第145話 【閑話】美味しい料理と晴れない心

「ふわぁ」


 このお店の定番なんですよという言葉と共に運ばれてきた料理に、ユーノは感嘆の声を上げる。優しい黄色味を帯びたクリーム色のスープからは甘い香りの湯気が立ち昇り、横に添えられた小ぶりなライ麦パンも美味しそうだ。


 メインは、ホロリ鳥の煮込み。オーブンで香ばしく焼き上げた後に、じっくりコトコト煮込んだであろう鳥肉と野菜がツヤツヤと光っている。


 食前のお祈りの言葉が少し早口になってしまったのは仕方のないことだろう。ナイフとフォークを素早く手に取り、まずは最も魅力的に映った煮込み料理にとりかかる。ナイフを入れるまでもなく、フォークを入れた時点で軽くほどけたホロリ鳥をナイフで切り離し、改めてフォークを刺して口に運ぶ。


「んん~!!」


 一噛みすればほんのり焦がした皮がサクりと一瞬の抵抗を見せたあと、柔らかい鳥肉が優しくバラけていく。それと同時に香ばしいホロリ鳥から染み出た煮汁が洪水のように、口の中一杯に広がるのだ。


 これ以上噛みたくない、飲み込むなんてもってのほか。むしろこのままずっと味わっていたい…。満面の笑みで一瞬トリップしつつそんな気持ちが心をよぎるが、ホロリ鳥は無情にも口の中から消えていく。


 何ということでしょう!急いでもうひとくち…あぁ…これ…これだわ…この味、この香り…あら?無い!?今、口に入れたはずなのに、もう!…このじゅわり、が。じゅわりが!あら?…。


 気付けば皿からホロリ鳥だけが消えていた。はしたなくもフォークで少し野菜をどけて探してみたが、残念ながら見当たらない。


 しょんぼりしつつも、肉だけを口に運んでいた事実に今更ながら気付き、羞恥にもだえかけたユーノ。だがしかし、そこは領主の娘。すぐに表情を取り繕い、失態など無かったかのようにフォークをスプーンに持ち替えて、どんぐり芋のスープへのばした。


 おすまし顔で一すくい。口に含んだ瞬間!


「んんふ~!!!!」


 この甘さは予想外だ。というよりもはや、反則だ。料理を食べていると思っていたら、料理とデザートの境目の、ギリギリのところを攻めてきた。温かくてまろやかな芋の甘みが舌を優しく包み込む。食事の満足感とデザートの幸福感が手をつなぎ、身体の中心を突き抜ける。


「ふむふっ、ふむふっ!」


 かろうじて上品と言えなくもない所作、だがマナー的には完全にアウトだろう。両親がこの場に居れば確実にたしなめられるであろうスピードで、スプーンが皿と口の間を往復する。先程取りつくろったばかりの表情は甘く緩み、スープを口に含んだ瞬間には満足げな鼻息が小さく漏れている。


(はっ!?)


 気が付けばスープ皿も空になっていた…。残るはパンと、ホロリ鳥の煮込みに入っていた野菜のみ。およそ淑女らしからぬ食事をしてしまったことに動揺を隠せないユーノ。赤面というよりは二度の失敗で、やや青ざめた表情を浮かべる。


(いけませんわ!このような食事の仕方は、領主の娘に相応しくありません…)


 衝撃的なほど美味しい料理による、せっかくの幸せな気持ちはどこへやら。ユーノは意気消沈して、残りの食事にとりかかる。


 野菜はあまり好きではないし、先程のような失態を見せることも無いだろう。せめて残りはゆっくり、落ち着いて食べよう…。そう思い野菜を一つ、口に入れたのだが。


(・・・!!!)


 苦味や酸味、舌にザラつく食感のせいであまり好きではなかった野菜の数々。それが今やホロリ鳥の煮汁の風味によって、野菜本来の甘みと絶妙なハーモニーを奏でていた。雷で撃たれたかのような衝撃の一口目。


 …その後の記憶がユーノには無かった。


「…ごちそうさまでした」


 全ての皿を空にした後。恥ずかしさが極まって耳まで真っ赤にしたユーノが小さくつぶやく。それが聞こえたわけではないだろうが、ほどよいタイミングでアラカが皿を下げに来た。


「おさげしますねー。ちょっと多いかなって思ったんだけど、お口に合って何よりでした」

「…恥ずかしい限りだわ」

「え?」


 一品一品、夢中になってしまい、がっつくような食べ方をしてしまったことを回りくどい表現で告白するユーノ。それを聞いたアラカは、嬉しそうに言った。


「ウチのお客さんって、お食事のマナーを気にする人なんていないから良く分からないけど。マナーって、一緒に食事する人を不愉快にさせないような仕草を言うんでしょ?あなたはウチの料理を、とっっても美味しそうに食べてくれたんだから。私もお父さんも、それを見て、とっっっても嬉しかったのよ?それって、100点満点だと思わない?」

「…!」


 アラカの言葉に、言葉を失うユーノ。美味しそうに食べることが誰かを喜ばせるなんて、考えたことも無かった。手順を守り、慣習に従い、上品に食べることがマナーであると教えられてきたユーノにとって、それは衝撃的な出来事だった。


「ねぇ、わたしね?あなたがお店に入ってきたとき、あなたのお洋服、とっても素敵だなって思ったの。まるでお姫様みたいって。ヌルでは売ってないでしょう?」

「え?ええ。エットならあるかしら」

「エットかぁ。いいなぁ。行ったことないんだよねぇ。どんなお店があるのかなぁ」


 手にしていたお盆を胸に抱え、遠い目をするアラカ。その目は、まだ見ぬ都会を夢見る乙女といった様子だ。


「…。エットに住んでみたい?」

「え?」


 それはふと思いついた質問だった。エットに行きたいか、ではなく、住んでみたいかと言ってしまったのは、今まさに立ち退きを要求している住民たちのことが頭をよぎったせいに違いない。口にした瞬間、後悔する気持ちが頭をよぎる。やっぱり忘れて、と取り消そうとしたのだが、間に合わなかった。


「行ってみたいとは思うけど…。住みたい、とは思わないかなぁ。エットは素敵なところだろうなって思うんだけど、ヌルには友達も居るし、この街のみんなが好きだし!今はちょっとだけ元気が無いけどね。とっても良い街なんだよ?」

「そう。…そうよね」


 誰しも生まれ育った街はあるだろう。数年過ごせば友人や知人ができるだろう。それらを捨てて街を出る、それが簡単な事ではないのは当然のことだ。


「ごちそうさまでした。変なこと聞いて、ごめんなさいね」

「んーん、気にしてないよ?私、アラカっていうの。また来てね」

「私の名前はユーノ。とっても美味しかったわ。また…来るわね」


 貧民街で見た子供たちの中にアラカの友達が居るとすれば、私がしたことを彼女はどう思うだろうか。


 何度も通いたくなるくらい素敵な食堂と、ひょっとしたら友達になれたかもしれない熊獣人の女の子。素敵な出会いがあった素晴らしい一時であったにも関わらず、食堂を出るユーノの気分が晴れることは無かった。

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