19

旅館の自分たちの部屋に戻ると、凌河たちはぐっすりと眠っていた。起きるには早い時間だ。

気持ちの昂りはまだ収まりきっていないものの、緊張感漂う出来事から解き放たれた安堵から、じわじわ眠気が侵食してきているのも確かだ。


あまり物音を立てないようにしつつ自分の布団へ横になると、どんな寝方をしているのか、向かいの位置、則光がもぞもぞと動いた後、足が俺の頭のすぐ上まで来た。

本来ならそこには頭があるはずで、間違っても枕に足が乗る事はないはずだけれど、則光は寝ている間に器用に百八十度回転したらしい。


「昨日は隣の蛍斗の布団に潜り込んでたからなぁ。しかも蛍斗を追い出して」


そのままにしてもよかったのだが、則光は寝ながらにして予想の付かない動きをする。

寝返りのついでに頭を蹴られたくはないので、自分の布団を離した後、壁際まで吹っ飛ばされている布団を掛けてやろうとして、手が止まった。


「あ……」


消えている。剥がそうとしても剥がれなかった足の鱗が、綺麗さっぱりなくなっていた。

もしやと思い、すぐに凌河と蛍斗の布団も捲って確かめる。


「全部消えてる!……よかったぁ」


起きたらすぐに「もう大丈夫だ」って言ってやろう。神隠しの原因も解決したって言ったらどんな顔するかな。

凌河と則光は一応信じてはくれそうだけれど、「そうか」で終わる気がする。でも蛍斗だったら良いリアクションをしてくれそうだ。

ほっとして自分の布団に倒れ込んだ瞬間、俺は気絶するように眠りに就いた。




「佑ちゃん起きて、朝だよ」

「んー……」


閉じた瞼越しでも感じる明るい光。……眩しい。

頭がぼんやりする。まだこの布団の温もりに包まれていたい……。


「佑ちゃーん、寝たい気持ちはわかるけど、起きないと置いてっちゃうよ」

「……うぅ」

「蛍斗、それじゃダメだ。起こすならこれくらいしないと。おら佑貴!起きろ!」

「うわぁっ!」


凌河の声がすると思った直後、体が勢いよく転がった。


「何すんだよ!」

「起こしてやったんだろ。目ぇ覚めたか」

「もっと普通に起こしてくれたらいいだろ!」

「文句はすぐに起きなかった自分に言え。そしてさっさと着替えろ。朝飯行くぞ」

「え……?」


時計を見ると七時半。確かに旅館の朝食時間の真っ最中だ。


「朝飯食べ損ねたら、それはそれで文句言うだろ。間に合うように起こしてやった俺たちに感謝してほしいくらいだ」

「そんな事……あるな、うん。ありがとう!マジで感謝する!いやー、やっぱり持つべきものは優しい友達だな!」

「……素直に感謝されるとなんか気持ち悪いな」


つい先日似たようなシチュエーションで、朝食を食べ損ねた上に、滅多に入れないだろうホテルのスイートルームをほとんど満喫する間もなく退室した事を思い出した俺は、凌河の起こし方への不満は吹っ飛んでしまっていた。


旅行先での最後の食事を終えて、荷物を手に旅館を後にする。普通に遊びに来ただけなのに、思い掛けずなんとも濃い数日間となった。

帰りの船に乗るために港へ向かっていると、前方に見慣れた背中を見付けた。


「白枇さん、黒緒さん!」

「あぁ皆さんお揃いで、今お帰りですか?」

「はい。お二人も同じ船ですか?手ぶらですけど、荷物はどうしたんです?」

「いえ、私たちはまだ帰りませんよ」

「え?」

「せっかく来たので島をもう少し見て回ろうかと思いまして。ですので赤幡さんも夏休みと思って、もう数日どうぞゆっくり過ごしてください」

「わかりました!」

「私たちが帰ったらまたたくさん働いてもらうつもりですから、そのつもりでお願いしますね」

「……わかりました」

「あのっ、白枇さんと黒緒さん、それと佑ちゃんも」

「どうした蛍斗、改まって」

「助けていただいてありがとうございました」

「ありがとうございました」


蛍斗に合わせて凌河と則光も頭を下げる。


「わー!別にいいって!こっちの二人はともかく、俺はほとんど何もしてないし」

「確かにな」

「そうですね」

「お二人とも、せめて少しは否定してくださいよ!」

「嘘はいけませんから」

「ごもっともですけども……!」

「俺からも一言いいですか」


その時すっと凌河が会話に割って入ってきた。

さらに何を言われるのかと身構えたけれど、続いた言葉は少々予想外のものだった。


「こいつ、佑貴はこの通り騒がしいしバカだし変なやつだし時々何かやらかしたりもしますけど」

「おい」

「でも俺たちにとってはいないと困るやつでもあるんです。だからこれからも佑貴の事、よろしくお願いします」

「凌河……」

「ふふ、赤幡さんは良いご友人をお持ちですね。お願いされては応えないわけにはいきません。はい、任されました」




俺たちを乗せた船が港から出港する。

さっきまでいた島が少しずつ遠ざかっていく。

旅行の終わりはいつもなんだかちょっと淋しい。


「数日間あっという間だったなぁ。もっといろいろ遊びたかった」


そんな想いが口から零れる。


「そうだね。でもきっと今回の旅行は一生忘れないよ」と蛍斗。

「あれだけの事があって忘れろって方が無理があるだろ」と凌河。

「ある意味今までで一番思い出に残ったな」と則光。全く同意しかない。


「次は全日程遊び倒そうな!」

「もう次の話か?」

「佑貴らしいじゃん」

「あの島にもまた行きたいね」


いつかまた。かつて人魚がいた島は、もうほんの小さな影になっている。

あの時見た人魚は、今頃広い海のどこかを自由に泳いでいるんだろうか。


「あっ」


遠く向こうの水平線。小さく生まれた波の先に、人魚が一瞬見えた気がした。




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