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真っ先に乗り込んだ黒緒さんが後ろから詰めて乗る、という事はなく、白枇さんも入ってすぐの席に座ったため、必然的に俺が三列目に座る事になった。まぁ別に場所に拘りはないから座れればどこでもいい。
人を乗せての運転に慣れているのだろう。
渡利さんの運転は発進もブレーキもとても滑らかだ。周りの程好い静けさと相俟って眠気を誘う。
俺はその誘惑に抗う事なく瞼を閉じた。
目が覚めたのは、あと十分ほどで旅館に到着するという頃だった。
眠っているうちに時間も距離も進んで見知らぬ場所にいると、どこかタイムスリップしたような気持ちになる。
辺りの景色はすっかり山の中という感じで、今走っている道も対向車とすれ違えないんじゃないかと思うくらいに幅が狭い。
もしここを運転する事になっていたら、終始緊張したままハンドルを握っていたに違いない。
そんな事を考えながら窓の外を見ていると、所々に小さな立て板や看板が置いてあるのに気付いた。
通り過ぎながら拾った文字から考えるに、旅館のものではなさそうだ。
「渡利さん、あの“大岩はこちら”とか矢印が書いてある立て板は何ですか?」
「あぁ、あれは昔からある大岩なんですが、十年ほど前からですかね……、パワースポットなんて言われるようになって、今ではちょっとした観光地のようになっているんです。この辺りで旅館はうちだけですから、大岩を見に来たというお客さんもよく泊まっていかれますよ」
「へぇー、旅館から近いんですか?」
「遠くはありませんが、近いというには少し離れていますね。車が入れない道なので歩いて向かうしかないんですが、見ての通りの山道ですし、歩いて三十分ほど掛かりますから」
「それって片道ですよね……?」
「片道ですねぇ」
それでは単純計算でも往復するだけで一時間は掛かる。
不慣れな山道の歩きに加えてここに至るまでの移動を考えたら、日帰りでちょっと見てすぐ帰るよりは、旅館に泊まるのを目的にして、ついでに大岩のある場所にも寄ってみるという気持ちでいた方が行きやすいのかもしれない。
「現在の支配人のお祖父様、初代支配人のいた頃には大岩にそんな不思議な力があるなんて聞いた事がなかったと思うんですが、話題になってからはぽつぽつと御利益に与ったとお客さんからメッセージをいただく事もあるんですよ」
「へぇー、例えばどんなのですか?」
「そうですねぇ、わかりやすいものですと宝くじが当たったとか、受験前の願掛けに来たら第一志望校に受かったとか、意中の人を誘って行った帰りに告白をしたら晴れて恋人になれた、なんてのもありましたよ」
「そんなにいろいろ効果があるんですか。すごいですね。せっかくだから俺も行ってみたいな」
「それでしたら宿のロビーに簡単な地図を置いていますから、そちらをご覧ください。絵が趣味の従業員が描いたものなんですが、見やすいとなかなか好評なんです」
* * *
清潔感があって広々とした和室。
読めないけれど、行書体で何か熟語らしきものが書かれた掛け軸のある床の間。
広縁というらしい窓際のスペースには、小さなテーブルとそれを囲むように置かれたソファが二脚。
如何にも“旅館の部屋”という感じがする。
黒緒さんは入って早々、テーブルの上のお菓子をつまんで一口で食べたかと思うと座布団を枕代わりにして寝てしまったし、白枇さんは「夕食まで自由に過ごしてください」とだけ言い残して出掛けてしまったし、何というか自由な人たちである。
一人取り残される形になった俺はというと、風呂の準備をしていた。
自由に、と言われたし、何と言っても温泉旅館に来ているのだ。
入りたいと思った時に入らなければ勿体ない!
創旅館は今年で創業七十年を迎える老舗と聞いたから、古めかしい外観をイメージしていたけれど、内装はもちろん、建物もとても築数十年とは思えないほど綺麗だった。
それもそのはず。十年前、創業六十周年を期に全面的な改装工事をしたらしい。
その際ついでとばかりに増築も行ったらしく、俺たちが案内された部屋というのが、まさに増築された部屋だった。広さも綺麗さも申し分ない。
ただ一つ気になる事があるとするならば。
入ってすぐの和室に続く奥の部屋の壁際に、整頓されて並び置かれた無数の
“これぞ旅館”といった光景の中にあって、そこだけ異様とも言える。
白枇さんも黒緒さんもチラッと見ただけで何も言わないから、危険なものではないとは思うものの、何の説明もないままの状態では正直不気味だ。
「後で俺にもちゃんと説明してくださいよ」
取りあえず今は考えないようにして、タオルとスマホを手に持つと部屋を出た。
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