【小説】培養知性
ぐしゃうん
第1話 イントロダクション
僕は大学院で生命科学を研究している。生命科学には、中学生の頃からぼんやりと憧れを持っていた。人間のゲノムDNAが全て解読されたと報道されたのが、僕が中学生の頃だったと思う。高校生のころ、自分の得意科目は英語と化学で、進路は3つ考えていた。英語教師、医者、薬の開発者。教師は自分に向いていなさそうだからやめた。医者はとてもじゃないが勉強量が足りないので諦めた。消去法的に薬の開発者を当面の進路に決めたのだが、それなりにやりがいのある仕事だと思えたので、勉強はそれなりに頑張った。
国立大学の薬学科には落ちてしまったが、私立大学の薬学科と生命科学科に合格した。普通に考えれば薬学科に進めばよいのだが、高校3年生の最後の半年、過去問を解く合間に読んだ製薬関連の新書には、どれにも「ゲノム創薬」という言葉が踊っていて、これからはバイオテクノロジー、生命科学こそが重要だ、と思うようになった僕は、生命科学科に進んだ。大学生になってからも、ゲノム創薬というそれなりに一貫したビジョンを持っていた僕は、大学の勉強を比較的楽しんでいた。
ご多分に漏れず、大学のサークル活動にもちょこちょこ手を出した。音楽が好きなので、DJやDTMをするサークルに入り浸った。サークルでは自然と運営メンバーの一人になり、大学への予算申請書に、「計算機を用いて人間を感動させる音楽が作れるかを研究する。シンセサイザーで作成した音をフーリエ変換し、その成分を分析する。人間の声の成分であるフォルマントを調整することで新しい音色を作成する」などとそれっぽく書いたら、かなり潤沢な予算が手に入った。申請書に書いた内容はつまり、「DAWソフトで作曲します。シンセサイザーで音を作ります。音声合成ソフトでボーカルを歌わせます」ということを難しく書いただけである。こんなもの大学生の浅知恵だが、学生の向学心を応援したいと思う大学側にはそれっぽく見えたのかもしれない。今考えると少し後ろめたい。
それらのキャッシュは全てDJ機材やDTM機材・ソフトに変わった。サークル部屋には高スペックなPCが置かれ、プロ仕様のDAWソフトが入れられた。一応、そこから音楽で食っていく人間が1人生まれたので、この投資には意味があったと言っていいかもしれない。かくいう僕は、適当に作曲を楽しみ、それなりに機材や音楽について語れるようになったところで満足し、特段努力してミュージシャンになるようなことは考えなかった。国立大学に落ちたときの経験と、僕の中でこの経験はダブる。僕はなんとも中途半端な性格なのかもしれない。
今、毎日時間を費やしている研究についてもそうだ。そもそも研究室選びからして、僕のパターンは繰り返しだ。メディアに取り上げられ、著名な論文を出しているような研究室はどこもスパルタで有名だったので、配属を避けた。心の中では、製薬会社に就職するんだから、アカデミックな研究ばかりやらされたら困るなどと言い訳していたが、その実は単純に熱中する決意が無かっただけなのだ。そこで、ある程度実績を出しながらも、ほとんどの先輩が製薬会社に就職しているM教授の研究室を希望し、入室した。研究内容は生命科学界でもある程度有名な癌研究だ。
僕はそこの研究室で修士まで進むことになったが、これも理系の開発職の就職にはほとんどの大企業で修士号が必要だからという理由がメインだった。研究はそれなりに楽しいが、自分に研究者としてのセンスが無いことは比較的早くに分かってしまった。論文を読むのは楽しい。他人の研究について議論するのも面白い。しかし、僕は致命的に実験が下手くそだった。生来の不器用っぷりで、大学生の頃からほとんど実験のテクニックは上達しなかった。なので、査読付き論文は全く書けなかった。同じグループの先輩が、共著者に僕を入れてくれようとして、実験の一部を任せてくれたが、失敗した。先輩の想定通りの結果が出なかった訳ではなく、実験自体に失敗してしまった。そのため、論文検索データベースで僕の名前を検索しても何も出ない。論文勉強会でだけ目立つ、頭でっかちな大学院生に僕はなっていた。口だけは達者だが、特に実績はない。それが僕だ。
ここまで記して、大学生にとって重要な要素が一つ抜けていることに気づいた。恋愛だ。生命科学科は普通の理系学科と違って、半分近くが女学生だ。そういうチャンスはあるんじゃないかと思われたが、僕は相変わらず中途半端な性格だった。女友達はできるが、彼女を作ることはできなかった。性欲は強いが、かといって風俗に行くのも嫌で、自慰行為に毎晩ふけっていた。そんな僕の人生を変えてくれたのは修士1年生の時の、とあるハロウィンパーティだった。
(次号へ続く)
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