地図と錬金術の魔女と橋男 一話

 砂と灰の嵐が視界を狭くしていた。

 なだらかな砂丘を何度越えても、ほんのわずかに見える景色は変わらない。

 少しでも止まれば頭や関節の隙間に砂が積もる。だから動き続けなければならなかった。隙間などないはずなのに、服の間に入ってきている感触があった。

 砂眼鏡すねめがねに時おり虫がぶつかってきて、邪魔にはなれど、久しぶりに会った生命だと喜んでみるも、手に取ってみるとすでに死んでいた。数分前まで生きていたことを考えると、悲しいすれ違いだなと僕は一瞬だけ思い、そのまま捨てて前に進んだ。

 僕の肩にのしかかっている荷物の重さは自身の体力を奪っているものではあるが、僕のを繋ぐものでもある。この肩の痛さも飼いならしたと思ってはいたが、憎々しくも感じることはまだある。

 よく見えないが空は曇っているのだろう。こんなにも視界が灰色なのだから。

 意味のない思考を数度ほど繰り返したとき、自身の精神の疲労が極限にまで達していることに気が付き、話し相手を探す。小さくなった妖精結晶ようせいけっしょうランタンの炎を揺らし、会話システムを起動した。本来はもう少し節約して使いたかったのだが仕方がない。

「会話型妖精結晶『メイジ』起動」

 久しぶりに声を出したことにより、喉にひどく痰が詰まっていることに気が付く。

 ぽん、と軽い音を響かせランタンが青白い炎を揺らした。その光が、降る砂々の形を浮かびあがらせていた。

『はい、マスター240時間ぶりの起動です。お久しぶりですね』

 無愛想な会話システムの声で、安心できる。長い間起動していないと拗ねるような声色になるように設定している人もいるらしいが、今はそんな気分ではなく、これから先もずっとそういった気分にはならないだろう。

『マスター、聞いてます?』

 せっかく会話するために起動したのはいいが、特に話すこともなかった。位置情報も分かっているし、指示を出したいのなら手ですればいい。しかし孤独を癒す必要は間違いなくある。そこでいいことを思いついた。

 僕は三人以上で会話をすると黙ってしまう。それでいてその残り二人が会話をしている所を長い間聞いていると、別に相槌を打つことさえしていないのに、『よし、今日はこの二人とたくさん話せたな』という気分になる。さすがにそれを極めてみると気味悪がれるし、ストーカーもそう言った思考回路の人が多いのだろうな、と自制はする。とはいっても感情はそう変えようがない

 と、ならば自分で設定した妖精なら気味悪がれないし問題ないのではないか。そう僕は今思いついた。

 もう一つの会話型妖精結晶を起動し、彼らに会話をしてもらうことにした。

 ランタンを起動し、音声を出そうとする。しかしどうもうまくいかない。どうやら壊れてしまったようだ。

『あの、マスター。会話が目的でないなら、何か小話でもしましょうか?』

「ああ、頼むよ」

『ではこんな話を。捕らえられた不死の魔女の話です』

 

 そういえばと。

 このやり取りもすでに何回も繰り返し、同じように小話を聞いていた気がする。

 そしていつものように妖精結晶は「かなり昔の話ですが……」と語り始めた。


 その魔女は一国を滅ぼした罪人として、捕らえられていました。強大な力を持った魔女故、殺すこともできずただ生と死の狭間に彼女をとどめ、拘束しておくことしかできません。

 魔女メアリーアンは何百年も何もない部屋の中にいたために、実際に頭に穴が開き、体を張り付けられていることを忘れ、自我の喪失と発狂と忘却と虚無を繰り返し、ただひたすらに待つことを続け、待っていたことを忘れました。宇宙よりも深いような暗闇の中、時おり波のように散らばった自我の断片が集まり、息継ぎのようにほんの少しだけ過去を思い出しました。死海(ここではこの世界の一番塩の濃度が高い海のことを指す)よりも濃い塩度に満ちたその記憶はとても幸せとはいいがたく、これならば忘れたほうがいいと穴の開いた頭蓋から苦痛な記憶を保管している脳味噌をこぼし、土牢の地面の養分としました。魔女の脳はさぞや魔力に満ちているのでしょう。脳症が溜まり山となり菌糸が集まり始め魔の毒を孕んだ茸を育てました。そこから錬金術の自然発生説のごとく、虫たちが生まれ、牢の中に国々を作り始めました。虫たちは領土を広げ数を増やしていきましたが、部屋の奥に到達するころには、ここが大きな牢であることに気がつきました。そしてその部屋の中心にいる生きているのか死んでいるのかもわからない巨大な魔女を閉じ込めているものだとも、虫たちの研究によって分かりました。百年ほどたち虫たちは絶望しました。自らたちは魔女の大きな魔力によって急速な進化を遂げました。しかし、中心たる魔女は虫たちの想定よりもかなりの力を持った魔女だったと気が付いたのです。そんな虫たちすべてが束となってもかなわない大きな力を持った彼女を閉じ込めておくための牢ですから、絶対に自力で抜け出せるはずがありません。領土の拡張は前途多難を向かえ、国内で領土の奪い合いが活発化し共食いが横行し文字通りの蠱毒と化しました。臓物の糸で国境を引き屍の山が海となり、そこから生命が生まれ魚類が生まれ両生類が生まれ爬虫類が生まれたが鳥類はこの狭い部屋の中では生まれず、なんと粘度を持った生物ばかりで、ぬめぬめしたまま進化を繰り返し、ぬめぬめした文明の建築と崩壊を繰り返し、最後には一体の個体となりました。その個体は魔女の手のひらほどの大きさで、妖精にも似ていて、魔女を模したようにも見えました。ただし光のないところで生まれたために、光を感じることができるものが見たならば歪にも感じたでしょう。妖精のような小人は、この小さな牢の中の世界の文明と生物全てを内側に取り込んだ自負はあったが、やはり魔女の力には届かず、それでいて他の存在を滅ぼしていたために、孤独を抱えます。小人はただひたすら待っているのです。この牢を開けてくれるものの存在を。魔女の穴の開いた頭蓋の中にこもって。

 しかしとうとう扉を開けるものは存在せず、そのまま小人は朽ちてしまったのでした。


 メイジは話をそう締めくくった。

 オチが弱い。魔女の話が別の話になってる。詰め込みすぎ。

 僕はそう称した。

『そうですか。しかし最後の「詰め込みすぎ」というのは前回の改善によりおこなったことですよ。「長いのでもう少し詰め込め」と』

 そうだったかと考え、ああそうだと僕は思い出す。

 そもそも『メイジ』には余計な小話を仕込む容量などない。ならば必要のない小話なのではなく、必要な情報だということだ。この話こそが今回の目的地での話だった。多分僕は何度もその話を聞いている。生命を拒む死の砂漠の灰により何度もそれを忘れた。それを思い出させてくれるのがこの妖精結晶の役目だった。

 忘却の砂漠の魔女監獄。

 横断するのに数年を要する砂漠の真ん中にある、終末アポカリブスクラスの魔女を収容するための場所だった。「だった。」というのはかつて砂漠の中心にあった滅びた国が管理をしていたが、いまでは砂に埋もれた廃墟の群れがあるだけのはずだからだ。

 しかし、砂漠の国は自国が滅びても魔女の拘束を半永久的に解かないシステムを構築していた。それがいまでも稼働していて、世界を終わらせることができる魔女がいまでもとらわれてるの、と言う情報が最近手に入った。そこで帝国からの命令で僕が調査に出向くことになったというわけだ。

「今の話は結局のところ何が言いたかったの?」

「それぐらい魔女は長く閉じ込められていたということです。すでに虫たちは朽ちているので、私たちにかかわってくることは決してないでしょう」

「ところで」と僕は妖精に聞く。「この話何度目だったっけ?」

「61回目です」

 そうかいと僕は言う。

 頭痛がする。

 そろそろ意識を保っているのが限界に近付いてきたような気がする。

 僕はそのまま地面に突っ伏した。


 不死兵なんて大層な名前をしているが、結局のところ戦場での僕たちの役割は橋になるというものだった。だから橋兵はしへい橋男はしおとことも呼ばれる。

 爆弾を持って特攻できる不死兵たちは花形とされた。しかし僕たちは張り巡らされた有刺鉄線に全力で集団で突っ込み、絡みついて、後ろから来た兵のために足場となった。塹壕を不死兵たちの体で埋めて橋となったりもした。武器の数は圧倒的に足らないが人的資源は余りに余っている屍の国ならではの戦法だった。

 当然敵側も対策を取って来るわけで、手などでどかそうとすると、不死兵なのでどんな反撃をされるかはわからない。なので油をかけて燃やしたり、ゴーレム兵の手でどかせるという戦法がとられた。何度も踏みつけられ燃やされ首を引っこ抜かされやがて土と同化するも、それでも死なずに数年したのちに体が再生し、土の中から蘇りまた自分の国へ帰っていく。不死兵は死なないが法律的な死は存在しバラバラになって土に帰ったら定義上の死とされ、戻ってきてもまた昇進等はやり直しで同じようにまた橋となり戦場へ行く。

 戻ってくるたびに思う。まだこの国は滅びていなかったのかと。


 金属器がこすれ合う不快な音で目を覚ます。まだ喉の穴がふさがっていないのでそこから血と痰と潰れた脳髄がベッドにシミを作っていることが感覚でわかる。

 ベッド?

 嗚呼、ベッド! 何か月ぶりの寝床だろうか!

 上半身を勢いよく起こし現状を確認する。

 まず初めに埃臭さに交じって消毒液の臭いがしてきたことから、ここが病院であることを察した。薄暗い灯りに目が慣れ、部屋の作りの簡素さを察し、石造りの壁と天井が見え、そこらに無造作に薄汚れたベッドが並べられているのがわかった。


「目覚めたかね」


 人工的で低い音色だ。声の下方向を見ると、思ったよりも巨大な存在がいた。天井に届きそうな背丈をしている。

 白衣を着てはいるが、顔は人の物とは言いがたく、灰色の面をつけたように、目も鼻も口も持っていない。よく見ると仮面ではなく、顔そのものが岩で出来ているようだった。

 恐らくゴーレム医師だ。

 僕は声を出そうとしたが、喉に穴が開いているので、笛を吹いたような音しか出なかった。それを察したゴーレム医師は近くにあったランタンを持ってきてくれる。

 僕は会話用妖精結晶を起動し、炎をに手をかざした。

「えっと……現状を把握させてほしいんだけど」

 ランタンが僕の思考を読んで、音声に変換してくれる。

「ここは砂の国の魔女監獄病院。君は巡回中のゴーレムが発見しここへ運んできてくれた。同盟国の兵だからな」

 砂の国と屍の国が同盟国。何百年前の話だろうか。成程、国が滅びても回り続けているシステムの一旦と言うのがゴーレムたちの存在と言うことか。

「ここの責任者は誰に当たるの?」

「そんなものはいない。代表者もなく、虫食い穴だらけのプログラムが走り続けており、ただ自分の役割を正しい役割と信じて我々は動いている」

「なるほど……」

 ならばとさっそく本題に入る。

「魔女に会いたい」

「それはできない」

 それはそうだ。自国が滅びても捕え続けた罪人をそう簡単には面会させないだろう。と思ったが

「と、いいたいところだが」と医師は言葉を切り「そうもいかなくなった」

「どういうこと?」


「簡単な話だよ」


 息がつまる。時間を縛り付けられたような声だ。向かい側のベッドから声がした。

 人の気配はしていなかった。ちょうど明かりの死角になっており、顔はよく見えない。ただ感覚でわかった。あれが……

「実に簡単な話だ。もう目の前にいたのだから、出会いを拒むことなんて因果を捻じ曲げなければできない。では改めて初めましてといこうか。いや無駄を省いてそのまま用件を聞こうか」

 僕は瞬きをして、心を落ち着けた。

「あなたが、『地図と錬金術の魔女』……?」

「いかにも。メアリーアン様とも魔女様とも好きに呼んでくれてもかまわないよ」

 男性にも女性にも聞こえる声だが、しっかり聞くと女性の声に思える。ただし別に男性でも魔女にはなれるはずだった。

 しかし本当に魔女なのだとしたら、なんともあっさりとした出会いだ。

 隔たれた牢屋越しの面会などを想定していた身としては、病室で同室になるというのは何とも非日常さのかけらもない庶民的な出会いと言える。

 医師はまだ用があるのか軽くうなずいた後、この場を去っていった。

「閉じ込められていたんじゃないのですか?」

「それも簡単な話だ。君は牢の中の話を聞いたのだろう? 絶対に出られない牢の内部の話が漏れ出たのだとしたら、その絶対性はすでに失われているということだ」

 確かにそれもそうだ。

「それで」魔女は改めてじれったそうに言った「要件は? 魔女に願いをするんだ。悪魔に物を乞うように、欲望に満ち溢れた顔で滑稽に惨めたらしくガタガタと震えながら、それでいて丁重に物事を頼みたまえよ。世界を滅ぼす魔女に何を求める? 見たところ軍人のようだし他国の侵略か? 不老不死……はもうもってるのか。ならば、そうだな……増えすぎた自国民の口減らしか」

 どうやらお見通しのようだ。メアリーアンは僕の表情を見て察したのか、話を続ける。

「はっ、確か君の国の祖は自らが『死と詩書の魔女』に願って国民全体が不死となったと聞いたが、不死になって増えすぎたから減らすというのは私が幽閉された当時の寓話でもありきたりすぎて、陳腐さに満ち溢れていたがね。で何割ほどの人間を減らしてほしいんだ。半分か、いや百分の一に減らしてもまだ多いだろう。ならばもっと……」

「すべてです」

「ふむ……」

 と一旦魔女は顎に手をやった。

「たしかにそれも想定はしていた。ただね魔女がこんなことを言うのもなんだがね。それは国全体の意思か?」

「そうです。国全体が決めました。屍の国の推定30億の民は真の屍となり、地獄なり虚無なりに旅立ちます」

 

 慢性的な不死の病に侵され、国全体が自死を望んでいた。安楽死と呼ぶには雑な長時間意識を失うための装置が流行っていたころはまだ比較的健全で、僕が出発したころは工業用の粉砕機で粉砕され土と混ざって数年間虚無の時間を過ごすのが流行りだった。我が国の土はすべて屍で出来ている。積層された肉が積もり層となり掘れば骨が出る。そして放置していると肉が寄ってきて、また人となった。

 そんな苦痛が鈍化し、退廃的な日々を送っている屍の国だが、それでも生者のいいようにされるのは嫌なようで、義務的な防衛を行てはいた。だから兵の役割はいくらでもあったのだ。

 そんな僕が大使館の生者である大佐の愛人となり、また別の役割を与えられるようになったのはまた別の話で。


「というわけで、我が国を滅ぼしてほしいのですが。対価をおっしゃってくれれば出来る限りのことはします」

 僕の言葉に魔女は首を傾けて、考え事をしていた。なかなか答えてはくれない。

「あの、先ほどの『欲望に満ち溢れた顔で滑稽に惨めたらしくガタガタと震えながら』頼むのはちょっと感情が鈍い不死兵には荷が重くて……足を舐めろというのなら舐めますが……」

「そんな何人もの男の尻を舐めてきた舌でなめられると、足が汚れるので結構だよ」

「……」

「おや、怒ったのかね? カマをかけただけのつもりだったが、図星だったのか。それに感情が鈍いというのも、嘘だったのか?」

「怒ってませんよ……」

 よく言われたことだ。今更怒るはずがない。

「そうだな、30億の全滅か……簡単に言ってくれるな……」

「できないんですか」

「いっそ、『世界を滅ぼしてくれ』とかいうのなら楽なのだが、まあ楽でも断ったが」

 世界を滅ぼそうとして幽閉されてるんじゃなかったのか。

 そう聞くと

「いやいや私は世界を滅す力を持っているだけで、別にそれを実行に移そうとしたことはない。別件の小さな罪に問われて、捕まった小悪党だよ。ちなみに罪状は人身売買と怪しげな薬の売買と殺人だ」

 少なくとも小悪党ではない罪状が並べられたが、何十億も殺すよりは小さく見えるということだろう。

「つまり」と僕は先ほどの意表返しのような声色にならないように言った。「できないんですよね」

「いや、できる」

 別にむきになったような言い方ではない。さすがは魔女と言ったところか。

「それで、対価は」

「いらない」

「それは怖いですね」

 魔女は空中に視線を泳がすような首の動きををしたあと、暗闇の中でにやにやとした笑顔を浮かべて見せた。

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