第109話 旅立つ人、飛び立つ人。

「お世話になりまヒた。カギここに置ヒとくね」

「あぁはいはい…なんだい頬を腫らして。虫歯かい?」

「ヒや、ヒょっとぶフけて」

「あらまぁ気を付けないと。あんたキレイな顔してんのに傷つけちゃぁ、そうそう顔に傷といえば△※□〇×※☆…」


 出立の手続きをしようと宿のカウンターに寄ったら、話好きの女将の長話が始まってしまった。痛みのせいで耳に入ってこないけど。


 昨日の夕飯どき、レナエルに、食器や寝具その他もろもろは俺が作るということについて伝えておいた。そして今朝。昼過ぎにはトルヴに着けるよう、早朝に朝食を済ませて部屋に戻り、出発の準備をしている時にふと、聞かなきゃいけないことを忘れていたことに気づいたのだ。


 ・・・

「あぁそうだ、レナエル。あとで身体のサイズ測らせてくれ」

「おっけー!(ヌギヌギ)」

「!!!て、転生者ルイ!そういった個人的な情報は親密な関係にある男女間においてやりとりされるものです。仲が進展して、お互いに心を許し、一生を捧げる誓いをする頃に…あぁ貴方達はそれ以前に身も心も捧げてしまうケースが多々あると聞いてはいます。ただ私たちはまだ出会ったばかりですし、もちろんそれがあなたの気持ちであるなら考慮はしますが…」


「?まぁ個人的な情報って言えばそうかもしれんが。身長くらいで、おおげさだなー」

「…身長?」

「ん?あぁ。タオルとかはまだしも、ベッドや枕を作るには、やっぱサイズ感必要だろ?」

「…~~~~~!!!」

(ドゴッ!ベシッ!)

「ぐはぁ!?」

「へぶっ!?」

 ・・・


 …あれは俺が悪いのか?あと、せめてもっと親しい中になってからじゃないと回し蹴りはダメだと思う。まだ奥歯がグラグラしてるし、しゃべりにくいし。せめて平手打ちくらいにしてほしい。


 レナエルの「お仕置き」は傷の治りが遅くなるらしく、ヒールも効かない。もはやある種の呪いと言ってもいいんじゃなかろうか。俺の中でレナエル堕天使説が濃厚になりつつある。


 なお聞かれてもいないのにおっけーって返事しながら何故か脱ぎ始めた駄天使エリエルはレナエルに叩き落とされた後、次元のはざまに引きずり込まれていった。あいつ、レナエルが来てからポンコツ度がよりいっそう上がってる気がするんだが、気のせいだろうか。


 いつまで経っても二人が帰ってこないので、取り合えず手続きを済ませて宿を出ておこうとしたのだが。おばちゃん、まだ話してるな…。はぁ。せっかく早起きしたのに、いつ出発できるんだろ。


 ・・・


「ハァ、ハァ。どこにいやがる」

「ねぇ、やっぱりやめよう?危ないし、もう帰ろうよ」


 トルヴ近郊の森の中。ハーフジャイアントが二人、伐採所への道を進んでいる。二人とも手には弓、背中には槍を背負っている。一人はギラギラと、一人はオドオドと、周囲に対照的な視線を向けているが、その足取りは共に、どこか覚束ない。


「馬鹿、今更何言ってんだ!…いいか?あんなやつらができるんだ。俺たちだって油断さえしなけりゃ簡単に勝てるに決まってるだろ?今回は罠猟のとどめ刺し用の槍も持ってきたし、行商人から買った転生者の秘密道具も持ってきた。負けることなんか万に一つもないんだよ。だから、安心しろって」


 そういって一人が道具袋から、筒のようなものを取り出す。手のひらサイズというよりは少し大きめで、穴の片方は紙のようなもので封がされ、もう片方の穴には正方形の小さな板が付いている。筒の側面には何かカラフルな模様が描かれているが、それが何を意味するのか二人には分からなかった。


「こいつでドカンとやれば魔物なんか一撃だ。お前は横で見てるだけで…」

「…あれ?」


 最初は風のいたずらだと思った。あちらこちらから聞こえていた木々のざわめきの中に、一際大きなものが一つ生まれた。ざわざわと葉や枝がこすれるような音は一つの塊のように聞こえ始めたかと思うと、急速に膨れ上がっていく。


 遠くから、近くへ。それはこちらへと一直線に向かう意思。それが悪意を持った羽音であることに気づいた時には、もはや手遅れだった。


(バサッ!バサッ!ザワ…ザワ…ザザザザザザ!!)


「えっ?何の音?どこっ?…ぁ、トラス!う、後ろ!!」

「何!?う、うわぁあああああぁぁぁぁぁぁ!?」


 獲物ならぬ魔物の急襲に猟師、それも未熟な猟師が反応できるわけもなく。


「トラス!?トラスーーーー!」


 後方から鋭い爪で両肩を掴まれたトラスは、為す術も無くそのまま空へと舞い上がっていった。

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