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べる

人間を書く

 ―ポートマフィア首領の死から数年後―


 織田作之助はパーティ会場から帰路に着いていた。

 「慣れない場所は疲れる。」

 そう言いながら自宅へと戻ろうとしていた。しかし、ある路地でその足を止めた。パーティを早々に抜け出してきたせいでまだ時間も早い。

 「飲み直すか。」

 そう呟いて、路地を入った処にある酒場に向かう。青い夜の闇の中で赤く点灯する看板が目印の店だ。


 店の扉を開き、地下へと続く階段を降りる。そして、いつものようにカウンター席に着き、

「ギムレット、ビターは抜きで。」

 マスターはその注文を予測していたかのように既に作り始めていた。ここに初めて来たのはポートマフィア首領―太宰―との密会の時だ。マスターが出してくれた酒を飲みながら考える。あの後彼は死んだ。しかし、その後も何故自分はこの店に通っているのか。酒が美味いからか?スツールの座り心地が良いからか?気の利く猫がいるからか?そもそも太宰治とは一体何者だったのだろう。どこかつかめない人間だった。会ったのは一度きりだったが、うれしそうな表情や泣き出しそうな表情が妙に頭にこびりついている。なにより、俺のことを織田作と呼んだのは後にも先にも奴だけだ。こんなことをここ数年ぐるぐると考えている。そして結局この酒場に行き着くのだ。


 ふと思い出して胸ポケットから一冊の小説を取り出す。著者の欄には〈織田作之助〉の文字。製本の記念にと出版社が送ってきたものだ。パラパラとページをめくる。賞もパーティも彼にはどうでも良かった。

【小説を書くことは人間を書くことだ】

自分の中に染みついている言葉。俺は人間を書くことができたのだろうか。太宰という人間を目の前にしたとき、彼をうまく捉えることが出来なかった。どうやら人間を書くこと、小説を書くことはそう簡単ではないらしい。

「俺もまだまだか・・。」

 そう言って、隣で眠っている三毛猫を優しく撫でた。

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