Chapter15Lesson2(Ver1.5)・俺達の勉強はこれからだ

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※本章では教授の語学アドバイスのためにグラフや学習法再現用の画像を活用します。画像は作者の近況ノートに挙げてあります。または文中のリンクかハッシュタグを使ってTwitterの画像をご参照ください。

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高一 9月 土曜日 夜


 女三人のティータイムにお邪魔して会話をした後、俺は風呂に入って自室に上がり束の間の自由時間を楽しんでいた。サッカーゲームのオンライン対戦の2戦目の途中で階下の母さんから夕食のお呼びがかかる。


 いざ家族4人で夕食を摂り始めると、数年ぶりに治姉の写真を撮れると知ったからか、普段は食事中にあまり会話しない父さんが別人かと疑うくらいに饒舌になった。やれ新しいカメラを買うだとか、家族旅行に行こうだとか、自分で話しながら新しいアイディアを思いついては勝手にプランに肉付けをしていた。


 治姉からしても奨学金を使わずに年間400万円もかかる私大の医学部に通わせてもらっている手前、父親に何か返したい気持ちはあるのだろう。事実として今年の父の日に何を贈るべきか相談された時に治姉自身がそう言っていたしな。だが俺が提案した高級ブランドの万年筆を治姉から受け取った時よりも、よっぽど嬉しそうな今の父さんの様子を見ると、俺の提案は正解ではなかったようだ。来年は父さんと二人きりでディナーにでも行くよう勧めてみるか。


 そんな米沢家の夕食を終えると俺は教英英語塾の準備をして真鶴家に向かう。準備と言っても特に持ち物の指定はされていないから持っていくのは自主的に持参する筆箱とノートだけ。この持ち物指定なしという条件からしてまともに英語を教える気があるのか疑わしい。それもあってか先週の初レッスンに比べれば俺の足取りは格段に軽かった。


 俺は同じく我が家に日本語レッスンの為に向かっていた和歌とすれ違いざまに軽く挨拶を交わして俺は真鶴家に上がった。


「やあ英紀君、一週間ぶりだね。元気だったかい」


「はい、ありがとうございます」


「さあ上がって」


 促されて書斎に入り、先週と同じ席に着くなり俺は先手を打った。


「早速なんですけど先生、家族に何を吹き込んだんですか?」


「はて? なんの事かな?」


「とぼけたってもう父さんから聞いてますよ。家の家族に毎日アニメを観るよう勧めたでしょう?」


「はっはっはっ、気付いてくれて良かったよ。で? 文明君からはアニメを勧めた理由についてどこまで聞いたんだい?」


「いえ、想像以上に口が硬くてほとんど聞いていませんよ。先生から勧められてアニメを見ているって事しか知りません。後は父さんの行動から一日目に一話、二日目に一話と二話、三日目に二話と三話っていう風に同じ話を二日連続で見てから次の話に進むっていうローテーションに気付いただけですね」


「ほう、いいね。文明君の口が硬かったのも良いけど、分からないなりに観察して規則性に気付いたところが良い」


「そりゃあ俺以外の家族みんなが知っているんですから気持ち悪くなって気にしますよ。聞いても誰も教えてくれないし。家族に仲間外れをさせるなんてずるくないですか?」


「不快にさせてしまった事は謝るよ。この通りだ。申し訳ない。ただこの一週間で君の家族に協力してもらったのは仲間作りであって、仲間外れではない。しっかりと種明かしはするから許してくれるかい?」


「はい、俺も理由を教えてくれさえすれば根に持ったりしませんよ。それで、仲間作りって事は家の家族も英語を勉強するんですか?」


「そうだよ。少なくとも文明君はやると言っていたよ。法子さんと治佳ちゃんは本人から聞いていないから分からないけどね」


「母と姉も父ほどではないですけれど、アニメは見ていましたしやる気だと思いますよ」


「そうか、それは良かったよ。身近に仲間が多いほうが成功率は上がるからね」


「それで、なんで日本語版のアニメを見させたんですか?」


「答えはいくつかある。まず単純に父親の意外な行動をきっかけにして興味を持って欲しかった。もし文明君が初日から英語でアニメを観ていたら、英紀君はここまで疑問に思っていたかい?」


「いえ、俺に英語を学ばせるためだと即気付いて興味は示さなかったと思います。日本語だからこそ、子供並みにアニメに集中しているように見えて顔は真顔で全然楽しんで見えないから不気味でしたよ。いくら俺の英語の成績のためとは言えあの集中力は異常でした」


「はっはっは、そんなに集中していたんだね。面白い」


「あの様子から察するに単に俺の興味を引くためだけのアニメ鑑賞じゃないですよね?」


「ああ、そうだよ。一緒に学ぶ仲間作りの目的もある。文明君の集中力がすごかったのは文明君自身も英会話に挑戦しようとしているからだよ。法子さんと治佳ちゃんも観ていたなら彼女達も君が言う通りやるつもりなんだろうね。良かったじゃないか。語学習得はどうしても時間を要するからね。身近に仲間がいるのは良いことだよ」


「良かったって、先生が仕込んだんじゃないですか」


「はっはっはっ、確かに! でも家族が一緒に学んでくれるというのは良い事だよ。私に子供に英語教育の指導をするよう頼んでくる親はよくいるけれども、自分が子供と一緒に学ぼうと考える親はあまりいないんだ」


「へぇ、じゃあ父は自分も学ぶと答えたんですね」


「最初は普段の仕事に加えてできるか不安がっていけどね。一通り私のアドバイスを受けたらすっかりやる気になっていたよ」


「それでこの一週間の父が出来上がった訳ですか。父も英語は苦手なのに先生やりますね。でも俺もやる気にできますかね。正直なところ先生のさっきの語学習得はどうしても時間を要するという言葉を聞いて既に気分がげっそりしてますよ。ただでさえ補習で余分に勉強をしているのに更に先生の英語レッスンで勉強するんですから」


「いや、私は君に英語は教えないよ」


「え? じゃあ俺は何のために毎週ここに通うんですか?」


「ふっふっふっ、聞いてしまったね。知りたいかい?」


「ここでもったいぶらないで下さいよ」


「ごめんごめん、英紀君、私は君に勉学として英語を教えるつもりはない。私がするのは君が英語ができると自分を信じるためのメンタルサポートだけだよ。あ、メンタルサポートって意味分かるかい?」


「それくらい分かりますよ! バカにしないでください。精神的な支えって事ですよね? カタカナ語として日本語に定着している言葉だったら分かります」


「ごめんごめん、とにかくだ。私は君に英語を勉学として教えるつもりは今後も毛頭無い。もちろん聞かれれば答えるけれどね」


「え? でも教えずにどうやって英語の成績を上げるんですか? 父にも成績改善を頼まれているんですよね?」


「英語の成績? ああ確かに文明君にも頼まれたよ。それにしても親子揃ってつまらないことを言うんだね。そんな大学入学までしか使わない基準のために語学を学ぶなんてもったいない。私は君が英語を日本語のように自由自在に操れるようになるためにこのレッスンをするんだよ」


「英語を操る? 日本語の様に? 自由自在に? 俺がですか?」


「そうだよ。だからそのためにも入試みたいに短期的なやらざるを得ない目標よりも、自ら学びたくなる夢に彩られた目標を持って欲しいな」


「夢がある目標ですか。エミリー・ワシントンと話したいとか、かな」


「いいね。でももっと現実味があって自分事に捉えられた方がいいね。ただ現時点で自信が無い英紀君に夢を持てと言ってもそれは酷だろう。だから君が描いた夢を自分事として捉えて目標に落とし込めるかも私の腕の見せ所ってことだ。今無くてもいいからこれから一緒に作っていこう!」


「すごい自信ですね……」相変わらずの余裕の笑みにたじろいでしまう。


「これでも実績は積んできたつもりだからね。それに英語を日本語のように聞いて話して読んで書けるようになれば学校の成績なんてついでに良くなるから受験の目標もクリアできるよ」


「でも先生。そもそも俺の英語の成績が悪いのは英語が分からないからじゃないですか。そんな俺が読み書きどころか会話までこなすなんてどうかしてませんか? 無理だと思うんですよね」


「ん? 読み書きどころか会話まで? その言い方だと英紀君は会話の方が高度な能力だと思っているのかい?」


「え? 違うんですか? だって会話の方が瞬時に返答する必要があるから難しいじゃないですか?」


「確かに会話には読み書き程時間を使えない難しさがあるね。しかしよく考えてみてくれ。君は聞く話す読む書くの四技能を日本語ではどの順番で習得してきたと思うかい?」


「えっ? 読み書きは多分幼稚園の年長くらいにはしていたと思いますけど、聞く話すなんて二歳くらいの頃でしょうから分かりませんよ」


「そうだね。私も自分が何歳から話していたかなんて覚えていないよ。ただ確実に言えるのは読み書きよりは先にやっていたという事だ」


「確かにそうですね」


「となると果たして二歳児の頃にできた聞くと話すは読むと書くよりも高度な技能なんだろうか?」


「そう言われると……。じゃあなんで六歳くらいには出来ていた読み書きどころか二歳くらいには出来ていた会話すら英語ではできないんですか?」


「良い質問だ。答えは簡単だよ。君がどう日本語を身に着けたか振り返ればいいんだ。君は聞くと話すのどちらを先に習得したと思う?」


「うーん、話すからじゃないですか? ほら、赤ちゃんって『まんま』とか『お母さん』って言葉から話すじゃないですか」


「残念! 正解は聞くからだ。ただ良いキーワードが出たね。そのお母さんという単語は赤ちゃんが最初に話す単語の定番だ。なんでだろう?」


「いつも近くにいるからじゃないですか? 母乳をくれるから食事にも関る存在ですし。近くにいて母乳もくれるからおまんまとお母さんから話すんだと思います」


「その通りだよ。いつも泣いて呼んだら駆けつけてくれておっぱいをくれるお母さんがいる。赤ちゃんは言語を発することができないからね。ひたすら自分に語りかけるお母さんの言葉を聞いているんだ。泣いて呼ぶといつも同じ女性が目前に現れる。その度に『お母さんだよー。』と自分に語りかける。それを何度も繰り返すうちに赤ちゃんは気付くんだ。『おかあさん』という発音はお母さんの意味を持った発音なんだって。そして自分も真似して言ってみるんだ。お母さんって」


「なるほど、まず聞きまくって想像しているって事ですか」


「そうだね。より正確には見ながら聞きまくって意味を想像し、意味を確信した時に話しているんだ。この見ながら聞くというのが非常に重要なんだ。目で見ながら言葉を聞くことで格段に理解し易くなるからね。時には未知の言葉ですら聞いたその瞬間に理解できるくらいだ」


「初見で分かるって事ですか? まさかそんなに上手くいくんですか?」


「ああ、できるよ。なんなら実験してみるかい?」


 そういうと先生はペンを取り出してメモパッドになにやら短文を書き出した。そして書き出した文を俺に見せる。メモには「I'm broke」と書かれていた。


「英紀君はこの意味を知っているかい?」


「アイムブローク? で読み方合ってます?」


「合っているよ。イムブロケと読まなかったからひとまず安心しているよ」


「これくらいは知ってますよ! 先生なめすぎです! で、意味は……。正直分かりません。私は壊れたってのは何かアンドロイドみたいで変ですし……。あ! もしかして失恋ですか? なんか歌詞でそんなの聞いたことがある気がします」


「残念ながら違う。でも分からないなりに想像してみたのは良いことだ。きっとbroken heartという表現から失恋を連想したんだろうね」


「あ! そうです! ブロークンハートって聞いたことあります! でも違うのか……」


「まあまあ気にしないでいいよ。なんせこれから一瞬で理解できるんだからね」


「一瞬で? どうやるんです?」


「そのためには君の協力が必要なんだ。二人で演劇形式でやるからね」


「演劇?」


「ああ、今から君に私の友人役になって私を映画とか食事とかに誘って欲しい。そして私はその誘いを無理だと断る。断られた君は私に理由を問いただして欲しい。最後に私は断った理由としてI'm brokeと言う。私が言った時点で君はもう意味を理解しているはずだ」


「分かりました。何かに誘って断られたら理由を聞き返せば良いんですね。でも英語ですか?」


「いや、日本語でも英語でもどっちでも良いよ。大事なのは状況だからね」


「分かりました。じゃあ……。父になり切って先生を誘います」


「文明君か,、分かった。始めていいよ」


 俺は少しネタを考えてから役に入って話し出した。


「教英先生! 明日治佳の写真を撮ることになりまして治佳と撮影用の服を買いに行くのですが先生と和歌ちゃんも一緒に如何ですか?」


「何! それは本当かい? 行く! 行きたい!」


 専門家らしい余裕を感じさせる態度から一変して先生は子煩悩の素を出してしまう。が、我に返って自分で示した台本通りに「でも残念ながら無理だ……」と続けた。


「ホワイ?」


 この一言だけは俺も頑張って英語で返す。すると、先生は残念そうな表情でポケットから財布を取り出して開き、片手でつまんでひらひらと振って見せながら言った。


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「because I'm broke……」


「……! えっ?」


 分かってしまった自分に驚いて間抜けな声を上げてしまった。


「どうだい? 分かったかい?」


「お金が無いという意味ですか?」


「そう! その通り! どうして分かったと思う?」


「そりゃ明らかにお金が無さそうなジェスチャーをしていましたから分かりますよ」


「そうだ。ジェスチャーを通じてI’m brokeという言葉抜きで君は意味を理解していたんだ。この時の言葉はおまけに過ぎない。だって無くても理解できていたんだからね」


「でもジェスチャーに頼っていたら言葉は身につかないんじゃないですか?」


「いや、そんなことはないよ。言語を身に着けた後でも我々は言語以外の要素をコミュニケーションに使っているからね。むしろ積極的に使い続けるべきだよ」


「そうなんですか?」


「ああ、アメリカの心理学者で対面の会話において言語情報が持つ影響力がどれほどか研究した人がいるんだ。英紀君は言語の影響力は会話における何パーセントくらいだと思うかい?」


「うーん。さっきはアイムブロークが分かったし……。20%くらいですかね」


「残念、実は答えは7%だ」


「たったの7パーですか?」


「ああ、そうだ。まだ大半の93%が残っているのだが、英紀君はこれは何だと思うかい?」


「そうですねぇ。身振り手振りとか表情でしょうか」


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「そうだね! その心理学者によると55%をまさに身振り手振りや表情による視覚情報が占めていると言っている。そして残りの38%は声色や抑揚といった聴覚情報だと言っている。例えば同じおめでとうという言葉でも、明るい声で言われれば祝福になるけれども、バカにするような声色で言われれば皮肉になるだろう?」


「確かにそうですね。そうか、音の高低も関係するんですか」


「そうなんだよ。人間は情報の大半を視覚と聴覚で処理するからね。前回私が君の英語黒歴史を笑っても、短気な君が怒らなかった理由がこの93%にあると私は思うよ」


「えっ?」


「私は君の体験を笑ったけれども、一切君をバカにしていなかった。むしろ黒歴史を隠さずに披露してくれた事に喜びを感じていたよ。それが言語外で君に伝わっていたから君は怒らなかったんだ」


「なるほど、バカにされるどころか、好意的に受け取られていたから怒らなかったのか。自分の感情なのに言われるまで気付きませんでした」


「気付かないか。そこも正にポイントだと言えるよ」


「えっ? そうなんですか?」


「そうだよ。何故なら普段人間は93%の部分は無意識に処理して会話をしているからだ。無意識に処理できるからこそ、自我に乏しい幼児や、まだ自我が成長中の児童もコミュニケーションが可能なんだよ」


「なるほど!」


「そこでだ、私は言語学者として93%の異なる分け方を考えている。先ほどの心理学者は93%を視覚と聴覚で分けたが、これは話者がお互いに同一の言語を母国語として扱う場合だと考えている。これに対して母国語が異なる者同士が話す場合は言葉が7%、聴覚要素の抑揚や声色が28%、視覚要素の仕草や表情34%、残り31%は異なる要素を使って会話をしていると考えているんだ。この31%を占める要素は複数あってそれらを複合して我々は活用しているんだ。なんだと思うかい?」


「えっ? 視覚並みに影響を受けているものがまだあるんですか! うーん……。他の感覚かな。触覚、嗅覚、味覚……? いやまさか。マンガでは汗を舐めて『ウソをついている味だぜ!』なんて言っているキャラがいましたけど、そんなん実際にやったら変態ですし……。いや、そもそも会話において触覚と嗅覚と味覚の三感覚を足したところで聴覚を超える情報になるとは思えないですね」


「いいね。仮説を立てながら考えるのは良いことだ。じゃあヒントを出そう。人間の五感は会話において話者達本人の内にあり、話者達が自ら使う物だ。対して、残りの要素は話者達の外にあるもので話者達は無意識に、気付かないままに活用しているんだ」


「外にあって気付かない? なんだ? まさか、空気ですか? 空気が無いと音波が伝わらないみたいな?」


「ああ! 惜しい! 吸って吐く空気の意味で言っていなければ正解だったよ」


「吸って吐かない空気? 雰囲気ですか? あ! 時間もそうか!」


「素晴らしい! 自力で二つの答えにたどり着いたね! では答えだ。君が言った雰囲気、時間以外にも状況や文化も使って我々は会話をしているんだ。私は話者の内的要素と言える五感に対して、これらの要素を外的要素と呼んでいる」


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「文化ですか? 日本文化とか欧米文化っていうあの?」


「ああ、そうだ。意外かい? じゃあ例を挙げてみようか。例えば私たち日本人はよく感謝をするべき場面で謝るよね? 『すみません』って」


「確かに言いますね。ありがとうよりも軽い感じで」


「じゃあこれを英語に直訳してみようか?」


「アイムソーリーかエクスキューズミーでしょうか」


「その通りだ。それでどうだい? アメリカ人に親切にされたら自然に出てきそうかい?」


「いえ、多分ソーリーじゃなくてセンキューって言いますね。って、あれ? なんでだ?」


「はっはっはっ、説明をするまでも無く気付いたみたいだね。その違和感の原因こそが文化だよ。日本人が感謝の場面で『すみません』と謝る理由は、協調性を重んじて他人への迷惑を避けようとする日本人の文化や習慣が言葉に表れているからだ。すみませんの前に『お手数をかけて』という言葉が隠れていると思えば想像し易いんじゃないかい?」


「はい、そう言うと分かりやすいですね」


「だろう? だからもし君が親切に対して『すみません』と感謝を返すアメリカ人に会ったならば、そのアメリカ人はこの日本人の文化や習慣を無意識に理解しているという事になるんだ。いや、少し違うな。そのアメリカ人の心の中に小さな日本人の心も共存している感じかな」


「自分の中に外国人の自分もいるという事ですか? 多重人格みたいに?」


「多重人格か、面白いね。ただ異なる点はホラー映画に出てくるような自分で切り替えが効かない多重人格ではなくて、話す言語を変える時に切り替わる感じだね。実は君の中にももうアメリカ人の英紀君がいるんだよ」


「俺の中に?」


「ああ、だからこそ英語で感謝を伝える時にすみませんの直訳じゃおかしいと気付けたんだ」


「まさか、本当に?」


「本当だよ。外国語の学習というのは、この英紀君の中にいるまだ赤ちゃんのアメリカ人の自分を一から育てる事なんだ」


「俺が……。赤ちゃんを……産むんですか?」


「そ・だ・て・る! 産むなんて一言も言ってないぞ。まあジョークを言うくらいの余裕は出たみたいだね。先週よりもリラックスできているようで何よりだ」


 それ以上俺の冗談は拾わないで先生は説明を続ける。


「では一度まとめよう。これまでの話で言葉がコミュニケーションに占める割合はごくわずかに過ぎないという事は分かったね」


「はい、7%ですね」


「そうだ。そこで考えて欲しい、普段私達は残り93%を足した100%の要素を活用して母国語で会話をしている。にもかかわらずだ、何故か学校では7%だけで勉強する時間が殆どではないかい?」


「そうですね。中二くらいから教科書の絵がどんどん無くなっていって文字が多くなってきた気がします。高校に入ってからもっと字が多くなりましたね。教科の名前も英語コミュニケーションだったから、ネイティブの先生が担当する英会話だと思っていたのに、蓋を開けたら長文読解の授業だったからうんざりしてますよ。英会話ならジェスチャーで切り抜けようと思っていたのに、どこがコミュニケーションやねんって感じですよ」


「確かに一言コミュニケーションと聞くといかにも会話っぽく聞こえるね。うん、君が日々体験している通りだよ。母国語は100%をフル活用して身に着けたというのに、英語に関しては普段7%の部分だけで勉強しているから会話ができないだけなんだ。これはつまり100%をフル活用すれば話せるようになるってことだ。まず基礎的な会話さえできるようになってしまえば後は英語で英語を勉強して使える表現や単語を増やしていけば良いだけだ。私たちが小学校で国語を学んだようにね」


「英語で英語を学ぶ……。全く想像がつきませんよ」


「ごめんごめん。調子に乗って君の身になって話すのを忘れてしまっていたよ。勉強と言うと語弊がある。思い出してくれ。93%は無意識に処理している要素だっただろう?」


「あ、そうでした。無意識という事はもしかして……勉強しないんですか? いやそんなまさか……」


「そう、その通りだ。最初は勉強はしない。触れ続けて慣れるんだ。慣れてから初めて学ぶ」


「慣れる……。先生、すみません。これまでのお話やアイムブロークの実験を通じて本当にすごいなと、もしかしたらできるかもと思っています。でもまだ疑っている自分がいるんですよ。先生や和歌さんみたいに才能がある人だからできるんじゃないかって」


「才能か、和歌が怒っていたよ。『天才だとか特別だとか、自慢してるとか言われるけど私は普通だ!』ってね。結論を言うと関係は殆どない。あっても誤差の範囲だ」


「本当ですか?」


「ああ、何故なら私達がいたオランダでは三、四ヶ国語を話せるのはごく普通なんだ」


「えっ! 三ヶ国語が普通?」


「そうだよ。英紀君はオランダの場所は分かるかい?」


「社会は得意なんで知ってますよ。ドイツとフランスに挟まれてベルギーと隣り合わせにある感じですよね」


「そう、その通り。オランダの公用語は当然オランダ語だ。オランダ語は英語と親戚関係にある近い言語でね、近い言語程容易に学びやすいんだ。だから英語が得意な人がほとんどだ。そして君の言う通りドイツとフランスというヨーロッパの主要国に挟まれていて往来も盛んだ。国土も小さいからドイツ人やフランス人と会うなんてのは日常なんだよ。彼らと日常的に会えば日常的に彼らの言語を聞く機会も当然増える。つまり日常的に無意識の93%で外国語に触れているんだ。和歌に関して言えば、言語学が専門の私が身近にいて、意識的にもっと外国語に触れる環境に和歌を置いた。ようは才能じゃなくて環境なんだよ」


「才能じゃなくて環境か」


「あと、言われる前に潰しておこうと思うが、学力も関係ないよ」


「学力もですか?」


「そうだよ。あまり良い例ではないけど植民地時代の黒人奴隷が代表例だ。彼らは白人に奴隷としてアフリカから強制的に新大陸に連れてこられて働かされていたのは知っているよね」


「はい」


「白人達は奴隷として扱う彼らに対してまともに教育を施すだろうか?」


「いえ、賢くなったら反抗される恐れがあるからしないと思います」


「だろう? だからと言って白人達が奴隷達の為に奴隷達の言語を熱心に学ぶわけでもない。結果として白人達は白人達の言語で奴隷を支配した。それでも奴隷達は白人の命令を理解して働いたんだ。そこでだ、現代の日本人と当時の奴隷達、どちらの方が意欲的に英語を学ぼうとしたと思う?」


「今の日本人です」


「じゃあ、現代の日本人と当時の奴隷達、どちらの方がより高等な知識を持っていたと思う?」


「日本人です」


「じゃあ、日本人と北米で強制労働を強いられていた奴隷のどちらの方が英会話力が高かったと思う?」


「奴隷です」


「な? 学力は関係ないだろう?」


「はい、納得です。先生、じゃあ俺は英語ができるようになるには何をすればいいんですか」


「お、ついに言ったね。その言葉を待っていたよ」


「理屈で納得させられただけでなく、実験で体感までさせられちゃいましたからね。もしかしたらできるかもしれないと思い始めています」


「いい答えだ。薄々感づいているかもしれないが、まず君にやってもらうのは英語版アニメの鑑賞だ」


「やっぱりそうなんですね。でも俺は日本語版から見ないで良いのはどうしてですか?」


「それは改めて観ずとも君は既に内容を知っているからだよ。私が文明君にアニメを勧めた理由は、君が子供の頃に一番好きだったのがあのモンスターRPG原作アニメだったと彼から聞いたからだ。子供の頃の君は録画を飽きずに繰り返して観ていただろう?」


「確かに翌週の回が待てずに2、3回は観たりしていましたね」


「繰り返し観ていればその分各話の内容や展開を覚えているはずだ。実際に文明君が日本語で二周観ているのを横で見ていてどうだったかい? もう熱心に観ていた頃から数年経ったから忘れてしまっていたかい?」


「細かいセリフまでは覚えていませんでしたけど、話の大筋は大体覚えていましたね。虫タイプモンスターが出てきて虫嫌いのヒロインが嫌がるとか、ゲームでは太刀打ちできない岩モンスターを主人公のモンスターが電気技の電獄殺で倒すとか」


「そうだろう? 君はわざわざ文明君の様に2回も改めて観ないでも話を覚えている。主人公がバトルでモンスターを選ぶ時に言う定番のセリフもバトルのBGMが鳴ると同時に連想できるんじゃないかい?」


「分かります。『貴様に決めた!』ですね」


「そうそう。これはつまりさっきのI’m brokeと同じで、既に言葉うんぬんの前に意味を理解しているという事だ。この言葉よりも先に意味を理解しているという点が特に重要なんだ。その言葉が使われている状況を通じて意味が理解できているからこそ体験的に学習できるんだよ。いや学習というよりも印象として刻めるといったほうが適切だろう」


「そう言われてみると『貴様に決めた!』が英語だとどうなっているのか気になりますね」


「だろう? その好奇心が更に意欲を高めるんだよ。語学の学習は楽しくなくちゃ。できるならばセリフを覚えたらアニメのキャラクターの代わりに自分がしゃべる方が自分事として身につくから更にいいくらいだ」


「代わりに自分がしゃべる? まるで声優志望の人みたいですね。それはさすがに恥ずかしいかな。治姉に見つかったら絶対にいじられそうです」


「そうかい? なんだったら治佳ちゃんと一緒にキャラのセリフを真似て練習すれば良いんじゃないかい? そうすれば恥ずかしいのはお互い様だろう?」


「やめてくださいよ。どんな罰ゲームですかそれ?」


「嫌なのかい? あんなに美人のお姉さんと練習できるんだからいいじゃないか」


「はぁ、大学教授と言っても結局は先生も男ですねぇ。治姉は外見はあんなですけど中身は男のプライドを破壊するようにプログラムをされたマシーンです。鉄でできてますよ。中身を知った上でなお溺愛できるのは親父くらいですね。さっきも10年ぶりくらいに治姉に少女趣味の服を着せて写真を撮れるってんで舞い上がってました」


「ん? なんだ? 昔は君もお父さんと同じでお姉ちゃんが大好きだったのに。今も昔も治佳ちゃんが和歌を可愛がるものだから妬いちゃったのかい?」


「違いますよ! この話はもうやめて本題に戻りません?」


 もともとは治姉にべったりだったらしい過去を掘り返されて俺は恥ずかしさを苛立ちでごまかして会話の軌道修正を促した。


「ははっ、ごめんごめん。仲が良い姉弟と言っても十代後半にもなればそう気軽になれないね。で、本題だが今のところは耳に残って意味も理解できた表現だけ口に出して真似てみる程度で十分だよ。今後学習を続けていく上でもっと効果的で効率的な方法もあるけれども、それには後々触れていくよ」


「あれ? となると俺が来週までするべきなのは英語でアニメを観て気になった表現を口に出すだけですか?」


「ああ、そうだよ。ただし条件がある」


「条件?」


「必ず毎朝と毎晩30分づつ観るようにして欲しい」


「朝晩30分づつ、つまり毎日1時間ですか……。できるかな……」


「晩は何か別の事をしながらで良いから、30分以上を目標に聞き流してほしい。それなら大丈夫だろう?」


「えっ? 別の事をして良いんですか? ゲームしながらでも?」


「ああ、いいよ。集中して観ないでも良いけれども視界の片隅で動画も再生されている状態にしてね。音声だけではダメだ」


「てことは、実質集中して観ないといけないのは朝の30分か。これなら朝食を摂りながらで良ければなんとかなりますね。問題ないですか?」


「ああ、意識が動画に向いていれば食事をしながらでも良いよ。とにかく今の君は赤ちゃんの様に見ながら聞く英語の量を増やすことだ。晩の作業はながら作業で良いのだからとにかく動画を再生しっぱなしにするくらいにして欲しい。晩の30分はあくまで最低基準だ。言うなれば朝の30分は質を重視、夜は量を重視だ」


「分かりました。でも俺の部屋には動画再生できるものがPCしかないからな。肝心のPC用のディスプレイでゲームをしていると同時に動画再生が……。小遣いでディスプレイを買い足すか……?」


「その心配はしないで良いよ」


「え?」


「多分もう文明君が手配済みだ。自宅に帰れば待ってましたとばかりに機材のプレゼンが始まるだろう」


「はっはは、既に手をまわしてあるとは抜かりないですね……。分かりました。晩は聞き流しで良いならできると思いますからやりますよ。見ていて下さい。来週には『貴様に決めた!』と『捕獲だぜ!』は覚えてきますよ」


「よし、分かった。ではまた来週を楽しみにしているよ。ところでだ。さっき言っていた文明君が治佳ちゃんの写真撮影をするって話なんだが、詳しく聞かせてくれないかい?」


「えっ? なんでまた?」


 あまりにも急な話題の転換に俺は面食らってしまう。


「いやね、私も和歌の写真をたくさん残しておきたいんだけど年頃になると写真は撮らせてくれてもどうも表情が硬くてね。自然な表情が撮れないんだよ。聞いたところ治佳ちゃんはすごく気が強く育っているらしいじゃないか。そんな治佳ちゃんをどうやって文明君が口説き落としたのか興味があるんだ」


「あぁ、そういう事ですね」


 俺は前のめりになって聞く先生に若干引きながら、父さんが念願の治姉撮影会に漕ぎつけるまでの過程を話すのだった。



【学習手順まとめ】


1・海外版アニメDVDか洋画DVDを用意する。


2・まずは日本語音声かまたは字幕付きで最低二周観て内容を理解する。(既に何度も観た作品ならばこのステップは飛ばして良い)


3・視界に入る状態で毎日1時間以上聞き流す。その内30分は意識を向けられるのが理想。


4・英語を無理に聞き取ろうとしないで良い。


5・耳に残り、なおかつ場面から意味が察せたセリフだけでいいので口に出して真似てみる。


まずはこれを一週間続けよう。できれば仲間も作ろう。


Ver1.2 英紀の赤ちゃんジョークが作者から見ても気持ち悪かったので修正し、ソフトなものにしました。

Ver1.3 英紀の学習の内発的動機付けの伏線を張りました。

Ver1.4 矛盾を発見したので修正

Ver1.5 パロディ削除

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