王宮付魔女の婚活

狭倉朏

第1話 終わりない求婚

 緩やかにウェーブのかかった銀の髪が風になびく。七色にきらめく虹色の瞳に春の太陽がよぎる。

 薄緑の飾り気のないドレスは袖がなく、とても手を動かしやすい普段着用。

 王宮の広大な花園で植物を物色している少女の名前はアウロラ・ブラウアー。このラディウス王国のおうきゅうつきじよである。


 植物をたおやかな白い手で摘み取っている彼女の肩に、小鳥が飛び乗った。白い体に黒い羽の生えている小鳥の生はチェロという。アウロラの家族だ。

「ああ、チェロ……来たのね? 殿下が」

 アウロラは小鳥に話しかけると美しい白い顔を困ったように歪めた。

 アウロラは魔女として王宮に仕えている。母の代からなので、生まれたときから王宮勤めだ。魔女は王宮の隅の茅屋ぼうおくに住んでいる。その茅屋は母が先代の国王から下賜されたものだ。

 二年前に母が死んでからはこの国唯一の魔女として、薬草を煎じたり、未来を予言したり、小さな知恵を授けたり、小動物を操ったり、そういった仕事をアウロラがひとりでこなしている。今はラディウス国王に持っていく薬のために植物を採取しているところだった。

 小鳥がアウロラを急かすように銀の髪を一房くちばしに挟む。

「……分かっているわ、行くから」

 小さくため息をついて、アウロラはまだ半分しか埋まっていない花かごを持ち上げ、花園を後にした。

 花園の無愛想な庭師がそれをただ黙って見送った。


 花園にほど近い茅屋は、今にも傾いてしまいそうなくらいみすぼらしいつくりだった。春は良いが、冬にはすきま風が吹き付ける。そういう場所にアウロラは住んでいる。そんな茅屋の入り口に置いた椅子。外の光を浴びながら縫い物をするための場所に、ミヒャエル王子は座っていた。金の髪を指に巻き付け、緑色の目は退屈そうな色を浮かべている。ボロ椅子が豪奢な服にまったくといっていいほど似合っていない。その横には朴訥とした顔のいつもの侍従が困った顔で控えている。

 チェロがアウロラの肩から飛び立ち、ミヒャエルの肩に乗った。王子は嬉しそうな顔になってチェロの頭を撫でた。

「やあ、アウロラ、良い午後だね」

「……ようこそ、殿下、こんなむさ苦しいところにおいでいただかなくとも、どこへなりとも呼びつけてくださればよいのに」

 自分より頭一つ分背の高いミヒャエルの顔を見上げながら、アウロラはそう言った。

「カビ臭い王宮の中で会うのには飽きた。ここはいい。お前の家は落ち着く」

 ミヒャエルはニコニコとそう言った。

「カビ臭いのはここもあまり変わらないと思いますが……」

 アウロラは苦笑しながら軋む茅屋の戸を開いた。

 ゆったりとベッドで昼寝をしていた黒ネコのリーノが片目を開く。王子を瞳に収めると、黒ネコはまた眠りに落ちた。アウロラはのんきなリーノをうらやみながら、ミヒャエルを茅屋に招き入れた。

「どうぞ、殿下」

 ミヒャエルは鷹揚に頷くと、茅屋に入り、侍従を振り向いた。

「お前は外で待て、椅子に座って待つことを許す」

「……はい」

 侍従は何か言いたげにしていたが、王子に逆らえるはずもなく、おとなしく椅子に座った。

 茅屋の中には麻縄が張られ、植物が干されている。それ以外にもいかにも怪しげな仮面や道具があちこちにぶら下がっている。

 小鳥は王子の肩から次は鳥籠へと飛んでいった。自由なものである。

 アウロラはミヒャエルのために用意されているお高いふかふかの椅子を引き、そこにミヒャエルを座らせた。

「……お茶をお煎れします」

「うん」

 ミヒャエルは嬉しそうに笑った。彼の花咲くような笑顔にアウロラはまたため息をついた。


 アウロラとミヒャエルは幼馴染みだ。

 母が王宮付魔女だったアウロラ。

 ラディウス王国の第一王子ミヒャエル。

 二人は立場こそ違えどどちらも王宮で生まれ育った。母にくっついて王宮に上がった幼い日のアウロラは、王宮で同じ年頃の友もなく暇を持て余していたミヒャエルに出会った。

 幼いミヒャエルは一目見てアウロラを気に入った。

 ミヒャエルのわがままに振り回され、アウロラはミヒャエルの遊び相手になった。

 ミヒャエルは昔から、木に登ったり、侍従達を撒いたり、苦い葉っぱを口にしたり、とにかくやんちゃであった。それはお互い十八になった今でもあまり変わっていない。仕事で用がある者以外、めったに人の訪れないアウロラの茅屋に、ミヒャエルは何度王に叱られようとも遊びに来る。

 アウロラは王からそれとなくミヒャエルを追い返すよう頼まれているが、それも通じない。

 その理由はとても単純である。

「さあ、アウロラ、今日こそ返事を聞かせてもらいに来たぞ」

「返事なら何度も申し上げています、殿下」

 湯が沸いたのを眺めながらアウロラは振り返りもせずに答える。

「なるほどでは言い直そう。今日こそは良い返事を聞かせてもらいに来たぞ、アウロラ」

「お断りします」

「俺と結婚してくれ、アウロラ」

「お断りします」

 二回同じ答えを告げたアウロラに、ミヒャエルは懲りずに食い下がる。

「何が不満だアウロラ。君が望むなら何でも許す。俺はこの国の王になる男、俺以上の男などこの国にはいない。そうだというのに、何が不満でこの俺の求婚を退ける。アウロラよ、何が不満だというのだ」

「お言葉ですが、殿下」

 お茶を机の上にそろりと置きながら、アウロラは続ける。

「まず、あなた以上の男はいないというのは身分のことだけです。武力も知力も性格も、あなたよりいい男はいくらでもおります、たぶん」

 特に性格、とアウロラは心の中で呟く。ミヒャエルはアウロラの侮辱とも取れる物言いにも動じた様子はなくふむふむと聞いている。それがよっぽどたちが悪い。

 ミヒャエルはお茶を取り上げながら正面の椅子をアウロラに勧める。おとなしく座りながら、アウロラは続けた。

「そして、殿下、私は魔女です。異邦の女。卑小な身分の女。人として扱うことも憚られる女。そんな女と王太子殿下の結婚など誰が許しましょう?」

「俺が許す。父上が許さなくとも俺が許す。どうしても許されないなら君を連れてどこまでも逃げてやる。駆け落ちだ!」

「それこそ許されません!」

 悲鳴に近い声をアウロラは上げた。

「そ、そんなことを……魔女と王子が駆け落ちなどしたら……王子殿下をたぶらかす悪女として私の名前は王国史に刻まれましょう。よくて投獄、悪くて縛り首です!」

「そんなことはさせない。俺が何が何でも守る。なんなら父上と刺し違えてでも……」

「撤回してくださいませ!」

 アウロラの顔はすっかり青ざめていた。

 この会話は侍従に聞かれているだろうか? きっと聞かれている。今も戸の向こうで聞き耳を立てているに違いなかった。

 こんなことが王宮の者どもに知られたら、アウロラどころかミヒャエルの立場すら危うい。そうだというのに、ミヒャエルは一切遠慮をすることをしらない。王子としてわがまま放題に育てられたからと言うにはあまりにミヒャエルのそれは度が過ぎていた。

 しかし、ミヒャエルの度が過ぎるのはアウロラに関することだけであると、アウロラは知っていた。

「ああ、すまない、言い過ぎた。父上とは喧嘩なんてしないとも。父上はなんだかんだ俺に甘いのだ。どうしても君との仲を裂きたければ今頃、君は王宮追放だ」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。そしてそれは困ります」

 魔女であるアウロラにはこの国では王宮以外に行き場はない。

「……ああ。アウロラ、では一度身分のことは忘れてくれ。忘れた上で俺と付き合おう。愛し合おう」

「それもお断りします」

「何が不満なんだ。他にいい男でもいるのか?」

「おりません」

 アウロラはさっくり答えた。実際、アウロラに男の影など微塵もなかった。魔女と恋仲になろうなどという肝の据わった男に、アウロラは出会ったことがない。

「だったら、何が不満なんだ。怒らないから答えてみろ」

「……その、あの、ええと、たとえばその強引な態度が気に食いません」

「……と言われてもなあ、俺は王子だぞ? 強引なくらいでないと国は引っ張れない」

「未来の王太子妃様のために意を決して申し上げますが、国の扱いと女性の扱いを一緒にするのはいかがなものかと思います」

「……その未来の王太子妃はお前だ、アウロラ」

「ですから、お断りします!」

 アウロラは再び悲鳴に近い声を上げた。

 誰か助けてくれ。この王子との終わりのない押し問答にアウロラは疲れ切っていた。最近では悪夢に見るほどであった。

「……殿下!」

 アウロラは叫んだ。

「なんだ?」

 ミヒャエルはのんきにお茶を持ち上げながら返事をした。

「どうか、どうか、諦めてくださいませ! 私のような卑しい魔女との婚姻などおとなしく諦め、この国に無数にいるお可愛らしい令嬢方との見合いに応じてくださいませ!」

「断る!」

 ミヒャエルは断固としてそう言い放った。お茶を飲み干し、カップを乱暴に受け皿へと置く。

「俺の妻は君しかいない、アウロラ。どうしても君が王子である俺と婚姻してくれぬと言うのなら、廃太子になっても構わない! 遠慮をするな! さあ、我が胸に飛び込んでこい!」

「どうか、話を聞いてくださいませー!」

 アウロラは天井に向かって悲鳴を上げた。

 終わらぬ押し問答は今日もまた終わらなかった。

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