第55話 エンからの旅立ち


 宿屋 “麦の灯り” には前もって伝えておいたので、今朝は清算と引き払い。後半は廊下などの共用部まで掃除していたので、現在、麦の灯りは美味しいパンと清潔感のある宿屋として有名になりつつあるらしい。何だか調子に乗ってごめんなさい。


 改めて従業員への勧誘を受けたが丁重にお断り。主人も断られると分かっていて聞いていたようで、ならば餞別にと前もって用意していたらしき大量のパンをドンッとくれた。宿の掃除は多少の小遣いと厨房を借りることで請け負っていたので、このパンは純粋な好意だ。


 嬉しいやら申し訳ないやら複雑な気持ちだが、また泊りに来ますねと約束して受け取ることにした。


 乗合馬車が出るのはお昼ごろ。宿をゆっくり出てきた俺たちは門のそばに出発を待つ集団を見つけた。乗合馬車のほかにエット行きの商品を積んだ輸送馬車、個人所有と思われる少し豪華な馬車、それぞれに護衛が付いている。


「すごいね。馬車も人もいっぱい!」

「あぁ。ちょっとした規模のキャラバンみたいだ。これなら魔物も盗賊も襲う気にはなれないだろうな」


 豪華な馬車には騎士風の護衛が付いていて高貴な身分の人が乗っている模様。そちらも少しは気になったが、特に興味が湧いたのは輸送馬車の方だ。


 エン産の野菜類は普通の馬車なのだが、中には特殊な魔道具を使用しているのか、周辺に冷気が漂っている荷箱もある。ちょうど荷物を確認している商人がいるから話を聞いてみる。


「お仕事中にすみません。この箱、魔道具か何かですか?」

「ん?そうだよ。見るのは初めてかい?冷やしておかないと悪くなるような品はこの箱に入れてるんだ。この箱はエンで仕入れた乳製品が入ってて、こっちの方はトヴォ村から運んできた魚だ」

「トヴォ村?」


「あぁ。このエンから北へ行ったところにある漁村だよ。馬車でも1週間くらいはかかる距離だし、エンとの定期便も無いんだが、美味い魚が年中がるんだ。トヴォで魚を仕入れたら、途中のエンでも商売できるから、エットに魚を卸すにはちょうどいい村なんだよ」

「ほぅ?周辺の魔物は強かったりする?」

「まぁ多少は強いが、これから向かうエットよりも少し強いくらいじゃないか?護衛を雇う時にはエットよりも少し強い人をお願いするね」

「ありがとう、参考になったよ!」


 これは良いことを聞いたと爽やかな笑顔を浮かべていると、ジト目のエリエルが耳元で囁いてきた。こそばゆいから止めてほしい。


「ねぇ、ルイ?もしかして、気のせいならいいんだけど、一応確認しておきたいんだけどー」

「さ、北へ向かうぞ」

「やっぱり!?ダメだよルイ!領都エットは南でしょ?そっちは違うでしょ!」

「いや、今の話を聞いたら、どう考えてもトヴォ村だろう?」

「何でそんな、理解できないみたいな顔するの!?女神さまのメインルートがエットなんだから、エットに行かなきゃみんなに追いつけないよ!」


 ふむ。これはちゃんと説得しておかないと、あとあと面倒なことになるな。仕方ない。


「いいか?エリエルにも分かるように教えてやるが。まず、俺たちはお尋ね者だ」

じゃないけどね。まぁ、うん」

「そんな俺たちが領主様がいるような大きな街に行ってみろ。すぐに見つかって、あっという間に転生者たちに囲まれて、袋叩きに遭うに違いない」

「うん?うぅーん。そう、かなー?」

「そうなんだよ。その上、エットは大きな街だ。人も建物も多くてごちゃごちゃしているだろ?」

「それはまぁ、大きな街だからね」

「エリエルなんか、道に迷ったあげくに悪い奴に攫われてしまうかもしれない。あるいは、よそ見してた人に、うっかり踏まれてプチっといくかもしれない」

「ぅ嘘っそ!?怖っ!都会怖っ!!」

「ところがトヴォ村は違う。青い空、広い海、そして気の良い漁師たち。きっと毎日が大漁祭りの大宴会だ」

「大漁…大宴会…」


 うむ。あと一押しだな。


「さらには漁村だ、魚が美味い!刺身、煮魚、焼き魚、イカ刺しタコ刺しエビとカニ、鯛やヒラメも舞い踊る!」

「おぉーぉ!何と素晴らしい海・鮮・三・昧!」

「行くよな?」

「うん、トヴォだね。これは仕方ないよ。きっとウニもいるもん」


 よし。チョロい。キリッとした顔でよだれを垂らしているが、ウニがいるかは知らないからな?


 説得も成功したところで、エリエルの気が変わらないうちに出発することにしよう。先程の商人さんに高級ハチミツをお裾分けして、トヴォへの道のりをもう少し詳しく聞いておいた。


 目印になる川まで出れば、あとは一本道らしい。インベントリには充分な量の食料もあるし、野営の準備もできている。このまま街を出て、北に向かって出発だ。


 門を出てから、ルカを呼びだす。


「ルカ、今日からしばらく長旅だ。大変だけど、頼んだぞ!」

「クルゥー!」


 ルカは元気に返事をした後、ひとしきり喉を鳴らして甘えてきてくれる。可愛い奴め。ふわふわの羽毛の感触を楽しみながら少し撫で、落ち着いたら乗せてもらい、ゆっくりと歩き出す。エリエルも飛んできて、器用に俺の肩に腰かけた。


「トヴォは、どんなとこなんだろうね?」

「あぁ。楽しみだな。村もそうだが到着までの旅路もな。初めての長旅だ。何があることやら」


 エット方面への道とは違い、馬車1台分の小さな道だ。大きな道に比べれば頼りない、心細い、小さな道だ。だが俺には、この道が何か楽しいことに続いているような気がしてならない。エットに向かうつもりだった朝と比べて遥かに高まったテンションで、トヴォへの旅が始まった。

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