第4話 もう自重はいらない

 村の木柵は思ったよりしっかりしたもので、特に門は石造りで頑丈に補強してある。

 おそらくは魔物対策として長い時間をかけて構築されたものであろう。

「…………なにやら騒がしいですね」

 近づくにつれて、村の方から怒号や悲鳴があがっているのが聴こえてきた。

「急ごう」

 しかし接近するや村の門から矢が降ってくる。

 よく考えれば武装した騎馬の集団がいきなり門めがけて駆け出して来たら襲撃と勘違いするのも無理はない。

「害意はない! 我々はノルガード王国の者だ!」

「いまさら王国が何しに来やがった!」

 門番らしい大柄な男が、敵意も露わに矢をエルロイに向けたまま叫んだ。

「王命によりこの地を治めるエルロイ・モッシナ・ノルガードだ。それよりこの騒ぎの原因は何か聞きたい」

「王国だかなんだか知らないが、今は取りこみ中なんだ! ゴランの娘がアンデッドに襲われて傷を負わされた。しかしゴランが娘を放しやがらねえ!」

「ゴランっていうのは?」

「この村一番の戦士で次期村長でもある。娘馬鹿なのだけが欠点なんだ。俺だって助けられるものなら助けてやりたいが……」

 アンデッドに傷を負わされた者はアンデッドと化す。

 人が死んでも葬儀も慰霊も行われないと、死者がアンデッドと化すことが多い。

 王都ではまずないことだが、辺境の貧しい村では往々にして野垂れ死にする人間がおり、そうした身寄りのない死者がアンデッドとなる事件はまだまだ王国内で珍しくなかった。

「サーシャに手を出すな! この娘に手を出すなら、同じ村の人間とて容赦しないぞ!」

「落ち着けゴラン! お前は可愛い娘をアンデッドにしたいのか? それを娘が望むとでも?」

 アンデッドになってしまえばもはや生前の理性など残らない。

 ただひたすら生あるものを呪い、殺して新たな仲間を産みだすだけの化け物になりさがる。

 だからアンデッドに傷つけられた人間は、アンデッドになる前に殺すしかない。

 ゴランだってこれまで仲間をそうして殺してきたのだ。

 ――――それでも、自分の娘だけは例外だ。この優しい娘がアンデッドになどなるはずがない。

 理性的ではないと知りつつも、ゴランはその奇跡のような希望にすがることしかできなかった。

 村一番の戦士が、本気で、それこそ命がけで抵抗したら残る村人たちも命がけにならざるをえない。

 それは辺境の余力の少ない村が選択できることではなかった。

 そもそもゴランがいなくなれば、村の防衛に深刻な影響がでることは明らかであったからだ。

「娘のために村が滅んでもいいというのかゴラン!」

「村を見捨てるつもりはねえ。だが、サーシャを見捨てるつもりもねえ!」

「そんな都合のよいことが…………」

 村長とゴランの言い合いを聞いていた俺は、門番の男に声をかけた。

「俺なら浄化できるけど?」

「はあ?」

 慌てて門番の男――バハルスというらしい――は目を剥いてエルロイの肩を掴んだ。正確には掴もうとした。

「何を勝手にご主人様に触れようとしてるのかしら?」

 冷たい鋼の感触にバハルスの歩みが止まる。

「す、すまん! だ、だが浄化できるというのは本当なのか?」

 首筋にユイから短剣を突きつけられているにもかかわらず、バハルスは全く引かなかった。

「サーシャは本当に親孝行ないい娘なんだ。誰だって殺したくなんかない!」

 ゴランの武勇もさることながら、サーシャも村で優しい子として慕われていたらしい。

「本当だよ。これから俺の領民になるんだし、案内してくれるかい?」

「あ、ああ! こっちだ!」

 バハルスに案内されるままにエルロイ一行は村の中心部付近へと走る。

 ちょうどそのとき、ゴランと村長の争いは佳境に達しようとしていた。

「ゴランよ。万が一お前がアンデッド化するようなことがあれば村の被害がどうなるか見当もつかん。悪く思うな?」

「あんたの考えはわかる。でもな、俺にも譲れんものがあるんだよ!」

 村長が目配せをすると、三人の戦士がゴランを半包囲するように進み出た。

 いずれもゴランとは顔なじみの僚友たちであった。

 互いに剣を鞘から抜き、決定的な事態が生じようとしたとき――――

「待て! 待ってくれ! 今アンデッド化を浄化してくる人が来てくれたんだ! みんな早まらんでくれ!」

「なんだとぉ?」

 期せずしてその場にいた全員の視線がエルロイたち一行に注がれた。

「…………おえらいさんのようだが、どう見ても司祭には見えん。本当に浄化なんてできるのか?」

 村長が疑うのも無理はなかった。

 本来アンデッドの浄化というのは、十大神に仕える僧侶の中でも熟練した者か、司祭が行うものである。

 エルロイにしろユイにしろ、魔法の才能はあっても神の使徒としての修行を積んだわけではない。

 身体能力や免疫能力を向上させるのは、魔法士や剣士でもよく使うが、病を治療したり呪いを浄化するのは僧侶の独壇場である。

「いや、それはおかしいだろ」

 エルロイはそれに納得しなかった。

 なぜならアンデッドは一般人が火で燃やすだけでも倒すことが可能だからだ。

 つまり、アンデッドは火で浄化できる。ただ、火で燃やすと身体まで燃えて死んでしまうので、身体は燃やさずにアンデッドの呪いだけ燃やせばいい。

「いや、ご主人様の考えのほうがおかしいと思います」

 主人には絶対服従の使い魔、ユイですら思わず口にしてしまうほど無茶苦茶な考えであった。

 その理屈であれば、病魔だろうと毒だろうとなんでも火属性の魔法で浄化してしまうことが可能になるのだから。

 ――――ところが結果的に、エルロイは熱さのない低温火魔法でアンデッドを燃やす実験を繰り返し、ついにその浄化に成功してしまったのである。

「司祭ではないが、浄化ならできる。ただし本当にアンデッドになってしまったら元に戻すことはできないぞ?」

 エルロイの言葉にゴランは激しく動揺した。

「た、頼む! 早く娘を見てくれ! もう一刻の猶予もないんだ!」

「ゴラン! 貴様それがわかっていて!」

 ゴランの暴露に村長が激高する。

 サーシャのアンデッド化が目前であると知っていながら、ゴランがあえて抵抗していたことに対する怒りであった。

「あとでいくらでも謝る! こっちだ! その……」

「エルロイ・モッシナ・ノルガードだ」

「ついてきてくれエルロイ!」

 大股で駆け出すゴランの後ろで、村長が「ノ、ノルガード? まさか…………」と惑乱していたがそんなことにかまっている余裕はなくゴランは自宅の玄関を足でけり倒した。バリケードよろしく廃材で補強してあったのだ。

「サーシャ!」

 視界に飛びこんできた愛娘の苦しそうな表情にゴランはあっさりと号泣する。

 おそらく十歳ほどの小さな女の子、ゴランとは似ても似つかない可愛い少女は、全身をぶるぶると震えさせ、土気色に変色しつつあった。

 今まさにアンデッド化している最中だということがゴランの目にもわかった。

「――――浄炎」

 エルロイが呟いた瞬間、サーシャの小さな身体が白炎に包まれる。

「て、てめえ! サーシャはまだアンデッドになっちゃいねえぞ! 早く消せ!」

「心配いらない。触れてみろ」

「なんだこれは……熱くねえ……というか冷たい」

 サーシャの身体を抱き上げ、その全身を包む炎に直接触れたゴランは仰天した。

 炎だというのにまるで水のように冷たいのだ。

「もういいぞ。あと五分遅かったら間に合わなかったかもな」

 ほんの十秒ほどだったろうか。

 腕の中の愛娘の呼吸が落ち着き、あの忌まわしい土気色の肌が健康的な肌色に戻っている。

 娘は助かったのだ――そう実感したゴランはエルロイに土下座して頭を下げた。

「このゴラン、娘を助けられた恩は我が命で返す。望みがあればなんなりと言ってくれ」

「俺にとっては大切な領民だ。助けるのは当然のことさ」

「……領民?」

「いきなりで驚くだろうが、ウルボロスラント大公としてこの地を治めることになった。エルロイ・モッシナ・ノルガードだ。よろしく頼む」

「ノ、ノルガード……王家の?」

 ようやくエルロイの正体に思い至ったゴランは慌てて再び土下座したのであった。


 騒ぎが落ち着くと、改めてエルロイたちは村の主だった面々と村長の家に集まっていた。

「改めてサーシャを助けていただいたことに心よりお礼を申し上げる」

「領民を助けるのは領主の義務だ。ましてこの厳しい土地では、な」

「左様、このウロボロスラントは厳しいと言う言葉だけでは到底語りつくせぬ試練の土地。殿下もご覧の通りでございます」

 村は貧しい。それは家の造りや倉庫の少なさを見れば一目瞭然であった。

 しかも魔物に怯え、アンデッドに怯え、生きていくのにやっとで病にでもなればほとんど治療もされずに村人は死ぬのだろう。

 要するに村に税を払うような余力は欠片もありはしないのだ。

「わかっている。だがこの苦しい暮らしはそう長くは続かないだろう」

「それはいったいどういう…………」

「俺が来たというのはそういうことだ」

 王国から離れ、名目的にもほぼ独立国である大公国となったこのウロボロスラントなら、もう自重をする必要はない。

 目立ちすぎて王宮での立場を悪化させて命を狙われる日々に、自重に自重を重ねてきたが、この先はむしろ自重を解放して、逆に自分の力を蓄えていかなければならなかった。

「本当のチートってのを見せてやる」

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