第199話 サクラの1年間
四人は慌てて日本へ戻り、ベビー用品店へ走って必要な物を買い揃えた。
「向こうってさ、粉ミルクとか無いよね? 全員母乳? 出ない人どうするんだろ?」
「出る人に貰うとか?」
「そうそう。昔は子供多かったからね。近所の出る人にもらい乳してたよ。どうしても無い時は重湯」
「粉ミルクと哺乳瓶、あと紙オムツと……」
「あっちにあんまり文明くさい物を持ち込むのは良くない気が……」
「ブラジャー持ち込んどいて今更な気もするんだけど」
(IHクッキングヒーターや冷蔵庫も持ち込んでます)
「確かに。でも、紙オムツは異質過ぎるかも。使い捨て文化は無いでしょう?」
「それもそうか…… じゃあ、オムツに出来る布を沢山と、ベビー服とベビーベッドが良いかな?」
「それが良いね。ベビー服は自然素材の当たり障りのないデザインの物、ベッドは木製のシンプルなデザインの物を。普通の農家さんが高価そうな物を沢山持っていると知られたら、あまり良くないかも知れないから」
「そ、そうですね」
「それはそうと、桜ちゃん、ご両親にはちゃんと言ってあるの?」
「え? 子供が出来ましたって? 桜ちゃんまだ未成年なんだけどヤバくない?」
「何かその言い方だと私が妊娠したみたいじゃないですか」
「でも、いつまでも隠して置けないでしょ。取り敢えず今回は、出張で十日位家を空けますって言っておく?」
「そ、そうですね……」
というわけで、実家のご両親には子供が出来た事は伏せて、出張でちょっと家を空けるという事で口裏を合わせる事にした。それにしても、男に成った桜ちゃんは、案の定暴走してた様だ。
前にデクスターが初めて異世界側へ行って男に成った時、性欲が暴走しそうだという話をしていて、その時に桜ちゃんがサラッと肯定していた事に違和感を感じたのを思い出した。つまり、そういうお相手が居たという訳だ。
「それで、馴れ初めはどんな感じだったの?」
「馴れ初めっていうかー…… 同じ家に年の近い男女が一緒に住んで居れば自然とそうなっちゃうっていうかー……」
なかなか言い難そうだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
御崎桜は、異世界へ転移してしまった当初、自分の身体が男に成ってしまっている事に対して混乱していた。幸いな事に嫌悪感から精神に異常を
しかし、仕事を斡旋され、生活基盤が整い、気持ちに少し余裕が出来て来るにつれ、忙しさにかまけて敢えて考えない様にしていた色々な事を、少しずつ受け入れざるを得なくなって来る。
受け入れがたい状況でも、それが現実ならば受け入れなければ生きて行けないし、向こうの世界では女子高生だろうがこちらの世界では男性なのだ。体の生理現象や本能だけはどうにも抗いがたい。自分の体は一番身近な現実であり、気持ちで否定してみた所で何も変わらないのだから。
一か月も経った頃には、御崎桜は男として生きていく決心を固めていた。こちらの世界で生きて行くには四の五の言っていられる状況では無かった。何かが出来ないとか辛いとか、我儘を言ったところで誰も助けてはくれないのだ。全部自分で決めて、全部自分でやるしかない。与えられた仕事は全力でこなし、『疲れたー、出来ない―、もうやだー』なんて言って周囲をチラ見してみた所で、男の姿の桜を助けてくれる人は誰も居ないのだから。
そうと心を決めて仕事に打ち込み出したら、意外な程出来る自分に驚いた。農作業、特に力仕事は、骨格のせいなのか筋肉量のせいなのか分からないのだが、女の時よりも1.5倍、モノによっては2倍近くパワーが出る(当社比)事が分かって来た。
よくある、女の子走り、女の子投げだった運動音痴の桜が、ごく普通の部活男子高校生並みに走れるし、投げられるのだ。鍛えていないにも関わらずだ。これは流石に性差による素のフィジカルのスペックの違いに『ずるい!』の言葉が出てしまった。両方の性を体験した者だけが言える、正直な感想だった。
性欲に関しては、桜は本当に困っていた様だ。異世界に来てからずっと感じてはいたのだが、それをどう処理して良いのか全く分からない。そもそも、女の性欲とは全く異質な感じなのだ。一言で言うなら衝動的というか攻撃的というか、何かヤバい感じがしていた。まるで日を追う毎に導火線がどんどん短くなってくる感じで、いつ爆発するのか、もし爆発したら自分はどうなってしまうのか、全く分からない。お世話になっている農家さんの娘さんは、大体同じ位の年頃だと思うのだが、彼女を見るたびにその思いが強くなって行く。
彼女は屈託無く話しかけ接してくれるのだが、桜はいつかこの娘に酷い事をしてしまうのではないかと、敢えて距離を取る様にしていた。娘の方は、そんな桜の態度がちょっとだけ不満だった様だ。
桜はこの感じが恐くて、自分で慰める事すら出来ずに過ごしていたのだった。一度してしまったら、タガが外れた様に際限無く暴走して行ってしまう気がしたから。
だから、仕事に打ち込んだ。忙しく働いていれば、気が紛れてその事を考えずに済んだから。
異世界では、明かりはランプなのだが、ランプに使う油はそこそこ高価なので、一般のご家庭や商店等では、日が昇ったら起き出して来て日が沈んだら寝る、という生活が一般的だ。
ビベランの所の高級レストランみたいに夜でも煌々と明かりを灯しているのは、よっぽどのお金持ちの
しかし、油の製造元ではちょっと事情が違う。油の製造法は、油を取る専用の植物を育て、その実を搾る。つまり農家が製造元なのだ。
その植物は、ここの農家さんでも作っていた。おかげで油は、文字通り売る程有ったので、桜は夜暗く成ってからも暫く働く事にした。
桜のその働きで、油の消費コストよりも何倍も売上の方が上回ったので、農家さんも喜んで油を提供してくれた程だ。
そんなに働いていたらいつか身体を壊すのではと回りを心配させた程だったのだが、どういう訳かそんなブラック企業並みの過重労働、短時間睡眠でも桜の身体は何ともなかった。寧ろ、余計な事を考えずに済むので、桜はどんどん仕事にのめり込んで行った。そして、周囲の心配は募るばかりだった。特に歳の近い娘さんは、とても心配していた。何故なら、彼女はそんなに真面目に働く桜に、淡い恋心を抱き始めていたのだから。
異世界へ来て季節も一巡しようという頃、ある暑い夏の日にちょっとした出来事が起こった。
その日、桜はいつもの様に日が暮れた後もランプの薄明りの元、いつもの様に収穫物の選別や農具の手入れ等の仕事をしていた。
最初こそちゃんとシャツを着て作業をしていたのだが、段々と汗の浸み込んだシャツが邪魔臭くなってきて、未だ女子高生時代の気持ちも少し残っていた桜は、ちょっと躊躇ったのだが、今は男なんだからいいやと思い切って上半身を裸になると、その解放感に
その当時の桜は、上を脱いで裸で仕事をするなんて、恥ずかしくてとても無理だと思っていたのだ。
しかし、お世話になっている農家さんのお父さんが日中、畑仕事で上半身裸になっている姿をちょくちょく見かけていて、その時桜は『いいなーあれ。涼しそう』と思っていたのだが、自分は恥ずかしくてどうしてもそれをする勇気が出なかった。
しかし今は、桜の仕事場兼寝床として与えられている納屋の中で、居るのは自分一人だけだ。誰にも見られている訳では無い。思い切って脱いでみるかという気になった。
思い切って脱いでみると、その開放感に驚いた。そして、思わず『ずるい!』と叫んでしまった。この言葉を発するのは二度目だ。
その時、背後から『きゃっ』という小さな声が聞こえた。桜が振り返ると、そこにはお世話になっている農家さんの家の娘さんが立っていた。
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