<月飼い>少女は<狼>とともに夢を見る

神崎右京

序章

第1話 プロローグ

昔々、<大地>が、魔法を使って双子の子供を産みました。

真っ白な子供を<朝>

真っ黒な子供を<夜>と名付けました。


<朝>はとても優秀で、とってもとっても人気者。

数々の魔法を使っては、世界を光に導きます。

特に<太陽>とは大親友。いつも一緒の二人には、世界の全てが集まります。

ヒトも、動物も、植物も。みーんな<朝>のお友達。


<夜>は不出来な独りぼっち。魔法を一つも使えません。

人気者の<朝>に背を向けて、一人で膝を抱えて泣くばかり。


見かねた<大地>が言いました。


――君も友達を作りなよ。独りはとても寂しいだろう――


だけど、<夜>と友達になってくれる存在などありません。

泣いて、泣いて、泣き続けて――

夜の足元に出来た涙の水たまりに、<大地>は魔法を掛けてあげました。

水たまりは、キラリと一つ輝くと、ふわりと空に浮かび上がりました。


――ほら、<夜>。君の分身を作ってあげよう。綺麗な綺麗な、<お月様>だよ――


それは、初めて<夜>と片時も離れずにいてくれる存在。

<夜>は<月>が大好きで、ずっとずっとそばにいました。


だけど大地は<夜>に告げます。


――それは君の涙の<分身>。本当の<友達>になることは出来ないよ。しばらくしたら、消えてしまう。だから<夜>よ、それまでに、消えない<友達>を作りなさい――


日に日に月は、形を変えます。最初は真ん丸だったはずなのに、少しずつ少しずつ、小さくなります。

<夜>は哀しくなって、再び涙を流しました。


――<月>、<月>。大好きな<月>。ずっと一緒にいておくれ。君以外の<友達>なんていらないんだ――


<夜>の切ない泣き声に、<月>は哀れに思ってそっと彼に寄り添います。


――わかりました、哀れな友よ。私が消えても寂しくないように、私の<仲間>をあげましょう――


それは、<朝>に嫌われた、哀れな四つ足の気高い獣。<狼>という、美しい獣。


――<夜>よ。<夜>よ。私が恋しいならば、泣きなさい。その水たまりに、私を映し、姿を捕らえてしまいなさい。あなたの涙から生まれた私にとって、それはまさに母なる泉。泉に戻った私はそこで、再び力を蓄えます――


<夜>は泣きながら少しずつ小さくなっていく<月>を抱きしめました。


――少し力を蓄えたなら、再び空に戻してください。<大地>の魔法を借りられないなら、<仲間>の力を借りてください。<朝>に嫌われた<狼>は、<月>に向かって吼えるのです。その咆哮が、目覚めの合図。私は再び泉から、空へと戻り、<夜>とともに生きられます――


泣き虫な<夜>の足元に、再び水たまりが出来ました。抱きしめた<月>の姿をそっと映すと、<月>は満足げに優しく微笑みます。


――一度空に戻っても、泉を離れた私は、再び消えていくでしょう。それでも恋しいなら、愛しき友よ。また、私のために泣いてくれますか――


<夜>は何度も頷きます。<月>が捕獲された水たまりに、涙が一つ零れ落ち、波紋が姿を揺らしました。


――だけど<夜>。<大地>の魔法がない限り、蘇る私はいつもレプリカ。蘇るたび、私の力は衰える。いつか、私はこの世から消えるでしょう。ねぇその時は、愛しい友よ。どうか哀れな私のために、唯一の<仲間>をお供にくれると、約束してください――


――嫌だ、嫌だ、愛しい<月>。僕はいつまでも君のために泣くだろう。何度だって愛しい君を蘇らせるよ。そんな哀しい約束は、いくらもしもの未来でも、僕にはとても出来ないよ――


――それは困った、哀しい友よ。君が約束してくれないと、私の<仲間>は力を貸してくれない――


それが、<月>の最期の言葉でした。

ふ…と幻のように腕の中から消えていった<月>に、<夜>は何度も叫びます。それは<狼>の咆哮のように、鋭く切ない叫びでした。

ですが、涙の水面に捕らえられた<月>は、どんなに<夜>が叫んでも、再び空へと還ることはありません。


膝を抱えた<夜>の下に、一匹の<狼>がやってきました。


――光と生きる<狼>は、<朝>に嫌われたらもうおしまい。<月>がないと、生きていけない。どうか、どうか、哀れな<夜>よ。我らに<月>を還してくれないか――


答えられない<夜>に向かって、<狼>は静かに言いました。


――<大地>の血を継ぐ<夜>ならば、魔法の欠片を使えるだろう。眠る力を呼び覚まし、自由に使えるようになったなら、<朝>をも凌ぐ魔法を使える。消えゆく<月>をとどめる術も、きっといつかは得られるだろう。憎い憎いあの<朝>を、いつか追いやってくれるのならば、我らは今すぐ力を貸そう――


<狼>の言葉に、<夜>はしっかりと頷きました。

<狼>は空に向かって高く、気高く、咆哮します。<月>は呼びかけに従い、再び空へと還りました。


それを見届けた<夜>は、<月>と<狼>に言いました。


――いつか、<狼>との約束を果たすため、僕はこれから一度、眠りに就こう。たくさんたくさん力を蓄え、いつか、<朝>をも凌ぐ魔法を使おう。僕が眠るその間、<月>を捕らえる役割は、別の者に託していくよ――


<夜>はそれを<月飼い>と呼びました。<狼>と同じく、<朝>に嫌われたヒトの一族でした。


――千年先のその未来、僕は必ず目覚めるだろう。いつか来るその日まで、どうか約束を忘れないで。約束の日は、千年樹の木の下で、必ず集うと約束しよう――




 パラリ……と紙をめくる音が響いた。

「それは、昔々の物語。私たち<月飼い>が生まれた、物語――」

 最後の一節を読み終えると、パタン……と分厚い装丁の裏表紙が閉じられる。

「――はい、おしまい。さぁ、もう寝る時間よ、ティア」

「はぁい」

 くりくりとした大きな目をした幼女が、母親の膝の上から降りて、布団にもぐりこむ。母親も、絵本を本棚に戻すと、少女の隣にもぐりこんだ。

「ねぇお母さん」

「なぁに、ティア」

「千年樹ってどこにあるの?」

 幼女の子供らしい質問に、母親は苦笑する。

「さぁ……どこかしらね。狼さんに会えたら、教えてもらえるかも」

「でも、大人の皆は、狼さんは怖いから近寄っちゃダメ、って――」

「えぇ。だから、もし、仲良くなれたら……ね」

 ふふ、と笑って煙に巻く。所詮、おとぎ話の中なのだから――と言わないのは、子を想う母の優しさだろうか。

「でも、約束の日に、私たちは行かなくていいの?場所がわからないと、困るでしょう?」

「ふふ……そうねぇ……それならティアは、まず、立派な<月飼い>にならなくちゃね」

 おとぎ話を本気にする子供の無邪気さに曖昧に笑いながら、やんわりと話を逸らす。

「ぅ……でも、大人にならないと――」

「そうね。だから、その日まで、ちゃんとしっかり、勉強なさい」

 ポンポン、と話は終わり、と言わんばかりに布団の上から優しく肩を叩く。

「さぁ、おやすみの時間よ、ティア。<夜の誓い>は?」

「はぁい」

 ティアと呼ばれた幼女は、少し憮然とした顔で瞳を閉じて、お決まりの文句を諳んじた。

「私たちは<月飼い>の一族。古からの誓約により、月を飼う役目を担う一族。決して村の外に秘密を出さず、<朝>の世界に決して染まらず」

「偉いわね、ティア。――おやすみなさい」

「おやすみなさい、お母さん」

 ちゅ、と額にキスを落とされ、くすぐったそうな幼い声が、挨拶を返す。

 それは、幼い日の何気ない記憶。

 他愛もない、いつもの日常。

 幸せで幸せで仕方のない、どこにでもあるような、ごく普通の、夜。




(あぁ――どうして、今、そんな記憶を思い出すんだろう――)

 目の前の光景に呆然と膝をつきながら、少女――十四歳になったハーティア・ルナンは言葉を失っていた。

 ごうごうと燃え盛る焔。響き渡る悲鳴。

 子供たちの隠れ家だった村の裏手の崖の上。見下ろす眼下に広がるは、阿鼻叫喚の地獄絵図。

「お母さん――お父さん――村のみんな――」

 呆然とつぶやきながら、頬を伝う涙を拭うことも出来ない。ハーティアは、ぎゅっ……と無意識に、胸に下る水晶飾りを、握りしめた。




 ここから始まる、物語。

 ――これは、<朝>の世界に復讐を誓った、十四歳の少女の物語――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る