Chapter2(Ver1.2)・真鶴和歌は日本語が苦手だ
高一 九月 土曜日 時は遡り、始業式~ロングホームルーム
朝だというのに目玉焼きが焼けそうなくらいにアスファルトを照り付ける日差しの中、登校を終えた俺は教室で久々のクラスメイトとの再会に会話の花を咲かせていた。それも束の間、隣のクラスの男性担任がやってくると、「今日は
委員長に従って体育館に集合すると朝礼の定番である校長の長くて退屈な話の始まりだ。ただうちの学校の場合、校長が妙なこだわりを持っていて、毎度朝礼ごとにAから順に頭文字に冠する話題を話していく。元社会科担当のおじいちゃんだからか、アルファベットの読み方が英語赤点の俺が聞いてもかなり危うい。Dをデーと読んだり、Hに至ってはエイチじゃなくてエッチと読む有様だ。そんな残念英語力の校長が選挙演説のように生徒全体を見回しながら話し出す。
「えー、今日はエッチだからホスピタリティについて話そうと思います」
「ぶっ!」俺は思わず笑いをこらえた。体育館全体が吹き出すのを我慢した生徒で満たされている様子を見る限り、一学期最後の全校朝礼がGで終わっていたのを忘れていた生徒は俺だけではなかったらしい。一部の大笑いした男子生徒がスマホハンターの異名を取る生活指導教師に怒鳴られている。
(いや、真顔で叱れるあんたすごいよ。英語の先生達も微妙な苦笑いしてるじゃん。もしかしてスマホハンターも英語できない側の人?)と、かつて校則で禁止されている登校中の歩きスマホを理由として、スマホを一週間没収された天敵に奇妙な親近感を俺は感じてしまっていた。
(エッチなホスピタリティ……!)
この英語音痴の俺にもひしひしと伝わるパワーワードの強烈な印象によって、校長が考えるホスピタリティとは何かという今日の講話の本質は全く記憶に残らなかった。
朝礼が終わり、普段は自ら開こうともしない英和辞書でホスピタリティの意味を調べようと教室に戻ったその時、教室に起きていたたった一つの変化によって、その貴重な知的好奇心はどこかへと消え失せる。
(あれ? 机が増えている。)
一目で分かった。それもそのはずだ。
俺のクラスは三十七人で、教室の席割は六列六行の一余り、だから窓際にだけ七行目の席がある。一学期は五十音順で廊下側から座席を決めたから、その唯一の七行目には米沢の(よ)で五十音最後の俺が座っている。だから朝礼前に何もなかった隣に席が一つ増えていれば一目瞭然だ。
「あれ? こんなの朝なかったよね。俺にしか見えないホラー的な展開じゃないよね」
俺が思わず周りの席のクラスメイト相手に冗談交じりで確認すると、みんなその変化に気付いて興味を感じていたようだった。自然とみんな増えた謎の席について駄弁りだす。
「え? 短期留学生かな?」
「いや、今年は新型ウイルスで一学期と二学期は短期留学生の受け入れは中止って言ってただろ」
「でも、ほら8月にWHOが終息宣言したってニュースで言ってたし、実際に席もあるから誰か来るんでしょ。イケメンかな。うちのクラスにも金髪で胸毛もすごいワイルドなタイプ欲しくない?」
「金髪は分かるけど胸毛は……。相変わらずあんた好みが濃いわね」
「普段は
「冴上君がいるところで言うな! どうせ男共は乳のでかい女がいいとでも思ってるんでしょ」
謎の増えた席についてクラスメイト同士で思い思いに会話しているといつの間にかチャイムも鳴り終え、ロングホームルームの時間を数分過ぎていた。
そこに、「みんなごめーん!」やっと急いだ様子で我らが担任の古文担当教師、
「はーい、じゃあ委員長礼して」
「起立! 気を付け! 礼! 着席!」
うちのクラスの委員長が手慣れた様子で礼を取り仕切る。
「みんな遅れてごめんなさい。みんなその席を見て気付いたと思うけど今日は転校生の受け入れで遅れたの。時間もないし紹介するわね! 真鶴さん!」
教壇から手招く先生に導かれて転校生が入って来た。夏服ブラウスにリボンタイとタータンチェックのプリーツスカートを組み合わせた帝東の女子制服に身を包んだ転校生が教室に入ると、途端にクラスの特に男子が騒ぎ始める。
「おおー」「マジ!」「かわいいじゃん」
確かに転校生は美少女だった。
長く流れるような艶のあるストレートの黒髪に、夏休み明けだというのに白い肌、そして明らかに日本人の顔ではあるが目鼻立ちはくっきりとしている。瞳は大きめだが童顔には見えないのはこの整った鼻筋によるものだろう。
まごうことなき美少女だ。しかし家族にとても気が強い姉がいる俺は、なにか直感的に彼女に姉に近しいものを感じていた。なにか意志力というか力強いなにかを感じた気がしたんだ。癒し系とかゆるふわ系には到底感じられなかったので、俺はかわいいとは思わなかった。
「静かにしてー! 真鶴さんが喋れないでしょう!」
先生が小さな体を大きく動かして男子達の雑談を制止する。そして「はい、じゃあ自由に自己紹介していいわよ」と先生は転校生ににっこり微笑んで自己紹介を促した。
緊張した面持ちをしていた転校生は先生の言葉に一瞬安堵の表情を見せ、その後一呼吸を挟んで話し出した。
「Goede morgen iedereen! Ik heet Waka Madzuru Aangenaam. Ik kom uit Leiden Nederland. Ik sprek……」
「!?」
彼女が話し始めた瞬間、教室の時間が一瞬止まったような気がした。先生も雰囲気を感じ取ったのだろう、慌てた様子で自己紹介を止める。
「ちょっ、ちょっと待って真鶴さん! あー、Wait! Please wait! えっとー、Would you introduce yourself in Japanese? One of the class doesn't understand even English.」
そして、先生が転校生に英語で話しかけるとクラスの連中がクスクスと笑い出す。さすがに俺だってジャパニーズくらいは分かるから、先生が「日本語でOK!」と言ったんだろうなということくらいは想像がつく。
何名か俺の方をチラチラ振り返りながら笑っているが、何がおかしいのだろう。変な言葉で話しておかしいのは転校生だろうに。ていうか先生は古文担当なのに英語話せたんだな。うちの学校国際なんてつくから本当にすごかったのか。
転校生に視線を戻すと彼女は先生に何やら言い返していた。
「but you told me I can introduce myself freely!(でも自由に自己紹介して良いって言ったじゃないですか!)」
「あ、あー。I'm sorry. I didn't mean that you can speak any languages you want. Would you introduce yourself in Japanese again?(ごめんなさいね。好きな言語で話して良いって意味じゃなかったの。日本語でもう一度自己紹介してくれるかしら?」
何やら先生から説得されると、転校生は羞恥からか顔を赤くしながら、「あ、う……」と声にならない声を上げていた。
(クラス中から笑われる悔しさは俺もよく分かる! がんばれ!)
そして羞恥と動揺が入り混じったような表情から一転して、瞳に再び気の強そうな光を灯して話し出した。
「みんな、おはようございます。私は
独特な訛りの日本語で真鶴さんが自己紹介を終えるとクラスから桜で例えるならば六分咲きといった程度の拍手が起きる。
「真鶴さんありがとう。みんな真鶴さんはずっとお父様のお仕事の都合で海外で生活していて最近日本に帰って来たの。まだ慣れない事もあるから優しくしてあげてね! 席はね……、米沢君手を挙げて! ほら、あの手を挙げた彼の隣よ!」
先生に促されて手を挙げた俺の方に脱力した歩みで真鶴さんがやって来た。最後方の席は俺と真鶴さんの二席しか無いから自然と視線が俺に向いた。
(疲れた表情してるな。)その表情から俺はそう思った。
先生が手際よく来週からの予定について確認していく傍ら、同じ言語を通じたトラウマを抱える者として励まそうかなと思った俺は、席に着いた真鶴さんに重苦しくならないように、あえてちょっと茶化した感じで話しかける。
「ねえねえ、真鶴さん、あれ最初なんて言ってたの? もしかして自分の意思に反して右手が話しちゃったみたいな中二系のオリジナル言語? エルフ語?」
まさか話しかけられるとは思っていなかったのか怪訝そうな顔で俺を見た。
「何? ちゅうに? 私分からない……」
真鶴さんは連絡事項を話す先生を気にしながら小さく答えた。
「ほらさっきの自己紹介だよ。うがいしてるみたいな音出してたじゃん。あの発音自分で考えたの? そこまで考えんのすげぇよ。俺も中学の頃にラノベの影響で自作のルーン文字を作ったことがあるけど流石に発音までは考えなかったよ」※1
「らのべ? るーんもじ? ごめんなさい……。私、分からない……」
「え? あぁごめん、流石に中二病でもそこまでやんないよね。そこまでの邪気眼がいたらマジでドン引きだよな。ごめんごめん。で、あれ何語だった――」
「Ruhe! Ich verstehe gar nicht was Du sagst! Sprich mir langsamer!(独・黙って! 何を言っているか分かんないのよ! もっとゆっくり話して!)」ついに真鶴さんが耐え切れずに大声を上げた。
「米沢君なにやってんの! 女の子からかうんじゃないの! あとHRは終わってないんだから先生の話を聞きなさい!」
こちらに気付いた先生がすかさず俺を注意する。
「うわー、女子いじめとかルーさんエグいわー」
「でもルーさん日本語じゃないと分かんないよー」
(こんな時にそのあだ名で呼ぶなよ! 黒歴史記録を更新している時に黒歴史由来のあだ名で呼ばれたくねぇよ!)
クラスメイトがクスクスと俺を笑う中、なんとかツッコミを吐き出さずに飲み込むと、俺の心は後悔と羞恥心がない交ぜになった感情に塗り替えられる。真鶴さんの様子を伺ったが、HRが終わるまでついに真鶴さんは俺の方を向くことは無かった……。
***
今日は始業式だけなのでHRが終わるともう解散だ。俺を含めたごく一部を除いては……。
帝東では教師は教科指導と学級運営に徹するべしとの方針を掲げていて、ごく一部の熱望する教師を除いて部活指導を行っていない。その為教科指導に熱心な教師が多くて進学率も良い。しかし、それは赤点保持者の俺にとっては熱心な教師による補習が待っているということでもある。
俺はさっきHR中に真鶴さんを茶化し過ぎたと感じていたので一言彼女に謝りたいと思っていた。しかし、彼女はすぐ俺の隣にいるのにも関わらず行く手を阻む者達が現れる。
「ルーさん……補習室一緒に行こう……」
「俺も今年は英語やっちゃったからさ……」
そう言っていつの間にか俺の近くに寄って来ていたのは一学期の期末で赤点をやらかした同志達だった。俺が彼らに気を取られている内に、真鶴さんは自己紹介を聞いて興味を持ったクラスメイト達に早くも囲まれて質問攻めに合ってしまっていた。
「ごめんなさい……。私分からない……」
俺にそう言った時の彼女の瞳には自己紹介前の意志力を感じる力強さは無かった。確かにそうを感じたにも関わらず俺は軽口を続けてしまった。
(なんであんないじる様な話し方をしちまったんだろう……)
その後悔と罪悪感は晴らせぬまま俺は補習の同士達を引き連れて自習室に去っていった。
※1 うがいしている様な音
オランダ語のG音です。フランス語のR音に近い響きの音で、舌を下前歯の裏面に押し付けた状態でハヒフヘホと発生すると日本人には真似やすいです。
Ver1.1 赤点自分語りを会話に修正
Ver1.2 パロディ削除
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