夏、焦燥

 死神との関係は良好だ。向こうは俺に無理のない程度の愛を与えてくれて、逆に俺はそれを受けられている、と思う。

 少なくとも、死神との日常はそれなりに楽しかったし、心の中に足りなかったなにかが少しづつではあるが埋まっていくのが実感出来ていた。


「なんだか楽しそうですね」

「そうか?」

「ええ。なにかいいことでもあったんですか?」

「ああ、まあ……」


 ふと、疑問が生まれた。やはりまだ死神という存在が理解できていないみたいだ。


「思考が読めるんじゃなかったのか?」

「はて? 私、そんなこと言いましたか……?」

「……言ってないな」


 だが、死神の言動は思考が読めでもしない限りは辻褄が合わないことばかりだったような気もする。

 そして、死神は俺の思考を読んだように言った。


「私は魂の色、つまりは感情が見えるだけです。あくまでその前後の話と繋ぎ合わせて、蒼士さんの思考を推理しているに過ぎないのですよ」

「なるほど……賢いわけだ」

「死神ですから」


 実際は死神という名称ですらないだろうに、こうして全部俺に合わせてくれるのだ。楽ではあるが、些か申し訳ない気がしないでもない。

 申し訳ないという感情を見たのか、死神がすかさず話題を変えた。


「で、どんないいことが?」

「ああ、そうだった。明日、友人と海に行くことになってな。実は初めてだから、ちょっとはしゃいでる」

「おお、海ですか。楽しそうですね。日焼け止めとか、準備しておきましょうか?」

「いやいや、それくらい自分でやるから」


 大学生にもなって、少し浮かれすぎかと思う。一年後には死が待っているのにこんなことではしゃいでいいのか、とも思う。だが、楽しみなのも事実だ。

 どうせ楽しむならもっと楽しめた方がいいなと思ったから、死神に提案してみることにした。


「なあ死神」

「はい?」

「一緒に行かないか?」

「……私が?」

「そう。死神もいたら、楽しめるかなって」

「ふむ……わかりました。ご一緒しましょう。ちなみに、ご友人たちには私の話は?」

「一切してない」

「では、友達に彼女ができていたサプライズみたいなことになるわけですね」

「死神は可愛いから、多分嘘だと思われるけどな」

「……可愛い、ですか?」

「えっ? ああ、うん。可愛いだろ」

「そ、そうですか。ふーん……」


 そのまま死神は、元々空き部屋だったが今は死神に貸している部屋へと戻って行った。


「機嫌、損ねたか?」


 また死神にとってはあまりいい言葉ではなかったのかもしれない。と思ったが、そもそも感情がないなら機嫌が悪くなるということもないのだろう。

 とりあえず、明日の準備をしておくことにした。






「蒼士さん、起きてください。朝ごはんできてますから」

「ん、んん……」

「普段はしっかりしてるのに、前日寝れなかったんでしょうね……遠足前の小学生ですか」

「馬鹿にすんな。起きれるから」

「おはようございます」

「おはよう」


 やはり昨日のあれは機嫌を損ねてしまったわけではないようで安心した。

 死神が作ってくれたサンドイッチを食べて、支度をする。死神の方はというとだいぶ早朝から起きていたようで、準備を終えていた。


「って、いつから起きてた?」

「寝てませんよ。私も疲労という概念は持ち合わせていますけど、その尺度は人間の比ではありませんから」

「あんまり、無茶すんなよ?」

「ええ、お気遣いありがとうございます。まあ、蒼士さんが見ていてくれるなら大丈夫でしょう?」

「無理やりにでも休ませます」

「そうでしょうね」


 死神にも欲求はあるようで、たまに眠いと口にしている。当然疲労だってあるだろうし、普段から眠いと言っている死神が徹夜作業なんて、身体を壊しかねない。

 本当はすぐにでも止めてやりたいところなのだが、死神には魂の管理者という仕事がある。それを阻害してしまっているのも俺だ。簡単に口を出してしまっていい話ではないし、一人の人間である以上、死神の力になることもできない。


「どこまでも優しい人」

「そうでもないって」

「貴方がそう言うなら、そういうことにしておきましょうか」


 優しいと言われて嫌なわけではないが、別段嬉しいわけでもない。むしろ、恥ずかしさの方が幾倍上回ってしまう。

 そんな俺を他所に、死神は俺の支度まで済ませてくれる。


「あ、髪の色は変えた方がいいですか?」

「そんなことできんの!?」

「可能ですよ。元がこの髪色ですのでこのままにしてあるだけで、黒く染めることもできます」

「……いや、そのままでいいかな」

「わかりました。では、そうします」


 死神の髪は、綺麗なのだ。染めてしまうなんて勿体ないことはできればしてほしくない。

 死神は嬉しそうにしながら髪をいじっているが、嬉しいという感情もないはずなので、それすらもきっと俺の気の所為なのだろうが。


「では、そろそろ行きましょうか」

「そうだな。あ、日焼け止めは?」

「私には必要ありませんよ。皮膚をコーティングできますので」

「すごいな」

「ああ、貴方の肌もやろうと思えばできますよ」

「マジか」


 それほど日焼けを気にしているわけではないが、日焼け対策ができるのならやってしまいたい。


「どうやってやるんだ?」

「素肌をこすり合えば大丈夫です」

「ごめん、やっぱなしで」


 死神はさらっと言ってのけるが、俺にとってはかなりの行為だ。そんな俺を不審に思ったのか、死神は探るような視線を向けてくる。


「いや、日焼け止め使うからいい」

「そうですか」


 すたすたと歩く死神はやや不機嫌そうに見えたが、死神には感情がないのだからきっと気の所為だ。






「おお……」

「ご友人は、どちらに?」

「ああ、そうだった」


 初めての海に若干興奮してしまったが、先に合流しなければいけない。

 死神を連れて友人を探す。気まずさなんてものはないが、さすがに話すこともなければ退屈かと思って話の内容を探す。


「別に退屈とかは感じないので大丈夫ですよ。話したいという欲求があるときはありますが、そのときはわりと話しかけてますのでお気遣いなく」

「そっか……えっと、その欲求と感情って結局なにが違うんだ?」

「それは定義しにくい話ですね。そうですね、私が持つものが欲求、私が持たないものが感情です」

「それは知ってる」

「ええ、つまりはそういうことなのですが」


 死神は数秒間だけ考えるような仕草をしてから再び口を開く。


「私たち魂の管理者が言う感情は、無意識の内に生じる気持ち、ですかね。ただまあ、これだと幅が少し狭いのですが」

「幅が狭い?」

「ええ。たとえば先程、私は退屈は感じないと言いましたよね。ですが、人間は退屈なときに無意識的に暇だとは感じないはずです」

「……確かに?」

「ですが、私たちからすればその気持ちは抑えようと思っても抑えられないようなもの。暇なときは暇なんですから。それが私たち管理者が定義する感情です」

「……なんか、難しい話なんだな」

「理解する必要はありませんよ」


 そう言って死神は楽しげに笑った。それすらも意識的に作った笑顔だと知ってしまったら、少しだけ悲しくなった。

 ようやく友人たちを見つけた俺と死神は、若干早足で合流した。


「……で、その人が日野の彼女!」

「ああ、まあ」

「どっこでこんな可愛い子ゲットしたんだよ蒼士!」

「あはは……」


 成り行きというかなんというか、なのだが。


「これ自己紹介とかしといた方がいいよな。俺、佐野優希さのゆうき! よろしく!」

「私は……」


 それぞれが軽い自己紹介をする。そして俺は、かなり焦っていた。

 人前で「こいつは死神なんだ」なんて言うわけにはいかない。かといって、魂を持たない死神が名前を持っているのかも知らない。

 そんなことを考えながら焦っていると、感情を読んだであろう死神が楽しげに笑った。


「ソフィアと申します。見ての通りかと思いますが、日本人ではありませんので。好きに呼んでくだくださって構いません」

「……すまん、

「いえいえ、構いませんよ」


 慣れた口ぶりだったので、おそらくソフィアというのは以前から死神が使っている名なのだろう。そもそも、死神というのは俺が勝手に呼んでいるだけであって本来は魂の管理者という役目に過ぎない。

 思い思いに話しかける友人たちに丁寧な対応をしながら、ソフィーはこちらにアイコンタクトをしてきた。


「そろそろ更衣室入らないか? 暑い」

「おー、そうだな。ソフィアさんの水着も楽しみだし!」

「それは日野の特権っしょ……」


 その気持ちはわかる。ものすごくわかる。

 とても整った顔と白い髪の相性はすごくよくて、スタイルも完璧だ。気になるのは無理がない気がする。正直、ものすごく気になっている。

 そんな俺の感情を読んだのか、ソフィーは満足そうに腕に絡みついてきた。本当に感情がないのか疑問になるが、これも俺に愛を感じさせるためなら納得せざるを得なかった。実際にソフィーのことは、すごく可愛いと思ってしまっているのだから。

 とはいえ男女が同じ更衣室に入るわけにはいかないので、ソフィーも渋々といった様子ではあったが離れてはくれた。

 なんというか、ここ数日でソフィーの演技力がとても上がっている気がする。ご近所でもよくできた彼女で話が通ってしまうくらいになっているのだ。

 それすらも演技だというのだから、なんとも悲しい話ではあるのだが。


「で、ソフィアさんとはどこまでいったん?」

「どこまでもなにも、付き合い始めたのはつい最近だ」


 というより、初めて会ったのもこの前だ。


「マジかー、早いうちにしとけよ? あんないい人、取られんぞ?」

「取らせねぇよ」

「いや俺が取る」

「やってみろ」


 そもそも一年後にソフィーがどこにいるのかもわからないが、でも少なくとも今は彼女を手放したくはない。なんとも単純な性格だとは思うが、自分に優しくしてくれる女の子を好きになるなという方が無理な話ではないだろうか。


「そういや、蒼士は海初めてだっけか」

「まあ。行く機会もなかったしなぁ」

「んじゃ、今日はお前がしたいことしよーぜ!」

「したいこと、か……」


 そう言われても、海で何をして遊ぶのかというのもいまいちわかっていない。


「まあ、ちょっと考えてみる」

「おー、そーだな。ちゃんと考えろよー?」

「わかってるって」


 佐野はこういうところがすごく良い奴だと思う。

 とりあえずさっさと着替えて更衣室を出ると、髪色に近い真っ白な水着のソフィーが髪の毛をくるくるいじって待っていた。


「待たせたかな、ごめん」

「いえいえ、全く」

「綺麗だよ」

「……どうも」


 髪をいじる手を止めたソフィーは俺の隣に並んで、そのままぴったりと引っ付いてきた。


「そうだ、ソフィー。なんかしたいこととかある?」

「したいこと?」

「いや、海でなにするとかわかんなくてさ……」

「そういう……では、ビーチバレーなんていかがでしょう?」

「なるほど」


 それからしばらく、ソフィーを頼りながらではあったが楽しく遊んだ。






 時間も遅くなって、そろそろ解散しようかと言う話をし始めた頃。水平線の向こうに沈む夕陽をぼんやりと眺めながら佐野とソフィーと少し話をしていた。


「佐野とソフィーのおかげで、楽しかったよ」

「や、いいって。ソフィアさんだろ」

「私の方こそ何も。ですが、そうですね。蒼士さんが楽しかったと言うならよかったです」


 楽しかった。

 今まで見たことのない、したことのないことをたくさんしたからか。それとも友人やソフィーと一緒だったからか。結局のところ全部だろうが、とにかく楽しかった。

 来年も来れたらな、と思えてしまうくらいには。


「ちゃんと来年までソフィアさん確保しとけよー?」

「……来年、ですか」

「そうだな……」

「……えっ、なに。なんだよ二人して」

「……ソフィー」

「構いませんよ。この方は口外しませんから」

「そっか」


 佐野は呆けた顔で俺とソフィーを見ていた。


「俺、来年の春に死ぬんだ」


 それは、変えられない運命だから。

 隠していることすら苦しかったのだ。本当のことを言えば、今日いた全員に伝えてしまいたかったことだ。

 けれど、せっかくの楽しい思い出を塗りつぶしたくはなかった。俺の友人は、きっと悲しんでしまうから。


「蒼士さんは今も既に死に向かっています。救いようがない病気です」

「……は? 何言ってんだよ。冗談にしても……」

「私は、死神のようなものです。正確な未来こそ見えませんが、一年後に誰が死んでいるかくらいは見えます」


 佐野のソフィーを見る視線が変わった。それでも俺を見るときは今まで通りなのは、信じられないから。信じたくないからだろう。


「信じてないですね」

「あれは? あの、頭割れるやつ」

「魂と肉体を乖離させているんです。頭は割りません」

「なあお前ら、なにを……」

「しょうがないですね。まあこれでいいでしょうか」


 ソフィーが指を鳴らすと、髪の色が白から赤に、次に青に。何度か切り替えた後、また白に戻った。


「証明には弱いですが、これで人ではないと信じていただけました? まだ弱いなら……」

「……いい、もういいよ。そういう嘘はいいって」

「佐野、これは……」

「なんで、俺だけに言うんだよ! もし本当に死ぬんだったら、なんでそれを俺だけに! あいつら、絶対お前のためにいろいろしてくれるだろ! 俺だけだったら……なんもしてやれねぇよ……」

「そんなことない」


 今日、遊びに行くのに誘ってくれたこと。海が初めての俺に合わせて遊んでくれたこと。こうして、嘘か本当かもわからないようなことで、本気になってくれていること。

 そのすべてが、佐野だったからできることだ。


「佐野は、俺の友達だからさ」

「ソフィアさんは駄目なのか? こいつをもうちょっとだけ生き長らえさせるとか無理なのか?」

「残念ながら。理を変える力は持ち合わせていないので」

「じゃあ、俺の寿命を分けるとか。そういうのは……」

「蒼士さんの死は病死ですので無理です」

「じゃあ……」

「佐野、もういいんだ」


 俺自身、まだ病気だという実感がない。それでも、ソフィーが死ぬというのだから死ぬのだろうと、そう思っている。


「ソフィーは俺を満たして死んでもらうために一緒にいるんだ」

「なんだよ、それ」

「まあ実際、めちゃくちゃ充実してる」

「そんなの酷すぎるだろ。ソフィアさんは蒼士のこと好きじゃないってことだろ!?」

「まあ……」

「……それは、どうなんでしょうね」


 口を挟んできたのは、意外にもソフィーだった。


「私は魂……感情を持ち合わせていないので、好きとか嫌いとか言われてもわかりません。ですが、私にもし感情があれば……あるいは、生前、人間だった頃であれば。私はきっと蒼士さんを愛していましたよ」


 静かに、揺るがぬ瞳で佐野のことを捉えたまま、ソフィーは淡々と言った。

 そのソフィーの言葉には何も言い返すことができなかった佐野は、悲しげな表情で笑った。


「……わかった。俺はもう、何も言わねぇ」

「ごめんな、佐野」

「なんもしてやれなくて、わりぃ」

「十分だよ。ありがとう」

「……おう」






 解散して、俺とソフィーは誰とも話すことなく帰路に着いた。佐野は一人になりたいとどこかへ行ってしまったが、これ以上俺とソフィーの顔を見せるわけにも行かなかったので、他の友人に任せることにした。


「いいご友人を持ちましたね」

「そうだな。俺よりもずっといろいろ考えてくれたし」

「生への無頓着さは貴方が元々頭一つ抜けていましたから」

「別に生きたくないわけじゃないけどなぁ」

「私が貴方を生かすことができると言ったら?」

「今まで言い出さなかったってことは、ほんとは無理かめちゃくちゃむずいかのどっちかだろ」

「正解、後者です。下手をすれば私はどこかに幽閉されますね」

「じゃあ、いい」

「そうですか」


 これまで散々迷惑をかけてきたソフィーに、これ以上の負担をかけたくはない。

 しばらく、沈黙を保ったまま歩き続ける。やがて家が見えてきた頃にはもう日が沈みきっていて、途端に疲れが起き寄せてきた。


「お疲れ様でした」

「ソフィーこそ、お疲れ。今日は付き合ってくれてありがとな」

「いえいえ。たまにはこういうのもいいんじゃないでしょうか」


 小さく「あまりわかりませんけど」と微笑むソフィーを見ながら、俺も苦笑を浮かべる。


「スマホ、鳴ってますよ」

「ん」


 メッセージだった。差出人は、日野彩音ひのあやね。俺の唯一の家族だ。内容は九月の三連休に遊びに来るとのこと。


「楽しそうですね」

「ああ、まあ。妹が来るんだ」

「……そう、ですか」


 ソフィーが悲しげな表情を浮かべていることに俺は気づかなかった。

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