第22話「シナモンを利かせたホットミルク」

 エマさんが去ってから少し経った、とある夜中のこと。

 翌朝の仕込みを終えた俺が厨房の後片付けをしているところへ、フレデリカが訊ねて来た。

 

「……ねえ、ちょっといい?」


 きょろきょろと辺りを気にしているのは、セラがいないか確認しているのだろうか。

 とすると、人に言えないような話をしに来たのか。

 こんな夜更けに? フレデリカが俺に?


「……まあいいが」

 

 立ち尽くしているフレデリカを椅子に座らせると、作業台を挟んで対面の椅子に座って待つ。

 待つ……待つ……待つ……。

 しかし、いつまでたってもフレデリカは話を始めようとしない。

 よっぽど切り出しづらい内容なのだろう、ぎゅっと口を引き結んでもじもじして居心地悪そうにしている。

 

「……はあ」


 しかたねえなとため息をつくと、まだ落としていなかったかまどの火を使い、適当にホットミルクを作ってやった。


「……なに、これ?」

「いいから、飲みな。レ・ショー・デ・キャネル。要はシナモンを利かせたホットミルクだ」


 緊張をほぐしたい時や眠れない時に効果的なやつな。


「……わあ」


 熱いのだろう、はふはふしながらホットミルクを口にしたフレデリカは、驚いたように眉を開いた。


「美味しいっ、すごくっ。あんまり甘くはないけど落ち着く大人の香りというか……体が温まってふわっと軽くなるというか……っ」


 ぱあっと表情を明るくして俺を見て……ようやく自分が何をしにここへ来たか思い出したのだろう、すぐに気まずそうな顔になった。


「その……ありがとね、こんな夜中に来たのに、飲み物まで出してくれて。それでね? あの……」


 ぽしょぽしょつぶやくように謝っていたかと思うと、フレデリカは急に、思い切った様子で顔を上げた。


「今日はお願いがあって来たの」

「おまえが? 俺に?」


 あのフレデリカが、あれほど毛嫌いしていた俺に?

 いったいどんな無理難題を頼む気なのかと身構えていると……。


「その……セラのことなんだけど……」

「セラの?」

「うん、その……そのね? あのコって、どういったことをすれば喜ぶのかしら?」

「あ?」

「いや、あ、じゃないわよ。聞こえてたでしょ? セラが何をすれば喜ぶのかって聞いたのよ」

「なんで?」

「なんでって……そんな……そんなの……」


 フレデリカはさっと頬を赤らめると、悔しそうに言った。


「もっと仲良くなりたいからに、決まってるじゃない」

「…………はあ」


 反射で相づちを打ってから、俺は事の重大さに気がついた。

 あのフレデリカが? セラの喜ぶことをしたい? そして仲良くなりたい?

 そのためにこんな夜更けに俺のところへ来て、恥を忍んで頼みこんでいる?


 衝撃の展開に俺は驚き、そして──


「くっ、くくくくく……っ」


 こみ上げた笑いを堪えるのが大変だった。


「くくくくくはははははははっはっはっ! ああああーっはっはっはっはっ!」


 ウソウソ、堪えるのなんて無理だった。

 俺は腹がよじれるほど笑い転げ、フレデリカを激怒させた。

 

「おまえが!? セラと仲良くしたい!? そのためにわざわざこんな時間にこんなところへ来たの!? んでそんなに顔赤くしてんの!? おまえも可愛いとこあるんだなあーおい!?」

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! それ以上言うな! 言ったら殺すわよ!?」


 フレデリカは作業台をバンバン叩いた。


「あーっはっはっは! あっはははははは! あああーおかしい!」


 バンバンバン! バンバンバン! バンバンバン!


 俺が笑いを治めるまでたっぷり1分間、フレデリカは作業台を叩き続けた。

 

「うう……この最低男っ、わたしの手が折れたらどう責任とってくれるのよ……」

「いやいや、最初から最後まで自業自得だろ」


 真っ赤になった手の平にふうふうと息を吹きかけるフレデリカが何やらほざくが、俺にはまったくもって落ち度がない。

 

「ともあれ、アドバイスはしてやるよ。用件はセラと仲良くするためにどうすればいいか、だったな?」

「……うん」


 この間の一見以来──

 セラはフレデリカに自分と同じタイプの傷(父親に家を追い出された)を見出したことで同胞だと認識し。

 フレデリカはセラに救われたことそしてその身に背負った運命(『癒しの奇跡』の副作用)に気づいたことで人として尊敬し。

 ふたりの仲は改善されたはずだった。

 フレデリカが意地悪していたことを謝り、セラがそれを受け入れ、これからは友人として生きていく……いけるはずだったのだが、実際にはいまいち上手くいっていない。

 セラはああいう性格だから昔のことなどすでに忘れているのだが、フレデリカのほうが胸に罪悪感を抱えているようなのだ。

 だから何かしたいと思っている。

 何かして、セラに好かれたいと思っている。


「そんなの簡単だ。ふたりで遊べばいい。ふたりだけじゃなく、マリオンとルイーズも合わせてみんなで一緒に遊べばいい」

「みんなで遊ぶって……それだけ? それだけでいいの?」


 あまりにも簡単な答えに、フレデリカはうろんげな目をするが。


「子供なんてなあ、一緒のことをして遊んでりゃあすぐに仲良くなれるもんなんだよ。特別何かを贈ったり、してあげたりなんて勝手にハードルを上げると、その分逆に距離が遠くなるんだよ」

「そ……そんなものかしら」


 半信半疑のフレデリカ。


「とくにセラの場合はさ、ほら、ひとり遊びが得意だろ」

「ひとり遊び……ああ」


 フレデリカたちにいじめられ、あの性格のせいもあって先輩シスターたちにも放っておかれ、セラはぼっちな期間が長かった。

 だからひとり遊びが得意な子供になった。


「俺、何度も見てるんだよな……。あいつがひとりで石蹴りをしたり、ひとりで虫取りをしたり、ひとりでままごとしたりっていうのを……ああいかん、悲しくなってきた」

「やめてやめてやめてもうやめてっ、死んじゃうっ、死んじゃうっ」


 自分のせいでセラがぼっちになっていたという罪悪感からか、フレデリカは胸を押さえてうずくまった。


「とりあえずまあそういうことだから。おまえが本当にセラと仲良くしたいのであれば、単純に一緒に遊ぶこと。出来れば普段とは違う特別な環境で……屋外とかのわりかし不便な場所で、アトラクション的な感じで……そうだな。川遊びでもしにいくか?」

「……へ? 川遊び?」


 川遊びなどしたことないのだろう、生粋のお嬢様なフレデリカは不思議そうに首を傾げた。

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