第31話 花園の思い出たち
「お肉はまあだいたい焼いたものに、フルーツなどで作ったソースをかけますね。こしょうをかけるという食べ方もあるそうですけど、あれは本当にお高いので……いえ、まあ、王族方なら普通に口にされると思いますが……」
肉を前にウンウン唸っているアウロラに、イルザはそう解説した。
「そう考えると……母が高価なこしょうをわざわざ使ったとは考えづらいわね……」
「そうですね」
「うーん……かといってフルーツソースをわざわざ煮込んでいたとも思えない……フルーツはフルーツで食べてた気がするわ。そうよ、私、初めてあの日、フルーツを食べたんだわ。野いちごくらいなら食べてたけど、ちゃんと農園で作られて王宮に献上された……あれは桃だったかしら……じゃあ、夏だったのね……」
アウロラの脳にふとその記憶が甦った。今も初夏だ。日程調整がうまくいけば、桃も食べられるだろう。
「……今じゃ、すっかり王妃様のところやクラウディアといっしょにフルーツを食べるのが普通になっちゃってるわ……。ああ、私、本当に変わっちゃったのね」
アウロラは少し寂しそうに笑った。
「……不安、ですか?」
「……ちょっと。でも、思い出せたから、きっと大丈夫よ」
アウロラは気丈にそう言った。
「……たぶん、お肉はハーブで包み焼きにしたのだと思うわ。レシピ自体は覚えているから」
「豊富ですものね、ハーブの知識」
イルザはウンウンとうなずいた。
「たまーに小鳥が余ったら分けてもらうの、その時にもハーブ焼きにしてたわ。その要領で調理してみましょう」
今日は小鳥ではない。なんと牛肉だ。恐る恐る包みを開いて、肉を取り出す。
アウロラはその肉をしみじみと見つめた。
「……よし、ハーブでマリネ液を作りましょう」
油といくつかのハーブを混ぜ合わせた液に、肉を漬ける。
「これで柔らかくなるのよ。いえ、王宮で饗されるお肉は柔らかくする必要なんてないんだろうけれど……魔女はどこでどんなお肉が出されても食べられるようにこの知恵を身につけたのね……肉食なのね……」
なんだか遠い目になりながら、アウロラはそう言った。
「その間に、付け合わせやパンについても考えようと思うの。とりあえず、大きなパンはそのままじゃ、お弁当箱にも入らないから切るとして……そうね、サンドイッチにしましょうか。これは普通よね?」
「サンドイッチ自体は普通ですね」
「マーガリンの代わりにブラシカの油を塗るのもいいかもしれない。ふふふ、これらのレシピを、魔女風って名付けましょうか」
アウロラはだんだん楽しくなってきたようで、微笑んだ。
そんなアウロラの姿を、イルザが優しく見守っていた。
「いつもの煮込み料理を作っても、汁が溢れてしまうわね……。いえ、きちんと水を切れば持って行けるかしら。煮込み料理にもハーブを使うけど……あんまりハーブばかりじゃきっと飽きが来るわよね……」
ブツブツとつぶやきながら、食材を検分する。
「そういえば、トマトなんかも毒だと思われてたらしいわね。こんなに美味しいのに」
スライスしたトマトをレモンに漬けたものをつまみながら、アウロラがふむふむとつぶやく。
「そうですね……真っ赤で怖かったんですかね」
「これも入れても良いかしらね」
「ええ」
「あとはデザート……パイでも作るとして……中身はそうね、野いちごでいいかしらね。素朴なものだけれど、たぶんミヒャエルには逆に新鮮だろうから」
どんどんとレシピがアウロラの頭の中で描かれていく。
色とりどりのお弁当箱を想像して、アウロラはにっこりと笑った。
イルザとホルガーの尽力によって、ピクニックの日取りは半月後に定められた。
行先はアウロラにとってはいつもの花園。しかし、ミヒャエルにとってはめったに足を踏み入れない場所だった。
「綺麗な花園だというのに、ここは収穫用の場所だから、王族に見せるなんて恐れ多いなんて言われるんだぜ」
アウロラが持ってきたお弁当箱をさらりと持ってやりながら、ミヒャエルはそう文句を言う。
「ここに父上だって命を救われてるというのに、裏方だからなんて理由で……うん、綺麗だ」
ミヒャエルは満足げにうなずく。
その目は花園といっしょにアウロラを捉えていた。
今日のアウロラはいつもの素朴な薄緑の袖のないドレスだった。
魔女の黒衣は、仕事のためのもの。
今日のドレスはいつも花園に着ていくもの。
そういうことで、これを選んだ。
対するミヒャエルもアウロラがシンプルなドレスを着ていくと聞いたので、シンプルなシャツにズボンというかっこうだった。
「いやあ、いつもの肩の凝るジャケットを脱ぎ捨てられて最高だ! この姿なら……誰も俺を王子だとは思わんだろうさ!」
「そうですね」
アウロラは少し苦笑いをした。
「……今日だけだ。今日だけ、ただのミヒャエルとアウロラだ」
ミヒャエルは遠くを見た。
この半月で国王の病状はますます悪くなり、ミヒャエルは多忙を極めていた。
「……どんどんと俺の仕事が増え、俺の仕事だったものが、ラファエルに移ってるんだ」
少し暗い顔で彼はそう言った。
「……弟たちには自由でいて欲しかったんだけどなあ」
「……私にできること、ある?」
「……王太子妃になったら、してもらうことはある。母上から聞いているとは思うが……」
「ええ」
貴族の子女を集め、彼女たちから情報収集をしたり、時には陳情を受け取ることも、王妃の仕事の一つだという。
それを今度からはアウロラもすることになるのだろう。
「私、それを嫌だとは思わないわ。大切なあなたの力になれることだもの。……ラファエル殿下だって、きっとそうよ」
「そうだと、いいな」
二人は話しながら、花園を歩く。
「ああ、アウロラ、あの花は?」
「あれはラベンダーよ。良い香りがするの。香りが気に入ったら、ポプリでも作って上げましょうか」
「どれ」
ミヒャエルは顔を近付けて匂いを嗅いだ。
「うーん、良い香りだとは思うけど、四六時中そばに置きたいってほどじゃないな」
「そう」
素直な言葉にアウロラはやわらかく微笑む。
「……晴れて良かった」
アウロラは日を見上げた。
「本当にね」
そうして二人は、花園の真ん中、屋根はあるが壁のない、風の通り抜けるガゼボにたどり着いた。
「……このガゼボは最近できたものらしいぜ。最近と言っても俺らが産まれる前だけれど……王宮の歴史の中では最近」
「へえ……」
「なんでも、何代前かの王様が、魔女のために建てたらしい……もしかしたら、その王も魔女が好きだったのかなって、俺は思うことがある」
「…………」
ミヒャエルの考えが正しいとは限らない。
しかし、そう言われるとなんだか、とても愛しく感じた。
ガゼボの中のベンチに並んで腰掛けた。
「はい、お弁当」
「うん」
箱を開くと、さまざまな香りが飛び出てきた。
ハーブを基調としながら、肉の香り、パンの香り、野菜の香り、果物の香り、たくさんの香りをミヒャエルは思いっきり吸い込んだ。
「ああ、うん、懐かしいよ。……どう? 思い出せた?」
「……作っている間に、思い出したわ」
アウロラは目を細めて、弁当箱を覗き込んだ。
「この香り……ええ、お母さんがひとりでせっせと作っていたわ……今思うと、ロルフのこと、どう思っていたのかしらね、お母さん」
不義の子の兄。愛した人の息子。
「ふふふ、あそこにいた中でまさか俺が自分の子供になるなんて、思いもしなかっただろうね、お母さんは」
ミヒャエルはにこにこと笑ってそう言った。
「……ああ、そうね」
王妃がアウロラを子供のように扱ってくれるように、ミヒャエルも母の義理の息子となるのだ。
母が素直に王子を息子のように扱うかはいささか疑問があったが。
「見慣れたものもあるね、この野菜の飾り切りなんかは我が国の伝統だ」
ミヒャエルは弁当箱の中をじっと眺めてそれに気付いた。
「……今の私を、全部詰めてみたの。それはイルザに習った飾り切り。こういう風に……思い出と、新しい思い出を詰めてみたの……」
「……ステキだよ」
ミヒャエルはそう言って弁当箱を抱きしめた。
本当に愛しげに。
そこからはかつての昔話に花が咲いた。
木に登って落ちてしまったミヒャエル。
優しくも、時に厳しかった母の話。
ミヒャエル以外と出会うとき、ミヒャエルの後ろに隠れていたアウロラ。
ロルフが語り聞かせてくれた昔話……。
そういったものに彼らは思いを馳せた。
その時間を優しく太陽は照らし、風は吹き抜けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます