【紙書籍発売中!】追放されたやさぐれシェフと腹ペコ娘のしあわせご飯

呑竜

「プロローグ:黒パンバーガー」

第1話「黒パンバーガー」

 16歳で単身フランスに渡り、大衆食堂に住み込みで働きながら名門ル・コランタンを卒業。

 数多あまたの料理コンクールを総なめにし、帰国してからは赤坂の三つ星レストラン、ラパン・グルマンで勤務と、およそ料理人としてはこれ以上ないスタートを切った俺だが……。


「まさか休憩で外に出たとこをトラックに撥ねられて、中世ファンタジーな異世界に転移することになるとはなあー……」


 寒風忍び寄る、石組みの厨房の片隅で。

 しなびた雪割り菜をタライで洗いながら、俺はしみじみとボヤいた。


「しかも王様に嫌われて王都を追い出されて、こんな極寒の修道院なんぞに来るハメに……。なあおい、俺まだ24だぞ? それがなんだっておまえこんな……」


 改めて口にしてみると、なんてひどい話だ。


「この世には神様とかいないのかよ……」

「いないよ、神様なんて」


 一緒に雪割り菜を洗っていた女の子、セラが死んだような目で言った。


「いやいや、おまえが言うなよ。立場的に」


 銀髪のおかっぱ頭に紺色のぶかぶかの修道服。

 まだ10歳と幼いけれど、セラはシスター見習いだ。

 神学の成績は最悪で行儀作法もダメダメだけど、神に仕える身には違いない。


「だってさ、深夜の誰もいない時間を見計らって来てみたら、なんでかジローは起きてるし。こっそりやればバレないかと思ったらすぐバレちゃって、こんな冷たい水で野菜とか洗わされるハメに……」

「それは神様関係ねえよ。単純に俺が罰を与えた結果だろ? シスター見習いがつまみ食いなんかしやがって。しかもおまえら、事もあろうに断食中だろ?」

「うう……」


 俺の鋭い指摘に、セラは言葉を詰まらせた。


 シスターたちは断食の真っ最中で、明日のミサまでは何も口にしてはいけないことになっている。

 決まりを破った者には竹の鞭でお尻を叩かれるという罰があるし、今後予定されているセラの正シスターへの昇格試験にも間違いなく影響が出る。

 

「告げ口されないだけありがたいと思えよ。おまえだっていいかげん、正シスターになったって親御さんに報告したいだろ?」

「ううう……」

 

 セラが癒やしの奇跡──魔法のようなものらしい──を認められ、スカウトされる形でここザントの修道院に入ったのは5歳の時のことだ。しかしそれから5年間、こいつは試験に落ち続けている。

 

「だって……お腹減ってたんだもん……」


 つぶやきに同調するかのように、セラのお腹がぐうと鳴った。

 親御さんのことを口にしたのがまずかったのだろうか、あるいは単純に空腹が極まったのか、セラは大きな空色の瞳にぶわりと涙を浮かべた。

 

「だってカーラさん言ってたのにっ。修道院へ来ればお腹いっぱい食べられるよって。おとーさんも、マルコもラナもロッカだって、きっと今よりいっぱい食べられるよって。いいなあ、セラって」


 セラの父は猟師をしていた。

 ザントの外れで、家族6人で慎ましく暮らしていた。

 だがある時、長引く吹雪による不猟のせいで口減らしをしなければならなくなった。

 4人の子供のうち一番幼いのがセラで、セラには偶然、癒やしの奇跡が宿っていて……。


「お勉強とお祈りと、お掃除とお洗濯と、毎日そればっかでつまんないしっ。癒やしの奇跡なんか持ってて生意気だって叩いてくる人もいるしっ。断食前の最後のご飯も、意地悪されて転ばされて床に……うう、うわあああーんっ」


 セラはとうとう泣き出してしまった。


「わ、悪かった。そんなことがあったとは知らなかった。言い過ぎたよ、ごめん」


 頭を撫でても背中を擦っても、セラの号泣は止まらない。 

 子供特有の遠慮ない泣き声が、深夜の厨房にわんわんと反響する。

 

「よしわかった、こうしよう。今からおまえに飯を食わせてやる」  


 すると現金なもので、セラはぴたりと泣き止んだ。


「ホントに? ホントにご飯食べさせてくれるの?」

「ああ、もちろんだ」

「……みんなに怒られたりしない?」

「バレなきゃいいんだよ、ってのは教育的にあれかもしれんけどな。おまえみたいな子供を空腹で泣かせるのは料理人魂に反するんだよ」


 セラの頭をひと撫ですると、俺は立ち上がった。

 コックコートの袖をまくると、発火石を打ち合わせてかまどに火を入れた。

 

「ふうーん……? ふうーん……?」 


 セラはぐずりと鼻を鳴らすと、俺の周りをちょろちょろし出した。


「待ってろ。とびきり美味いのを作ってやるからな」


 セラの腹の空き具合や他のシスターに気づかれる危険性も考慮すると、あまり調理に時間をかけることは出来ない。有り物でちゃちゃっと、が正解だろう。

 そこで俺が選んだのは、子供大好きハンバーガーだ。

 作り方次第じゃ栄養価も侮れないし、ガッツリ食い応えもある。


 しかし残念、ここは極寒の地。

 バンズに使うパンは寒さに強いライ麦から作った黒パンだ。

 しかも味より日持ち優先だから、パサパサでやたらと硬い。

 せめて柔らかくして食べさせてやりたいところだが……。


「レンジがありゃ一瞬なんだがな……ま、無いもんは仕方ねえ。『それが料理だセ・ラ・キュイジーヌ』」

「今、セラのこと呼んだ?」

「呼んでねえよ。これはな、どんな状況にも即応出来る料理人になれっつう、俺の恩師のありがてーえ教えだ。ほら、わかったらどいた、どいた」


 盛んにくっついてくるセラを肘で押しやりながら、俺は作業に移った。


 まずは黒パンの丸一個を半分に切り分け、霧吹きで水を吹きかける。

 それをフライパンに乗せ、蓋をして蒸し焼きにする。  


「……パンに水を!? しかも焼く!?」

「あー、うるさいうるさい。いいか? パンがカチカチになるのは水分が抜けたからだ。だったら蒸し焼きにして水分を戻してやればいいっていう発想だ。わかったらどいた、どいた」


 ふつふつ、ふつふつ。

 水分が蒸発し対流する音を聞きながら、雪割り菜を刻んでいく。

 塩、酢、水、粒マスタードやローリエの葉と一緒にボウルに入れて混ぜ、よく水気を切る。


 すると、自らの頬を両手で挟んだセラが悲鳴を上げた。


「うわああああー! 野菜! 野菜だーっ!?」

「うるせえ、嫌そうな顔すんな! これはシュークルートっつってな。俺のいた世界のフランスって国の家庭料理なの! 酸っぱ美味いし肉と合うから、騙されたと思って食え!」

「……肉!? お肉があるの!?」

 

 肉と聞いて目を輝かせるセラの目の前で、明日の朝食用に塩抜きしておいた鹿モモ肉の塩漬けにシュークルートを混ぜて炒めていく。


「ほあああー……いい匂いだあー……」


 フライパンの中でじゅうじゅうと音をたてる肉とシュークルート。

 厨房内に立ち込める香りに、セラはうっとりと目を閉じた。


「ほい、こいつで完成だ」


 ふっくら膨れ上がって柔らかくなった黒パンの内側にバターを塗り、刻んだ山羊のチーズと炒めた肉とシュークルートを載せて出来上がり。  


「ポイントはさっきも言ったように、水分を含ませてから焼くことだな。生地がふんわりしたところへとバターが入り込んで、シュークルートや山羊のチーズ、ギュッと濃縮された鹿肉の旨味が複層的に混ざり合うことでえも言われぬハーモニーが生まれ……すまん、もう食べていいぞ」

「いいのっ? 食べていいっ?」


 ヨダレを垂らしながらお預けをくらっていたセラは、勢い込んで聞いてきた。


「おう。名付けて『黒パンアンブルジェ・バーガーデュ・パン・ノワール』だ。しっかり味わ……」

「いっただっきまーっす!」


 思い切りかぶりついたセラの瞳の中に、ぱあっと星が瞬いた。


「わああああっ? おいしーっ。おいしーようっ!」


 さっきまでの泣き顔はどこへやら。

 頬を赤く染めて幸せそうに笑うその姿には、天使じみた可愛さがある。


「黒パンなのに柔らかいしっ、酸っぱさと塩味が生地に染みてちょうどいいしっ、チーズはふわふわでっ、香りがくりゅーんときてっ、お肉もじゅうーしぃーっ!」

「おう、そうかそうか」

 

 バクバクと胸のすくような食いっぷりにほっこりしていると……。


「うん決めたっ。セラがジローのお嫁さんになってあげるっ」

「おう、そうかそう……は?」


 口の端にバターをつけたセラが、わけのわからないことを言い出した。


「おかーさんが言ってたの。『いい男の条件ってのはね、家族に腹一杯食わせてやれることなんだ。あんたはくれぐれも相手選びを間違えるんじゃないよ』って。だからほら、ジローはまさに条件ぴったし、ね?」

「ね、じゃないが……」


 俺はため息をついた。

 どんな親だって、大事な娘をよそにやりたくないのは当たり前だ。

 セラを修道院に入れるにあたって、両親はさぞや揉めたのだろう。

 結果として植え付けられたその結婚観も、あながち間違いとは言えないが……。


「おまえにとってはそれで良くても、俺にとっては良くねえんだよ」

「ええー、なんで? だってジローって目つき悪いし口悪いし、絶対結婚出来なそーじゃん」

「ムカつくことにおおむね事実だがな、あいにくと俺の好みはバインボインのお姉ちゃんなの。おまえみたいなつるぺたのお子様じゃないの」

「そ、そんなの将来的にはわかんないじゃんっ。なんかすごいことになったりするかもじゃんっ」


 理想の未来像を熱く語るセラ氏。


「つうかそもそもよ。おまえってシスターになるんだろ? 結婚なんて出来るのか?」

「出来るよっ。カーラさんなんかここ何年もコンカツ中だしってあああーっ、忘れてた!」


 何を思い出したのだろう、セラは急に大きな声を出した。


「聖女様に選ばれたらもう結婚出来ないんだった!」


 そういえば、全シスターの中から特に民衆に尽くし喜捨きしゃを集めた者を聖女と呼び、神の妻として敬う習慣があるのだと聞いたことがある。その選定会議が4年後に催されるのだとも。


「んーじゃあね、そん時はジローをセラ専属の料理番にしてあげるっ。そんで王都に連れてってあげるっ。ね、それならいいでしょっ?」

「おまえが聖女様……ねえ?」


 かなり無理があるが、夢としては面白い。

 それでこいつが真面目に生活するようになりゃ御の字だ。


「なるほど。俺の嫁とかいう寝言はさて置き、聖女様の料理番ってのは悪くないな。毎日満腹にしてやるから、勉強頑張れよ?」

「もーっ、寝言じゃないよーっ」


 目をバッテンにして怒るセラをからかっていると、背後でガタンと音がした。


「ん? なんの音……」


 振り返ると、微妙なお年頃のアラサーメガネ美女が真っ青な顔で立ち尽くしていた。


「げえ、シスター長っ?」


 まずいとこを見られたと呻く俺をよそに、セラがハイハイと勢いよく手を挙げた。


「カーラさん、あのねっ? セラはジローと結婚することになりましたっ」

「うぉぉい!? いきなり何を言ってくれてんだおまえはああー!?」

「だっておかーさんが、『男をオトす時はまず外堀を埋めるんだ』って」

「おまえの母さんの教育方針さあーっ!」


 俺たちのやり取りを真に受けたのだろうカーラさんは、体を震わせて嫌悪感を露わにした。


「ワタリバトが妙に騒ぐわねと思って来てみたら……。ジロー、あ、あなたって人は……」

「違うんですシスター長」

「異世界から来た人だから多少はおかしなところもあるだろうと大目に見ていたら……まさかセラに手を……っ?」

「違うんですってば、どうか話を……っ」

「問答無用です! このことは明日修道院長に報告いたしますから覚悟していてくださいね!」


 メガネの端を持ち上げると、カーラさんは断固として宣言した。

 今後長い間続くことになる俺とセラとの関係は、そんなアクシデントから始まったのだ……。

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