夏祭り

夏目咲良(なつめさくら)

夏祭り

「……やべ、どこや?アイツ?」

 待ち合わせ場所の駅前広場に着いた瞬間、俺は呆然と呟いた。駅前広場にはすごく目立つ噴水があって、よく待ち合わせに使うけど、今日はカップルでいっぱいだった。

 コイツら、こんなトコで溜まらんでさっさと移動しろや!

 自分のことは棚に上げて毒づくと、俺は待ち人を見つけるべく、周りを見渡した。

 いろんな意味で目立つヤツだからすぐに見つかる筈だった。

 突然、鈍い音と共に下半身に激痛が走る。オレは思わずその場にうずくまった。

「……アカン。ケツが、オレのケツが……。4つに割れ……」

「何アホなことゆーてんの?」

 ドスの効いた聴き憶えのある声。

 顔を上げてみると、予想通りのヤツが予想外のいでたちで立っていた。

 ショートカットの小さい頭、濃くて凛々しい眉、切れ長猫のような瞳。

 松岡千夏。

 陸上部の副部長にして長距離のエース。さっき、オレのケツに入った強烈なキックも日頃の鍛錬の賜物だろう。

 そのボーイッシュな容姿と、サッパリして男らし、もとい漢らしい性格で主に後輩女子から人気を集めている。

……って、いうのが今日までのオレ脳内ウィキペディアに刻まれていた情報。

「……」

 いやいやいや。これは反則やないかい?

 あまりの衝撃に千夏を見上げたまま、固まってしまった。いや恐怖とかじゃなしに。

 しかし、俺の反応を千夏は真逆に解釈したようで。

「その目、ムカつく」

ビシッ!

「ってええええええ!」

 チョキで目潰しされた。今回は冗談じゃなく本気で叫んだ。

「……って、オマエ。今のはシャレになんねえぞ」

痛さのあまり流れた涙をぬぐいながら、やっと声を出すが、反応はなし。

「あれ?」

 約50メートル先に遠ざかって行く千夏の背中が見えた。

「ああ、もう」

 慌てて、立ち上がって追う。

「まさか浴衣着てくるとは思わんかったもんなあ」

 ふと、最近読んだ雑誌を思い出した。グラビアアイドルの浴衣特集でキャッチコピーが確か、『いつもはうるさいあの娘が浴衣に着替えた途端、おしとやかに!』

全然なってねえ!

 千夏と祭りに行くのは、これが初めてじゃない。去年と一昨年も行ったが2回とも私服だったが、今年になっていきなり紫陽花模様の浴衣。

ひょっとして、見せたいヤツがいるとか?

「マジかよ」

 千夏とは十年来の付き合いだが、浮いた噂は聞いたことがない。俺が知らないだけか?

頭に浮かんだ黒い疑念を振り払う。せっかくの夏祭りの日に何ヘタレたこと考えてんだ。

 ひたすら、千夏を追うがなかなか追いつけない。浴衣にサンダルで何でこんなに早いんだろう?競歩選手でもやって行けるんじゃないか?

「待てよ!」

「待たん!」

 小走りで距離を縮め、肩を掴もうとして滑った。

 それが間違いだった。

 つまずいて転びそうになり、何かに捕まろうとして俺が掴んでしまったのが蝶々結びの帯。まさか、どっかの時代劇みたいなことが起こる訳が無い、と思ったら、力の加わった帯は意外とあっさり解けた。

「ちょっと、や、アカン!」

 千夏の先ほどまでとは別人のような艶かしい悲鳴が聴こえた。

「でっ!」

 俺はそのまま勢い良く、その場にスッ転んだ。

「……いってえ」

 どうにか、身体を起こす。若干、肘をすりむいてしまったが、どうやら顔面からアスファルトへダイブするのは避けられたようだった。

 掴んでいた帯がクッションになってくれたおかげで。

「……あ、やべ」

 俺は、自分が地獄の釜の蓋を開けた事に気付いた。

「……ア・ン・タ・は、ホ・ン・マ・に、もう、何を晒してくれんのぉぉぉぉ?」

 俺にもし、一子相伝の暗殺拳の心得ががあれば、千夏の後ろにきっとどす黒いオーラが見えたと思う。

さすがにかの伝説の『帯でクルクル』『お止めくださーい、お代官様ぁ!』みたいな展開にはならなかった。

 でも、帯が解けて、着崩れた浴衣姿でこっちを睨む千夏が妙に色っぽく見えたことだけは絶対に忘れないようにと思う。

 だって、これが俺がこの世で見る最後の光景かも知れないから。

 もし、この場を生き残ることができたら。

 ラッキースケベの神様、お願いです。

 今度、同じ状況になったら、その時こそ完全な『帯でクルクル』『お止めください、お代官様ぁ!』をやらせて下さい。出来たら死んでもいいです。

 遠のく意識の中で、俺はそんなことを考えていた。


 一時間後。

「あーあ。アンタのせいでホンマ最悪やわ」

「待て、コラ。俺のせいだけちゃうやろ」

 いろいろあって、ようやく夜店が並ぶ神社の入り口辺りまで来たが、千夏の機嫌が未だに直らない。

「帯を解いてしまったんは、百パー俺が悪い。それは認める」

 ぶっちゃけると、土下座しました。

「でも、お巡りさんに捕まって説教されたんは、お前が帯で俺の首を絞めたせいやからな」

 帯で首を絞められるなんて、時代劇の悪役でもなかなか味わえない。

 説教から十分ほどで開放されたのは、本当に不幸中の幸いだった。警察も夏祭りの警備が大変で俺たちに長時間構ってられなかったのだろう。

「いい加減、機嫌直してくれって。せっかくの祭りなんやからさ」

「ホンマに反省してる?」

「イエス!」

「ドイツ語で答えて」

「バームクーヘン!」

「スペイン語は?」

「分かるか!コラァ!」

 遂に切れた。

「では、これの装着を命じる」

 笑顔に戻った千夏が取り出したのは、あるプロ野球チームのマスコットであるペンギン、いやツバメのお面だった。

「ちょい待てや!何でよりによってコイツやねん!」

「ちょうど、そこで売ってから、あ、後あたしファンやねん」

「答えになってへん!つか、関西人が何でこれやねん!関西人は猛虎やろうが!」

 親子三代のファンとしては黙っていられない。

 道行く人達が俺達の痴話?喧嘩を見て、クスクス笑いながら去っていく。

 まあ、こんなグダグダな感じで祭りの夜はスタートした。


 とりあえず判ったことは。

 お面の視界がものすごく悪いということ。さっきから対向の人とぶつかっては頭を下げてばかりいる。ヤンチャっぽい人も結構いるから正直恐い。

 千夏はというと、幸せそうな顔で暢気にりんごアメを舐めては、ときたまベビーカステラを口に放り込み、わたがしをちぎっては、舌の上で消失させていた。

 このぉ甘党女ぁ!

 太れ!太れ!デブになれ!ついでに胸とケツでかくなれ!

 と、実際に声を出しては恐いので若干の恨みと個人的願望を込めた呪いを送っておいた。もうちょっと肉付きがよくても良いと思うんだ、うん。

「なあ、これ外してええか?」

「アカン!外したら死ぬよ!」

 勘弁してください。

「あーっ、射的や!いこいこ」

聞いちゃいねえ。

 千夏に引っ張られてやってきた射的屋はこの道ン十年といった見た目の爺さんが営業しているいかにもインチキ臭い店だった。絶対倒せねえだろうって感じのとんでもなくデカイ熊のぬいぐるみが一番目立つところを陣取っている。

 倒せそうなのは、安っぽい駄菓子ぐらい。キャラメルにラムネに酢昆布。しかも、見たことの無いメーカーばかりである。

 間違いなくぼったくりだろうと思うが、おもちゃの銃を構える千夏の表情は真剣そのもの。陸上競技であろうと遊びであろうとも勝負事では絶対に手を抜かないヤツだ。

 俺はその様子を見てドキッとした。

 そう、後輩の女子から人気を博するだけあって黙っている時の千夏は

ボーイッシュな美少女という言葉がピタリと当てはまる。そして、オレは何かに集中している時の千夏の顔が好きなのだ。

 今の千夏はグラウンドで走っている時と同じ顔、勝負師、アスリートの顔をしていた。

 ぱこん。

 小気味良い空気音と共にコルクの弾がライフルから発射される。

「よっしゃ!キャラメルゲットじゃオラ!」

 絵になる美少女像がガラガラと崩れていく。

 えーと、千夏さんすいませんが、しばらく黙っててもらっていいですか?

 結局、千夏が射的に飽きるまで俺は何もせず、ずっとその横顔を眺めていたが、特に退屈じゃなかった。

この時だけは、ツバメのお面に感謝した。


「ふいー」

 しばし安らぎの時間を過ごした男子トイレを後にする。千夏は金魚すくいに夢中になって

いたので少し席を外したのだ。いつの間にか

人通りが少なくなっていた。気が付けばそろそろ打ち上げ花火が上がる時間だ。

 出店の角を曲がりかけたところで足が止まった。すぐそこで千夏が金魚すくいをやってい

るはず。でも、動けない。鼓動が早くなって、嫌な汗が出てきた。

 金魚すくいの屋台の前で千夏が男としゃべっていた。

男には見覚えがあった。陸上部・部長の三上だ。短距離をやっていて、女子に人気がある。

 じんべえ姿の三上は爽やかな笑みを浮かべて、千夏と話していた。遠すぎて何も聴こえない。

 だが、千夏は笑っていた。オレが見たことのない笑顔を三上に見せていた。

ぱぁん。

 花火の上がった音でオレは我に返った。その場から慌てて離れる。花火を見上げる二人を見たくはなかったから。


 神社の脇にある小さな社に続く石段に腰掛ける。ここなら暗いし、あまり人も来ない。とにかく一人になりたかった。

 情けなかった。自分と三上を比べたことが。

 二人は同じ部活で部長と副部長。仲が良いのはある種当然。オレの知らない千夏を三上が知っていても、何の不思議もないのだ。などと、分かっていても。

チクショウ。

 理解なんてできなかった。

石段の下から聞き覚えのある声がした。

「あーもう、歩きづらっ」などとブツブツ呟きながら近づいてくる。

 目の前まで来た千夏は少し息を切らしていて、額にはうっすら汗をかいていた。

「何、してんの?」

「悪い。ちょっと疲れたんで休憩してた」

「こんなとこで?」

「暑かったからな」

そこで壊れたCDみたいに会話が途切れる。普段ならとっくに「いきなりいなくなんなや!」と、千夏がキレてオレが適当にボケて突っ込まれてるうちにうやむやになっている。

二人の間にはあり得ない雰囲気だ。

 曖昧な不協和音(ディスコード)。

「隣、いい?」

「……」

 無言で石段を空ける。オレが右端に、千夏が左端に座った。お互い顔を見ることもできず、俯いたまま。

ぱぁん。

 また、花火が上がった。木が邪魔をしてここからじゃ見えない。千夏が反射的に視線を上げるのが判った。

「見てこいよ。オレはもうしばらくここで休んで行くからオマエは楽しんでこいや」

 早口でわざと乱暴に言った。一人になりたい、これ以上こんな雰囲気に耐えられない。

 でも、千夏は許してくれなかった。

「何でさっき、来てくれんかったん?」

 オレのヘタレっぷりを真っ向から糾弾される。

「……」

 突然過ぎたのと、気づかれていた驚きでオレが答えられずにいると、

「ああいう時に邪魔してこその東京の畜生ペンギンツバメやろ?」

「……無茶言うなや。ごっつ雰囲気良かったやんけ」

 覚悟を決め、口を開く。途端にさっきの光景がフラッシュバックし、胸が疼いた。

「正直、お似合いやったで。浴衣やってちゃんと褒めてくれたんちゃうか?」

 どっかのアホみたいに絶句なんてせずにな。

と、胸中で皮肉を付け加える。

「うん、褒めてくれた」

「良かったやん」

「……」

 答えはなかった。

 再び、沈黙が訪れた。それはさっきよりも遥かに重い。 お互い怒ってる訳じゃない。ただ、どこか曖昧な感情を持て余している。その感情の先になにがあるのか、分からないが為に。

 蒸し暑さの中、聴こえるのはムシの声とたまに上がる花火の音だけ。

 こうして、夏の夜は過ぎて行った。


 お互い黙ったまま、家路に着いた。慌ただしかった行きとは違い、妙にしずしずと歩く千夏の前を、ゆっくりと進む。

 オレは石段での出来事を思い返しながら、ずいぶんと恥ずかしいことを言ったもんだと思った。そのせいで千夏との距離が近づく度に早足になってしまう。

近すぎず、離れ過ぎず。微妙な距離感を保ったまま、歩を進めていく。

どうしたらええねん、この空気。

 頭をかきむしりながら、ふと気付いた。

ぺたぺたという足音がしない。

「?」

 振り返ると、千夏は10メートルほど後ろでうずくまっていた。その時、脳裏に閃くものがあり、オレは慌てて駆け寄るが。

「大丈夫!」

ピシャリと言われた。

「ゴメン、大丈夫やから……。先帰っていいよ」

その表情を見て予想が確信に変わった。

「靴擦れか?」

「……」

 沈黙は肯定だった。

 行きで競歩選手のように歩いたりした時に注意しておくべきだった。案の定、足の親指と人指し指の間がひどいことになっていた。

「……アホか」

 自分の迂闊さを呪う。

 千夏は陸上部のエースだ。何でもっと気を遣ってやらなかったんだ?

「ちょっと、何してんの?」

「いいから乗れや」

 オレは千夏を背負うべく、しゃがんでいた。

「大丈夫やから、歩けるから、先行ってよ。

こんなとこ誰かに見られたら……」

 千夏の声に泣きが入って来たので、オレは少し元気を出させてやることにした。

「なんやねんな。まさか『友達に噂とかされたら恥ずかしいし』とか言うつもりか?」

予想通り背中にチョップが入るが、あんまり威力がない。

「そんなにハズいんやったらなあ、これでも着けてろ」

 オレは無理やり、畜生ペンギンツバメのお面を千夏に被せた。

「よう、似合ってるで」

「うっさい……」

 千夏は力なく毒づいたが、観念したのかオレの背中に乗った。感じる重さについてはコメントを控える。これ以上、追い討ちをかけるのは酷だし、生命も惜しい。

オレは黙って歩き、背中の千夏ももう何も言わない。でも、さっきまでの沈黙とは確実に違った。

「ごめんな」

 千夏が唐突に口を開いた。息が首から背中辺りにかかり、ドキッとする。只でさえ身体のやわらかさとかシャンプーの匂いを全身で感じてしまっているのに。

「何がやねん?」

 良かった。噛まなかったぞ、オレ。

「完全に私の不注意。ランナーとしての自覚がなかった。ホンマにゴメン」

 かなりヘコんでいるのか、すごく神妙だ。

「そっか」

 オレは否定しなかった。しても千夏は納得しないと思ったから。

にしても、一方的に謝られるのも目覚めが悪い。って、いうかこう神妙にされると調子が狂う。

 そこでオレも弱みをさらけ出すことにする。千夏とは対等でありたいから。ボケて突っ込まれて、最後には二人で笑っていたい。

「……オレも謝りたいことっていうか、オマエに言いたいことががあるんやけどええか?」

「……うん」

 千夏は戸惑いながらも頷いてくれた。

 覚悟を決めたはずなのに、言いたいはずの言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。

「……オマエが三上とおるところ見た時な、確かにお似合いやなあ、と思ったけどな。それと一緒にメッチャムカついてた」

「それ、ホンマ?」

「ホンマ。まあ、あんまり深く考えられても困るけどな」

慌てて付け加える。

「ふーん、なるほどね」

千夏の声に明るさが戻った。嬉しそうなのは気のせいか?

「それともう一つな、今日オマエ見てからずっと思っててんけどな……」

 これから話すことはさっきよりも勇気がいる。が、思い切った。

「そ、その浴衣、ええと思うで……」

言った。言ってしまった。

 顔が熱くなるのを感じる。これじゃあ、目潰しされた方がましだった。

「ありがとう」

 無限に感じられる少しの間があって、返事があった。たった一言。でも、充分だった。

 言葉にしなければ伝わらない。ただ、それだけの話。ずっと持て余していたモヤモヤした感情にようやく区切りが着いた気がする。

 ふと、夜空を見上げた。

「あっ、流れ星」

千夏が指を差す。

 来年もこの日が晴れることを願った。

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