人魚の末裔の私2
さて困った。離れの自分の部屋を掃除していたら、日記を見つけてしまった。すごいな私。月に一度大掃除をする習慣になっていて、そのタイミングでしか見つからない場所に日記が隠してあるとは! そこには、私が一生懸命見ないふりをしていた、過去の恋の記録が赤裸々に語られていた。恥ずかしい……。その数なんと8回。そして、そのお相手は予想通り「全て」「博士」だった。そんな気はしてた。だって私、今回ももう、好きになっちゃってたもん。なんで、って思うくらい簡単に落ちてしまっていた。博士の横顔とか、声とか、仕草とかにひきつけられて目が離せなくて、ちょっと優しくしてもらったらころんと落ちていた。ちょろすぎじゃない? 私。このノートの隠し場所を見つけられなかった私もいるだろうから、本当はもっと多いのかもしれない。好きになったのは博士だけだという自分に、一途じゃんってちょっと安心もしたけど、その度に振られているという事実に結構えぐられた。どれだけ見込みがないんだろう。博士も迷惑してるはずだ。そりゃ、外に出て恋でも探してこいって言いたくなるよね。
でも、この日記はすごい。私が、毎回そんな風に落ち込むことまで想定済。そして、あきらめちゃえ、とまで書いてある。あ、あきらめちゃえ、は「他の人」を好きになるのはあきらめちゃえってことね。そんな無駄な時間を費やすなら、博士を落とすことに全力を注ぎなさいだって。少しずつ博士に気づかれないように、絆して、甘えさせて、心の隙間に入り込んで博士を落としてしまいなさいって書いてある。すごーい。私ってなんて前向き。ポジティブモンスター。非常に頼もしい。この日記に出会って、初めて自分が好きになれたかも。博士を落とすための作戦として、朝夕の挨拶から、起床の手伝い、食事、デート、スキンシップなど、もうこれでもかってぐらいやりたいこと一覧が書いてあって、感触がよかったものとか、悪かったものとかが記録してある。くー、頼りになる! 私も早速、今の心境とか心意気とか、やりたいこと一覧の追加なども日記帳に書きこんで、隠し場所にそっとしまう。
しょっちゅう失恋ばっかりしている私は、その度に薬を飲んでいてたいてい記憶喪失なのだろう。不安をあまり感じないのは、記憶喪失で博士の側にいるこの状態がきっと私の定常運転だから。やっと腑に落ちた感じだ。
この記憶喪失も未来につながる足がかりだと思ったら、そんなに悪くもない。失恋日記という大いなる味方も得たことだし、明日からは博士と仲良くなるように色々活動を始めよう!
そんなこんなで、色々チャレンジをしてみました。断られたり、うまくいったり結果は色々。今日は、朝一に起こしに行って散歩のお誘いをしたけど、すげなく断られました。先週は成功したのになあ。まあ、博士の寝顔が見られたからいいか。メガネをかけたまま寝ちゃってるのは子供みたいでちょっと可愛かった。
私はせっかく早起きしたので、一人で散歩に出ることにした。海辺の松林を抜けて、かみつくような波の音がうるさい岩場の方へ降りてみる。この辺りは、サーフスポットとも離れていて誰も来ない。泳いでみようかなあ。ちょっと人魚の血がうずくかも。
『……くすくす。ねえ、ねえったら』
誰かに呼ばれた様な気がしてきょろきょろと見回すと、5mほど先の岩場の影に大きな魚のしっぽが見えた。岩に弾ける波の音にばちゃんと水面を叩く大きな音が重なって、ひときわ大きな波しぶきがキラキラと飛び散ると、岩の上にはきれいな女の人が座っていた。
人魚だった。
『あなた、あの子の娘ね。陸に上がった私たちの哀しくて愛しい血族の娘』
ガラスを石でひっかくような、多分人が聞き取れない波長の声だろうけれど、私にはわかった。
「お母さんを知ってるの?」
私は、岩場へと近づいた。(多分)初めて見る人魚だが不思議と怖い感じはしない。優しい目だ。
『恋をしてるのね。ぐずぐずに溶けちゃわないうちに、早く食べちゃいなさい』
えっと、それはそういう意味でしょうか? 思わず赤くなる私に、人魚は重ねて告げる。
『ちゃあんとあったかい心臓を引っ張り出して食べるのよ。そうすれば、奪われた心はあなたの中に戻ってくるわ』
冷たい氷の塊を押しあてられたようにキンッと心が冷える。それが言葉通りの意味だと、私は本能的に理解してしまった。人魚は変わらず優しい目だ。ああ、残酷なことを言っている自覚はないんだ。「人魚」にとってこれは「普通」の事。
「奏海!」
博士の声が慌てた足音と共に林の奥から聞こえてきた。
『お母さんと同じ失敗をしちゃだめよ。食べちゃうのよ。一緒に海に帰るなら、迎えに来てあげる』
人魚は、するりと私の頬をなでると現れた時とは違って波の間に吸い込まれるように消えて行った。
「奏海! よかった。連れていかれたかと思った」
博士の慌てた顔やら走る姿やらはとても貴重だったはずなんだけど、私はその時人魚に言われたことを飲み込むことができず、しばらく呆然としていた。
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