰も気にしない。
気にはしても、相手にはしない。
ともすれば、交差点の周囲で悲鳴が響き渡る。
きっと、子供の死体が数体と、顔面のつぶれた死体がひとつふたつ、ようやく人々に認知されたのだろう。
だからもうすこし、寝ていても大丈夫。
私たちのほうが、ずっと目立たないのだから。
耳の奥で、時計台が鳴る音が聞こえる。
幻聴だとも思いつつ、私はそれを耳から取り出すと、パクリと口に入れて飲み込んだ。
そして、ケホっと毛玉を吐き出すと、ぎゅっと握って、ぽんとフリントロックマスケットの中に放り込んだのだった。
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