第6話 ラングドッグ村
ウロボロスラント始まりの村――ラングドッグ村、人口はおよそ五百人程度の小さな村である。
これでも開拓団が到着したときは三千数百名ほどの数がいたらしい。
苦しい環境に耐えきれず、一人、また一人と命を落とし、なんとか今は五百ほどで落ち着いている。
それでも強力な魔物が襲ってきたり、疫病に侵されればいつでも全滅の危険と隣り合わせなことに変わりはない。
なんといっても、このラングドッグの村に援軍や食糧支援が訪れることは決してないのだから。
村でかろうじてエルロイ一行を泊める余裕があるのは村長の自宅だけであった。
それでも狭いが贅沢は言えない。
粗末な夕食をごちそうされ、ヨハンが持参した酒を村長は涙が出るほど喜んで口にした。
「ああ、酒など何十年ぶりのことでしょうか」
「村には行商すら訪れないのか?」
「いえ、これでも数年に一度は行商が訪れることがあります。しかしながら嗜好品を買えるほど村には余裕がありませんで」
塩や薬や種芋などの必需品と交換するのが最優先で、酒を買うなど思いもよらないらしい。
「数年に一度とはいえよく行商が来てくれるな」
「それはこの村の近くで稀に採れる光冠草があるからですな。大変貴重な素材であるそうですが、残念ながらごくわずかしか採取できないので、数年間隔になってしまうのです」
「なるほど」
光冠草といえばアンチエイジングの高級薬に必須の素材だ。それを手に入れるためならば行商がわざわざやってくることも頷ける。
「ここの生活に限界を感じ、およそ半数の千五百ほどの同胞が新たな開拓地を求めて北へ旅立ちました。そして新たな村を開拓したと二年ほど前に使者が来たこともありますが――はたして今も残っているやら」
「王国の資料室には村が三つとあったが?」
「どうやら先の村からさらに奥地へ四百名ほどが進出したようですな。こちらの消息は一度も情報がありませんのでわかりません」
ウロボロスラントの過酷な環境はエルロイの想像以上であった。
だが決して想像外ではない。まだ最悪よりも二歩ほど手前の状態に思えた。
「その村の探索は後回しだな」
「――――そんなわけでまずは魔物を一掃して開拓地を広げるぞ」
「なんですと?」
言っている意味がわからない。村長の顔は雄弁にその内心を告げていた。
「開拓地を広げられない最大の原因は魔物の襲撃だろう?」
「はい、どうしても魔物から村民を守るため護衛が必要となり、そのため働き手を奪われてしまうので広げようにも広げられません」
「将来的にはともかく、しばらくの間村の守りは俺たちが行う。護衛は最小限に減らして耕作にあたらせてくれ」
「よろしいので?」
村長がエルロイに任せてしまって大丈夫なのだろうか、と疑問を抱いていることは一目瞭然だった。
「明日の狩りに同行してくれればすぐにわかるさ」
自信満々のエルロイとは対照的に、村長は最後まで釈然としない様子であった。
翌朝、門の前の勢ぞろいしたエルロイ一行に、ゴランが必死で同行を申し出ていた。
「必ずお役に立ちます! どうかお傍にお加えください!」
「娘さんはいいのかい?」
「体力はまだ完全ではありませんが、もう心配はいらないと薬師が太鼓判を押してくれました」
ゴランが根がまっすぐな男である。
村長とゴランがエルロイを支持すれば、降ってわいたような領主もすぐ村に受け入れられるだろう。
もともと実利で釣る作戦だったが、ゴランの娘を助けられたのは僥倖であったようだ。
「無理はしないでくれ。こちらの戦力は十分だからな」
「は、はあ…………」
とはいえ、エルロイはまだ十二歳の子供にすぎず、ユイやガリエラ、ユズリハは美しい女性である。
ヨハンとロビンがそれほど強そうに見えないこともあって、ゴランと村長も魔物討伐にははなはだ懐疑的なのも無理はなかった。
「大丈夫ですよご主人様」
そんなエルロイの想いを察したようにユイはにこやかに笑った。
とても美しい花が咲いたような笑顔だったが、背後から感じるオーラだけがそれを完全に裏切っていた。
「――――ちょっと自重を止めるだけですもの」
「お手柔らかに」
ユイが自重を止めたら……古竜(エンシェントドラゴン)にだって勝てるのではないだろうか。
背筋に感じる冷気にエルロイは苦笑するしかなかった。
「このあたりは小鬼(ナーグ)が多く、すぐに村の作物を奪いにくるのである程度間引くことが必要なのです」
「奴らは増えるのが早いですし、村で戦える人間は少ないので」
「なるほど」
村を出て三十分も歩かぬうちに荒野の岩の間から数体の小鬼(ナーグ)が姿を現した。
鴨のような濁音の多い叫び声をあげつつ仲間を呼んでいるようだ。
「殿下、早く倒しませんと群れになってからでは厄介ですぞ?」
「いや、まとまってくれたほうが手間が省ける」
「で、ですが……」
焦るゴランと村長をよそに小鬼(ナーグ)はわらわらと集まり始めた。その数はたちまちに二十を超える。
「さて、まとめて凝固(ソルディファイ)」
「???」
エルロイが詠唱すると小鬼(ナーグ)の動きが急に不規則なものとなり、ほんの十数秒ほどで二十体以上いた小鬼はぱったりと倒れて動かなくなった。
「な、なにをしたので?」
「初めてためしたけど、やっぱり小鬼にも血小板ってあるんだなあ」
エルロイが試したのは意図的に魔力によって脳血栓を作り出す魔法である。
当たり前だがそんな魔法はこの世界にはまだ存在しない。
それがエルロイが使えるのは、危うく毒殺され生死を彷徨ったときに発生した重大な危機下における幸運(オールオアナッシング)のおかげである。
ひとつひとつには毒性はないが、体内で混じることで毒性を発揮するというタイプの稀少毒物……食い合わせが悪いの凶悪版というところか、まんまと夕食に出されたそれを口にしてしまったエルロイは吐血して倒れた。まだ八歳のころであった。
ユイはメイドとしての家事能力と戦闘能力は突出して優秀だが、回復魔法は使えないし医師としての能力もなかった。
(もうこれはだめかもわからんね)
激痛からいよいよ意識がゆっくりと薄れつつあるなかエルロイはそう思った。
重大な危機下における幸運(オールオアナッシング)が発動したのはそのときである。
鑑定魔法が進化し、分析と干渉――すなわち、毒の成分を分析し、そこに干渉することができるようになった。
もっとも無から有は作れないが、増殖と分解、結合が可能なので、結びついた毒を分解することでエルロイは九死に一生を得ることができた。
というわけで、この結合を応用し、エルロイは意図的に脳血栓を引き起こす魔法の構築に成功したのである。
魔物のなかには食料や薬、錬金素材となるものも多く、実はエルロイは密かにユイとともに魔物狩りをして素材や現金を蓄えていた。
「せっかちなご主人様、露払いはメイドに任せるものですよ?」
やる気満々でユイが進み出る。彼女なりにやはり王都を離れて解放感を感じているらしかった。
ユイが進み出るのと前後して、今度は丸太ほどもありそうな大蛟(ジャイアントバイト)が現われる。
その巨大な姿を見た瞬間、村長は腰を抜かし、ゴランは死を覚悟した。
「くそっ! まさかこんな村の近くに大蛟(ジャイアントバイト)が出るなん……て?」
ゴランが最後まで叫ぶより早く、ユイは黒い影を走らせたかと思うと大蛟を七つに分断していた。
ユイが一歩も足を動かすこともなく、詠唱すらすることのない、正しく一瞬のできごとである。
「は…………?」
信じられないものを見て驚いたのは村長とゴランだけではない。
ユズリハとガリエラも、なぜかロビンも大きく口を開けて呆気に取られていた。
「影使い(シャドウマスター)…………」
かつて影を自由自在に操る無敵の暗殺者がいたという。
男か女か、それすらわからない謎の暗殺者は影のあるところであればどこにでも出現することができ、一度狙われたら王侯貴族であろうと決して助からなかった。
そのため大陸全ての国家が影使いに賞金を出し、膨大な犠牲を出した果てにようやく大規模殲滅魔法で仕留めることができた、というのがもう百数十年以上前の話である。
それでも今なお、大陸のどこかに影使いは生きているのではないか、そんな噂が生き続けていた。
今でも庶民の間に語り継がれるおとぎ話のような存在といっていい。
まさにその影使いが目の前に現れたのである。
「どうして……ユイさんは殿下の使い魔だと聞いていたのに」
「私はご主人様の使い魔ですよ? それ以上でもそれ以下でもありません」
「その割にはメイドを超えた要求をしているような?」
「メイドはご主人様のお母さんでお姉さんで恋人なのは常識でしょう?」
「絶対に常識じゃないわ!」
ユズリハとガリエラは内心で冷や汗を流す。
彼女たちはある意味主から与えられた任務を舐めていた。
エルロイが有用な人材であることを否定するつもりはないが、所詮は王女の甘やかな慕情がさせたわがままなのではないか、と。
しかしその判断は間違いでった。
エルロイ主従は国家が肩入れするに十分な相手だった。もっとも彼女たちはすぐに、その評価すら生ぬるいことを知ることになる。
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