第36話「彼女は二度と戻らない」

 十字の頭を丸くしたような礼拝堂の形状は、それ自体が聖印の形を表している。

 入り口は十字の下端にあり、つまりは入域するという行為そのものが神へ祈りを捧げる神聖性を含んでいる。

 にも関わらず、この男は……。


「うへえー……寒いですねえ、ここ。ちゃちゃっと済ませちまいましょう、ちゃちゃっと」

 

 ジローは白い息を吐き出すと、自らの腕を盛んに擦った。

 主祭壇の尊さもステンドグラスの美麗さも積み上げられた信仰の重みもまるで理解していないのだろう、しきりに足踏みして寒さをまぎらわせている。


「あなたね、仮にも修道士ブラザーなのだからもう少し節度というものを……」

「そうは言いますけど、あくまで身分上の話ですからね。そうしとかないと誰かさんにとって都合が悪いからそうしてるだけで、実際には俺はただの料理人です。よく知らない神様への信心しんじんなんて、期待されても困りますよ」

「なっ……」


 あまりと言えばあまりにも不遜ふそんな態度に腹が立ったが、わたしはぐっと堪えた。


 そう、今追及したいのはそこではない。

 当初の目的を忘れてはならない。


「……まあいいでしょう。ともかくそこにおかけなさい」


 ジローを信徒用の長椅子に腰かけさせると、わたしはその隣に座った。

 横向きに姿勢を変えると、膝を詰めるようにして問いかけた。


「改めて、ジロー。先ほどの行為への弁明をしてもらいましょうか」

「弁明というか……俺、そもそもそんなに悪いことをしたとは思ってないんですけど……」

はあ・ ・?」


 わたしが威圧すると、ジローは慌てたように手を振った。


「や、その。ある程度は悪いとは思ってますよ? 男子禁制の南棟に入ったり……でも別に、誓って悪さは働いてないですし……」

「しなければいいというものではありません。起こり得るという状況そのものが悪なのです」

「うお、これが宗教関係者によるリアルお説教……っ」


 ひるむジローに、わたしは順序立てて説明を始めた。

 夜にシスターの寝室に忍び込むという不埒ふらちな行為について、セラを遅くまで厨房に留め置くという行為について。

 それらがいったいどんなイメージを周囲に与えるか、影響を及ぼすか。


「そもそもの問題として、あなたはセラと近すぎます。抱き着かれたり、頬ずりされたり……嚙み付かれたりしてるのも見たことありますよ? ねえ、ジロー。それが一般的な男女にふさわしい距離感だと言えますか?」

「男女っつうか……」

「幼いとはいえ、セラは女子ですよ」


 ぴしゃり遮るように言うと、ジローは困ったように頭をかいた。


「やあまあ……わかるっちゃわかりますよ? あまりにもべったりすぎて、なんとかしなきゃなと思ったことはありますよ? でもですね……」 


 ジローは探るような目でわたしを見ると……。


「『邪魔しないから、見てるだけだから。寒くないようにほら、毛布もかぶってるしね。えへへへへ……』とか言って無邪気に笑ってる子供を追い返すとか……出来ます?」

「ぐ……っ?」

「『包丁の音を聞いてると落ち着くねえーっ。なんか懐かしいみたいな……なんでかなあーっ?』とか言っておそらくは故郷のお母さんのことを思い出してるのだろう子供を追い返すとか……出来ます?」

「ぐううう……っ?」


 矢継やつばやに放たれたジローの精神攻撃が、グサリグサリとわたしの胸を突き刺した。


「そ、そう来ましたか。たしかにあのコにはそういうところがありますからね……」


 よろめきながら、わたしは数度かぶりを振った。


 セラ特有の直截ちょくさいな表現は、時に大人の心を突き刺すことがある。

 このコのために何かしてやらなければいけないと、切羽詰まった気持ちにさせる何かがある。 

  

「健康面には配慮してます。暖房は欠かさないようにしてますし、温かい飲み物も飲ませるようにしてます。寝落ちしたらすぐに寝室に連れて行くようにもしてますし……他の奴らを起こすのは悪いかもですけど……」

「ううむ……」

「それにね。俺、わかるんですよ。あいつが本気で俺の助手になろうとしてるのが。俺の動きを見て、説明を聞いて覚えようとしてるのが。ねえ、それ自体は悪いことではないでしょう?」

「ううむむむ……」


 知っている。

 その思いや、努力自体は尊いことだと。

 セラを成長させるための、大事な要素を含んでいると。


「もちろんそれだけじゃないですよ? 時には神学とか礼儀作法とか、そういったあいつの苦手な分野のことも勉強させるようにしてます。フレデリカとか、マリオンとかルイーズとか、周りの奴らにも協力してもらって。それは同時にあいつの情緒的な部分を成熟させる役にも立つはずで……むしろ、すごくいいことなんじゃないですか?」


 知っている。

 セラの成績が上昇傾向にあること。

 対人関係にも成長が見られること。


 ジローの傍にいるのは、確実にセラのためになる。

 だけど──それでも──ダメなのだ。


「……勘違いのないように言っておきます」


 深く息を吸い込んでから、わたしは告げた。


「それほど遠くない未来、セラはここを出て行きます」


 ジローの目をまっすぐ見つめ、認めたくはない未来を。


「──そして二度と、戻りません」

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