第11話 嵌められた悪役

 通称赤レンガと呼ばれる東京麹町の海軍省。

 その海軍大臣執務室にずかずかと荒々しく足を運ぶ男がいる。

 帝国海軍でそれを許された人間はごくわずかで、その人間であっても平時には手順を守り気を遣うはずである。

 その気遣いができないほどに男は怒り狂っていた。

「至急大臣と面会願いたい。ことは帝国海軍の面子に関わる大事である!」

 事務官に噛みつかんばかりの魁に、大臣室の中から声がかかった。

 相手が相手とはいえ、アポもなしに海軍大臣に会わせるなど本来は許されないと、事務官が戸惑っていると――

「――構わん。通せ」

 海軍大臣石和時綱の声であった。

「はっ!」

 そんなことは当然とばかりに、傲然と魁は大臣室の扉を開ける。

「失礼いたします」

「とても失礼と思っている態度ではないがな」

「なっ!」

 言葉尻を捉えられて魁は怒りの声をあげようとするが、その相手を確認して気味悪そうに眉をしかめる。

 本来この場にいるにはふさわしくない、四鬼家の当主百目鬼将暉の姿がそこにあったからだ。

「第一航空艦隊の司令官がなぜ海軍大臣室に?」

「大臣官房にアポも取らずに押しかけてきた貴官に問われる義理はないな。海軍省法務局長殿?」

「くっ……」

 階級だけであればともかく、家柄でも後れをとっている将暉は、魁にとって天敵に等しい男であった。

(どうしてここに将暉がいる? もしやあの輸送船に指令を出していたのは将暉か? だとしたらこれは好機かもしれん!)

 災い転じて福となすとはこのことか。魁は捕らぬ狸の皮算用で内心ほくそ笑むのだった。

「海防艦波照間が輸送船高萩に攻撃を受けた件はご存知ですな?」

「輸送船を相手に降伏した海軍の面汚しがいたようだな」

 からかうような将暉の口調に魁は苦々しく顔を歪めた。客観的にそういわれても仕方のないことではあったからだ。

「――それは面子であって法規ではありません。今回の問題は輸送船高萩が正当な臨検を拒み、あまつさえ攻撃したという事実です。これは反逆ではありませんか!」

「なにをもって正当であるといえる?」

 尻尾を出したな、と魁は得意げに鼻で笑った。

「いつから我が国の輸送船は、沿岸警戒中の海防艦の臨検を拒める権限が与えられたのです? 竜の移送により各国の介入が危惧される今の状況で?」

「輸送船がなんの命令で動いていたのかちゃんと確認したのか?」

 将暉は魁が自ら進んで墓穴へと突き進んでいくのを愉快に思ったが、かろうじて顔に出すのは抑えた。ここで正気に戻ってもらっては困る。

「もちろん調べましたとも! 我が帝国海軍のいかなる正式な命令も確認できませんでした。まさか国家の財産たる軍を私的に動かす権力者などおりますまいな?」

 たとえ建前であるとしても、公私は分けて考えられるべきだ。少なくとも法の世界では間違いなくそうである。

「私的な命令が正式な命令より優先されるべきこともある」

「なんたること! 百目鬼家当主の言葉と自覚してのことでしょうな!」

 将暉の言葉を魁は嬉々としてなじった。もはや表情を取り繕うこともできなくなっていた。長年の目の上の瘤がついに墓穴を掘ってくれたと信じた。

「もう一度聞くが、波照間の艦長高坂は臨検に際して高萩の命令書を確認したのか?」

「くだらないことを。私的な命令など確認するまでもなく、海軍の法規が優先されると決まっております」

魁は勝利を確信して将暉に詰め寄った。

「お聞かせ願いたいものですな。いったい高萩は何者の命令によって動いていたのか!」

「……思いあがるのもいい加減にしろ。そんなことだから貴様は仮初の――――偽物の当主にすぎんのだ」

 侮蔑も露わに将暉は吐き捨てた。

「この私を侮辱するか!」

 将暉の一喝は魁のもっとも痛い部分を刺し貫いた。誰も自分を鬼山家の正当な後継者と認めないことが、魁にとって何よりも気に障ることであった。

「貴様が墓穴を掘るのは勝手だが――いささか小才子ぶった顔にも見飽きたな。では問うが、いつからたかが海防艦ごときが天子様御用の船を強制臨検する権利が与えられたのだ?」

「――――はっ?」

 全く想定外の人物が出てきて、魁の思考は停止した。

「……先日、竜を倒した英雄をねぎらいたいという天子様たっての要望で高萩は動いていた。菊の御紋入りの命令書もあった。それを一顧だにせず威嚇射撃までした波照間の責任をどうとるのか、聞かせてもらおうか」

「ば、馬鹿な! どうして、いや、そもそも竜を殺したのは……」

 少年が倒したというのは、都市伝説や与太話の類ではなかったのか?

「天子様の命令より海軍の法規が優先するか。よくも言った。貴様こそ国家反逆罪に問われるべきであろう」

「け、決してそのようなことは! ま、まさか天子様の御意のものとは夢にも思わず……」

 謝罪する以外に反論する術がなかった。

 天子はヒノモト帝国の国家元首にして、立憲君主としての立場こそとるものの、実質的に逆らえる人間は誰もいない真のアンタッチャブルである。

 錦の御旗に逆らうということは、ヒノモトの人間にとって、お前は人間ではないと言われたに等しい。

 国家への忠誠心など碌にない魁であっても、内心はどうあれ直接批判の声を上げることは決してできないことは承知していた。よほどの大義名分がないかぎり、余計な批判はわが身の滅亡を意味した。それは帝国四鬼でも、いや、護国をつかさどる帝国四鬼だからこそ致命傷となりえたのである。

(よりにもよって天子御用とは……考えろ! 俺の責任を押しつけるには……)

 将暉は魁に反論する隙も時間も与えなかった。

「高坂大尉は高萩が天子様御用の船だったと知って、大人しく尋問に応じているぞ。この件に関しては天子様もご不快の念を表明されておられる」

「匿名で不審船の情報を寄せられたのです! 国防のため海軍内で命令記録のない高萩は危険度の高い相手と認識せざるを得ませんでした!」

 現場で強硬的な対応をしたのは高坂大尉の問題であって自分の問題ではない。あくまでも魁は不審船の捜査を命じただけ。

 それ以外の反論を魁は思いつけなかった。

「高坂大尉の証言によれば、貴官は命令書の確認をする必要はないと命じたそうだが」

「嘘だ! 私に責任を押しつけるための偽証です!」

「嘘か真かわからんが、いずれにせよ部下の責任は上司が取るものだ」

 魁への最後通牒を将暉は発した。

「天子様は貴官の鬼山家当主としての器に疑義あり、とみて、明後日選定の儀を帝室の御前で執り行うことを命じられた。謹んでこれを拝命せよ」

「なっ……いくらなんでも暴論が過ぎましょうぞ!」

 魁は食い下がるが、もはやすべての仕込みは終わっている。将暉の性格の悪い罠に落ちた魁が、その罠を突破するのは不可能であった。

「勅命をがんじえぬというのなら、今この場で貴官を反逆罪で逮捕しても構わぬのだが? その程度のこともわからぬほど貴官は低能であったのか?」

 勅命であるということは、天子がこの件を国体護持のために重大な問題だと判断したことに他ならない。

 逆らうことは許されなかった。むしろ逆らえば、将暉やほかの四鬼家が嬉々として鬼山家をつぶしにかかるだろう。

 いかに鬼山家といえど、天子と帝国四鬼を敵に回せば、まず手も足も出ずに敗北するのは確実だった。

(俺は最初から嵌められていたのか――――)

ようやく魁はその結論に達した。

「……謹んで天子様の御意に従います」

 嵌められたことは受け入れるしかない。逆らえば破滅が待っているだけだ。

 しかし魁の腸は煮えくり返っていた。

 しばらくは冷や飯を食わされるかもしれないが、今回の一件だけで名門鬼山家を取り潰すようなことはできないはずであった。

 選定の儀さえやりすごせば、また一から挽回することはできる。いや、必ずや挽回し将暉に目に物を見せてやる。そしてこの海軍を自分の手に収めてくれる。百目鬼家など海軍から干して顔向けできぬようにしてくれるぞ!

 ギラギラした熱にうかされたような瞳で、魁はひたすら心に復讐を誓っていた。

(ま、この程度で改心するようなタマじゃないか……)

将暉には魁が何を考えているか、手に取るようにわかった。

 ヴァージニア共和国との戦争において、この手の自分の都合でしかものを考えられない軍高官を何人も見てきたからだ。

 面子で部下を死地へと送り出すことを歯牙にもかけない権力の亡者。そんな亡者たちの尻ぬぐいで親友の鬼山多聞は死んだ。

 今ほどの権力をあのときに持っていれば、みすみす多聞を死なせずに済んだ。

 あのときの悔しさ、無力感、痛恨をもう二度と味わうつもりはない。

 うまくすれば鬼山家の権力を笠に粛清を免れた無能な軍人どもを、一気に処分できる機会になるかもしれなかった。

「遅参は認めん。仮にも帝国四鬼に名を連ねるものならば、天子様の御意に文字通り命を懸けよと伝えよ」

「――――必ずや」



 ふらふらと海軍省を退出した魁は、迎えの日本ゼネラルモータース製シボレーのシートにもたれかかかり、魂が抜けたように脱力した。

 わずか二日後、二日後までに選定の儀を乗り切る準備を整えなくてはならないのだ。しかも天子の御前で。

 これまでの選定の儀は、ただの形式上の流れ作業で済んだ。そもそも選定の儀に必要な神器、女郎兼光が存在しないのだから、本来の儀式ができようはずもない。

 問題はその女郎兼光が偽物であることを天子の御前で暴かれないか、ということであった。

 もちろん、盗まれてしまった――と言い訳することはできる。

 しかしその場合、神器たる女郎兼光の管理責任を問われるとともに、これまでずっと選定の儀を執り行っていると天子に虚偽の報告をしていたと認めることを意味していた。

 それは政治的自殺以外の何物でもない。

 いかなる理由があろうと、魁は糾弾されおそらく海軍を追放されることになろう。そうなれば派閥の配下も権力と金を求めて鬼山家から離れていくに違いなかった。

 利益と利権で派閥を拡大してきた魁には、それが誰より身に染みて承知していた。

「くそっ! いったいどうしてこんなことに……」

 自分が勇み足だったことはわかっているが、魁はそれを認めたくなかった。よりにもよって天子を罠として使うとは臣下としての分を超えている。まさか将暉がそこまでの外道とは思わなかっただけなのだ。そう信じた。

「――――鍛冶主だ。鍛冶主がいる。それもその辺にいるような平凡な奴らじゃない。魂焼(たまやき)ができるほどの超一流が……」

 帝国四鬼を筆頭とした鬼の一族が異能の代表であるとすれば、彼らが使用する神具を鍛え、治す鍛冶師の代表が天目(あまのま)一族である。天目一箇神を祖とする一族で古来よりヒノモトの鍛冶師の中心には彼らがいた。

 現在は一極集中を避けるため、天目三家と呼ばれる三つの家に分裂しており、それぞれ天目家、海目家、山目家が帝都、西日本、東日本を統括している。

 特に天目家当主天目透は、神社庁の最高顧問を兼任しており、宗教界や宮大工界にも絶大な影響力を保持していた。

 帝国四鬼の鬼山家といえど、迂闊に手を出せる相手ではない。しかし魂焼の技術を有する鍛冶師など天目三家にしかいない。

 鍛冶師は鋼を鍛えるだけではまだまだ未熟。神器と謳われるような武器には例外なく魂が宿っているものだ。

 その魂を叩き、鍛え、癒し、昇華させることができて初めて鍛冶師は鍛冶主となる。その鍛冶主の領域まで一生のうちに辿りつけるのは千人に一人と言われる。俗にサウザンドマスターと綽名される所以であった。

 天子と帝国四鬼の目をごまかすには、この鍛冶主の力が絶対に必要である。生半の腕の鍛冶師では絶対に偽物とバレる。バレたら魁は破滅だ。

「手段は選んでいる余裕はない。なんとしても明後日の選定の儀を乗り切る。その後のことなど知ったことか!」

 車が自邸に到着すると、魁はすぐさま部下の望月を呼んだ。

「鬼山家の総力をあげて鍛冶主の弱み、性格、生活事情を探るのだ! 金に糸目をつける必要はない。急げ!」

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