第3話 Zero Hour(- 22 hrs)


 昼休み。お待ちかねのランチタイムだ。


 船上生活において食事は何よりの楽しみ。先航せんこう内地ないちで交代した司厨長しちゅうちょうは腕が良いので毎食期待が持てる。


 たまに独創的な創作料理が出てくるのもポイントが高い。稀に微妙なときもあるのはご愛敬だ。


 午前の仕事を終え、ぞくぞくと士官食堂に人が集まってくる。


 本船の士官は全員日本人であり、船長キャプテン以下、機関長チーフエンジャー一等航海士チーフオフィサー一等機関士ファーストエンジャー二等航海士セコンドオフィサー二等機関士セコンドエンジャー三等航海士サードオフィサー三等機関士サードエンジャーの計八名。


 それ以外の部員ぶいんはフィリピン人船員達だ。司厨部しちゅうぶも他の部員と同じくフィリピン人船員を採用している。


 彼らが日本人の配乗はいじょうされている船に乗船するために求められる技能として、日本食が作れること、というのがある。このため、日本の一般家庭と同等の食事が船上でも食べられるのだ。


 我々の二世代ほど前、外国人船員との混乗こんじょうが始まったばかりの頃はかなり酷かったらしい。


 当時は外国人向けの日本食のテキストなど普及していなかったので、わずかに残っていた日本人司厨長が直接指導するような場合を除き、日本語の料理本にある写真から見よう見まねで作るしかなかった。


 味噌汁は味噌のお湯割り、うどんスープは醤油味、魚の煮付けも醤油味、納豆は腐っていると思われ捨てられる等々、なかなかに聞く分には面白い逸話があった。


 最近、本船ではフィリピン人船員達が日本米の旨さに気付き、士官用のコシヒカリを大量消費した挙句、航海中に品切れになり、不満が爆発するという事件が起こった。


 食べ物の恨みは怖い。船の上では特に。


 穂積は汗を掻いた煙管服つなぎを脱ぎ、下着も変えてズボンとポロシャツに着替えて食堂に向かう。

 船内居住区では、士官は襟のついた服を着るのが礼儀だ。


「チョッサー、おつかれさまです」

「おー。ファーストエンジャー、おつかれさん」


 食堂に入ると一等航海士がすでに席についていた。穂積より一回りほど年上の気のいいおじさんである。『チーフオフィサー』がなまって、『チョッサー』だ。


「汽笛のほうはどうよ?」

「サードエンジャーが頑張ってますけど、間に合いそうにないんで、午後からヘルプに入ります」

「了解。セコンドオフィサーには言っとくから、ご安全に」

「ありがとうございます。もし雨が来たら避けてもらえると助かります」

「まっ、大丈夫だろ。雨雲も見えないしな」


 航海士は四時間ずつの三交代で航海当直に入っている。フォアマストに登って作業している三等機関士に危険がないか、船橋から業務の片手間に監視してもらっていた。


 同時に、船の進行方向の海上に雨雲が発生していないかも見ている。


 雨雲の真下には、まるでカーテンが引かれたように局所的なスコールが降ることがあり、狭い範囲であればかじを切って避けることができる。


 作業の邪魔だし、濡れると滑って危険なので、できるだけ避けるに越したことはない。


「オッスオッス。みんなご苦労さんやな」


 ご飯と豚カツが運ばれてきた頃に船長がやってきた。この道、三十五年の大ベテランだ。この船長の乗っている船はどれも雰囲気がいい。


「「お疲れ様です」」


 一等航海士の隣の上座にドッカリと座る。


「いやぁ、参った。チョッサーにファーストエンジャー、どうも明日の入港、無くなりそうやで」

「「え?」」

「ついさっきターミナルから電話かかってきてなぁ。なんやらトラブルで、前船まえぶね荷役にやくが止まっとるらしいんや」

「そうですか。いつ頃になりそうですか?」

「それが、どうも要領を得んのや。陸側も船側もあかんらしい」

「陸と船とに共通するトラブルって。カーゴホースに穴でも空きましたか?」


 もしそうなら、原油が海に流出した可能性もある。環境汚染に対する賠償金や除去費用は会社を傾けるだけのインパクトがあり、どう動くにしても時間がかかるだろう。


 しかし、どうやらそうではないようだ。船長が首をかしげて続ける。


「ちゃうねん。そういうわかりやすい事故やないらしい。大雑把おおざっぱな説明では、陸は停電、船はボイラーが失火しっか。どっちも原因不明で復旧の見込みが立たんのやて」

「ボイラーのトラブルはありがちですが、日本の製油所で停電って珍しいですね」

「とりあえず、明日の入港はキャンセル。午後から変針へんしんして、もう少し陸から離してながすことにするから頼むわ」

「わかりました。ドリフティング中、エンジンはスタンバイしますか?」

「風もしおも強ないから、手仕舞てじまいしてもろてええよ」


 陸側の都合で船のスケジュールが変わることはよくある。今回は少し沖合いまで移動し、主機を停止してただよいながら待つことになった。


「ところで、チーフエンジャーどないしたん?」

「Noon Reportの計算をされてると思うんですが、今日はやけに遅いですね」


 船は毎日正午に、前日正午から二四時間の運航記録を作成し会社に報告する。


 このNoon Reportには、船速、気象・海象、船位せんいなど様々な情報が含まれており、機関長は主機回転数、燃料消費量などを計器の値をもとに算出する。毎日の報告が、なぜ正午なのかというと、深夜零時にやりたくないからだ。


 ちょうどその時、機関長と三等機関士が揃って食堂にやってきた。


「チーフエンジャー、お疲れ様です」

「うむ」


 機関長はなにやら難しい顔をしながら穂積の隣に座った。機嫌が悪いのかとも思ったが、少し様子がおかしい。


 船長と同世代のこの機関長は、寡黙だが決して偏屈ではない。なにか悩んでいるようだが、とりあえず、入港予定の変更について報告することにした。


「ターミナルの都合で明日の入港がキャンセルになったそうです。午後から少し東に移動してドリフティングになります。エンジンは手仕舞いしていいとのことです」

「うむ。キャプテン、減速開始は何時頃ですかな?」

「一六〇〇時に下げ始めで、ひとつよろしく頼んますわ」

「了解です」


 機関長の席にもご飯と豚カツが運ばれてくる。


 さすがは司厨長。遅れてきたのに豚カツはカラッと揚げたてで提供している。タイミングを見計らっていたのだろう。


 心配りに関心していると、全員に丼が運ばれてきた。ふたを取ると、黄色い滑らかな茶碗蒸し。巣もなく、上手に蒸しあがっている。


「「「「デカくね?」」」」


 このタイミングで運ばれてきた巨大茶碗蒸しに目を白黒していると、厨房の入口から顔をのぞかせた司厨長がニヤニヤと笑いながら、食ってみろとジェスチャーをしてくる。


(これは、新たなる挑戦をしてきたな)


 彼の探求心には頭が下がるが、前作の納豆のかき揚げは微妙だった。


 火を通したことで、風味と粘り気が損なわれ、歯ごたえはゴムのようになり、独特の苦味と油っこさが前面に押し出される結果になってしまっていた。特に感想は伝えなかったが。


 新作はどうだろうか。茶碗蒸しである以上、味が大きく変わるとは思えない。


 添えられたレンゲを使って巨大茶碗蒸しをすくって口に運ぶ。


(うん。普通に美味い茶碗蒸しだ。レンゲで大量に頬張ほおばるのが新しいといえば新しい)


 続けてじゅるじゅると食べ進めていくと、新作の正体が判明した。うどんだ。これは、茶碗蒸しうどんだ。なるほど、茶碗蒸しの出汁はうどんに合うだろう。


(美味い。盲点だった。茶碗蒸しの底にうどんを沈めちゃいけないなんて法はない。出汁を多めにするのがミソだな)


 気付けば司厨長の姿が消えていた。日本人の反応が見られて、満足したのだろう。


(俺的に新作はヒットだったよ。司厨長、サンクス)



 全員が食べ終わり、お茶をすすり始めた頃合いで聞いてみる。


「ところでチーフエンジャー、Noon計算で何かご懸念でもありましたか?」

「うむ。燃料の計算が合わん」

「計算が合わない?」(どういう意味だろう?)


 機関長が若手士官のテーブルに向って声をかける。


「サードエンジャーも、ワシと同じ計算結果だったな?」

「ぶっ! げほげほっ!」


 三等機関士は勉強のために機関長とは別にNoon計算をして、答え合わせをするものなのだ。


 突然、機関長に話しかけられて、茶碗蒸しうどんに咽ている。三等機関士にも新作はヒットだったようで、何よりだ。


「は、はいぃ。計算間違えたと思って、何度も検算しましたぁ。やっぱりおかしいですぅ」

「なにがおかしいって?」

「燃料消費量が昨日の三割増しくらいになってましたぁ」

「それはありえないよね。昨日、昼過ぎに減速もしてるんだし」


廃油はいゆタンクの増加量はいつも通りだから、どこかで余計に漏れてる訳でもなさそう)


「……フローメーターっすかね?」


 二等機関士がボソッとつぶやいた。話を聞いていないようで、自分の担当機器がからみそうになるとしっかり意見を出してくる。


「セコンドエンジャーもそう思うか。廃油の発生量に変化はないから漏れてる訳じゃないし、それだけ大きく変わるとなると他には考えにくいな。ありがちなのは、フローメーター周りのバイパスを介して逆流してるとかかな」

「うむ。セコンドエンジャー、明日いっぱいドリフティングが続くようなら、やってもらおう。キャプテン、ターミナルに確認をお願いします」

「やってもろうて構いませんよ。明日はまず動きまへん。一応、二四時間前に連絡を寄越すように言うときます」

「ありがとうございます」

「サードエンジャーは、引き続きピストンホーンな。午後のティータイムまでに終わらなかったら、明日に持ち越しで。オモテに持って行ってる工具とか潤滑油は片づけるように」

「なんなら艏のデッキストアに置いてもらっていいぞ」

「チョッサー、ありがとうございます」

「キャプテン、明日も天候が良ければ救命艇ライフボートの操縦訓練をさせてもらっていいですか? 最近、機会に恵まれませんでしたので」

「ええよ、チョッサー。サードオフィサーにやらしたって」

「了解しました。セコンドオフィサーはその間ワッチ代わってやってくれ」

「わっかりました~」


 昼飯後のちょっとした時間に怒涛のように決定されていく作業予定に、三等機関士が目を回している。後で改めて確認してやらないとダメだろう。


(サードエンジャー。こんなもんだよ)


 決定権者がその場にいて、必要な情報があれば、物事は即座に決まる。船という小さくも厳しい縦社会ゆえに、顕著に現れている縮図である。


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