5:花畑の中~現~


花畑の中で向かい合いながら

同じくらいの背丈で俯く霊の頭を撫でていた。

強気で歯向かってきたりゲームで騒いだりして

うるさい程のいつもの元気が無くなるくらい、

沢山の辛い記憶を霊は持ち続けているんだろうか。

二百年の霊の記憶、以前の人生の記憶は如何程か。



「…弱みでも何でも僕に吐けばいいよ…

どうせ僕は忘れちゃうから気楽だろ?」


「……」


「その代わり酒は貰うからな?

…じゃあ明日も仕事だし」


返事も表情も汲み取れないけど、

僕がなんだか恥ずかしくなって手を引こうと

最後に少し強く髪をガシガシすると

それが嫌だったのか手を取られた。


けれどその手を強く握り勢いよく引っ張られ、

身体がぶつかると抱きしめられた。

お互い繋がった手が身体と身体の間、

霊はもう片方の手を僕の背中に回すと動かない。

苦しくなるくらい強く抱きしめられて動けない。


僕の優しさが、こんなにも嬉しかったんだろうか。

…優しく霊の背中を撫でた。

ただ思った通りに行動して発言した言葉が

誰かを優しく包んでいたら…

たまたま出た優しさで

自分もこんなにドキドキするんだな…

まぁ、この記憶も後々消えてしまうんだろうけど…



「俺は忘れられない」


僕の心境を見透かされたようでビックリした。

さっきから強く跳ね続けている心臓に

耳元で低く囁く声が更に刺激を与える。


「……あぁ…そうか」


「忘れられないんだ…殿下が…」


「殿下…?男?…霊になる前の記憶か?」


「……アンタに…似ているんだ…なにもかも…」




花畑から戻るといつも通り仕事をこなす日々。

霊もフラフラ出歩いている事が多かったから

特に2人で過ごす事はなかった。


ただ…いつもなら2.3日前の事は忘れてしまうのに

一週間以上経っても花畑に行った事は

忘れられないでいる。

あの時、心臓が跳ね続けてドキドキなった事、

鮮明に覚えている。

これが胸に刻むっていう事なのか。


酒を飲んでいると、霊の帰りを待ってしまう。

冷蔵庫の隣やダイニング…

ついには霊の部屋の前で座り込む。


「…部屋に入っちゃおうかな…

けどまた文句言われる…

けどこんな廊下じゃつまらない…

早く帰ってこないかな…

この部屋には僕のコレクション…は隣に運んだか。

霊のゴミ…いやコレクションも見たいんだけどな…

あ、」


酒のせいかフワフワとする足元。

数十歩進んで霊が描いた絵を持ち、

また霊の部屋の前に座り込む。


「…なんで忘れないんだろ…」


「うわ!!」


僕の独り言だけが聞こえていた屋敷に

霊の驚いた声が響いた。


「…僕がどこで飲んでも驚くなよ。

僕の屋敷なんだから何処にいてもおかしくないし

お前の部屋に入ったわけじゃないし…」


「…酒、どんだけ飲んだんだ?」


「あるだけ」


「…今買ってきたビールは冷やしといた。

けどそれは明日の分だからもう飲むなよ…」


「…ケチ。金持ちだろ?」


「そんなに酔っててよく言うよ…」


「そんなに?飲んだ?かなぁ…お前がいないから…

ビールの味なんてどうでもよくなって…」


「……」


「…いや、お前と酒を飲みたかったとか

そういうんじゃなくて、

花畑に行くなら僕も一緒に、とか思って…」


「忘れてなかったのか?」


「…うん、なぜか…」


「…はぁ…その絵、あんまり持ち歩かれても…」


僕が霊の絵を抱えているのに気付いて

呆れられたのか、ため息が落ちる。


「……」


「花畑、今から行くか?」


「…ああ」


絵を廊下に置き、霊の後を付いて花畑に来た。

一週間以上前の花畑と何も変わらない。

霊がゆっくりと歩くからその後を歩いた。


「…お前、酒は飲みたくなかったのか?

寝る前の酒は美味いって言ってたのに…」


「……」


「…もしかして僕を避けてたとか?」


「…アンタ、この前の事、忘れるのかと思って…

この前はすまない」


抱きしめられた事が鮮明に蘇る。

けど、霊にとっては消したかった記憶らしい…


「いや…」


少しだけ、この消えない記憶が嬉しかったのに。



「…忘れられなくてどうしようもなかったり…

忘れてしまって苦しんだり…

俺はどうすればいいのか分からない」


ゆっくり話しながら、先を歩いて進んでしまう。

独り言のように話すから、

どんどん霊に近づき静かに耳を傾けた。


「俺は…何がしたいのかも分からなかったけど…

あの絵に…月を描きたかったんだけど、

思い出せたよ。アンタに会って」


「月?月を描きたかった事を思い出したのか?」


「…どんな月を描きたかったのか、

描きたかった月の輝きを思い出したんだ」


「……」


「輝く月、殿下そのものなんだ…」


前回も言っていた'殿下'。どうやら霊は、

僕に似た殿下を強く想っているらしい。


「'殿下'が僕に似てると言ったな。

なんか…僕と一緒にしてないか?」


「一緒にはしてない。混乱…してるだけだ」


寂しそうな背中が動いて、

振り返った霊の瞳は潤んでいる。


「…混乱もするなよ。僕は絶対に別人だ。

別人だろうし、…もしもその'殿下'だったとしても

その人の記憶も無いんだから」


精一杯の笑顔を向けた。

いつも笑わない僕が、無理に作った笑顔は

ひきつっているかも知れない。


「…分かってる… 落ち着いたら絵を描く…

混乱しなくなったら…」


瞳の奥まで見られてるのかと思うほど、

真っ直ぐに見つめられると

ふわっと頭を包み込むように、

そして力強く抱きしめられた。


「…殿下…」



「…違うって…」





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