第五話 旧鼠、有海を噛む

 件の公園から徒歩三分。

 青い屋根の家の目の前に私達三人は到着していた。


「ここが、竜星の家だよね?」

「僕たちの学校からこんなに近いのに、別の学校なんだな」

「公園の前の大きな道路がちょうど学区を隔てる道路なんだって」

「ふぅん」


 たわいもない会話をしつつも私達は玄関へと足を踏み入れた。

 なんとなく重い空気が私たちを包み込んでいる気がして、足取りが重くなる。


「チャイム、押すよ?」


 二人が頷いたのを見届けて、私は竜星の家のチャイムを押す。聴き慣れたピンポーンの音が鳴り響くと、中からドタドタという足音が聞こえてきた。私にとってはとても馴染みのある足音だった。


「はぁい! あら、まりあちゃん今日も来てくれたの?」


 天然パーマがかった短めの髪の毛に恰幅の良い体型でエプロン姿の女性が扉を開けてくれる。声の主は竜星のお母さんだった。


「こんにちは、おばさん。竜星の調子はどうですか?」

「それが、まだ部屋に引きこもっちゃってるのよ」

「あの、声を掛けてみてもいいですか?」

「えぇえぇ。家の中に上がってちょうだい? ……あら?」


 その時、おばさんが初めて後ろにいる人影に気がついたみたいで首を傾げてこっちを見た。


「あなたたちは?」

「え!? あぁ、えっと……! 私の友達です。竜星の話をしたら会ってみたいって」


 おばさんに説明する言葉を考えていなかった私は少し慌てながらそういった。そうとしか言いようがなく、変わり者の二人に振り向いて目配せをする。


「そうなの? 嬉しいわ。あの子に今必要なのは友達なの。仲良くしてあげてちょうだいね」

「はい! もちろん!」

「そのつもりで来ました」


 二人も話を合わせるようにお辞儀をしてくれる。空気の読める人たちで良かったと内心では少し安堵していた。けれどもその安堵は誠君の一言で一瞬にして消え失せてしまう事となる。


「すみません、つかぬ事を伺っても良いですか?」

「あら? どうしたの?」

「この家に屋根裏部屋はありますか?」

「はい?」


 突然の質問に、おばさんの眼は点になる。そりゃそうだ、突然訪問してきた子供が屋根裏部屋の事を聞くだなんて普通に考えて怪しい。


「ちょ、ちょっと誠君!? ごめんなさい、おばさん! この子……屋根裏フェチなんです!」

「ぶふっ!!!」


 私が放ったメチャクチャ苦しい言い訳に有海が噴き出した。流石に、屋根裏フェチはなかったと自分でも思うが、言ってしまったものはもう遅い。


「屋根裏……フェチ……」


 おばさんの眼が逆に怪しいものを見るような目に変わっていく。思いっきり言い訳の選択肢を間違えた。背中に冷や汗をかいた感覚が気持ち悪い。

 誠君が私を恨めしそうな目で三秒ほど睨んだが、軽く息を吐いてから眼鏡を上げる素振りをしながらおばさんに向き直った。


「……建築物に興味があると言ってくれないか? 誤解を招く言い方をしましたが、僕の夢が建築士なんです。僕の家はマンションな物で、屋根裏部屋があるならぜひ見て見たかったんです。ありそうな家だったから」


 ものすごい強引に話を合わせてくれる誠君に私は半ば感心した。この人だったらなんにでも話を合わせられるんじゃないだろうか。今度無茶ぶりでもしてみよう。面白い回答が返ってくるかもしれない。


「あぁ……そうだったの? あるにはあるけど、何年も入ってなくて埃だらけだから見せられないわ」

「そこを、なんとかお願いできませんか?」

「そんなに見たい物かしらねぇ……」

「はいっ! まだ人生で一回も見たことが無いんです!」

「変な事をしないって約束してくれる? もちろん私も立ち会うし、少しだけよ?」

「ありがとうございます!!」


 誠君が丁寧に頭を下げると、有海も倣って頭を下げた。


「ごめんなさい、誠がわがままを言って」

「まりあちゃんが連れて来てくれた子だから特別よ? さぁ、入って?」

「お邪魔します!」

「おばさん、どうもありがとうございます」


 私達三人はそんなこんなで竜星の家にお邪魔した。


 広々とした一軒家の生活感あふれる玄関には竜星の泥だらけの靴も並んでいる。竜星の部屋は、家には行って目の前にある階段から二階に上った場所にあり、さらに奥の部屋から屋根裏部屋に繋がるハシゴのようなものがあるのだ。


 誠君がこんなにも屋根裏部屋に固執したのはきっとネズミがらみの何かがあるからに違いない。

 私は先陣を切って二階への階段を上ると、とある扉の前で立ち止まった。閉じられた扉の向こうには竜星がいるはずだ。


「私、竜星に声かけてくるね」

「ウチも行く!」

「じゃぁ、僕はおばさんと屋根裏部屋を見てくるよ」

「うん! 行ってらっしゃい!」


 誠君とおばさんが奥へと昇っていくのを見届けると、私は早速流星の部屋の扉をノックした。


 コン、コンと乾いた音が静かな廊下に響き渡る。


「竜星? いるんでしょ?」

「……」


 誰の声もしない。本当にそこに竜星がいるのかどうかも分からないくらいの静寂に私はどうすれば良いのか分からなくなって有海を見た。


「こーんにーちはー!!!」


 有海は突然大きくて朗らかな声で竜星に呼びかける。


「初めましてー!! どんな悩みでも簡単解決っ! 福山有海だよっ!」

「いや、誰だよ!!」


 突っ込まずにはいられない性なのだろう。呆れた竜星の声が扉の向こうから返ってきた。


「あ、やっぱりいるみたいだよ、竜星君」

「そうみたいだね……」


 ニコニコと有海は笑って扉のドアノブに手を掛ける。扉を開けようとすると中から鍵を掛けているのか、ドアノブは一番下まで下がらずにガチャリと音を立てた。有海もこれには困り顔だ。


「ねぇねぇ、竜星君? ここ開けて?」

「……」

「君の悩み、聞きたいな?」

「……」


 突っ込みを入れた以外に竜星は有海の声に反応してはくれなかった。どうにもこうにも、竜星から話を聞くのが一番の手掛かりだろうに、それさえままならないとなると、呪いの解錠への道のりはかなり遠のいてしまう事だろう。


「まりあー。どうしよう?」

「困ったね……。ドア越しにでも話を聞いてみるしか……」


 そう言いかけたその時、突然屋根裏部屋の方向から悲鳴が聞こえてきた。


「きゃあああああああああ!!!!!」

「この声……おばさんだ!! 上で何かあったんだ!? 行こうまりあ!!」

「うん!」


 私と有海は奥の部屋へ駆けて行く。有海が先陣を切ってハシゴに手を掛けた瞬間、誠君の声が響いた。


「有海、まりあ!! 気をつけろ!! そっちに行った!!」

「えっ!?」


 注意喚起の声に驚くのが先か、私たちの目の前に猫程に大きなネズミが飛んできたのが先か。

 とにかく私たちは、巨大なネズミの出現に声をそろえて悲鳴を上げた。


「ネズミ!!!!!」

「きゃぁぁぁぁぁ!!!」


 上から降ってきた、どでかいネズミから顔を守るために有海が手の平を明一杯広げて振り回すと、そのネズミと見事に命中してしまい、ネズミもまた、有海に驚き、こともあろうか手の甲に噛みついたのだった。


「痛っ!!!!」


 手の甲に嚙みついたネズミは己の顎の力だけで全体重を支え、有海の手の甲にぶら下がった。

 痛みとパニックで有海が手をぶんぶんと振り回す。


「あっち行って!! 離してっ!!!」

「有海!! そいつを捕まえろ!!」

「!?」


 誠の一言に気が付いた有海はぶら下がっているネズミをもう片方の手で捕まえようとしたが、ほんの一瞬遅かった。


 ブチッ!!!


 なんとネズミは有海の手の甲を食いちぎり、有海のもう片方の手をかいくぐった。


「痛っ!! まりあ!! そっちいった!!!」


 手を食いちぎられて、涙目になりながらも有海は私に叫んだ。

 目の前にどんどん迫る猫ほどの大きさのネズミ。ただでさえネズミは苦手な方なのに、この大きさはあり得ない!


 恐怖が私を包み込んで、初めて見るだろう妖怪に足が竦んでしまった。


 大ネズミが私に牙をむく。


「きゃあああああああああ!!!!!!」


 迫ってくるネズミに私は大声で叫んでしゃがみ込んだ。


「まりああぁぁぁぁ!!」


 見覚えのある頼もしい人影が私を後ろへ引っ張ったかと思うと、牙をむいて飛んできた大ネズミを正拳突きで返り討ちにした。

 ぶん殴られた大ネズミは壁にたたきつけられ、ピクリとも動かなくなる。私は、私を守ってくれた影の正体が誰だか分かっていた。



「出て来てくれたんだね、竜星!」

「……まぁな」

「助けてくれて、ありがとう!!」

「お、おぅ……!」


 気まずさからか、耳まで真っ赤にした竜星は、私が知っている頼もしいお兄ちゃんそのものだった。

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