第2話 男装男子
「ここ、だよな……?」
もらったスマホと看板を交互に見る。……うむ、間違ってはいなさそうだ。
辿り着いたのは駅前にそびえるビルに挟まれた小さな店。
喫茶店のお手本のようなこじんまりとした木製の店。その前に置かれた看板にはハッキリと、『Rosette Nebula』の看板がかかっていた。
「お、来たね。君が紫音くんだね?」
タイミングを見計らったかのように入り口のベルが鳴る。
赤いバンダナの三角巾に、白いエプロン。どことなく洋食店で働くおばちゃんを連想させる服装。しかしそれに反するような強い印象を与えるキツめの顔。……いや、美人ではあるんだけど、怒ると怖そうだ。そして今来ているおばちゃん服より黒いスーツの方が似合いそうである。
……推定身長167㎝、だな。
「は、はい……。や、弥生さん、ですよね?」
「ピンポンピンポーン!あ、ちょっと待ってね。裏口、案内するから」
弥生さんは服装に合った柔らかい笑みを見せた。
性格は顔と違い、服装通りの柔らかい感じの人なのだろう。少し安心した。
「はい、お願いします」
軽く頭を下げると、弥生さんは俺を舐めまわすように見た。
「ふぅむ……成程、成程……」
「あの、俺何か――」
「うん、合格! じゃ、ついてきて!」
何に受かったのだろうか。何の審査をしたのか問おうとしたが、弥生さんが歩き出したのでついていくしかない。
人一人がやっと入れるレベルの路地裏を抜け、店の裏まで回る。弥生さんは慣れた手つきでピカピカに磨き上げられたドアノブを回した。
「営業中は鍵空いてるいから普通に入ってきていいよ。んで、入ったらスタンプカード押してね」
裏側だから、だろうか。内装はとても簡素な作りだった。
白い壁に白い床。清潔感はあるが事務感が強い。
パソコンが一台、向かい合ったデスクが二つ。その奥には扉が三つあり、一つは
『更衣室』というプレートがぶら下がっていた。
「そこが更衣室。と言っても女の子用だから紫音くんはここで着替えてね。あ、でもでもパンツ脱いだりはしないでね? 女の子も普通に通るから」
「はい。……女子が多いんですか?」
「多いって言うか、紫音くん以外皆女の子だね」
よっしっ! 勝った!
心の中でこれ以上ないほどの大きなガッツポーズを決める。
やはり! やはり! 俺はついている。
「ちょーーっと待ってねぇ……今制服出すから……」
「はい。……えっと、探すの手伝いましょうか?」
隅に置いてある透明の衣装ケースの中をまさぐる弥生さんはパッと振り返り、『トイレ』と書かれたプレートがぶら下がった戸を指した。
「いいよ、いいよ。それより顔洗ってきてくれない?」
「顔、ですか?」
自分の顔を指さす。そういえば日焼け止めを塗っていたけど、関係あるのか?
「うん。メイクするから」
「なるほど、メイクをするから……って、え? め、メイク……ですか……?」
「そう。メイク」
「俺、男ですよ……?」
男でメイク。不意によぎったのは白塗りでドラムを叩くバンドマン。
「うん。でもそのままじゃただの男のだから。いい? 今から君は男装するんだから」
「……はい?」
終始冗談のじょの字もないほどに真剣な弥生さんを尻目に、俺の目は点になる。
男の俺が、男装……。
いかん。脳の処理が全く追いついていない。
「店長、注文出たので早くーーし、紫音⁉︎」
プレートのない方の戸が開く。声の主は真澄。俺が間違えるわけない。
見ず知らずの場所にいる友人に安心したのか、俺は真澄に安堵の目を向けた、向けたかった。
「ああ、真澄。実は……えっ? ま、真澄……?」
黒い燕尾服。いつも以上にキリリとした印象を感じる真澄(?)の頭は金色で、どこからどう見ても男にしか見えなかった。
取れるんじゃないかという程、強く目をこする。
本当にこれが真澄か? 長年幼馴染をやっているが、そんな疑問が生まれてしまうほど、今の真澄はカッコ良かった。正しく少女漫画から飛び出した王子だ。
「え、あ、あうっ……ほ、本当に来たんだ……」
目線を逸らし、顔の前で両手を振る。おお、よかった。真澄だ。その仕草は真澄でしかない。
「つ、つーか何だよその格好! ま、まさかこの店長の趣味でいいように利用され――」
「誰が変態店長よっ」
ピシャリと頭に軽い衝撃が乗る。
いや、思ってはいたけど、俺そこまで言っていない。
「て、店長……! ほ、本当に紫音にキャストやってもらう気ですか⁉︎」
「トーゼン。真澄ちゃ、アズサくんだけじゃ回せないでしょ?」
「で、でも!」
「とにかく、紫苑くんはこれに着替え――」
「す、すみませんっ!」
口論になりつつある二人の間に割って入る。
「あの、さっきから話の脈略が見えません。説明を求めます」
「ああ。そういえば説明まだだったね」
「せっ、説明もしてなかったんですか⁉」
「うんっ! だって急いでたからね!」
弥生さんはビシッと親指を立て、ドヤ顔を決めた。こんな状況でも、美人は何をしても映えるのだなと、呑気なことが頭によぎった。
「なら尚更早く説明して下さいっ!」
「はいはい。前述の通り、君には男装をしてもらうんだよっ!」
「……だから、それが意味不明なんですよ」
男が男装。日本語がおかしい。
「え、えっとね紫音。ここは、ただの喫茶店じゃないの」
詳細を語ろうとしない弥生さんに痺れを切らしたのか、真澄がおずおずと声を上げた。
「それは薄々感じてた。で、何がどう普通じゃないんだよ」
「ここ、はね? そのー……い、言いづらいんですけどー……」
「乗りかかった船だ。お前のピンチは助けるから早く言え」
「本当⁉︎ 今の言葉に、二言はないでしょうね⁉︎」
口を閉じていたかと思えば、途端に目を煌めかせた弥生さんが身を乗り出した。
「あ、貴方に言ってないんですけど――」
「いやー良かったよ! 紫音くん絶対向いてるもん! その身長、顔! 私がNo. 1に導いてあげるから!」
「だから――!」
「し、紫音あのね? ここは、男装した女の子がお客さんを給仕するコンセプトカフェ、男装喫茶『Rosette Nebula』、なんだ……」
「……へ、へぇ。だ、男装喫茶……だっ、男装喫茶⁉︎」
今日一で声が出た。
男装と喫茶。別々でなら聞いたことはあるが、複合した単語は初めて聞いた。
「そう! 紫音くんは今から紫音ちゃんとして紫音くんになって貰います!」
「いやいやいやいやいや! 意味わかんない! 俺は元々ずっと紫音くんです! 俺を男装させて店に出すって、詐欺じゃん! 客騙したんじゃん! ぼったくりじゃん!」
やけに乗り気な弥生さんを必死に否定するが、彼女の満面の笑みがくずれることはない。やはりそういう趣味がある変態としか思えない。
「ダイジョーブ! 紫音くんの顔は女の子寄りだし、背も低い!」
グサッ。
この人は平気で俺のコンプレックスを抉り出す。
ただでさえ今日は失恋デーだからダメージが二倍。いや三倍だ……。
「それにこの仕事が終わった時、君は腰を抜かすよ? この喫茶店の魅力に……」
弥生さんはふふふと白雪姫に毒林檎を食わせた魔女のような不敵な笑みを浮かべた。
恐らくこういう人を美魔女というのだろう。
「バレたらどうするんですか! 訴えられますよ!」
彼女を一瞥し、反論を投げる。それでも弥生さんはまだあっけらかんとしている。
「バレないバレないって! 客の前でズボン脱ぐサービスなんてないもん! それに客が言うわけないじゃん!『貴様!ちんこついてるだろー! 確認させろー!』って!」
「……思春期男子の前でそんなこと言わないで下さい」
「とにかく! 絶対にバレないし、人気が出る! 私のキャリアがそう言っている!」
豊満な胸をドンッと叩く弥生さん。不規則に揺れるそれに欲望のまま目が泳いでしまうが、慌てて首を振る。
どうやら反論は無駄らしい。この人は何を言っても俺の意見など聞き入れない。
一度協力すると言った手前、俺は腹を括るしかないのだ。
「……分かりました。今日だけ! 真澄の手伝いとして! 働きますよ!」
ええい、ままよ。
投げやりに出た決意と、薄い胸板を叩いた音は事務所の中に響き渡った。
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