第5話 からあげ弁当ひとつ

 何もない…今日も、何も無かった。

 いつもの弁当屋で、今日ものり弁を買って木造の安いアパートへ帰る。

 朝起きて、働いて、のり弁を買って寝る。

 それだけ、それ以外に何もない。


 目覚ましのベルで目が覚めて、始業ベルで作業を始めて、終業のベルで家に帰る。

 僕の生活は誰かが決めた時間に従って進んでいく。

 なんだかベルに支配されているような、そんな錯覚に陥る、それも数年前までの話、今は、何の疑問も抱かなくなった。


 もう、のり弁が美味いとか不味いとか、そんなことも解らない。

 今日も、弁当屋のドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

(ん?)

 聞いたことのない声に驚いてしまった。


 いつもは、やる気のない、おばさんの声。

 やけに明るい声に僕は通い慣れた弁当屋で緊張した。

「何にしましょうか?」

「えっ…あっ…いや…その、のり弁ひとつ」

「はい、のり弁ですね」

 30手前くらいだろうか、あまり化粧っ気のない感じ。

 驚くほどの美人でもない。

 けど…なんか…。


「お待たせしました」

 笑顔で僕に、のり弁を差し出す。

「390円です…はい丁度、ありがとうございます」

 一番安い、のり弁。

 今日の、のり弁は、なんだか…久しぶりに味を感じたような気がした。


「いらっしゃいませ、何にしましょうか?」

(今日は…)

「からあげ弁当ひとつ」

「はい、ありがとうございます」


 コトリ…

 止まっていた心の中のナニカが、久しぶりに動き出した。

 そんな気がした。


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