第7話 食卓改善
大蛟(ジャイアントバイト)の肉は脂ののった鶏肉のように非常に美味なもので、稀に王都の貴族の食卓に上ることがある。
犠牲者を覚悟で大蛟と戦うことなど思いもよらなかった村長とゴランは、目を白黒させながら慌てて村に戻って手助けを頼んだ。
これほど巨大な動物性たんぱく質は貧しい村にとってあまりに貴重なのである。
七つに分割された大蛟の胴体を一体あたり四人がかりでどうにかこうにか運んでいく。
手伝おうかとエルロイが尋ねたが、這いつくばるようにして謝絶されてしまった。
領主にして討伐の英雄であるエルロイの手を煩わせるなどとんでもない、ということらしい。
村長は生まれて初めて将来というものに希望を抱いていた。
この領主さまなら、なんの希望も見えない苦行でしかないようなラングドッグ村にも、豊かさや発展が夢見れるのではないだろうか。
あの武力をもってすれば、周辺の魔物を一掃できるのは時間の問題である。
魔物がいなくなればゴランたち力持ちの戦士を農作業に回すことができるだろう。
そうなれば収穫は確実に二割以上増加するはずであった。
だが村長の目論見はまだまだ甘い。
それを思い知るのはそう遠い未来の話ではなかった。
「な、なんだこりゃあ?」
「まさか……本当に大蛟の肉なのか?」
いきなり村長に呼び出された男衆が大蛟の肉を担いで帰ってくると、村の住民がほとんど総出で出迎えていた。
「お父さん! これ、お父さんが倒したの?」
「サ、サーシャもう起きていいのか? 悪いがこれを倒したのは父さんじゃないんだ」
出発のときには寝ていたサーシャも村人のなかに交じって父の帰りを待っていた。
治療中はぐったりしていたので大人しい美少女に見えたが、治ってしまうとかなり活発なお転婆のようであった。
茶金の髪に鳶色の大きな瞳が可愛らしい。成長すればきっと王都でも目を引くような美人になるだろう。
「これは、な。ご領主様が直々に仕留められたのだ」
「ご領主様?」
「お前を治療してくれた命の恩人でもある。お礼を言いなさい」
ゴランに言われてサーシャは得心したようでエルロイの前に跪いた。
「助けていただいてありがとうございます。え、と、ごりょうしゅさま?」
「君が助かってよかったよ。もうお父さんに心配かけないようにね?」
エルロイは片膝をついてサーシャの頭を優しく撫でた。
「は、はいでしゅ……」
正面からエルロイと目と目があってしまって、サーシャは顔を真っ赤にして慌てて父の背中に隠れる。
「女の敵ですね」
「女の敵です」
「ユズリハさん、ガリエラさん目が怖いです!」
少なからず主人であるマルグリットとコーネリアがエルロイに思いを寄せていることを知っている二人の評価は厳しかった。
「みなの衆! ご領主自ら大蛟を討ち取ってくださった! しかもその肉をみなに振舞ってくださるぞ! 祝えや祝え!」
「肉! こんなに肉が食える日が来るなんて……」
「夢じゃないのか……」
これまではゴランたちが狩ってきた魔物をみんなでわけても精々が一切れ二切れでしかなかった。
腹いっぱい食べることなど思いもよらない。そんな貧しい村に降ってわいた祭りの大蛟肉であった。
今まで出番の少なかった丸焼き機が久しぶりに納屋から出され、火をおこすと旨そうな肉の油に匂いが村中に広がった。
「大蛟の肉を食うのも久しぶりだよな……」
「ご主人様の料理、明らかに差別されてましたしね……」
エルロイの普段の食事はまるで庶民のように質素なものだった。
王妃カサンドラの命令を受けた料理人が、ほとんどくずレベルの食事しか回さなかったからである。
ごくたまに参加する夜会や国王と晩餐をともにするときだけが、エルロイが口にできる豪勢な食事であった。
「だがっ! せっかくの大蛟、焼いただけで味わうのはもったいない!」
エルロイは遥々持ってきた荷物のなかからひとつの瓶を取り出した。
「ふっふっふっ! 肉を食うのに香辛料抜きなどありえぬわっ!」
「なんですかそれは?」
ユイ以外の人間はエルロイが取り出した謎の粉に注目する。
「肉料理に必須の塩胡椒! 心置きなくこれが使える日を待っていた!」
この世界、残念なことに香辛料の発達がまだ未成熟で、調味料といえばもっぱらハーブが利用されている。
バジルやタイム、セージに似たハーブはこの世界でも流通しており、味を調えるのに使用されているのだが、どういうわけか胡椒と辛子、ナツメグに類する香辛料がない。
これはおそらく地質上の問題であろう。
地球においても、ヨーロッパでは地質的に胡椒を栽培することができず、はるか遠く離れたインドからの輸入に頼らざるを得なかった。
しかしエルロイには奥の手がある。
そう、分析と干渉である。これにより土壌を最適化することによって胡椒に近い植物の栽培することが可能であった。
あとは胡椒によく似た植物の探索である。
隠れて構築した商人の伝手で、南方のメルメナス諸島に胡椒のような植物があるとすでに二年ほど前にはわかっていた。
ある意味内政チートの材料として探索していた胡椒だが、二年前にはすでにエルロイを取り巻く環境は最悪となっており、下手に胡椒を広めたりすれば手柄を兄に奪われてしまうだけ、という状況であった。
そのためやむを得ずユイと二人でいるときだけ個人的に使うよう、厳重に隠匿し続けてきたのである。
しかしこのウロボロスラントではそんな気を遣う必要はない。
「まあ、これをかけて食べてみなよ」
「こ、これはっ!」
「ピリリという辛さが肉の旨味にあって、と、止まらん!」
「私でもお肉が食べやすいです!」
サーシャのような子供たちも、肉の臭みが緩和されるうえに甘みまで引き立つので大好評である。
「…………姫様は本当に慧眼だったわね」
「もったいない……もっと早く知っていればあんなボンボンの若造と婚約することもなかっただろうに」
マルグリットとコーネリアの家臣であるユズリハとガリエラは、改めてエルロイの規格外ぶりに嘆息するが、身体は正直なもので、肉を食べる速度は全く落ちる気配がなかった。
「これは……同じ量の金を差し出しても商人たちは欲しがるでしょうな」
ヨハンもやはりはぐはぐと肉を食べながら唸る。
この調味料は肉を美味しくするばかりでなく食欲を増進させ、またほかの料理との相性も抜群によい。
金のある商人や貴族なら、いくら出しても購入しようとするだろう。
あの孤立無援の状況で、あらかじめこんな奥の手を用意していたとは、神童エルロイの名は伊達ではなかった。
もちろんエルロイを信じていなかったわけではないが、この不毛の大地であるウロボロスラントに希望を見出すヨハンであった。
「…………とはいえ人口が少なすぎる。残る二つの村も早いとこ助けてやりたいし」
「おおっ! ぜひお願いいたします!」
エルロイの言葉に村長が食いついた。
「実は――――新しい開拓村には私の弟がおりまして。それに、もし交易が可能であれば互いに助け合うことも可能かと」
「確かにその通りだな」
現状ラングドッグの村は完全に孤立している。あるといえば数年に一度訪れる行商人だけ。
これはリスクマネージメントからすれば非常に危険な状態だ。
飢饉や疫病、そしてどうしても抗うことのできない魔物や天災などが村を襲えば、孤立した村は滅びるしかない。
助けを求める、あるいは村を捨てて移住するという判断は外界と接続しているからこそできるのだ。
「助けられるものなら助けるさ。俺の領民だからな」
「ありがとうございます! ありがとうございます! ラングドッグ村は大公殿下に忠誠をお誓いいたします!」
かつて国から捨てられた民にはノルガード王国に対して根深い不信の念があるはずである。
まず実力を見せ、その後に利益を提示する。
偶然にも助けられ、エルロイの目論見はまずまず順調に達成したようであった。
――――だがこれだけでは足りない。圧倒的に足りない。
ヨハンやロビンはこの辺境で生活していくことが可能になったと喜んでいるようだが、俺とユイは知っている。
いつか奴らは、俺がこのウロボロスラントでどう生活しているか確認しようとするだろう。
死んでいればよいが、万が一そこで俺が野垂れ死ぬどころか成功を収めているとなれば、力づくでもそれを奪おうとするはずだ。
ノルガード王国としても、ウロボロスラントが自国の国力を高めてくれるというのなら放置しておくという手はない。
ま、戦略的には大公である俺を同盟者として扱うのがベストな選択なんだけどな。俺が邪魔な連中は今度こそ俺を殺しにくる。
その前に、王国に対抗できるだけの力を蓄えなくてはならない。
裸一貫で他国に渡るという選択肢もあるが、俺もあの馬鹿どもに少しは仕返しをしてやりたいしな。
幼い日、チートの使い時を間違ったが、今度こそ間違わない。長い自重の日々はもう終わりだ。
「転生チートを嘗めるなよ」
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