第160話 相変わらずの
「遅いね、ルイくん」
「そうね。でもこの辺りの魔物に遅れをとるようなルイじゃないし。きっと、話が盛り上がってるだけじゃないかしら?」
「なー腹減ったぜ。先に食っちまおうや」
宿屋、麦の灯り。レヴィ達は街の入口でウロウロしていたアーティを回収して、レナエルによるお仕置きを完了し、エンに入った。空き具合が心配だったこともあり、そのまま宿へと直行した。
「今夜は特別メニューにしてくれるみたいだし、あたし達だけ先に食べるってわけにもいかないでしょう?」
手続きをする際にルイが遅れてくることを告げると、宿の人たちは表情を一変させた。”夕食のためにハチミツパンを焼かないといけませんね” ”あぁ、お部屋の掃除も念入りにしておかねば” など口々に言いながら、急に慌ただしく働き始めたのだ。
忙しそうに、それでいて嬉しそうに働き始めた宿の人たちを見ていると、ルイがここでどのように過ごしていたのかが少し伺えた。
いったんは2階にあてがわれた部屋に入って身体を休めていたものの、いつまでたっても到着する様子が無いルイが心配になり、1階に降りて受付カウンター前に用意された待合い場所で待つことにした。
階段を降りると、何やら受付から話し声が聞こえてくる。揉めている、というほどではない。ただ、客と思われる背の高い女性の声には普段から指示を出すことに慣れた人物特有の張りがあった。そのため普通に話をしているはずなのに、その会話の内容が辺りに響きわたっている。
背の高い女性は美しい全身鎧を身にまとっている。オレンジがかった赤色の髪をしており、時折見せる横顔は大層美しい。側に控える女性はヒーラーのようだ。連れとは対照的に背が低い。それでいて黒髪のおかっぱボブが良く似合う、可愛らしい顔立ちをしていた。共に腕輪をしているため転生者であろう。
「満室なのは致し方ない。食事も予約でいっぱいならば、明日にでもまたお伺いしよう。だが、つい先程、従業員の方がハチミツパンを焼くと話をしているのが聞こえてしまったのだ。何とか譲ってはいただけないだろうか」
「申し訳ありません、お客様。ハチミツパンは特別メニューになります。売り出した当初は月に1~2度は焼いていたのですが、あまりに人気が出てしまったため、今は通常販売は行っておりません」
「いや、ご事情は承知している。無理を強いるつもりもない。1個2個、余りでも出るようならばお願いしたいのだ」
武装した冒険者が真剣な表情で話しかけているため、何らかのトラブルのような印象を受ける場面ではあったが。彼女はただ、非常に礼儀正しく交渉しているだけのようだ。内容も、パンを譲ってほしいという何とも平和的な話である。
レヴィ達は緊張を解き、各々待ち合いの椅子に座って待つことにした。敢えて盗み聞きをするつもりも無いが、その後も受付での交渉の様子が聞こえてくる。
「数はちょうどで焼きますし、不良品は決してお客様にお出しすることはありません。いつもご宿泊いただいているシェリー様なら、なおのことです」
「いや、私は不良品だろうが端っこの耳の部分だろうが一向にかまわないのだがな。ならばハチミツパンを焼いてもらえる、特別なお客様とは一体どのような御方なのだ?自ら言うのはおこがましいが、常連の私ではだめなのだろうか?」
「お客様個人の情報をお聞かせすることはできません。それに、大変申し上げにくいのですが、有難いことに常連のお客様は数多くいらっしゃいますので、皆様に焼いて差し上げることはとても…」
「そうか。そうだな。麦の灯りは素晴らしい宿だ。私以外にもこの店の良さを知る者は多いだろう。無理を言って済まなかった。…時に亭主。いつも同じことを聞いて済まないが最近、銀髪の麗人、あるいはルイという名の人物は姿をお見せになっただろうか」
ガタリ、と複数の椅子が鳴った。ふいに聞こえてきた音にシェリーが反応し一瞥をくれる。しかし、獣人の冒険者たちがただ座っているだけである様子を確認し、すぐに興味を失って視線を亭主に戻した。
しかし確認された方には、つい先程解き放ったはずの緊張感が、再び舞い降りていた。
(レヴィ?)
(えぇ。まずいわね。あの人、彼を探しているみたい)
「何だぁ、あの女。ル(ビシッ)ヴィッ!?」
(全く。世話の焼ける狼ですね)
レナエルの回し蹴りがアーティの鼻先に突き刺さった。手加減はしたのだろうが、マズルと呼ばれる鼻先から口元にかけての部分は彼らの顔の構造上、弱点に近い。ぷくりと腫れあがった鼻を押さえて涙目になったアーティは、ふぐぅ、と弱々しく唸ることしかできないようだ。
(アーティ。事情はあとで話すわ。今はその名前を出さないでちょうだい)
「…。」
感情的には文句の一つも言ってやりたいところだ。けれど、いつになく真剣な表情のレヴィが囁くように話していることもあり、アーティも大人しく引き下がった。痛みでそれどころではない状態でもあったのだが。
「…シェリー様。いつも同じお答えで申し訳ありませんが、パーティメンバーなど親しい間柄の方でも無い限り、お客様の情報をお伝えすることはできません」
「うむ、当然だな。亭主、手を止めさせて済まなかった。また明日にでも寄らせてもらおう」
そう言ってシェリーは
(良かった。話は終わったみたいだよ?宿のご主人も旦那様のことは教えなかったみたい)
(間が悪いところがあるって自分で言ってたし、このタイミングで帰ってきたらどうしようかと思ったけど…どうやら一安心みたいね)
(しゃ、シャロレさん?だ、旦那さまって誰の事です?もしかしてあのル(ふぅー)、アオォォォン!?)
(吐息が当たるだけで痛いとか…レナエルのお仕置きって恐ろしいわね…)
小声で安堵する面々。一部小声で騒がしい者も居たが、シェリーが振り向いてまで気に留めるほどでは無かったようだ。
レヴィ達一行は、シェリーが姿勢も美しく堂々と出ていく姿に少し見惚れてしまっていた。あるいは懸念の人物が離れていく様子に安心して、少し気を抜いてしまっていたのかもしれない。
「こんばんはー。ここに宿泊予定で、連れが先に来てると思うんですけどー。タオルとか、貸してもらえませんかー?」
「「!!!」」
よりによって、最悪のタイミング。相手が宿を出る瞬間を、まるで待ち受けていたかのように出くわす、そんな絶妙な到着。どうやら自分たちは、ルイの間の悪さを甘く見ていたようだ。慌てて立ち上がり、声がした方へと目を向ける。するとそこには…。
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