Chapter9・語学マウントは後悔の種だ

高一 9月 月曜日 5限英語~放課後


 1限から4限の間にある10分休みにおいても和歌に自己紹介しに来る男子達は絶えることはなく、俺が隣にいてきっかけにし易いからか、普段は積極的に女子と話そうとしないオタ系の友人達も頑張って和歌に話しかけていた。


 俺もあとで彼らに感謝されて悪い気はしなかったし、何よりもわざわざ数学用の方眼紙に教室の座席図を書いて、クラスメイトの名前を熱心に書き込む和歌の様子を見て手伝いたいと思っていたのだ。


 4限が終わると昼休みだ。俺は普段昼食の弁当はその時々話したい話題がある男子グループにお邪魔して食べているが、今日に限っては数人が俺の机を中心に集まっていた。


 普段は男子の中心となる冴上も「ルーさん、俺もそっち行っていいか?」と声をかけて来たが、姫野さん達の女子カースト上位グループに捕まってプチハーレムを形成していた。羨ましいもんだな。


 和歌はと言えば男共の会話で分からない言葉があれば質問して書き留めていた。

美少女に「教えて」と頼られて、答えたら「ありがとう」と感謝される。こんな風に興味を持って話を聞いてもらえて、更に感謝もされるなんて、これ以上に思春期男子の自尊心を満たすものは無い。治姉にお手本として見せてやりたい気分だ。


(教英先生、俺が手伝うまでもなくお嬢様は大丈夫みたいですよ)


 彼らの様子を見て俺はそう思った。


 食事中は友人たちとの談話を楽しんでいた俺だったが、学食に行っていた生徒達が帰って来るにつれて徐々に気分が鬱になる。理由は簡単、教室に生徒達が戻るという事は次の授業が近いという事、そして次の授業は英語だからだ。


 5時限目の始業チャイムと同時に英語担当の荒竹先生が教室に入ってくる。カナダ留学の経験があるアラサーの男性教師で、帝東のHPでも活きた英語を教えられる期待の若手教師として紹介されている。しかし、実のところ生徒達の評判はあまり良くない。


なぜなら――


「Would you read the first paragraph of page 87 out loud, please? Ms. Himeno?(姫野さん、87ページの一つ目の段落を読んで頂けますか?)」


 早速始まった! 評判が良くない理由、それはこの生徒間で通称公開処刑と呼ばれている音読タイムと発音指導にある。

 特に発音指導へのこだわりが半端じゃない。


 さすがは英語の成績学年トップの優等生らしく、姫野さんは俺には流暢に聞こえる発音で指定された段落を読み終えたが、それでも案の定お得意の発音指導が始まった。


「姫野さん、どうもありがとうございました。ただ注意点として3行目の~ingのG音は落として良いです。はい、言ってみて」


「はい、分かりました……。…………gettin' it……」


「よろしい。あとTで終わる単語にOnやInなどの母音で始まる前置詞がリエゾンする場合はDに近い音になる。因みにリエゾンとはフランス語に由来して…………」


(あーあ、聞いてもいない知識のお披露目も始めちゃったよ。こりゃ姫野さんイラつくぞ)


 姫野さんの表情を見ると予想通りに何の感情もない顔になっている。きっと口だけ相槌で動かして耳は聞き流しているのだろう。美少女な分まるでマネキンでも見ているようだ。


「はい、分かりました……。…………Whad'are you talkin'about? …………もういいですか? ありがとうございました」


 そういうと姫野さんは先生の返事も待たずに音もなく席に着いた。先生に従って読み直しを終えた時の彼女の無感情な感謝の言葉を聞いて俺は背筋が凍る想いだった。


(ああー、これはだいぶイラついたなぁ。何とか慰めたいけど姫野さんプライド高いからなぁ。舐められてる俺じゃ逆効果だよ。冴上何とかしてくれよ)


 そんな風に心配している内に次に当てられたは行の生徒のダメ出しタイムも終わっていた。そして――


「Who's next……Ms. Mazuru. Would you read the next paragraph out loud, please? (次は……真鶴さん、次の段落を読んで貰えますか?)」


 次はま行の和歌だった。彼女はすっと立ち上がると澄んだ声で指定された段落を読み始めた。


 すると、まるで残暑で蒸した教室に一陣の涼風が吹いたかのように、教室の雰囲気ががらりと変わったのを感じた。教室にいた誰もが風上にいる和歌に自然に目を、いや目と耳を奪われていた。その教室全体の雰囲気を通じて、ペラペラとしか聞こえない俺にも和歌の発音が本物なのであろうとひしひしと感じられる。


 そしてそう感じたのは先生も同様らしい。数秒間ポカーンと呆けた顔を見せたていたが、我に返って話し出す。


「Wow, c'est tres bian! (仏:よくできました!)」


 先生が何か喋ると生徒達が何かギョッとした様子で先生を見る。


(ん? トレビアンって言ったんだから英語で褒めたんじゃないの? 何かおかしなこと言ったか?)


「Merci beaucoup monsieur.(仏:ありがとうございます)」


 和歌がこう返したところで俺も異変に気付く。(あれ? 和歌さん? もしかして今英語で話してないの?)


「Oh, vous parlez aussi français?(仏:え、あなたフランス語も話すの?)」


 何を言っているのか分からないが先生が焦った様子で喋っている。周りの生徒達も和歌と先生を見比べて目をキョロキョロさせている。


「Oui, monsieur. Je parle aussi français. Ah excuse moi? Pourquoi parlez-vous en francais? Ceci est une lecon d'anglais, parlez-vous en anglais, s'il vous plait?(仏:はい、先生。フランス語も話します。あの、すみません。なんでフランス語で話すんですか? これは英語の授業ですから英語で話して頂けますか?)」


 何やら怪訝そうな表情で和歌が謎の言語で先生に返す。俺の中のいたずらっ子が「もしかして呪い殺そうとしてる?」と茶化したい気分にさせるが、始業式の二の舞を踏む訳にはいかないと理性で抑え込みながら見守る。


「Oui...Yes, d'accord...(仏;は、はい、そうしましょう・・・)」


 気の抜けた表情でそう言うと、その後荒岳先生は普段とは違って嚙みまくりの英語で今日の授業をまとめて、チャイムが鳴るとフラフラと教室を去っていった。


 荒竹先生の姿が見えなくなるとクラス中の主に男子から和歌は喝采を浴びた。


「和歌さんすげーよ! あれフランス語だろ?」


「荒竹の奴、和歌ちゃんの発音に突っ込むところが無いからフランス語でマウント取ろうとしたんだぜ」


「なのにフランス語でもクロスカウンター食らってんの! マジウケる。今日の晩飯はうまいわー」


「俺達の踏み躙られてきたプライドを和歌さんが取り戻してくれたよ。ありがとう!」


 受けた感謝に対して和歌は照れ笑いをしながら「ありがとう」「普通です」「私はすごくないわ」等と返していた。


 照れ笑いをする和歌を見て、改めて俺はこの調子ならば帝東での居場所造りに問題はないであろうと安堵したのだった。


 和歌のマルチリンガルお披露目タイムとなった5限に続く6限は数学だ。和歌は数学が苦手ではないようであったが俺には及ばないようだ。


「え? あなた数学はできるのね」と心底以外そうだった和歌に対して、

「おいおい和歌さんよぉ、舐めてくれんなよ。俺は英語だけできねえんだよ。あ、古典もできねえか」と一昔前のヤンキーマンガの様な表情で答えると、この会話を聞いていたクラスメイト達から笑いが起きて二人揃って先生から注意を受けた。


 そんなこんなで1日の授業が終わり、終礼も式部先生が手際良く済ませてくれて晴れて放課後だ。部活、帰宅、そして放課後のお喋りと生徒達は各々の放課後を過ごすために行動する。俺も補習という不本意な放課後を過ごそうと立ち上がろうとすると、「英紀? どこに行くの?」と和歌が声をかけて来た。


「英語の補習だよ」


 強がって笑みを浮かべながら答える。


「そう、どれくらいかかるの?」


「うーん上限が1時間だから、つまり1時間だな。どうして?」


「ほら、まだ朝しようとしていた質問ができていないからしたかったの」


「ああ、そうか。そうだな、でも明日でいいんじゃない?」


「そうね、じゃあまた明日迎えにいくわ」


 納得したらしく、和歌はそう言って1人帰ろうとした。数人の男子が一緒に帰ろうと誘っていたが、あいにく俺たちは徒歩通学だから彼らが大して話せる時間はない。それでも「校門まで一緒に行こう」という彼らの必死さを余所に俺は俺の戦場に去って行った。


 今日俺の補習を担当するのは偶然にも荒竹先生のようだ。


 彼は転校生がいるとは知っていたが、帰国子女だとは知らなかったそうで、補習時間中は和歌について知っている事を根掘り葉掘り聞いてきた。どうやら和歌の実力に相当興味を持ったらしい。


 結局俺の補習はほとんどせずに解散となってしまって、先生は申し訳なさそうだったが俺には願ったり叶ったりだ。


 補習後、部活に合流するという選択肢もあったが、やりたいことがあった俺は足早に帰宅する。帰宅を急いだ理由は朝に和歌が父さんに渡したと言っていた資料が気になったからだ。幸い母さんは外出中のようで、治姉は部屋から音楽が聞こえるのでいるようだ。いたところでわざわざ俺を出迎える程の弟大好き娘でもないから、思春期童貞男子のときめきの時間でも過ごさない限り存在を気にしないで大丈夫だろう。


 俺は後ろめたさを感じつつも父さんの書斎に入って資料を探した。引き出しはもちろん、思春期を経験した男だからこそ分かる隠し場所も探してみたが、見つかったのは成人指定の文字が燦然と輝くDVDが数本だけ。結局俺のスパイ活動の成果は父親の性癖が俺に似ていると分かった事だけだった。父さんも外人好きだったんだな。


 さて、どうしたものか。父さんが帰ってきたら聞いてみようとも考えたが、まだ出世組の一員らしい父さんは激務でいつも帰宅は午後11時頃だ。いつも母さんが過労を心配しているのに夜中に拘束するのも気が引ける。

 仕方ない、明日の朝にでも聞くとするか。俺は諦めて自室に戻るのだった。

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