第5話 細胞融合

翌日、同じ研究棟で抗体医薬の研究をしているC教授の研究室のH助教に話をしにいった。

「細胞融合の技術を教えていただきたいのですが、今週どこかでお時間はございませんか?」

「それなら丁度、今日の午後にいつものB細胞とミエローマ細胞の細胞融合を行うので、見学に来ていいですよ。しかし、M教授の研究室は器官培養を始めたと思ったら、今度は細胞融合ですか。何をテーマにされてるんです?」

「肝癌細胞は手に入ったのですが、同じ肝臓組織の胆管細胞の癌細胞が手に入らなくて。とりあえず正常な胆管細胞を、研究室で持っているミエローマ細胞と細胞融合させて不死化しようと思うんです。その細胞が、もし胆管細胞マーカーを発現しているようなら、共培養して器官培養に影響があるかを調べようと思ってるんです」

適当な言い訳を述べたが、

「なるほど。予算と時間が限られてると大変ですね」

と、あっさりH助教は話を信じてくれた。僕は頭でっかちなので、H助教を納得させるくらいには、それっぽい話ができたのだろう。それと、どの研究室もお金と時間に追われているので、雑な研究も数多く行われているのが実態なのも手伝った。


細胞融合は思ったよりもあっさりと終わった。講義ではポリエチレングリコールを用いて化学的に作成する方法を学んだが、H助教は、より簡便な高電圧の電気ショックによる細胞融合法を教えてくれた。プロトコールをノートに書き取り、共有機材の予約をした。

「もしわからないことがあったら、いつでもまた聞きに来てください」


H助教と別れてから、研究室の自分のデスクに戻った。隣のデスクから同級生のSが話しかけてきた。

「最近、細胞と沢山遊んでるみたいだけど、就活はどう?研究職だけだと厳しいから、オレは製造職も受け始めたよ」

就活は僕の中で大した問題ではなくなっていた。

「実は進学しようかと思ってるんだ。だから、就活は全然してないよ」

Sは目を丸くした。

「え~!あんなに『ゲノム創薬』をやりたいって前から言ってたのに。ドクターをとってから就職するつもり?ドクターの就活は相当難しいって聞いたぜ。それに、ドクターに進むなら結構なクオリティの論文を書かないといけないんじゃない?」

痛いところをついてくる。

「新しい研究テーマを進めることになってさ。いい感じに論文にまとめられそうなんだ。なんとかなるよ。それに、就職はその時にやりたいことで決めればいいし」

要約すると、特に考えなし。

「へ~。でも、ドクターに進むとやりたいことって言ってもなかなか就活は難しいみたいだけど。まあ、決めたことなら頑張ってね」

Sはそう言うと、デスクのパソコンに向かい、いつものように、匿名掲示板のまとめサイトを眺め始めた。


自分の研究室に冷凍ストックしてあるミエローマ細胞の細胞株がないか、液体窒素保存されている細胞の保存リストを調べた。すると、過去に実習用に用意されたと思われる、10年もののミエローマ細胞株があることがわかった。


僕は他の細胞を取るように見せかけて、ミエローマ細胞株が入った小指サイズのチューブを液体窒素タンクからとりだした。37度の湯浴であたため、細胞保存液が融解したところで、培養室へ向かった。遠心分離機で細胞をチューブの底に落とし、トリプシンで洗浄して、あらかじめ37度に温めておいた培養液入の培養プレートにまいた。もし、細胞株が生きていれば、3日間ほどで培養プレートに張り付いた細胞が顕微鏡で観察できるはずだ。


もし生きたミエローマ細胞株が観察できたら、もしそうなったら、僕の精子を細胞融合させて不死化させることができるかもしれない…!祈るように培養プレートをインキュベーターに入れた。


(次号へつづく)


用語解説

*胆管細胞マーカーを発現していることを確認:細胞が胆管細胞の働きを行っている証拠となるタンパク質を検出すること

*細胞株:死滅することなく、半永久的に分裂増殖する不死化細胞

*ミエローマ細胞:骨髄腫細胞。ミエローマ細胞では,DNA合成経路の一つであるサルベージ経路が欠損しており、デノボ経路に頼って生きている。そのため、培養液にアミノプテリンを添加してデノボ経路を遮断すると死滅する。しかし,サルベージ経路が正常なほかの細胞と細胞融合させると,サルベージ経路が稼働するようになり、アミノデブリン存在下でも生きのびる。この性質を利用し、アミノデブリン存在化で培養することで、細胞融合が正常に行われたミエローマ細胞のみを選別することができる。

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