第13話 誘拐
「やはり天目(あまのま)家とその分家以外にこの帝都で鍛冶主はいないか」
魁から言い渡された無理難題――鍛冶主の弱みを掴めという命令に望月は眉間にしわを寄せ顔を顰めていた。
帝都の天目一族のなかで鍛冶主とされる者はたった四人。
天目といえば、ほとんど帝国四鬼の鬼山家と同等の格をもつ家である。
鬼山家の権威にものをいわせて、金で落とすことも脅して強要することもできなかった。
「手荒い真似はしたくないが……」
下手をすれば鬼山家の力をもってしても守りきれないかもしれない。天目家はそれほどの相手である。
しかし天子の前で女郎兼光が偽物とばれてしまえば、それこそ鬼山家の、正確には魁とその一党に未来はない。
それはここまで魁の影として、数々の裏仕事をこなし、底辺からのしあがってきた望月の人生そのものの否定を意味した。
冗談ではない。後ろ暗い陰の仕事にこの手を汚し、魁に媚びへつらってここまできたのは己の野心のためだ。
人もうらやむ財産と権力を得、魁にさえ頭を下げていれば大抵のことは思い通りになる今の状態を失うことなどありえなかった。
「望月様」
「なんだ?」
望月が能力を認めている部下の一人、森山が声をかけてきたことで、ふと安堵のため息を漏らした。
おそらくは何かしらの吉報を携えてきたと思えたからだ。
「望月様は、天戸芳崖という男をご存知ですか?」
「…………聞かぬな。確か鍛冶主四人の中にはいなかったはずの名前だが……」
「はい。ですがそれは、芳崖が引退を決めてすでに数十年が経過しているためなのです。少なくとも引退まで芳崖は鍛冶主のままでありました。そして大戦の爆撃で息子夫婦を失い、今は孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっているそうで」
「――――使えるか?」
「少なくとも現役の鍛冶主四人をどうにかするよりは可能性があるかと」
望月は数十名の部下を動員して調査させていたが、鍛冶師の頂点ともいうべき鍛冶主は、それぞれ数多くの弟子を育てていてほぼ一人になるという時間がなかった。
特に総本家である天目家では、下手をすると政府主要閣僚並みの護衛が常に家族も警護しているので手の出しようがない。
人質を取るにも、これでは下手に騒ぎを大きくし、逆効果になる可能性があったのである。
その点、すでに引退したロートルなら、ほとんど警戒されていないだろう。
「しかもその老人、死んだ息子に代わって孫を跡継ぎにしようと毎日指導しているようです。現役に近い技量は期待してよいのでは?」
「…………その孫はどこにいる?」
「私立桜川女学校に通っております。ほとんど庶民同然で送り迎えもありません」
ニヤリと森山は嗤う。
要するに望月の影の部隊を使えば、誘拐することなど造作もないということだ。
引退して娘と二人で暮らす老人など、なんとでもなる。問題は老人が今も鍛冶主としての技量を持っているか、それだけだと望月は思った。
鬼山家が、望月が育てた裏の部隊はその辺の暴力団など相手にもならないほど無慈悲で
強力である。
まさかそれを邪魔をする力のある人間が、実はすぐそばにいるなど思いもよらなかった。
私立桜川女学校は、今年で創設六十年を迎えるヒノモトでも五本の指に入る古い女学校である。
天戸初音はその二回生で、おかっぱに切りそろえた嫋やかな黒髪と身長百六十センチを超える長身、ぱっちとりとした二重瞼の瞳、すっきりと整った鼻梁がまさに大和撫子の鑑として、同性の後輩たちの人気を集める女生徒だった。
特にスレンダーで凹凸の少ない体型がよい、というのは初音には内緒である。
なかには「お姉さま」慕ってくる親衛隊のような下級生もいるが、初音はいたって無頓着であった。
「お姉さま! よろしければ明和堂のカフェへごいっしょしませんかしら?」
上目遣いに強請る一回生の名は松坂木葉。
初音の幼なじみで、今ではすっかり妹のような存在だ。
くるくると初音の周りをまわる姿は、まさに子犬そのもので、思わず初音も相好を崩してしまう。
「ごめんなさいね。今日はおじい様と約束があるの」
女学校の卒業後、初音は祖父芳崖に弟子入りし亡き父の遺志を継ぐことを決めていた。
それも本当は女学校を退学して、すぐに祖父のもとで修業を開始したかったのだが、せめて高校は卒業しておくようにという祖父の希望で、やむなく通学しているにすぎない。
もちろん同年代の友人たちとの交流は楽しいと思う。
そのあたりは初音も年ごろの若い娘なのであるが、やはり持って生まれた天目一族の血が勝っていたということなのだろう。
「……最近お姉さまが、あまりお付き合いしてくれなくて寂しいです」
拗ねたように木葉は口を尖らせる。
彼女自身も、かなり血は薄いとはいえ実は天目一族の末席に名を連ねる分家なのだが、初音のような血のしがらみは持ち合わせていないらしい。
――――しかしそれが普通なのだ。
初音のように、この年齢で鍛冶師になるために学校をやめようとするほど覚悟を決めるほうがよほどおかしい。
「そのかわり学校では会えてるでしょう? あまりおじさまおばさまを困らせてはだめよ?」
「…………はい」
同じ近所に住みながら、木葉の両親は無事だった。
初音の両親だけではなく、近所界隈では多くの犠牲者が出ていた。
そのことを知っているだけに、木葉もそれ以上初音に甘えることはできなかった。
「お姉さまはおじい様の跡を継がれるのですか?」
鍛冶師に弟子入りするというのは並大抵のことではない。一族の末端としてそのくらいは木葉も知っている。
卒業と同時に初音と木葉が学生時代のように遊ぶことはほぼなくなるであろうし、初音自身、女性らしい遊びのひとつもできなくなるはずであった。
花の乙女がそれでよいのか、という思いが木葉にはある。
竜のおかげといえば語弊があるが、ヴァージニア共和国との戦争も講和が成立し、ヒノモト帝国は順調に復興を遂げつつあった。
美味しいカフェーも店を再開したし、キネマだって気軽に観に行けるようになった。先日も原節子の可愛らしい笑顔に癒されてきた木葉である。
それを全て捨てて、親が鍛冶師だったからといって初音が鍛冶師になる必要があるのだろうか。どうしても木葉にはそう思えてしまうのだった。
「私にとって、鍛冶師になることが死んでしまったお父様にしてあげられる親孝行なの。それに鍛冶師になるって、本当に素晴らしいことなのよ」
なんの迷いもなく、ただあるがままに初音は微笑んだ。
その笑顔をみて、もう木葉の言葉は初音には届かないのだということがわかったのか、木葉は恥ずかしそうに笑う。
「それじゃお姉さま、また明日学校で――――」
そこまで木葉が言いかけた時だった。
バン、と大きな音とももに二台のクライスラーエアフローとフォードから黒服の男たちがバラバラと飛び出してくる。
二人も気づかない間に、いつの間にか周囲から人の姿が消えていた。
「あなたたち、いったい――――」
木葉が咎めようとするのも聞かず、なんのためらいもなく木葉の首筋にナイフを一閃しようとして――
「その太刀筋……小太刀枕返しの変形と見ました。鬼山家縁の者ですね?」
任務を遂行するため無表情を訓練されているはずの男たちが、不覚にも驚愕した。
彼のナイフは木葉との間に割り込んだ、初音が制服の下に仕込んでいた籠手によって阻まれていた。
亡くなった父が初音に遺した護身用具であり、紙のように薄いにもかかわらず盾のように強固な籠手であった。
「ちぃっ! 殺すな! 人質にしろ!」
影の部隊を指揮する森山は、初音が並々ならぬ使い手であることを知って、すぐに作戦を変更する。
目撃者の木葉は確実に殺すつもりであったが、なんとしても初音を生かして捕らえなければならない都合上、人質にするほうが有効だと考えたのだ。
「させません!」
鞄から取り出した鉄扇を、初音は慣れた手つきで両手に広げた。
伊達に鍛冶主であった芳崖の孫ではない。防御力、攻撃力とも神具に準ずる格を持った鉄扇は初音の必殺の隠し武器である。
その辺の軍人なら一ダース相手でも負けない自信が初音にはあった。
しかし相手は帝国四鬼、鬼山家の裏の仕事を委ねられた影の部隊である。その戦闘力は並みの軍人の比ではない。
「――――光翼」
自分では木葉を完全に守り切ることはできない、と判断した初音はためらいなく切札のひとつを切った。
鉄扇に秘められた術式が起動する。
およそ二メートルほどの巨大な翼が木葉を守るように彼女を包み込んだ。これでしばらくの間、男たちは木葉に手を出すことができない。
「我々も甘く見られたものだな」
もし初音に逃げに徹しられたらまずい、と考えていた森山だが、こうして木葉の安全を第一にされるとプライドを傷つけられる思いである。
人質がいなければ勝てるとでも思っているのか? この鬼山家を陰から守護してきた精鋭を相手に。
「嘗めるな、小娘が!」
いかに腕が立とうとも所詮は鍛冶師、本職の戦闘員がどれほどのものか教えてやる。
「風巻き」
森山は矢継ぎ早に針を放つ。もちろんただの針ではない。
影の仕事をするにはそれなりの手管というものがある。森山の投げた針には風の糸が張られており、それが蜘蛛の糸のように対象を絡めとっていく。
針だけを躱しても、針と針の間に張られた気の糸までは避けられない。相手を生け捕りにするための森山が最も得意とする武器であった。
そのからくりを知ってか知らずか、初音は鉄扇でその針を叩き落す。それでも針のように小さな飛翔体を全て叩き落すのは不可能だった。
「これは……念糸?」
あらかじめ気を操作して、武器に付与するのはそれほど珍しいことではない。
しかしその気に、あたかも蜘蛛の糸のような粘着力まで付与するのは非常に高度で難解な手法であった。少なくとも初音に真似のできることではなかった。
「そらそら、いつまで動けるかな?」
「くっ…………!」
下手に動くと、足元に落とした念糸までが絡みつく。かといって常に足元に注意しながら避けられるほど森山の攻撃は甘くない。
かろうじて鉄扇を奪われることだけは阻止しているが、すぐに腕に、肩にと念糸が絡みつき初音は自由を奪われていった。
「――仕方ありません。空蝉!」
基本的に鉄扇は小太刀といっしょで防御用の武器である。そこに付与された術式も防御系のものが多かった。
空蝉は敵対者からのバッドステータスを一度無効にする技である。
これにより森山は風巻きを封じられた。
「甘い、甘いよお嬢ちゃん。俺の針がただ念糸をばらまくためだけに投げられているとでも思ったかい?」
「それは、どういう……」
初音は最後まで話すことができなかった。
(しまった! 針による呪縛結界……念糸はその目くらましだったなんて……)
その思考を最後に、初音の意識はぷつん、と途切れる。
可愛い後輩のために必死で意思力を振り絞っても、老獪な暗部の手管の前には初音は少々腕のよい女子学生に過ぎないのだった。
「…………連れていけ」
「この娘はどうします?」
初音が意識を失ったため、木葉を守る光翼の結界も消えている。ここで殺してしまうべきか、と問う部下に森山は一瞬考えると
「いや、念のため一緒に連れていけ。このじゃじゃ馬を大人しくさせるには必要かもしれん」
少なくとも初音には、芳崖を説得するまで生きていてもらわなくては困る。
万が一とは思うが、木葉を殺してしまうと責任感から自殺してしまうことまで危惧してしまうほど、初音の気概は女学生らしからぬものであった。
「…………それでは手はず通りに」
森山はフォードの中で待機していた望月に丁寧に頭を下げる。
スモーク硝子越しの望月の表情を窺うことはできなかったが、叱責の言葉はなかった。
それどころかどこか安心したような雰囲気すら感じられる。
おそらくは初音の実力が予想以上だったことがその原因であろうと森山は思う。彼女がこれほどの腕の持ち主なら、祖父の芳崖はよほどの人物である可能性が高くなったからだ。
「俺はこれから天戸家に向かう。貴様は余計な気を回さず指示を待て」
「――――畏まりました」
ふう、と太いため息を吐き、望月は運転手に発進を命じると、全身の力を抜き柔らかなシートに身を委ねた。
魁の無理難題にも、まずはこれで筋道がついたと信じたのである。
もっとも、これから芳崖をその気にさせるのは一苦労だが、そのあたりにはこれまで培ってきた手練手管がものをいう。
たかが老人一人落とすことができないような生ぬるい悪意に身を浸してはいない。
望月のようなタイプの強者は、弱者を相手にするときにこそ最大の力を発揮するようにできている。
あるいはそれが、雇われた影の部隊を指揮しする分際と限界なのかもしれなかった。
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