第5話 <狼>と<月飼い>②

 ひゅん――と風のように過ぎ去っていく周囲の光景を見やる余裕などないまま、ハーティアは振り落とされないよう必死に目の前の毛皮に縋り付いた。もふもふとして温かく柔らかなそれは、顔をうずめれば不思議と緊張がほぐれていく。思わず誘われるようにすり、と獣の首筋の辺りに頬を寄せると、グレイは軽くふるっと首を振った。くすぐったいのかも知れない。

「あの――グレイ、さん」

「グレイ、でいい」

「では、グレイ。――あの、<月飼い>について、教えてください」

「……?」

 グレイは疑問符を上げ、少し移動のスピードを緩める。<月飼い>とは、ハーティア自身のことだ。わざわざグレイから説明するようなことがあるとは思えなかった。

 ハーティアは慌てて説明する。

「あの……水晶は確かにもらったけれど…これは、その、村が襲われた時に、他に守る人がいないから託されただけで――私、儀式についても、詳しいことは何も知らないんです……<狼>のことも、知らなかったし……」

「ふむ……なるほど」

 グレイは一つうなずいて、何かを考えるように押し黙った。

「どこから話したものか……逆に、お前は、何をどこまで知っている?」

「え、えぇと……<朝>と<夜>のおとぎ話と……血を、捧げる村のお祭りだけ……」

「ふむ」

 グレイはうなずき、再び考える。ハーティアはごくり、と唾をのんだ。

 幼いころに繰り返し読んでもらった大好きな絵本は、<狼狩り>と<月飼い>の歴史を後世に伝えるためのものだと教わった。ただ、それにしては辻褄が合わないことも多い。

 <朝>はヒトの世界を例えたものだろうということは想像がついたが、<夜>に関してはよくわからない。とにかく、狼狩りによって、<朝>――ヒトに嫌われた<狼>が、<月飼い>とともに眠りについた<夜>の復活を待っている……それだけが、絵本が伝えたい内容なのだと思っていた。

 そして、その<夜>の復活のために、<月飼い>は祭りと儀式を繰り返す。

 まずは、村の中で行われる祭り。月に一度行われるそれは、<月飼い>の代表者の証である水晶――真っ黒な色をした『夜水晶』と呼ばれる不思議な鉱石に、村人が血を捧げると、その水晶が輝くのだ。

 血を捧げる、などと言うと物騒な印象だが、何と言うことはない。指の先を軽く傷つけて、祭壇に安置された水晶に垂らす。それだけだ。幼すぎると泣き叫んで暴れて危ないので、十の誕生日を迎えた村民でないと祭りには参加できない。それが、子供たちにとっては、大人の仲間入りをする一つの通過儀礼にもなっていて、祭りに参加することは憧れの一つにもなっていた。

 そして、その祭りで血を捧げられた『夜水晶』を持って、代表者――村長の血を引く直系のものが、<狼>の導きの元、儀式へと向かう。

 儀式の内容は、代替わりが済むまで決して口外することが許されず、後継者以外の部外者に教えることも許されない。ハーティアは村長の一人娘だったため、いつかは必ずその役目を引き継いだはずだったが、口伝される前に父は殺されてしまったため、ハーティアは儀式の具体的な内容はもちろん、祭りの意味や、<夜>と呼ばれるものの正体についても、全く見当がつかないのだ。

「<朝>を追いやるために<夜>が眠りについた、ということは……<夜>とは、何か、ヒトの世界に復讐するための最終兵器、みたいなものなんですか……?」

「まぁ……それに近しくはある」

 グレイは珍しく歯切れ悪く答えた。ハーティアは疑問符を返す。

「それでは、お前の言うところの『おとぎ話』の意味から話そうか」

 少し考えた後、グレイは足を緩めてゆっくりと歩きながら、静かに口を開いた。

「もともと、世界にオオカミと呼ばれる、イヌの親戚みたいな動物がいたことは知っているか?」

「は、はい……もちろん、見たことはないですが」

「それはそうだろう。千年以上前に絶滅している。――見た目は、我らの獣型に似ていたらしい。私も、直接見たことがあるわけではないからわからないが」

 グレイはのんびりと、自分も聞いたことしかないというオオカミについて口にする。現存する最古の<狼>である彼すら見たことがないということは、この世界で生きているオオカミを見たことがある存在は生きていないのだろう、おそらく。

「その中で、突然変異体が生まれた。これが我ら<狼>の最初の個体であるとされており――我々は彼を、始祖狼と呼ぶ」

「始祖狼……」

「あぁ。お前たち<月飼い>の間では――<大地>と言った方が、わかりやすいだろうな」

「――――!」

 急に飛び込んできた聞き覚えのある単語に、ハッとハーティアは目を見開く。

 ふ、とグレイは吐息だけで笑って、おとぎ話の解説をつづけた。

「お前たちの伝承では、確か、<大地>が魔法で<朝>と<夜>を生んだ、とあるだろう」

「は、はい……でも、<朝>はヒトのことだと思って――」

「まさか。さすがの始祖狼も、ヒトを生み出すことは出来ん。――というより、その時点で、既にヒトは世界に存在していたしな」

 てくてく、とのんびりと巨躯を操りながら、グレイは遠い昔を思い出すように少し視線を上げた。木々が深く生い茂る中、朝日が薄く差し込んでいる。

「<朝>と<夜>は――そのまま、始祖狼の子供だ。彼は、自分と同じ存在を作ろうとして、魔法を使った」

「魔法――…グレイがさっき使っていたような、不思議な力のことですか……?」

「いいや。あれは魔法じゃない。我々はあれを戒(カイ)と呼ぶ。……まぁ、『人間』から見れば、等しく不思議な力であることに変わりはないだろうが、我々が使う戒と、始祖狼が使った魔法は根本的に異なる力だ。彼が使ったものは万能といって差し支えがなく――戒には、一定の制限がある」

「戒……」

「例えば……我ら白狼が使う戒は、時空を操る。時間と、空間だ。だが、それ以外に干渉することは一切不可能だ。それに対し、魔法は万能だ。時空に干渉することはもちろん、何もない空間から炎や水を出したり、他者を操ったりすることも出来る」

「すごい……」

 思わずハーティアが感嘆の声を漏らす。

 そして、グレイの力を思い出した。何かに押し潰されたようにしてぐしゃり、と圧縮されたような死体。いきなり掻き消え、転移していた村人の死体。彼がつぶやいた一瞬で飛んでいくという『移動』――全て、空間を操る、という白狼の戒の力の結果なのだろう。

「――もしかして、グレイの見た目が若いのも、時間に作用して……?」

「いや。これは、始祖狼が私に掛けた魔法の結果だ。いくら時間に作用できる戒でも、見た目を若く保つくらいなら可能だろうが、ここまで規格外に寿命を延ばすことなどできない。そもそも『人間』と比べれば格段に長寿な<狼>だが――平均を取るなら、他の<狼>がだいたい三百年程度の寿命なのに対し、白狼は五百年くらいか。……まぁ、いずれにせよ私が規格外に長寿、というのは事実だな。魔法の効果は、それくらい強力だ」

 初めて聞く<狼>の生態に、ぱちぱち、とハーティアが目を瞬く。

「始祖狼さんと、会ったことがあるの……?」

「あぁ。私が彼と逢った時は、既に命が尽きかけていたころだがな。最後の最後に、私にこの魔法を掛けた。始祖狼の思想を継ぐ者として、選ばれ――そこから私は、ずっと、<狼>を束ねている」

 グレイは、記憶をたどるように見上げていた目を伏せてから、ゆっくりと口を開いた。



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