携帯の中の幽霊

@kei_mura

プロローグ&第1章-1

プロローグ    

 走るのを止めたのは、予感めいたものがあったからだろうか。弾む息を抑え、恵太は辺りを観察していた。古びた商店街の中でシャッターが上がっている店は多くない。目をこらすと、額を伝う汗が邪魔をしてくる。乱暴に拭った視界の先で、和菓子屋から出て行く黒髪の背中。考えるより早く足が動いた。

「幽霊!」

 音もなく振り向いたのは、恵太が探していた幽霊に他ならなかった。一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに感情の読めない眼差しが恵太に向けられる。

「勝手に逃げんなよ」

 恵太は短く言葉を続けながら息を整えた。何も答えない幽霊を視界に入れたまま、考えを整理する。このまま終わらせてはいけないという確信があった。脳裏に唯の顔が浮かぶ。誰よりも強い芯があるのに、人を信じることに臆病だった。最後に見た泣き顔が、恵太の胸をまた締め付ける。

「なあ、幽霊」

 振り払うように口を開く。死んだ唯に対して、自分ができることをようやく見つけた気がしていた。



第一章

一 坂井恵太がと出会ったのは高校一年生の秋だった。とはいえ唯のことはその一か月以上前から知っていたので、出会ったと表現する時期はもう少し前の方が適切なのかもしれない。恵太が秋だと認識しているのは、それ以前の唯の印象があまりに薄く、出会ったとするその日の印象があまりに濃いからだ。

その日までの唯は、三十人以上いるクラスメイトのうちの一人にすぎなかった。知っているのは、高校生になって数か月という、落ち着かないタイミングで転校してきた女子であるということぐらい。転校生ということで始めは気を遣って話しかける奴もいたが、特定の誰かと行動を共にする様子はなかった。日を追うごとに唯の机からは人が離れ、入学して最初からずっとそこにいたかのように一人で本を読む姿が定着していく。恵太も、異論なくその景色を受け入れた。

その、自然に人を遠ざけていった唯から、突然恵太は話しかけられたのだ。新聞部の手伝いをして遅くなった日だった。

グラウンドはすでに暗く、まばらに残ったサッカー部員がカラーコーンを片付けていく。普段は授業が終わったと同時に学校を出る恵太は、グラウンドの照明を新鮮に感じながら駐輪場へと向かっていた。

深く考えず、見知らぬ先輩の頼みで名前だけ貸したはずの部活。廃部にならないよう、書面上の人数合わせという話だったのに、定期的に駆り出されているのだから文句の一つも言いたくなる。入学式直後の浮足立つタイミングに付け込むという、先輩の策を恨んだ。

「坂井くん」

 同年代ぐらいの、窺うような女の声。声の正体を思い絵描けない。小走りの足音が近寄ってくるのが分かり、恵太は振り向いた。

「遅いね、部活?」

 顔を見て、自分に声をかけてきたのは人違いかと思った。この、丸い眼鏡と少し眠そうなトロンとした垂れ目。大きい目なのに、目力よりも人懐っこさを感じる。小川唯の上目遣いが、自分に向けられていた。

「よいしょ」と小さな声とともに唯は鞄を担ぎなおした。小走りになった拍子に、肩からずり落ちかけたらしい。学校指定の鞄は、恵太と同じ授業を受けているとは思えないほど本が詰め込まれているようだった。

「ああ部活、になるのかな、一応」

「一応? なにそれ」

「いろいろ事情があってさ。えっと、そっちは?」

 呼び名に困って『そっち』で片づけた。言ってから『小川さん』が正解だったろうと気づく。

「私は図書室だよ。ちょっと借りすぎたかも」

 と言って、重そうな鞄を抱え直した。本来は片手で下げられるはずが、よほど重たいのか両手で持ったり肩にかけてみたりせわしない。微かに鞄のベルトが軋む音がする。

「マジで? それ図書室の本かよ。そんな量全部読めんの?」

「教科書も入ってるけどね。ちょっと調べものしてるから、気になったやつ借りられるだけ借りちゃった」

思いがけず自然に言葉を交わしていた。というより疑問が多すぎて、それなりの会話を返している方が簡単だった。小川唯という転校生は、人との関わりを避けているのではなかったか。そう自分が認定しただけで、実際は違ったのか。

「調べものってどんな?」

疑問はあるが、それでも恵太は会話を成り行きに任せることにした。恵太が駐輪場の方を手で示すと、唯は頷いて歩き始めた。唯が向かう方向を確認したつもりだったが、その意図が通じたかは分からない。

「それは、坂井くんが頼みを聞いてくれたら教えようかな」

「頼み?」

 恵太は足を止めそうになったが、唯の荷物を見てそのまま歩みを進めた。校舎の角を曲がって裏手に入れば駐輪場だ。重そうな鞄に体が振られている姿に気が気でなく、唯の自転車があるだろう場所まで急ぐことにした。

「そう、頼み事。坂井くんには、私と仲良くしてほしいの」

 その言葉を耳にして、より平静に歩き続けようと心がける。止まっても足早になっても、動揺したのが伝わってしまう気がした。なぜ伝わらないようにしようと思ったのか、恵太自身にも分からない。

「なんだよそれ」

 考えられる意図を探しつつ、苦笑いを浮かべた。例えば、下手くそな冗談とか。

「何って、そのままだよ。友達になって欲しいってこと。そんなに変?」

 恵太は自然と腕組みになっていた。

いや、変っていうか。友達ってそうやってなるもんだっけ。考えが呟きになって口から漏れてくる。

「そもそも、なんで俺?」

 なぜ、まともに話したこともない相手に突然そんな頼み事をするのか。転校してきた唯に気をかける奴はたくさんいたのに。

腕組みをしたまま俯く恵太の足元が、グラウンドからアスファルトに変わった。校舎の角まで、あと少し。

「それはねえ、正直に言っていいのかな」

 大きな目が、いたずらっぽく瞬きをする。恵太に尋ねるというより自問自答しているようだったが、あっさり恵太に向き直った。

「これはね、イケニエみたいなものだから」

「イケニエって、生け贄?」

「そう。私なんかと友達になるの、みんな嫌がるから。でも一人も友達がいないなんて辛いじゃない? だから坂井くんにその役をやってもらおうと思って。クラス代表の生け贄ってとこ」

 恵太は組んだ腕を解けなくなっていた。質問するとその度に謎が増えるので、何から解決すべきか分からなくなる。

「よく分かんないけど、友達になりたいやつはたくさんいただろ?」

「いないよ。私のことを知ったら、友達になんてなりたくなくなる」 

 暗い台詞と裏腹に、同じように話を続ける唯に調子を狂わされる。

「それでなんで俺なんだよ」

「それはね」

 唯は肩に乗せていたカバンを両手に抱え直した。なぜか罰が悪そうに息をつく。

「坂井くん、頼まれたら断れない人でしょ。もしかしたら、私の頼みも聞いてくれるかもって思って」

 唯がまじまじと恵太を見上げてきた。恵太は否定したかったが、新聞部の手伝いの帰りだという状況に言葉を濁らせた。頼まれたら断れないなど、自覚したこともなかったのに。怪しい占い師に素性を言い当てられた気分だ。

「それに」

 続けようとする唯に、恵太は釘付けになった。内面を見抜かれているようで、今度は何が出てくるかと興味と不安が浮いてくる。

「生け贄なんて、何人も作るものじゃないでしょ? 私に話しかけてくる人、みんなグループだったから」

 唯の意図を測りかねて、次の言葉を待った。

「だから、お願いするには坂井くんがいいかなと思って」

 唯はごまかすように笑う。

「それって要は、俺がボッチってこと?」

 恐らく唯が避けたであろう部分を、逃がさないとばかりに言葉にした。恵太は心の中で否定できる材料を探す。SNSアプリ内の登録五十人近くという数字が、根拠となってくれそうな気がした。

唯は、「いや、ボッチとまでは言わないよ」と曖昧に苦笑している。

「言わないけど、思っていると」

「そうじゃないって。ただ、坂井くんだったら『みんなで』とか面倒なこと言わずに相手してくれるかなと思ったんだよ」

 少し語気を強め、唯は真剣に否定しているようだった。小川唯という生徒に、自分から話したり、何かを伝えようと必死になったりする一面があるとは。クラスメイトの誰も考えもしないだろうと、恵太は珍しいものを見たような目線を唯へ向ける。

なぜ、教室では人を遠ざけるのだろう。考えが追い付かないうちに、目指していた駐輪場に着いていた。誰よりも早く帰るのが日常の恵太には、目で数えられる程度の自転車の光景は珍しかった。

「小川さんの自転車、どれ?」

 恵太は自分の自転車に荷物を乗せると、唯の方を振り返る。唯は鞄を両手に抱えたまま、棒立ちだった。

「私、自転車ないよ。バスだから」

 そう言って早々と踵を返していく。早く言えよ、と舌打ちしたくなるのをこらえた。結果的に付き合わせてしまったことを嘆きたい恵太より早く、唯が口を開いた。

「今日はありがとね。よかったらまた相手してよ」

 唯の呼びかけには答えず、恵太は尋ねた。

「小川さん、帰るのどこから?」

「正門だよ」

 その答えにさらに肩を落とした。正門は真反対だ。女子に重い荷物を持たせたまま遠回りをさせてしまったのは、なんとも罰が悪い。恵太は腹をくくり、自転車を唯のところまで押して出た。

「俺もバス停まで行く。それ、乗せろよ」

 唯は一瞬ためらった様子だったが、恵太が改めて促すと、「ありがとね、助かる」と大げさに天を仰いで喜んだ。唯から鞄を受け取って自転車のかごに入れようとしたが、縦にしても横にしても半分ぐらいまでしか入らない。かごが重みで外れてしまわないか、心配になるほどだった。唯はよほど身軽になったのか、大きな伸びと息をしてはにかんだ。恵太はため息をこらえ、かごから飛び出しかけている岩みたいな鞄を手で抑えつけた。

「よし、行くか」

 恵太が自転車を前に押し出すと、唯も横に並んで歩き始める。沈黙が怖い二人歩き。恵太は、腑に落ちなかったことを聞いてみることにした。

「つか、ボッチがいいなら他にいるじゃん。男なら増岡とか」

「ボッチがいいなんて言ってないでしょ。根にもちすぎだよ」

 呆れたように唯が肩をすくめる。

「それにさ、友達になってほしいんだよ? 誰でもいいってわけじゃないからね」

 多少の段差で自転車はバランスを崩しそうになる。ハンドルを固く握って、恵太は耳を傾けた。

「坂井くんといるのが一番、面白そうって思ったから、かな」

「面白い?」

「そう。坂井くんは、頼み事を聞いてくれそうで、馴れ合いがめんどくさくなさそうで、且つ一緒にいて退屈しなさそうという、いくつもの条件をクリアした希少な人なんだよ」

 唯がなぜだか得意げに、眼鏡に手を当て人差し指を立てる。理路整然とした語り口に、恵太は頭の片隅にあった可能性を捨てた。これが新手のナンパである可能性は無さそうだ、と。唯はあくまで理論的に、電卓を弾くように恵太を選んだようにみえる。転校した先で運命の出会いを経ての恋愛、など夢見がちな考えは微塵もなさそうだ。

「それって、俺になんか得はあんの?」

「え?」

 唯の声が意外そうに上ずった。

「だって頼み事だろ? 俺が受けたとして、何かもらえるものとかあんのかって話」

 頼まれれば何でも受けるというレッテルが気に入らなくて、意地悪く揺さぶりをかけた。

「あー、お礼の要求か。なるほど」

 唯の口が真横に結ばれ、視線が答えを探すように宙を泳ぐ。

「ない」

「ないのかよ」

 急に投げやりになったような唯の発言に、恵太は笑ってしまっていた。

「そうくるとは思わなかったな。うーん……お金なら払えるけど、それって友達? なんか怪しい関係?」

 恵太に向けて言っているのか独り言なのか、曖昧に呟いている。真剣な表情なのが、恵太はまた可笑しかった。

「あのな」

「わかりやすいのは物なんだろうけど、友達になってもらう見返りの物ってなんだろうね。相場が分かんないな。検索したら出てきたり、しないか」

 真剣になりすぎて、呼びかけも耳に届いていないらしい。早いところ問題を解決してやらないと、本当に電卓で金額を打ち出してきそうだ。恵太は今度こそ唯に聞こえるように声を張った。

「いいって、嘘だよ。そんなことに金遣うなよ」

 唯の目が、窺うように恵太を見上げてきた。近くで瞬きをされると、睫毛が長く整った目だと気づく。

「ほんとに?」

「本当だって。ていうか本気にしないだろ、普通」

「そっか」

 安心したように、唯は目を細めて俯いた。恵太はこれから、バス停まで何を話そうかと迷う。聞いてみたいことは山ほどあった。なぜ今日まで誰とも話そうとしなかったのか、誰も唯とは友達になりたがらないとはどういうことなのか。

本当は帰る方向が反対なのに付いて来たと知った時、恵太は唯の頼みを受け入れようと決めていた。理屈はどうあれ、同級生の女子に頼られて悪い気はしていない。

「それじゃ、よろしくね坂井くん」

 小さな手のひらが差し出しされた。一つしか意図は想像できないが、恵太がためらっていると

「よろしくの握手」

 と唯が念を押してきたので恵太はその手を取った。か細くて、儚い感触。すぐに唯の手は離れていく。自分でも気づかないうちに、その小さな手を目で追っていた。この後、何から話そうか。恵太は少しの間、考えようとしていたことを忘れていた。

 

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