3-2
無口な人間という訳でもあるまいに、それでも藤橋まいかは、私が今か今かと連絡を待っている間も黙ったまま、部室内でスマホを握り何らかの作業をしていた。私との会話を極力拒もうという意思の表れかと思っていたのだが、
「雫ちゃんに来週号のコラム担当代わってって頼まれたの。校閲とレイアウトくらいしかすることなんてないんだけど、そんな手間も惜しみたいのかな、今は」
なんということだ。あの春日雫が最も難なくこなせることからもはや小学生でもできるのではとの呼び声高いコラム担当を、よもや投げるとは! よほど復権の機会に懸けているのだろう。仕事を投げたことはともかくとして、その意気や良し!
「そうかい。それはご苦労。では私はこれで。私は私の責務を果たさねば」
と、横槍投げの選手から逃げることに特化した私は部屋を後にしようと試みるが。
「待って久瀬くん」
声音にさえ仮面を被せることのできる稀代の猫かぶりこと藤橋まいかは、立ち止まることを半ば強制しているにもかかわらず、そうとは感じさせない軽い調子で、私の行く手を阻んだ。
退室するとの意思を行動で見せていた私は、せっかく向き合ったドアに別れを告げ、怖ず怖ずと振り返る。
藤橋は、こちらに向けて腕を伸ばしていた。その手にはスマートフォンが握られており、それは即ち「画面を見ろ」ということなのだろう。急いでいるという言い訳が通用する相手ではなく、私には見ないという選択肢は用意されていないように思えた。
藤橋のスマホを受け取り、次号掲載予定の生徒からのコラムであることを確認すると、当然のことながら最上部にはタイトルがあり、それ一つで以て藤橋の言わんとすることが理解できた。
――一年三組、中野蘭。憧れのアイドル部。
「なんともタイムリーだな」
「偶然だけどね」
これを読めと脅迫紛いの視線を送ってきている藤橋の気持ちを汲もう。
そのコラムには、第二アイドル部『21クラップ』に向けて、中野蘭の沸騰した情熱が文字となってそこに顕現されていた。
私は男であるから、異性のアイドルへの憧れは恋慕も含め十分に理解ができる。が、同性のアイドルへの興味を抱いたことのない私からすると、彼女の女性アイドルへの憧れはどうにも感覚からずれていた。
それは単なる憧れを超えたもののように思えたのだ。
女性アイドルのスキャンダルは致命傷となりかねない、ということはやや世間に疎い私であっても常識であり、それは学校内で活躍するアイドル部とて例外ではあるまい。
中野蘭の迸る烈火の如き想いは、まるで我々が青春に求めている色その物のようでもあった。退屈な学校生活に咲いた花こそアイドル部なのだ。そう感じるのは恐らく中野蘭一人ではない。
我々週刊言責も、灰色の中を生きる生徒ら数名のキャンバスに落とされた一滴の色彩たり得ていることだろう。
しかしアイドル部の彼女らが灯す鮮やかな色彩は、我々とは比較にならないほどであると皆が断言するに違いない。それだけ彼女らの存在は当校に於いて大きく、まさしくアイドルのそれなのである。
故に、藤橋が言いたかったことはこうだろう。
このスキャンダルは、大勢の生徒から色を奪いやしないか。それは本懐を成すと、果たして言えるのだろうか。
「……中野蘭は、どう思うのだろうな」
「さあね。男性のファンほど傷つかないんじゃないかな。そういう対象として見ていないだろうから」
「多少なりと夢は壊れるだろうな」
「憧れは強ければ強いほど崩れたときは大きいからね。彼女の想いは、真っ直ぐすぎて痛々しいくらいだから、怨みは買うかも知れないね」
「そうか。……そうだろうな」
「それで? 久瀬くんは立ち止まるの?」
藤橋が訊ねる。私の答えは一つだ。藤橋を前にして、選択肢は複数ない。いやそうでなくとも、その問いに対して私が用意できるものは一つである。それしか持ち得ていないのだ。それを失っては話しにならない。藤橋はそれを分かっているのだろう。ご期待通りの返答で退屈だろうが、そうするしかないのだから仕方がない。
「誰であっても等しく、我々が灯す色彩の一つなり」
藤橋はいやみったらしく微笑んだ。
「じゃあ、悩む必要はないね」
「ない! 悩みなど、いつ如何なるときであっても久瀬涼人には露ほどもありはしない! 何故このようなことを訊ねたのだと聞き返したいくらいだ!」
「さあ。なんでだろうね」藤橋はスマートフォンを私の手から抜き取りながら、「覚悟を知りたかった、かな。躊躇いかねない何かがあるとき、今の久瀬涼人は、それをどう考えるのか、って」
私は首を捻った。それはもうあからさまに捻った。分からなかったのだ。藤橋はその偽りの仮面に微笑みを浮かべている。相も変わらず掴み所のない表情だった。私の辞書で藤橋の名を引いても、藤橋を一言で言い表す表現はないだろうと思うほど、彼女の仮面は厚く、また変幻自在だった。この微笑みもまた、私の手元にないものである。
「何でもないよ。何でもないの。本当だよ」
「……そうかい」
「そうだよ。久瀬くんはいつも、そういう人だもんね」
そう言うと、藤橋は私に向かって手を振った。
「取材行ってらっしゃい、編集長さん」
「ああ。行くとも」
おかしな奴だ。と言って済むならどれだけ楽か!
週刊言責という名の秘匿には、誰一人として曝くことのできない秘匿が眠っている。
藤橋まいか。彼女の深淵を覗くとき、彼女の深淵は、一体何を覗いているのだろうか。
私は背筋に奔った冷たい何かに身震いしながら、滾る記者魂に従って部室を後にした。
なんとも居心地の悪い旧文芸部部室であった。廊下の空気がいくらじめっとしていようとあそこよりかは随分とマシだと思った訳であるが、それは藤橋まいかに因るものだったのだろうか。なんとも気色の悪いモヤモヤに苛まれながら、私は一人になれる場所と快適なネット環境を求めて、自転車置き場に向かいサドルと臀部をくっつけた。
ここからの私は紛れもなく一人の記者であり、断じて藤橋まいかに怯え強張る一男子生徒に非ず。振り払うべき感情は振り払わねばやっていられない。
目的は一つ。神渕桃子と会っていた男の素性である。一筋縄ではいかないだろう。随時送られてくる雫らからの情報を秘伝のタレのように継ぎ足していきながら、数少ない人脈とインターネットの力を存分に借りながら取材に励む腹積もりである。
何より、私はこの程度で怯むような柔な人間ではない。
「藤橋と比べればどんな強者も赤子同然!」
私は自嘲気味に呟いた。恐らく私は赤子に泣かれれば手も足も出ないので、最弱はきっと私ということで間違いないだろうが、一矢報いるべく「べろべろばあ」はできるはずなので、不戦敗という判断だけは免れたいところである。
しかし味方が一番の強者であるとは、喜ぶべきか、忌むべきか。
私はそんなことを考えながら自転車を漕ぎ、県道沿いをひた走った。目的地は高校生の強い味方、ファストフード店である!
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