「幸運児」

arm1475

第1話 運の支配者

 パチン!

 指が一回、鳴った。

 サクッ。


「ろ、ツモ! 四暗刻!」

「げっ?! ま、又、和了りやがったぁ!」


 三人の男達の悲鳴という題名の三重奏が、夜の帳に包まれた五反田にある、五階建ての雑居ビルの一室で起こった。

 麻雀卓を三方から囲む、見るからに柄の悪そうな三人の若い男達は、一人の青年の顔を見詰めたまま、慄然としていた。

 注目の主は、不敵な笑みを浮かべて、今、役満を和了った小太りの青年の後ろにあるソファに腰を下ろし、麻雀卓を囲む彼らを、漆黒のガーゴイルのサングラス越しに見ていた。


「やったよ! これで七回連続の役満だ!」


 小太りの青年は歓喜に咽び、涙を流しながら、後ろのサングラスの青年に振り返った。


「す、凄いや! こ、これで、こいつらへの借金は全て帳消しになった上、逆に借金分の金額が僕の手に入ったよ!」

「いやいや。大した事ないさ」


 サングラスの青年は、今、口にした言葉とは裏腹に、自信に満ちた笑顔を横に振った。


「た……大した事ない、だと……?!」


 蒼白する男の一人が、呷く様に呟いた。

サングラスの青年が、徐にソファから腰を上げる。漆黒のサングラスには、立ち上がったサングラスの青年の次の挙動を警戒している、三人の男達の顔が映えていた。


「もう、勝負あったな」

「うっ……!」


 サングラスの青年の嘲笑は、男達をすっかり気圧していた。


「さあ、清算といこうか?」


 サングラスの青年は促して言うと、小太りの青年の頭越しに、卓上の裏返しになっている牌を一つ、左手で抓み上げてひっくり返した。植物の茎の断面の様な丸が三つ、斜めに並んで彫られた、筒子のサンピンだった。サングラスの青年は、抓んだ牌を掌の中に転がして握り締める。そして、ふっ、とほくそ笑んで、床の上に落した。

 床に落ちた牌は、意外に脆く、衝撃で真っ二つに割れた。割れた牌の中から、エアガンで使うBB弾より少し小さい程度の鉄球が三個顔を出すと、蒼白する三人の男達は、一層顔を青白くした。


「……牌に細工しておきながら、此処までボロ負けするなンて、あンた達もツイていないねぇ」

「……お、俺達がツイていなかったんじゃねぇ……!」

「う……噂は本当だったんだ!」


 男達は、サングラスの青年に心底恐怖感を覚えた。まるで彼らだけに、震度七の地震が襲っているか、或いは、零下の凍気が包み込んでいるのか、激しく身震いしていた。


「え……えぇい、判ったよ」


 男達は各々、恐る恐る財布から数枚の万札を取り出し、嬉々とする小太りの青年に手渡した。


「それじゃ、俺達はこれで」


 サングラスの青年は、口元に不敵な笑みを湛え、傍らのハンガーに掛けていた黒い牛革のボマージャケットを手に取って羽織り、小太りの青年を急かしながら退室して行った。

 二人が退室してから、男の一人が溜め息を漏らした。


「何て野郎だ……。しかし、これぐらいで済んで良かった」

「ああ……」


 他の二人も相づちを打った


「あのまま続けられてたら、ケツの毛まで抜かれる処だったぜ……!」


 そう呟いて男達は、額に今だにじる冷や汗を手で拭い、焦燥し切った貌で、それを耳にした者全てに激しい疲労感を与え兼ねないくらい、重い溜め息を吐いた。


* * *


 外はすでに日がとっぷりくれていた。二月という暦ともあって、未だ少し肌寒い空気が夜の帳に包まれた五反田の街に満ちていた。


「有り難う! お陰で奴等への借金が無くなったよ! これでもう、あんな奴等の言いなりにならないで済むよ!」


 雑居ビルの外へ出るなり、小太りの青年は安堵の笑みを浮かべて、サングラスの青年に感謝した。


「これに懲りて、ギャンブルには手を出さン事だな」


 サングラスの青年は、子を躾る親の様な口調で諭すと、小太りの背中を軽く叩いた。

 小太りは申し訳なさそうに頷き、サングラスの青年の顔を見た。

 近くの街路灯の蛍光管が、寿命で切れている暗い歩道に佇む黒い影。

 折しも今夜は、前日の土曜が祭日だった日曜の夜ともあって、二人が出て来た麻雀店舗が入っているビル以外の近辺の建物に、人の居る気配は殆ど無く、道路を挿んだ向い側の歩道を、少し駅寄りに歩いて行った所で、闇の一片を偽りの昼に変えているバス停の灯りの他は、全く沈黙していた。

 そんな暗い街中で、黒一色に統一されたタートルネックセーターとストレッチパンツ、牛革のボマージャケット、そして漆黒のガーゴイルのサングラスで身を包み佇む青年の姿は、何とも言えぬ神秘的な雰囲気を醸し出し、青年を見ている小太りに、暫しの放心の刻を与えた。

 そんなぼうっとしていた小太りは、突然、真横から歩いて来た、身なりの良さそうな一人の老婆にぶつかってしまった。


「おっと」


 小太りにぶつかった老婆は、バランスを崩してよろめき、尻餅を突いた。


「ご、御免なさい、大丈夫――げっ?!」


 慌てた小太りは、老婆が尻餅を突いて倒れ込んでいる場所を見て慄然となる。


「何で道路に転がるの?」


 そして、悪い時には悪い事が重なるものか。


「何でこんな時に車が来てるんだよ?!」


 道路の上にへたり込み、打った腰を摩る老婆の姿を、真っ直ぐ走って来た車のヘッドライトが闇の中から浮かび上がらせた。

 しかし既に、それを見た車の運転手が、慌てて急ブレーキを掛けたとしても、到底老婆の手前で止まり切れない距離であった。


「跳ねられる――!?」

「御祖母様!」


 小太りの絶叫と、少し離れた所に居た、人影が甲高い悲鳴が同時に上がった刹那、老婆に影が掛かった。

 迫り来る車と老婆の間に、サングラスの青年が、老婆を庇う様に飛び出して来たのだ。


「な、何を――を?!」


 サングラスの青年の突然の行動に、小太りは愕然した。

 二人が跳ねられたと思った時、闇に穿つ二つの白い丸の間隔が広がり始め、サングラスの青年と老婆の両脇を通り過ぎて行った。

 余りの事に小太りは、あんぐり開けた口を塞ぐ事が出来なくなった。四輪車と思っていたそれが、実は並んで走っていた二台のバイクであった事に漸く気付いた頃には、サングラスの青年は、老婆を抱き起こして歩道に戻る処だった。


「お婆さん、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」

「はい、腰を一寸打ちましたが、大した痛みはありません。どうも有り難う御座います」


 齢の所為か老婆は、サングラスの青年に抱き起こされながら、人の良さそうなのんびりとした口調で礼を述べた。


「しかし、運か良かったわ。車だったら跳ねられていたところでした。でも貴方、何であんな無茶を……?」

「あぁしなきゃ、お婆さんを助けられなかったもンだから。

「……はぁ?」


 サングラスの青年の論旨が掴めず、老婆は小首を傾げた。


「御祖母様、御無事ですか……良かった!」


 慌てて駆け寄って来た人影は、サングラスの青年に連れ添われて歩道に戻って来たのを見て、ほっと安堵の息をついた。恐らく、老婆の孫娘だろう。

 なかなか澄んだ声の持ち主だが、サングラスの青年には、辺りが暗過ぎたのと、バイクのヘッドライトの所為で少し眩んでいた所為もあったが、何より、こんな暗い街中でサングラスを掛けたままで、彼女の容姿は流石に判るハズがなかった。


「この辺りは、とても暗くて良く見えなかったから、ぶつかってしまい、本当済みません」

「否々、そこの小太りがぼうっと突っ立っていたのが悪いんですよ。 ほれ、謝れ」


 サングラスの男に促され、小太りは素直に謝った。


「本当、すいません。そうだ、この先に進まれるのでしたら、明るい所まで一緒に付き添いますよ」

「御親切にどうも……。実はこの辺りで落した物を捜していたもので……」

「落し物?」

「はい、あたしの財布が……その中に、今夜乗る予定の飛行機の切符を入れていたもので……。真希さん、見つかりました?」


 老婆は小太りの肩越しに、孫娘に声を掛けた。


「否、見つかりませんでした」


 真希と呼ばれた孫娘は、ゆっくり頭を振った。その頃になって、サングラスの青年と小太りは漸く夜目に慣れ、真希の容姿を知る事が出来た。

 清楚且つ可憐な花一輪。

 帳の中から、華が浮かび上がった。

 それを見たサングラスの青年と小太りは、同時に飽気にとられた。


(……何て可憐な女性だ……)


 恐らく二十歳前後、長く綺麗な黒髪が良く映える白色のプリンセスコートを着た、大和撫子と言う表現がぴったりの、とても美しい女性であった。真希を見たサングラスの青年は、辛うじて声に出して感嘆するのを止める。その頬を染める紅色は隠し切れなかった。

 暫く絶句していた為、真希は目を細め、怪訝そうにサングラスの青年を見つめる。険しい顔を作る真希に気付いたサングラスの青年は、緊張したまま、小太りの頭を上から押して強引に御辞儀させ、


「も、申し訳ありませン! こいつの不注意で貴女のお祖母様にご迷惑を掛けてしまいまして……ほれ、もう一遍、謝らんかい!」


 痛てて、と洩らす小太りを無視して強引にお辞儀させているサングラスの青年の滑稽な姿を見て、真希は漸く警戒を解き、クスッ、と笑みを零した。


「……もう、良いですわ。ところで御祖母様、御財布見つかりました?」

「真希さん、御免なさい……どうしても見つからなくって……」

「捜し物するには、此処は少し暗過ぎますからね……そうだ、大将!」


 サングラスの青年に頭を押さえ付けられていた小太りは、がばっと顔を上げるなり、


「オタクの『力』で、このお祖母さんのお財布を見付け出してやったら?」


 小太りに言われて、サングラスの青年は一瞬きょとんとする。


「そうだな。よし、お詫びがてらに、一丁やりますか」


 そう言うと、サングラスの青年は右手を頭上に上げ、指を一回鳴らした。

 真希と老婆は、指を鳴らしたサングラスの青年の行動を何事か、ときょとんとする。

 暫時の静寂の後、サングラスの青年達の直ぐ横の車道に、数台のバンが停車した。

 立て続けに、勢いよく開いたバンの扉の中からは、様々な撮影機材を抱えた男達が躍り出て来た。彼らは、呆然と立ち尽くす真希と老婆を取り囲む様に、撮影機材を設置し始めた。

 そして、小太りの背後に設置されたライトが、爆発したかの様に光を放ち、一瞬にして四人が佇む歩道に偽りの昼を作り上げた。


「すいません~~! これから此ところで撮影をしますので、道を空けて下さぁい!」


 突然の眩い照明に、思わず目を細めた真希と老婆に、アルミプレートの付いたベースボールキャップを被った若者が、御座なりなお辞儀をして詫びた。


「あらあら、どうしましょう――あら?」


 照明に眩んだ老婆は、面を車道の方に背けると、車道と歩道の間にある植え込みの中に光る何かを見付けた。


「あ! あれよ、あれ!」


 思わず嬉々とする老婆は、植え込みの中に照明に映える財布の金具を指していた。


「あ、本当!」


 真希も喜び、慌てて植え込みに駆け寄って財布を拾い上げた。


「まさか、この暗い歩道が、こんなに明るくなるなんて……」

「これが、この男の『力』でして」


 小太りは、サングラスの青年の背中を叩いて、自慢する様に言う。


「指をこう、パチンと一回鳴らすと、ツイてない人の運気が一気に上がるんですよ」

「えっ?」


 それを聞いた真希は驚いた様に瞬き、


「まさか貴方、池田――」


 真希がサングラスの青年に何か尋ねようとするが、歩道で慌ただしく動いていた撮影隊が、サングラスの青年との間にいきなり割って入って来た。


「あ! ちょ、一寸!」


 サングラスの青年は、撮影準備している撮影隊に押し除けられる様に、真希と老婆と小太りから引き離されてしまった。


「この野郎、邪魔すんな――あぁ、真希さん」


 サングラスの青年は、必死に撮影隊を押し除けて真希の傍に行こうとするが、目の前にいた、屈強そうな若者に阻まれる。ぞんざいな口調で邪険に押し止める若者に、サングラスの青年は口を尖らせながら向こう側に行かせてくれと言うが、しかし聞き入れてくれず、押し返されてしまった。

 仕方なく、サングラスの青年は車道を通って行こうとする。

 だが、カメラが車道に向けられていた為に、撮影監督と覚しき壮年の男に怒鳴られ、阻止されてしまった。

 結局、真希達のいる向こう側へは、撮影隊が、TVのゴールデンタイムのドラマで活躍している男優と女優の歩行シーンを数カット撮影して、一時休憩に入った十分後であった。

 サングラスの青年は漸く向い側に辿り着けたが、しかしそこには、小太りしか残っていなかった。


「直接お礼言いたかったそうだけど、お祖母さんの乗る飛行機に間に合わなくなってしまうから、って先、タクシーで行っちゃったよ」

「何てこった……」


 サングラスの青年は、がっくり項垂れる。


「……ちぇっ。折角、凄ぇ美人と知り合える機会だったのに」


 歯噛みするサングラスの青年は、ゆっくりと左手を上げる。

 指が一回鳴った。

 ブシッ!

 何と、指が鳴るのと同時に、後方にいた撮影隊の照明の電球が一斉に消えたのである。

 折しも、撮影が再開され、男優と女優の路上のラブシーンが決まろうとした瞬間の出来事であった。見事なタイミングのNGに、撮影隊は慌て始める。

 先程サングラスの青年を邪険に押し止めた屈強そうな若者は、恐らく撮影隊が使う機材の責任者だったのであろう、撮影監督にえらい剣幕で怒られていた。


「ざまぁみろ」


 サングラスの青年は項垂れたまま、吐き捨てる様に言う。撮影隊の人々は、四方やサングラスの青年が、右指を鳴らすと幸運を、左指を鳴らすと不幸を呼ぶ『力』を持っていたとは、知る由も無かろう。


「そう言や、真希さん、オタクの名前知っていたみたいだけど」

「――え?」


 サングラスの青年は、がばっ、と面を上げて、小太りの顔を見た。


「急いでいたから、詳しくは尋かなかったけど……。オタクを知っているなら、後でお礼言いに来ると思うよ。しかし、凄く綺麗な女性だったね」

「あぁ……。だけど俺、あんな美人と何処かで逢った事あったかな……?」


 サングラスの青年は小首を傾げた。


「まぁ、少し名残惜しい気もするが……。お前さんの言う通りなら、多分、また後で逢えるだろうな」

「……それにしても、人間業とは思えないね、オタクの『力』は」


 小太りは感嘆して言うと、不意に、サングラスの青年が手を差し出した。


「ほれ、仕事料」

「さっき、依頼人に無理やりお辞儀させたのは誰だっけ?」

「あれはあれ、これはこれ」


 サングラスの青年はきっぱりと言う。小太りは苦笑いして、先程三人の男から麻雀で巻き上げた万札の束から四枚抜き、サングラスの青年に差し出した。


「足ンないな」

「何で? 勝ち分の二割、って約束だったろ?」

「あのお祖母さんの分もだ」

「えぇ~~そんなぁ」

「冗談だよ、あれはサービスだ」

 サングラスの青年は、苦笑いする小太りから万札四枚を受け取り、指先を舐めて手にした万札を一枚一枚吟味する様に数えた。

「……四、と。仕事料、確かに頂戴致しました」

「ねぇ」


 万札を数えて嬉々とするサングラスの青年を小太りが呼んだ。


「どうだい、これからオタクの『力』を使って、新宿辺りでパアッと大儲けしに行かないか?」


 するとサングラスの青年は、憮然とした表情で小太りを睨み、


「あンたも懲りない男だねぇ。先、忠告したばかりだろ?莫迦な事考えてないで、大儲けりゃ、汗水流して働く事だな」


 サングラスの青年は呆れ返り、小太りの鼻先を右人指し指で小突いた。


「……でへへ」


 小太りは照れ臭そうに笑った。


「つい、欲が……。でも、僕が欲張りになるのも、オタクのその『力』が悪いんだぜ」

「生憎だが、俺の『力』は神聖な売り物なンでな。邪な輩に売る気は無ぇよ」


 サングラスの青年は、けんもほろろに答えてそっぽを向いた。


「ツキに見放されて追い詰められた者の為に、『幸運児』池田孔一の『溢れる幸運』は存在するのさ」

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