第147話 懐かしき我が家


 森を抜けると、こじんまりとした敷地に一軒の家が建っていた。家の外観もそうだが、横手にある納屋も井戸も、ほぼ放置状態なのに青々と茂る薬草畑も、俺がこの家を出た時から全く変わった様子はない。


 たった1年前のことなのに、随分長く留守にしていたような気がして、懐かしさがじんわりと胸に湧き上がる。


「やぁ、着いた着いた。家にも居るみたいだな。よしよし」

「・・・ねぇルイ?煙突から濁った緑色の煙が出てるんだけど」

「ん?あぁ、春だし、あの色はカモミールを使った安眠香を作ってるんだろ。一時期、俺が眠れない時があってさ。その時から作ってくれるようになったんだ」

「優しいおばあさまなのね。…とても、良く眠れるようには思えない煙の色だけど」

「そんなこと無いぞ?焚いたら一瞬で意識を刈り取られて、何があっても翌朝まで目が覚めない」

「それ…安眠って言うのかな?」


 初めて使ったとき、そこまでの即効性があるとは思っていなかった。あれ?良い香りだな、と思った瞬間倒れ込み、気が付けば翌朝、タンコブの痛みで目が覚めたのだ。


 香の効果なのか頭を打った衝撃で意識を失ったのか微妙だったので、次の日の晩に横になって試してみた結果、ちゃんと香の効果で眠りについたことが判ったけど。


「まぁそれよりも。クックック。せっかく連絡もせずに帰ってきたんだ。ここは突然ババンと扉を開けて、驚かしてやろう」

「貴方、ときどき子どもっぽい悪戯するわよね」

「ルイってばこういう時、悪っルイ顔してるっていうか、すっごく生き生きしてるよねー」


 レヴィもエリエルも呆れ顔だが、何とでも言うがいい。久しぶりにバルバラに会うんだ。やはりここは俺の成長した姿を衝撃的な演出と共に見せてやらねばなるまい。


 扉に手をかけて…。


「(バタンッ)たーだい…(ゴガッ)ま”っっ!?」


 扉を開けた瞬間、世界が揺れた。そのまま仰向けに吹っ飛んで、地面に見事な大の字を描く。


「っくおぉぉおぅ!?痛ってぇぇえぇぇ!!」

「ルイッ!?」

「ルイくん!大丈夫!?」


 一瞬遅れてやってきた痛みに襲われてゴロゴロと地面をのたうち回る俺に、懐かしい、あのしゃがれた声が降ってくる。


「…ふん。外が騒がしいから何の厄介ごとかと思えば。何だ、ルイかぃ」

「…っく、くぅ~。何だ、ルイかぃ…だと?クッ、フ。フフフフ…ニャろう上等だ、この猫婆ぁ!」


 感動の再会とまで贅沢を言うつもりは無かった。ただ、バルバラも多少は喜んでくれるんじゃないかってほんのちょっぴり期待していたのだが。扉を開けた瞬間に杖の一撃でお出迎えされるとは、流石に想像もしていなかった。


 ていうか、久しぶりに帰ってきた俺に対して、あまりの仕打ちだ。いくら家主とはいえ、おいそれと許すわけにはいかないだろう。ハンマーではなく杖を構え、ヘッドの部分をバルバラに差し向けて構える。


「ハッ。やろうってのかい?久しぶりに帰ってきたかと思えば急に暴力に訴えるなんざ。嫌だ嫌だ、冒険者の風上にもおけないね。その腐った根性、叩きなおしてやるよ」


 呆れ顔でため息を吐き、首を振りつつ家を出てくるバルバラ。何故か耳だけはパタパタとせわしなく動いてる。けど。俺だけが悪いみたいな、その表情がムカつく!


「先に手を出してきたのは…そっちだろぉがっ!!」


 言うや否や全力で踏み込み、大上段から振り下ろす。バルバラ相手に手加減は無用、気を抜けば一瞬で勝負が決まる。この家を出た時からすればレベルもスキルも段違いに成長したのだ。一矢報いることくらいはできるはず…と思ったのだが。


(コォォォン!)


 杖と杖がぶつかりあったとは思えないほど硬質な、澄んだ音が響き渡る。俺が振り下ろした杖は、自分でも大人げないと思うほど力の乗った良い一撃だった。にも関わらず、バルバラは自らが手にした杖のヘッドで難なく受け止めていた。


 さらにどういう理由か、俺の杖は吸いついたように離れなくなり、後にも先にも動かすことができなくなってしまった。


 何か特別なスキルを使った様子も無い。バルバラは一歩も動くことなく、ただ杖をほんの少し頭上にかざしただけだった。ごくごく微かに表情を崩し、ピクリとヒゲを動かす。


「ふん。どうやらダンゴムシの触角くらいは成長したみたいだね?だが…せっかくこのあたしが教えてやった杖術は、基礎の基礎まですっかり忘れちまったようだ。こんなそよ風みたいな攻撃じゃあゴブリンだって退治できやしないだろうさ」

「うぐっ」


 確かに最近はハンマーや槍にうつつを抜かしていたので、杖術を訓練する時間はちゃんと確保できていなかった。たった一度の攻撃でも、バルバラには見抜かれてしまったようだ。


「貧弱なお前が日々の鍛錬をサボるなんざ、言語道断だよ。そんなのが冒険者を名乗ってたんじゃあ、他人様にも迷惑をかけちまうだろ?しょうがないねぇ。あんたは頭が悪いんだから…身体で思い出しな!!」

「っぐ!?うあぁぁあぁ!?」


 バルバラの目が怪しく光る!…そこからは一方的な戦いだった。まるで弾幕のように全方向から襲い掛かってくる杖の猛攻撃。それらをどうにかさばいていくが、防戦一方で反撃する暇も与えてもらえない。


「猫のおばあちゃん、すごいねぇ…エンからトルヴまで旅する間に、ルイも結構強くなったなーって思ってたのに」

「でもルイくんもすごいよ?少し離れて見てる私たちでさえ、二人の動きがほとんど見えないくらいだし」

「猫獣人で、錬金術師で…まさかそんな…」


 しかも、速いだけではない。この小さな身体のどこにそんな力があるのか疑問に思えるほど、一撃一撃が重い。身体はもちろん、杖で受けても軽くノックバックするし、被弾した箇所はズキズキ痛む。


「ぐっ、痛ぅっ!!ちょっとは手加減しろ!この魔女婆ぁ!」

「ババァじゃない、あたしゃバルバラだよ!!」


 けど確かにバルバラの攻撃を受けていると、厳しかった訓練を思い出す。身体が自然と反応し、まるであの頃の俺の動きがよみがえってくるようだ。


 徐々に対処も間に合うようになってきたし、このままやられっ放しじゃ終われない。痛みをこらえて踏みとどまり、ごくわずかに見出した隙に合わせてカウンターを放とうとした瞬間!


「…!や、やっぱり!?…バ、ババラ様っ!!」

「ぶふぅー!?(カコーン!)おあ痛ってぇぇぇっ!?」


 唐突にレヴィが叫んだ言い間違いに、思わず吹き出してしまった。その隙をバルバラが見逃すわけもなく。高速で振り下ろされた杖が俺の頭にクリーンヒットした。


「お、おぉおおぉぅぉぅお…」

「ルイくん…」

「あは~痛そ~」


 杖を取り落とし、しゃがみ込んで両手で頭を抱える俺。バルバラはふんっ!と一息吐いたかと思うと、レヴィに向き直る。


「小娘…。見ない顔だが随分と失礼なヤツだね」

「ひゃ、ひゃいっ!す、すすしゅ、しゅみません!!!」


 あー、痛ぇ。そうそうこれこれって感じで久しぶりだ。この、世界がクンッて揺れる衝撃。こんなのに懐かしさを感じるのはどうかと思うが。…しっかし、


「くっふふふ、バラバラ様!妖怪みたいな名前だ!夜道に突然現れて、お前もバラバラにしてやろうかーって、痛ってぇ!?だから何で毎回ピンポイントで同じとこ叩くんだよ!」

「まったく。連絡も無しに突然帰ってきたかと思えば、ぞろぞろと」

「あ、あた、あたしの名前はっ」

「知ってるよ。あんたがレヴィ、そっちのはシャロレだね。それと…天使とはね」

「こんにちはー!エリエルだよー!」

「レナエルと申します」


 フェムから手紙で近況を伝えていたので、パーティメンバーはバルバラも把握している。ちょっと驚いた様子のシャロレ、両手を振って愛想を振りまくいつも通りのエリエル、軽くお辞儀をして挨拶する礼儀正しいレナエル。レヴィは何だか挙動不審だが、どうしたんだろ。


「あ、あの!ほ、本当に、バ、ババ…」

「やぁ。どうやらちょうど良いタイミングだったみたいだ。バルバラの家がこんなに賑やかなはずがないし、どこかで道を間違えたかと不安になったものだが」


 レヴィがバルバラに話しかけようとした、その時。森の入口から落ち着いた男性の声が聞こえてきた。耳にするだけで不思議な安心感を覚える、この優しい声。間違えるはずも無い。振り返ればそこには、期待した通りの懐かしい姿が。


「シンアル!久しぶりだな!」

「何だい次から次へと。うっとおしい日だねぇ」

「ルイ、元気そうだね。クッ、こんなに大きくなって…」

「いや、1年じゃそんなに背も伸びてないはずだぞ?」


 早速涙目になっているシンアルに、苦笑混じりに突っ込む。バルバラといい、シンアルといい。当たり前だが言葉も仕草も雰囲気も、何も変わっていなかった。


 ここに来るまで、ちょっと不安はあったのだ。何年も帰省せずに疎遠になってしまった、実家に帰るような気持ち。何か怒られるんじゃないか、冷たくあしらわれるんじゃないか。何の根拠もなく悪い方へ悪い方へと考えが傾きそうになる。


 もちろんそんなのはただの杞憂であって。二人は変わらず、手荒く、温かく迎え入れてくれた。再会した、ただそれだけだというのに、1年前の自分に戻ったかのような錯覚を覚える。


 そのまま少し、近況報告がてらに挨拶しようとしたのだが。


「し…しん…ありゅ…様…」

「レヴィ!?」


 ぱたり。と音をたてて、レヴィが倒れた。

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