第44話 久堂玲からの要求

 「それで? これが久堂玲くどうあきらからの要求という訳か」

 「はい、彼女からの要求項目リストです」

 「あのな、そういう事を聞いているんじゃ無いんだよ。要求をするのは我々であって、彼女じゃないだろう。なにやってんだ?」

 「なにやってんだも何も、彼女を日本国内に留めて置くにはこれを飲むしかありませんが? 彼女を搾取し、利用しようとお考えでしたら考えを改める事を進言致します。貴重な人材の海外流出を危惧するなら、十分な報酬と権利を保障する他はありません」


 野木の冷たい視線に麻野は息を呑んだ。

 一体どうしたというのだろう、麻野は野木をキャリア志向だが上からの命令には従順な扱い易い部下だと思っていた。

 しかし、ここ数日で野木は急に麻野の命令に意見を言う様に成って来た。

 これはどういう事なのだ?

 もしかして、逆に相手に取り込まれたのか?


 野木は確かに上からの命令には従順な、犬の様な性格の女だった。それは今も変わっていない。

 ただ、彼女が“上”と認める対象が代わっただけなのだ。


 麻野はその可能性を考え、担当を野木から別の女性職員へと変えた。

 しかし、一週間もしない内に同じ報告書を持って来る。

 また他の女性職員へ変えると、今度は三日で同様の報告書を持って来た。


 別の対象である神田優輝かんだゆうきを見張っているエージェントからは、大学内で彼と接触する久堂玲くどうあきらの姿が度々目撃され、報告に上がって来る。

 最初は何かの見間違いだと思ったのだが、その報告は何回も上がって来るのだ。

 しかし、同時に屋敷の方にも居ると言う確認も取れている。

 大学で姿を目撃されてから無線で報告を入れ、本部経由で屋敷に居る事を確認するまでのタイムラグは、数分程度は有る事から完全に同時刻に二つの場所に居たとは言い切れないのだが、僅か数分の時間で約30kmも離れた地点を行き来するのは物理的に不可能だ。


 『超常現象系複合現象案件』Paranormal complex Phenomena(パラノーマル・コンプレックス・フェノメナ)


 麻野の脳裏にこの言葉が再び浮かんで来る。

 いかに超常現象系複合現象PCP案件と言っても、凡人には理解出来ないレベルの天才だとか、SFでしか見た事の無い様な発明をしたとか、兎に角我々の常識では計り知れないレベルだが現実の範疇の何かであって、よもや物理法則を無視して来る様な相手だとは考えもしていなかったのだから。


 我々は、国家という超巨大な権力をバックに活動をしている。

 その前にはどんな相手だろうと恐れおののき、己の無力を思い知り、膝を着いてこうべを垂れる筈だと、主導権は常に自分達の側に有るのだと思っていた。

 それが瓦解して行く。


 しかし、麻野はここで判断を誤る様な無能では無かった。

 そうであれば、彼をこの地位に着けた日本国自体が無能という事に成ってしまう。

 麻野は、素早く頭を切り替え、自分自身で判断をするべく動き出した。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ここは旧華族家の邸宅の一つ。

 現在は表向きは旧財閥系の大企業の所有と成ってはいるが、その実は政府が要人を匿うのに使う、厳重な警備の施された施設だ。

 その敷地全体は高い塀に囲まれ、上部には高圧電流と警報装置、電波妨害装置、訓練されたドーベルマンが数頭、要人を守る為に銃器携帯したSP等が常駐している。

 邸内で働く売店の販売員や女中なども全員SPだ。


 外部から侵入する事も、中から外へ出る事も不可能だと思われる。

 思われる、というのは、実際にここに匿われているあきらが、度々脱出している様だという報告を受けているからだ。

 もしそれが事実なら、警備の在り方を改めなければ成らない。

 と、麻野は屋敷の正門で守衛にIDカードを見せながら考えていた。


 屋敷に入り、あきらの部屋をノックする。

 中から『どうぞ』という声があり、扉を開けると麻野は目を疑った。


 部屋の中には、中央にこたつ、その傍に冷蔵庫、食器棚、電気ポットにコーヒーミルとコーヒー豆、テレビが置かれ、あきらはというとラフなスウェットの上下姿でノートパソコンを叩いている。

 もちろん、冷蔵庫やテレビは部屋の中にも元々備え付けられている。あきらの使っているそのどれもが邸内に在った物では無いのだ。

 テレビは壁面に埋め込み式だし、冷蔵庫はカウンター下のはめ込み式の小型の物なのだが、このこたつの回りに置いてある物は飲み物やつまみの沢山入った大型冷蔵庫だし、テレビは壁の物より少し小さい32インチの据え置きタイプだった。


 「こ、これはいったい……」

 「ん? ああ、これ? 自分の部屋から持って来たのよ。まあ、そこに座って」


 麻野は最早何も言う気に成れず、肩を落としてこたつのあきらの対面に座った。


 「あのなぁ、冷蔵庫の飲み物とかテレビ位は屋敷の物を使ってくれても良いんじゃないのか?」

 「以前に飲み物に薬を入れられた事があって、それ以来気を付けているの」


 麻野は、医学部の学生が彼女に薬物を飲ませ、ホテルへ連れ込もうとした事件のリポートが有った事を思い出した。


 「じゃあ、テレビは?」

 「私がどんな番組に興味を持つのか嗜好を調べて、私を攻略する手掛かりにしようとしてるのではなくて?」

 「ふむ、想像以上に聡明な様だな。確かにあなたの一挙手一投足、町を歩く時の視線の先、ファッション、食べ物、飲み物、嗜好品、そして良く見るテレビ番組や動画サイト、通販の履歴等あらゆる物から、あなたの趣味趣向を読み取る事が出来る。そしてそれを交渉事の際に武器として使うと言うのも本当だ」

 「素直に認めるのね」

 「本音で話そう。我々は貴重な才能を持ったあなたという存在が、日本国民であったという事を幸運に思っている。外国へは絶対に渡したくないし、利用もさせたくない」

 「でしょうね。私があなたの立場だとしてもそうするわ」

 「あなたは自分の価値を十分に理解しておられる。では、交渉に移りたい。我々はあなたからの要求書を受け取った。次は我々が要求をする番だ」




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 交渉は五時間にも及び、お互いの要求と妥協点を探る作業を続けた。

 それによって概ね両者の納得のいく草案が作成された。


 内容については非公開。

 不都合が生じた場合、または追加が生じた場合、適宜話し合いの上修正する事とする。


 しかし、公表可能な取り引き項目としては、次の様な文言が有る。


 久堂玲くどうあきらの作成する永久電池に関しては、国の求めに応じて供給する。

 能力情報の提出と、能力を使った協力を国の要請に応じてする。

 能力の解明に協力する(血液サンプル、DNA情報の提出)。

 全て義務や強制では無く、無理の無い範囲で協力する。


 国からは見返りとして、特定権限の付与。

 独自開発商品の販売許可。

 ゴールドの買い取り。


 当初、特別職公務員としての待遇を提案されたが、政治権力に取り込まれるのを嫌った為、無理の無い範囲での協力という項目を設けさせた。

 これにより、気が向いた時だけ協力しますよ、というていでの協力となる。

 麻野にかなり渋られた項目だ。


 特別権限の付与とは、異世界からの物品やあきらの思い付きで作成した商品で商売する事全般に対しての許可となる。

 例えば、商売をしていてうっかり引っ掛かりそうな法律や古物商とかの免許等に対して全て便宜しますよという項目である。

 事後報告でも罪には問いませんよという特別権限だ。

 もちろん、違法な商売はしませんよという確約の元でだが。


 麻野の提案で24時間SPを付けたいという点は、丁重にお断りをした。

 だってそれは監視って事でしょう? との事。



 「まあ、こんな所か。我々としては、大っぴらに商売はして欲しくは無いのだがな」

 「商売しなければ食っていけないじゃないですか」

 「だから、物品はすべて買い取るから特別職公務員としての待遇を与えようと言ったのだ」

 「それじゃあつまらないのよね。便利な物作っても、世の中豊かに成らないじゃない」

 「でも、それは君にしか作れないのだろう? それじゃ文明を押し上げる事は出来ないじゃないか。」

 「それは、そうなんですけど……」


 他人には決して作れず、製法も不明なのだから、それはあきらの死後はロストテクノロジーと成るしかない。

 既に今から謎のアーティファクト確定なのだ。

 だからあきらは、能力解明に協力する事を吞んだ。

 これは、あきら本人にもどういう仕組みなのか分かっていない為に、科学者としての興味故なのだ。


 「一つ聞いて良いか?」

 「答えられる範囲でなら」

 「30kmも離れたここと大学の二か所で姿を目撃されたトリックは何なのだ?」

 「ああそれ? ちょっと付いて来て」


 あきらは、これを明かして良いのかどうかちょっと悩んだが、先程能力情報の提出という項目を吞んでしまったので信用を得る為に敢えて明かす事にした。

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