第86話 君と歩む永遠⑧
ひゅぅ――
一陣の風が吹き抜け、沈黙に支配された場の空気をゆっくりと押し流していく。
「ぶっ……ククッ……アッハハハハハハハ!!!!」
最初に噴出したのは――案の定、シュサだった。
「……何を笑っている」
「だ、だって――お、お座り、って……あ、アハハハハハハハ!!お嬢ちゃん、最っっ高!!いやー、好きだわ、アンタ」
グレイの恨めし気な低い声に、シュサは心底可笑しそうな笑い声を響かせる。遠くで何事かと怪訝な顔をするクロエと、蒼い顔でオロオロするマシロという不可思議な空間が出来上がった。
「……ふむ。何故私が急にイヌ扱いをされねばならぬのか、聞かせてもらおうか。『月の子』よ」
「今から、お説教をするからよ!」
ムッとした顔のまま言うハーティアは、どこまでも真剣だ。フッ……とグレイは面白そうに破顔した。
「説教、と来たか。面白い。……お前は昔から、突拍子もないことをする奴だと思っていたが――そうか。説教か」
クックッと喉の奥で笑っているのは、今となってはグレイに向かって説教をするような存在など存在しないからだろう。
「久しく、他者から説教を受けた記憶などないな。……ふむ。良いな。聞かせてもらおう」
「完全に孫を見るおじいちゃんの目でしょ、それ……」
余裕の笑みでハーティアを見て緩む瞳は、怒られているというのに慈愛に満ちて優しい。マシロの小さなツッコミも的確だった。
「色々、マシロさんから聞いたわ。――たぶん、グレイが私に隠しておきたかったであろうことも、色々」
「……む……?」
チラリ、と片方の眉を跳ね上げ、グレイの黄金の瞳が少し鋭くなり、視線がハーティアの背後にいるマシロに飛ぶ。ヒッ……とマシロが小さな声を上げて獣耳の毛を逆立たせた。
「マシロさんを怒らないで。――そもそも、私は、グレイが色々私に隠し事していたこと自体にも、怒ってるんだから」
「………ふむ」
ハーティアの言葉を受け止めるグレイは、彼女の言いたいことを推察しようと頭を巡らせているようだ。妙に真剣な顔で、きちんと話を聞いている。
グレイが、いつものグレイらしい冷静な様子でいてくれることに感謝しながら、ハーティアは思いの丈を強くぶつけた。
「どうして――どうしてグレイは、私のことを、私抜きで、勝手に決めちゃうの!?」
「――――……」
「私が生きるとか死ぬとか、幸せになるとか不幸になるとか――なんで、グレイに全部決められなきゃいけないの!?まず最初に、私の意思を確認してよ!!勝手に決めつけないで!!」
カッと瑠璃色の瞳の中に、怒りの炎が灯る。
ぱちぱち、とグレイは瞳を瞬いてそれを受け止めた。今まで、そんな選択肢は、脳裏にこれっぽっちも過らなかったのだろう。まさに、青天の霹靂といって差し支えない表情だった。
その驚いたような表情に、ハーティアの怒りの炎はもう一度燃え上がった。
「だいたい、グレイが私の一体何を知ってるの!!?私が何に喜怒哀楽を感じて、どんな風に将来生きていきたいか、そんなの何も知らないくせに!」
グレイは困ったように苦笑したあと、控えめに口を開いた。
「お前と過ごしたときは確かに短い。……だが私には、千年間の、お前の魂の記憶がある。お前に自覚がなかろうと、私はお前のことをよく知って――」
「嘘つき!――――女の子の気持ちなんて、全っっ然わかんないデリカシー無し男の癖に!!!」
ハーティアの言葉に、ぶっ……と堪え切れず吹き出したのは、マシロだった。慌てて、げふん、げふん、と咳をしてごまかしている。
「……ふむ。それを言われると、確かに痛いな。――そういえば、昔のお前にも、女心がわからぬ男だと文句を言われたことがある」
グレイの脳裏に思い出されるのは、いつも前触れなく寝室に現れては、寝顔やすっぴんを見られることが嫌だと言っていたティア・ルナートの言葉。それの何がいけなかったのか、千年経った今でもグレイにはよくわからない。彼女がどんな格好をしていようと、その美しさに陰りが出ることなどありえない。寝巻だろうがすっぴんだろうが――年老いて、老婆になっていたとしても。彼女の持つ、気高く誇り高い魂の輝きこそが、優しく慈しみ深いその心こそが、グレイが惚れた彼女の魅力なのだから。
男女の区別なく整った顔の造形フェチであると公言するマシロが認めるほどの美しい造形を持つティアは、すっぴんだろうが世の男たちを惑わす美貌を持っていることも事実だったが。
「生まれ変わりって、身体の特徴だけじゃなくて――性格まで、そっくり同じなんでしょう?じゃあ、同じ出来事を前にして、どんな風に考えるか、どんなことを言うかも、ほとんど一緒ってことよね!?」
「……まぁ、そうだな」
事実、本人に自覚はないだろうが、ハーティアは何度も、過去の魂が直面した出来事に似た境遇に置かれるとき、同じ言動を繰り返している。
グレイの同意を聞いて、ハーティアは自信満々に言い放った。
「じゃあ、私は、今までの私と同じ魂を持ったすべての人を代表して、グレイに言ってあげる」
「――――」
吸い込まれるような瑠璃の瞳は、意志の強い輝き。幼さの残るその表情は、それでも毅然としていて、世界の生態系の頂点にいる<狼>の長をまっすぐに射抜いた。
「今までの千年間――――――私、全然――全っっっっ然、幸せじゃなかった!!!!」
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