第7話 子鹿と男装男子

「で、では……お願い、です!」


 胸を撫で下ろし、覚悟を決めた茉莉お嬢様。


 それほど重大なことなのだろうか。こちらまで改まってしまう。


「私の、手を握ってもらえませんか……⁉︎」


「は、はい……?」


 小規模なお願いに腰が抜けかけた。しかし茉莉お嬢様は真剣だ。


「だ、男性に、なれるためっ……お、お願い、じまずっ!」


 意を決したらしい。彼女は席を立ち上がり、首を垂れたまま手を差し出す。


 恋愛リアリティーショーの告白場面を彷彿させた。


「あ、え、えっと……」


 メイドはお触り禁止とかいうけど、いいのだろうか。


 弥生さんに確認しよう。振り返る直前、お嬢様の白い手が目に入った。


 震えている。生まれたての子鹿なんて見たことないけど、彼女の手は震え、何かに怯えているように見えた。


 男性に慣れるため、確か彼女はそう言った。


「分かりました」


「ひゃい!」


 どうかその震えが、収まりますように。そんな願いを込めて、包んだ手はマシュマロみたいに柔らかくて、思えば女の子の手などここ数年握ったことなかった。


 最後は確か……真澄であることは確実だ、うん。


「あ、え、えっと」


 こういう時、何か気の利くようなことを言える男になりたい。


 茉莉お嬢様の顔は赤く、なっていない。むしろ青ざめていた。


 手もどんどん冷たくなっている。震えも増している。


「あの! だ、大丈夫で」


「だ、大丈夫っ……! だ、大丈夫なのでっ……! こ、これくらい我慢、し、しないとっ! わ、私っ……私っ!」


 青ざめた顔から汗が垂れる。一体何を焦っているのだろう。パニックに近い言動を目の当たりにするのは初めてだった。


 どうすれば、いいのだろう。考える前に声が出た。


「あの!しっかりして下さい!」


 手に力を込める。「いたっ」と声を上げた彼女の正気は少しは取り戻せただろうか。


「お、わ、私は女です! み、見た目は男だけど、女なので……あ、安心して下さい、お嬢様!」


 それが正解なのかは分からない。でも、そうすべきだと思った。


 本能ってやつだ。


「あ、あ、え、えっと」


「お嬢様にどんな事情があるかはわかりませんが、お、私めは茉莉お嬢様の味方です」


 恐らく今の俺はツンデレでもなんでもない。


 でも弥生さんは言っていた。お嬢様が求める最高の執事を演じろ、と。


「え、あっ……あ! ありがとう、ございますっ……」


 やっと彼女と目が合った。


 手の震えは消え、顔色も健康そうだ。


 だからきっと、この行動は正解なんだと思う。


 

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男装男子は小動物を愛でたい。 めろんぱん。 @mellon82469

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