第2話 間垣屋善兵衛

 ――――では定俊が世間にありふれた守銭奴か、というとそういうわけでもない。

 命の次に大事な金でも、使うべき時には惜しみなく使い、与えるべき時には惜しみなく与える。そうした武士としての嗜みを確かに持っている男であった。定俊が家康による上杉征伐において一万貫を主君上杉景勝に献上したのがよい例であろう。

 そればかりか関ヶ原戦後にも、この男は気前のよいところを見せている。

 西軍の敗北により家康に屈して、会津百二十万石から米沢三十万石への大幅減封となった上杉家臣は困窮していた。禄高が単純でも四分の一になった計算である。そうなると困ったのが定俊に対する借金の返済であった。

 減収のうえ僻地へ引っ越し、その他新たな土地での生活にかかる費用だけでも大変なのだ。到底借金を返すどころの話ではない。そこで断腸の思いを抱えて定俊に借金をした家臣たちを代表し、直江兼続が定俊のもとを訪れた。

 要するに債権の放棄、手前勝手なことだが借金の踏み倒しを定俊に願いに来たのだ。

 もとより上杉家を反徳川へと舵を切らせたのは、自分の責任であるという思いが兼続にはある。家臣の借金も己のせいであると思えば、彼が交渉の矢面に立つことは必然であった。

 いかなる悪罵、折檻を受けようとも、この借金の責めは己一人にとどめよう。そう決死の覚悟を固めて定俊宅を訪れた兼続は、予想外の歓待を受けることになる。

「ようお越しくだされた。山城守(兼続)殿」

 さぞ嫌な顔をされるだろうと思っていたのに、丁重に温かな茶を供され兼続は戸惑った。そもそも定俊は譜代の家臣ではないため、米沢行の家臣からは外れている。定俊ばかりではなく、同じ牢人衆の車丹波や反町大膳亮なども召し放ち――要するに解雇という命令を受けていた。その定俊がこれほどに愛想のよい理由が兼続には皆目見当がつかなかった。

「こんな寒い日は、外で焚き火で暖を取るのも一興というものですぞ?」

 茶を一服して縁側から庭に出るよう促されると、何本かの薪を重ねて赤々と火が燃え盛っていた。先ほどから借金の件をはぐらかされ続けていた兼続は、意を決して定俊に話を切り出した。

「岡殿、こたびの移封に関し、某、恥を忍んでお願いしたき儀が……」

「山城守殿、まことこのような寒い日は焚き火には良き日でございますなあ」

 定俊の涼しい声に、一瞬馬鹿にされているのかと疑った兼続は、焚き火を眺める定俊の視線の先を見て目を疑った。

 ――燃えているのはまさに上杉家臣団の借金の証文であったからだ。

「岡殿、これは…………」

「旅立ちに余計な荷物は焼き捨てていくに限りますゆえ、ご放念くださりませ」

 定俊はかつての同僚である上杉家臣団の借金を丸ごと帳消しにしてくれたのである。この後上杉家は幕末の上杉鷹山公を迎えるまで、かつての財政を再建することはかなわず窮乏にあえぎ続ける。その窮乏を見かねて、あえて定俊が私財を捨ててくれたことに兼続は震えた。

 兼続は定俊の常軌を逸した金に対する執着を知っている。しかしその執着を超えたところに定俊の価値があることも知っていた。いや、知っていたつもりだった。

 正しく武士とはかくあるべきではないか。普段は命を惜しんでも、いざとなれば喜んで死を選ぶ。その選択を間違えないものこそ本物の武士である。

 その後兼続は、終生定俊に対する恩義を忘れず、彼のような男こそ上杉には必要であったと定俊を失ったことを悔やんだという。あの伊達政宗に天正大判を薦められた際、金は軍配を預かる手の穢れとまで言った男が、である。

 だからといって定俊の金好きは結局のところ変わるわけではないのだが。それでもなお最後の一線で武士としての一分をわきまえた良将というのが一般的な定俊への評価であった。

 しかしさすがに全裸で金の上を転がるという悪癖だけは誰にも弁護できなかった。いい年をした老人がにやけながら小判の上を裸で転がっていたら、それを武士の嗜みと見るのは確かに不可能であろう。

 雨月物語に曰く

『庁上なる所に許多の金を布き班べて、心を和むる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇野情の人なりとて、爪はじきをして悪みけり』と云う。

 上田秋成の流麗な名筆のおかげで、定俊の奇行は後世にまで広まることとなった。

 左内とは定俊の通称である。岡左内と彼を呼ぶ者も多い。若き日には岡源八郎定俊を名乗っていた時期もある。

 無類の利殖家であり、まことしやかに蒲生家中において左内に借金をしておらぬものはいないと噂される。

 決して吝嗇なだけの男ではない。たかが一万石程度の身代(およそ年収二億程度と思われる)で、吝嗇なだけでそんな莫大な財を成すことなどできようはずがない。定俊が現在の財を成したのは、貸金と貿易によるものだ。

 実は数奇なことに、定俊は生まれ故郷の若狭を離れ、蒲生氏郷に仕えるまでの数年間、堺商人、間垣屋善兵衛の用心棒をしていた時期がある。

 今でも間垣屋善兵衛は、岡家の重要な御用商人にして親友であった。

 思えば定俊がこれほどに銭に執着するようになったのは、そのころの商売に携わった経験によるものであろう。

(懐かしい……あのころは銭が増えるのが楽しくて楽しくて仕方がなかったものじゃのう)

 はたして、あのときと同じ夏の陽気がそうさせるのか。

 定俊はあの若い日、銭に懸けた青春を懐かしく思い出していた。



 後に盟友となる間垣屋善兵衛との出会いは、故郷若狭を出奔してからまだ間もない夏の明け四つほどの時であった。

 はるばる若狭から京の都を目指していた定俊は、敦賀街道を南下し途中越(現在の大津市伊香立途中町付近)の山道で、たまたま比叡山の山法師に強盗に遭いかけている商人の一行とでくわしたのである。

 手代らしき男が二人ほど、すでに切り裂かれた傷口を押さえて呻いていた。山法師のほうは三人ほどで、商人の鼻先に手槍を突きつけている。

「これはどうしたことだ?」

 ふと商人と定俊の目と目があった。

「こら天の助けや! お武家はん、金ならはずみまっせ!」

 襲われて今にも殺されるかもしれないというのに、なんと能天気な男だと定俊は思わず笑う。何がおかしいといって、商人が定俊が自分を助けてくれると信じて疑っていないのがおかしかった。

「俺は高いぞ?」

「措け。余計な殺生は拙僧の好むところではない」

 山法師はつまらなそうに定俊に向かってヒラヒラと手を振った。三対一という圧倒的優位を信じているがゆえの余裕であった。

「僧兵くずれが峠で商人を襲うとは、安達ケ原の鬼婆も真っ青だな。御仏に申し訳ないとは思わぬか」

 第六天魔王、織田信長が都の鎮護比叡山を焼き討ちにしたという話は、当然定俊も知るところである。そして比叡山の威光を嵩に贅沢三昧な生活を送っていた僧兵が、半ば山賊のように跋扈しているという噂を、京へ上る道中で定俊は幾度も耳にしていた。

「うぬ、御仏に仕える僧を馬鹿にするとは、貴様も仏敵信長に与する者か!」

 さすがに山法師にも、定俊が侮蔑している雰囲気は感じ取ったらしい。顔を赤くして脅すように怒鳴る。

「むしろ信長には恨みしかないが、貴様らのようにしたり顔で御仏の名を騙る無法の輩はもっと大っ嫌いだ」

 信長に攻め滅ぼされるずっと以前から、越前朝倉家は一向宗の跳梁跋扈に悩まされてきた。

 それどころか朝倉義景の跡を継いだ朝倉景鏡を殺したのも一向一揆の馬鹿どもであり、岡家が領地を没収されたのも、元はといえば一向一揆のせいのようなものであった。

 思えば父が世を拗ねたような屈託者になったのは、昨日まで慕っていたはずの領民が般若のように手のひらを返し、汗水を流して時間をかけて育ててきた作物をイナゴのように根こそぎ食い散らかしてしまう一向一揆の暴力性にあったのかもしれない。彼らの大半は農民であり、作物を育てるのにどれほどの苦労があったか身に染みて理解しているはずなのに、破壊はあまりに躊躇も容赦もなかった。

「おい、助けてやるから当座の生活と仕官の口利きは頼んだぞ?」

「大船に乗った気で任せなはれ」

 定俊はほんの冗談で口にしたのだが、打てば響くように商人は笑って快諾した。

「ふん、泥船でないとよいがな」

 定俊と商人ののんきなやり取りを、山法師たちは自分たちが侮られたと受け取った。事実、定俊は完全に山法師を見下していた。

「おのれ! 地獄で閻魔様に詫びるがよいわ!」

「とろくさ」

 山法師が槍を突き出すよりも、定俊が懐へ飛び込むほうが遥かに早かった。呼吸の盗みかたに明らかに雲泥の差があった。

 槍は確かに戦場では脅威となる武器だが、そもそも狭い峠道で振り回すには向いていない。山法師たちもまた、足軽のように槍先を整え集団で戦うことに慣れてはいなかった。

 要するに比叡山の威光を嵩に庶民を脅すことには慣れていても、本格的な合戦というものを信長に攻め滅ぼされるまで彼らは一度も経験していなかったのだ。だからいともあっさりと定俊に接近を許してしまう。

 懐に入られた槍はもろい。定俊は五尺四寸の体を地を這うように前傾させ、抜き打ちに山法師の脛を斬った。

「ぎゃっ!」

 たまらず山法師が叫んだときには、すでに返す刀でもう一人の脛を斬り上げている。

 江戸期に柳剛流という脛を切り払うことを得意とする剣術が生まれるが、戦国の時代から脛を狙うのは有効な組打ち技であった。組打ちとは転倒した相手の首を落とすために、源平の昔から練磨を続けた白兵戦闘法であり、当然定俊もそうした組打ち術を幼いころから修めている。

 そんな修羅場を経験したこともない、おそらくは信長侵攻の折もたちまち逃げ出した臆病者の手合いであろうことは、一目見た瞬間から知れていた。

 定俊が彼らを素人だと判断したのは、こちらとの間合いを彼らが全く測れていなかったためである。槍には槍の、刀には刀の間合いがあり、その間合いこそが相手の力を封じて自らが万全に力を発揮することに通じるのだ。そのような基本のできていない輩が、戦場を生き抜いた兵(つわもの)であるはずがなかった。

「ま、待て! 我らは比叡山復興のため寄進を募っていただけじゃ! 御仏の慈悲に免じて見逃してはくれまいか? これ、このとおり!」

 たった一人残された山法師は、仲間があっさり倒されたのを見てたちまち戦意を雲散霧消させ、恥も外聞もなく土下座して哀訴した。

「御仏の慈悲か……便利な言葉だな。俺は貴様らのその便利な言葉が昔から好かぬ。ゆえに俺からも便利な言葉をひとつ送ろう」

 どうせこの場を見逃しても、彼らはまた弱い商人を狙って強盗を繰り返す。今土下座しているのはたまたま定俊が強者であったという理由にすぎない。比叡山を失った彼らの食い扶持は、まさに強盗によって成り立っているのだから。

 その現実を隠して美辞麗句と屁理屈を並べる僧の舌が、唾棄すべきものに感じられて定俊は鋭く舌打ちした。

「こうなるのも貴様の前世の業というやつよ。きっと来世では報われるであろう」

 定俊が刀を振りかぶるのを、山法師は絶望を顔に張りつかせて見上げた。その時間はごくごく短かった。

 山法師の肩口から肺までを、有無を言わさず定俊が一気に斬り下げたからであった。


「岡源八郎定俊と申す」

「堺で廻船屋を商うとります、間垣屋善兵衛と申しますわ」

 そうして巡り合った善兵衛と定俊は、なぜか不思議と馬が合った。

 童顔で福々しい丸顔の善兵衛は、もう今年の春に二十五を超えていたが、若干十五の定俊と並んでもそれほどの年の差は感じられなかった。それどころか定俊も丸顔の部類であるので、似ていない兄弟と言われても通じるような空気がある。

「まだ日も高いうちから僧が強盗を働くとは世も末だな」

「いやいや、世も末どころか今はこの世の春でっせ!」

 思わず定俊は胡乱な目で善兵衛を見た。たった今殺されかかっていた善兵衛が、何を言っているのか全く理解ができなかったからだ。

「比叡山延暦寺といえば京の都の商売の元締めですねん! 土倉(金貸し)、酒、馬借(運送業)まで軒並み山門(延暦寺)の息がかかってましたんや。それがのうなったおかげでわいのような駆け出しの若造でも商売できてますのやで」

 信長の比叡山焼き討ちは、いわば財閥解体のような効果を京にもたらしている。これまで権威と武力で 様々な業種の商売を独占してきた延暦寺が力を失った。そればかりではなく興福寺や南禅寺など大寺院の仏教勢力は、信長によって次々と既得権益をはく奪されつつあったのである。信長がそれを狙っていたかどうかはわからないが、そうした副次的な効果があることを、定俊は初めて知った。

 そこで山門に代わって新たな経済の担い手として台頭してきたのが、堺の会合衆とよばれる豪商たちである。

「要は山門の力はあんなならずものの山法師なんかやない。銭や。銭の力こそが山門の力の源だったんや」

 焼け跡に逃げのびた僧が戻ってきても、皇族から新たな座主に尊朝法親王を迎えても、延暦寺に往時の力が戻らないのは、銭の力が戻らぬためだと善兵衛は言っているのだった。

「ふむ、――――銭か」

(面白い)

 定俊にとってそれは新鮮な驚きであった。

 銭のないつらさは領主の家に産まれたのだから身に染みてはいるが、銭こそが強さであると考えたことはなかった。武士にとって、銭とはあくまでも戦いには必要な余禄である。

 むしろ銭を忌避する武辺も数多く、直江兼続が「軍配を握る手に金は不浄」と言ったように、銭は低くみられがちであった。

 戦のため、政(まつりごと)のため、銭は必要なものではあるが、武人の本質的なものとはいえない。銭で人が斬れるか、と故郷の父なら言うであろう。

 ここで面白い、と思ったのは定俊の直感である。しかしこの直感を、この時代の武士――もちろん定俊も――ことさら大事に思っていた。

「おお、ええ顔してますなあ。ほならわいと一儲けといきますか?」

「よいのか? 腕前以外には何も役に立つとは思えぬが」

 槍も刀も人よりは能く使う自信がある。教養もそのあたりの足軽とは比べ物にもなるまい。しかしそれが商売で役に立つとは定俊には思えなかった。

「そんなことあらしまへん。というより、お武家はんがうちらにとっては一番の上客でいらはりますので」

 武士が何を欲しがるのか、何を大切に思うのか、銭には変えられぬと思う大事な品とは何か。それが今後の商いでもっとも大きな種になると善兵衛は考えていた。そうした意味で、定俊のような固定観念に固まっていない若者で、腕と度胸のある男は得難い人材であったといえる。

 それになぜか、会ったばかりの定俊という若者が、善兵衛はことのほか気に入ってしまったのである。

 武士だけではなく、商人もまた直感と縁を大切にすることでは人語に落ちぬ人種なのであった。

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