ペイルブルードット

小早敷 彰良

目次 2021/7/1-2021/8/15 抜粋

情景・現代ドラマ・現代ファンタジー系 奇跡を切り取り

『一面の青、船出にて』

広大なものを見ると頭の中でゴーーーッと音が鳴る。飛行機が飛び立つ音に似たものだ。なぜかは知らない。今もそうだ。目の前に海原が、太平洋が広がって轟音がした。視界いっぱい青く、眼前の船だけが極彩色だった。これからこの船に乗る。飛び立つ音は丁度良かった。




『夏柚子湯』

真夏に柚子の香りがする温泉に来ていた。冬の代名詞に浸かると自分が清らかになっていくようで、思わずため息がもれた。半透明の黄色の湯がさらさらと肌をなでる。水滴が頭から顔に滴り落ちた。やわらかな湯の感触がする。心地よくあたたかな真夏の温泉にあなたは浸かっている。




『そんな夏の日』

麦茶作りは部活が始まる前の仕事だった。「時代錯誤」「仕方ない田舎だし」こっこっと水音が高くなっていく。「次から一年がこの仕事だっけ」「うん」二人きりも最後だと笑い合った直後、「俺お前のこと好きなんだよね」蝉時雨の中やかんから水があふれた。




『才能開花』

自由研究がひどいことになった。部屋一面のブルーシートが絵具で混沌として、家具にまで飛び散っている。一緒に自由研究である絵画作成をするために準備していたはずの友人は、キャンパスの前で放心していた。俺も放心した。この絵の前ではどれも児戯だ。自由研究を考え直そう。




『なめくじに海は海月に似て』

「塩の塊が溶けた水溜まり風情にどうして目が奪われるのか気が知れない」そう言う自分の口に、曇るあなたの顔に、俺は今日も自分が醜いなめくじだと知った。




『その右手は台風か?』

三時間前に太平洋上に去った台風は熱帯低気圧に変わった。雨宿りに泊まった彼女は台風の忘れものだ。薄手のタオルの下で息をしている。彼女と俺はまだどんな関係でもない。このタオルを吹き飛ばす前に台風は既に熱帯低気圧。笹がベランダでごみになってる。




『待ってそっちに行く』

草に風が吹いて波打つのを見た。初めてのことだった。草色の視界が波の形に深緑色になっている。晴天を反射して緑がまぶしい。目を細めたのは日光と風が沁みだだけではない。遠くに走った黒い点が立ち止まる。その顔を見るために目を細めながら私は息を吸い込んだ。




『隔岸観火』

キャンプの夜の闇のなか火を見ている。くべた枝が細いところから深紅に染まり柔らかに熔けていく。優しく赤い火だ。肌を焼く寸前の距離まで近づいて見ても火は変わらない。友人たちのいるテントから大きないびきが聞こえる。火に手を差し伸べていたことに初めて気がついた。




『夕刻』

風が強くて言葉が聞き取れない。夕焼け寸前、赤色と紫色と星が見える。数歩前を行く彼が何か言っている「ねえ聞こえない」こちらの言葉も彼には届いていない。なにか大事なことを言っているようなのに、風が強すぎて動けない。しばらくして閉じた口とやんだ風に私は諦めて空を見た。




『泥中をもがく』

手が差し出された。汗ばんで日焼けした手だ。健康そうなそれは泥で汚れている。手の持ち主は何を考えているかわからない表情で私の選択を見ているはずだ。表情を見る暇はない。既に引っ込められつつあるその手が一瞬震えた。だから、顔もあげずに勢いよくその手をつかんだ。




『透夏』

よく晴れた暑い日だったから玄関先を掃除するとき水を勢いよく、足元がびじゃびじゃになるほどに撒く「うわ」そんなことしているから急な来客には対応が難しい「Tシャツが濡れたんだけど」「夏だからええ」箒を置くふりをして視線を外した。まさかこの歳で透けた服に動揺するとは。




『もう一口!』

うどんのにおいが古い食卓の上に並んでいる。畳のざらざらとした感覚を胡坐をかいた足で感じながら、茶色いつゆをすすった。口いっぱいのうどんを飲み込むと、醤油とい草が強く香っていて、うどんを作ってくれた君が目の前で笑っていた。これだからうどんと君が大好きだ。




『作詞』

作詞の仕事を頼まれた。歌と小説は違う。歌うなら韻を踏んでいきたいな、腕次第だ。夢見がちではなくいっそネタラップ。いや難解な言葉と重厚な世界を。

散らばりそうな言葉を音階に乗せようとして、この音ひとつひとつが作曲家の子だと思い出す。

私は考え直し、寝るのを諦めた。




『気障星』

「星影は星の光を意味するのはおかしくないか」暗い帰り道、彼は隣を歩く友人に聞く。空では満天の星が輝いている。無数にあるそれは無限に瞬いている「瞬かなきゃ作り物っぽい」「瞬く星の影で光をより強く感じられるってこと?」星明り程度では友人の得意げな顔は見えなかった。




『その無知は誰が悪いのか』

「すいかってすっぱい物じゃなかったんだ」「パイナップルは喉がかゆくなる食べ物じゃないのと同じくらい衝撃の事実だな」無人の電車のなか、手をべたべたさせた友人たちが目を丸くした。早朝の通学電車が彼らの取るに足らない欠けた部分を埋める時間だった。




『人口花嵐』

台風の日、家を飛び出した。今こそ彼女の夢を叶えるときだ。今日のために用意した鉢植えから一番大きく咲いた花を切る。二三番目は台風の跡に見るため残しておいた。俺はようやく辿り着いた彼女の家の前、大輪を握りつぶし花に嵐とした。彼女は心配そうに笑った。




『幻聴記』

ごうごうと星が空を回る公転と、しゅるしゅると地球が自転する音が聞こえる。あまりにも空が広いからわかりづらい音に耳を澄ませる。皆は慣れて聞き漏らしているが、宇宙を感じるのにちょうどいい。たまに星の砕ける轟音に耳が痛くなるのが悩みどころだけれど。




『閃光』

さっきペットボトルを飲み干した。喉が乾いていないのにひりついて仕方がない。ネットの向こう側では眼光鋭い同い年がこちらを見据えている。目も渇きうるんできた。口角があがる。ビビってるように感じた?とんでもない。俺は開始の合図を待つ。あとは実力を証明するだけだった。




『off』

水滴がゆっくりと滴っていく。窓ガラスの向こうは豪雨で、ベッドサイドのペットボトルは結露している。湿った部屋は静かで乾いていた。そのことがベッドに横になる私には無性に嬉しかった。スマホは誰かのメッセージに振動している。だが今だけは静かで乾いた空気を吸っていたい。




『冷眼傍観』

冷たい目をする人だと思った。俺へのからかいが度を過ぎたときも、それに抗議のけんかをしたときも、かいあってそうしていい奴認定を止めたときも、隣席の彼女は冷ややかに見ていた「貴方ではなく幼稚な周囲を見てた」そう言われても俺には関係ない「わざわざ見ることないぜ」




『ある滅び』

電気の切れた水槽の前にいた。この廃水族館にいたくじらもいるかもどこかに移されて群青色の水が溜まっているだけ、そのはずだった。くらげたちがゆったりと淀んだ水槽の水を漂っていた。もうここが照明に照らされることもない。なのにくらげの触手はきらきらとしていた。




『フレア』

太陽の様子がおかしいらしい。天文台で賢い人らが嘆いている。事情がわからない新人の俺に教授がレンズを覗かせた。その太陽は美しかった。震えて吹き上がる白銀のもやが全体をおおっている。なるほど数時間後地球に吹く熱風とはこれか。美しさにため息を吐いた俺を教授が殴った。




『夏の昼の夢』

ガラスごしに青空が見える。日がよく当たる場所に布団を引いて、私は横になっていた。ひどく眠いのに汗ばむほど暑い。だから起きて麦茶を飲むために、うとうとしながら目を開けた。庭のひまわりたちがこちらをじっと見ている。夏のように強い眼差しに、思わず笑みが零れた。




『寸前』

天使が学校の屋上に舞い降りた。比喩ではない。いや比喩みたいな光景だった。白く大きな翼を生やした美女が目前に突如として現れる。彼女は輝かしい顔を僕に近づけた「私天国に連れていく係なんですけど、それするなら悪魔の仕事になります。帰っていい?」僕は柵を握り直した。




『勝負事』

本気になった人の顔が醜いと感じたのは初めてだった。私は苛立ちまじりに目の前の本気の顔を睨みつけた。

視線を受け止めて対戦相手の彼は、笑った。

笑われても反吐がでる。一番腹が立つのは自分が同じ顔をしているであろうことだ。なんて醜い泥仕合。

私は思わず笑った。




『夏休慢心』

夏休みはまだ長い。私はそうめんをすすっていた。長い休みでしたいことはたくさんある。手の込んだ料理も作りたいし、本も読みたい。友だちと長電話と勉強もしたい。10分で茹でたそうめんが減っていく。まだ、夏休みは長い。宿題もあの人に連絡する文章を考えるのもまだ後で。



『絶滅絶景』

廃墟が広がっている。青い空と白い家々も立ち並んでいる《ずっと前は有名なリゾート地でした》薄れかけた看板の文字を読んでから振り向くと、一面の青と白に目が眩んだ。廃墟らしく崩れた壁が熱帯植物の蔦に絡まれている。戦闘機の飛行機雲が空と海にコントラストをつけた。




『ポテトサラダあるいはチキンレース』

8月2日、じゃがいもを冷蔵庫で冷やす。そうすることで痛みやすくなるのは知っている。なんだか自暴自棄な気分だっただけだ。次に人参と林檎を切る。昼ご飯にポテトサラダになるじゃがいもはひんやりと痛みながら、下ごしらえの順番を待っていた。




『悪人悪霊』

墓石の前が毎年の待合せ場所だ「やあ」彼は今年も若々しく当時の顔のままだ

「今年は俺が埋まっていた森から考え直す。今年も付き合えよじゃなきゃ呪うぜ」

お盆のたび彼は此岸に帰ってきて自分の死因を探そうとする。不思議だ。いつになったら私が犯人だと気がつくのだろう。




『火輪糖』

買ったキャンプ用ベンチはベランダにぎりぎり収まった。寝そべって見る空は青く、陽光は街路樹の葉っぱに遮られてちらちらと輝いた。太陽にあたるとビタミンが生成されて身体にいいらしい。緑も目にいい。全身熱く太陽に押されているようだ。ごうと強く視界いっぱい風が吹いた。




『夜食好物』

夜食を作ろう。湯を沸かすついでにもやしを茹でる。数分後に沸騰した熱湯は透き通っている。ゆで汁でインスタント麺をゆがけばラーメン特有の塩っぽい匂いが広がった。ごまと油をもやしの上からかければもやし特有の匂いが香ばしい匂いに変わる。これだけで味がするみたいだ。




『ご自由にどうぞ』

アイスが何種類も冷凍庫に入っている。グレープ味やオレンジ味の棒アイスやカップ型バニラアイスがあり、変わり種として製氷皿に果物が一粒一粒入れられて凍っている。どれを食べてもいい。高価な小カップも積まれている。冷凍庫はいま世界一冷たい宝石箱となっていた。




『挿絵求』

噂通りの家だった。勝手に上がりこむ姿も、手土産を持って廊下を歩く姿も、すべて鏡に映っている。

彼が壁すべてが鏡の家を建てたのは二年前。俺が彼の担当になったのは昨日からだ。「奇人でも天才ならば許される」とは真理だ。

奇人天才の顔を紙面では見せられないのが残念だ。




『ろくでもない人ね』

ねこのけんかを野次馬しに行った。現場では黒猫と雉猫が対峙している。どちらも首輪つきの飼い猫だ。

眺めているとすぐに飼い主たちが抱き上げた。ちぇっけんかはもう終わりか。なんとなく名残惜しい気分の私を、彼らは一瞥する。どこか鼻で笑われている気がした。

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