終わりの果ての永遠の愛
神凪
春、逢瀬
インターホンが鳴った。
今日は誰かが来る予定なんてなかった。宅配か、とも思ったがそもそもここ数日間で何かを頼んだ記憶もない。遠くから送ってくるとすれば妹くらいだが、そんな連絡もなかった。
この家に暮らしているのは、今はもう俺だけだ。元々病弱だった父が癌で亡くなって、その後を追うようにして母が事故死した。妹も、地方の専門学校へ行くためにこの家を出ていった。つまり、この家への来客は俺に用がある人だけなのだ。
大学の友人が急に来た、というわけではないだろう。確かに賑やかなやつは多いが、先に連絡をしてくるやつらだ。
なぜここまで自分が出たくないと思っているのか、それは俺自身もわからなかった。ただ、妙な悪寒を感じているのだ。
再びインターホンが鳴らされた。
どうやら居留守は使えないらしい。意を決して、俺は玄関の扉を開けた。
「ハロー、こんにちは。日野蒼士さんですよね?」
玄関先に立っていたのは、俺とさほど歳が変わらないであろう女の子だった。
白い髪に黒のメッシュを入れた、身長は俺より十センチ程低い子だ。白い髪は整った顔に馴染んでいて、おそらく地毛だろうと思えた。
「突然で申し訳ありません。私はこの世界の魂を裁く者、この日本においては死神という呼び方をされている存在です」
「……は?」
ああ、なるほど。やはり俺の感は間違いではなかったということらしい。これは、ある意味で危険な人物だ。
「まあ、信じないでしょうね。ということで、死ぬほど痛いと思いますが我慢してください」
「なにを……っ!?」
死神を自称する女が、持っていた本をペンで突き刺した。刹那、意識が無理やり引き剥がされるような違和感と、頭を鈍器で殴られたような痛みに襲われた。死神は目を閉じて、俺を見る様子もなくペンを本に押し付けている。
頭をさするが、血や外傷があるわけではない。が、死神がペン押し付けている間に、歯の荒いチェーンソーか何かで脳を切断されているような痛みが加わった。そんな痛みを味わったこともないのに、それが適切だと言わんばかりの痛みなのだ。
やがて自称死神がペンを離すと、痛みは一瞬にして消え去った。
「……わかった、お前が死神みたいなものだっていうのはわかったことにしておく。で、その死神はなにしにきた。俺を殺しに来たのか?」
「まさか」
先程の行為を全く思わせない優しい笑顔を浮かべて、死神は人差し指を立てた。
「貴方は一年後に、どう足掻いても死ぬ運命にあります」
ああ、この世界はいつからファンタジーが通用する世界になったんだろう。死神に、人を苦しめられる本、そして未来予知。
だが、先程の痛みはそれを信じさせるに値するものだ。最初は死の危険を感じた痛みだが、増幅するにつれてもはやそれすらも無くなってしまうような、人が耐えられるような痛みではなかったからだ。それでも俺がこうしてまともな思考と会話ができているのは、死神が特殊な方法で俺を痛めつけたからだろう。
「それで、それを伝えてどうしたい。つか、本人に言って大丈夫なのか」
「ええ。だって、既に貴方は助からない運命にありますから」
意味がわからなかった。
こういうとき、フィクションなら死に抗う運命を探し出すのが定石だ。だが、この死神はそれすらも不可能だと言っている。
そんな俺の思考を読んだかのように、死神は答えた。
「貴方の死因は、現代ではまだ解明されていないウイルスによるものです。そして、それは既に、この時間軸ですらも貴方の身体を蝕んでいる」
「なるほど。なら、今すぐ病院に行けば変わるかもしれない」
「ふむ……」
死神は目を閉じると、しばらく難しい顔をして何かをつぶやいた。そして今度は暗い顔で言った。
「どうやら、全く同じ日に死ぬようです」
「そうか……」
「信じていいんですか?」
「まあ」
どうにもこの女は、嘘をついているようには思えない。嫌な雰囲気ではあるが、性根が悪いという感じではない。
「まあいいです。私がここへ来た理由は、貴方がこの人生においてあまりにも愛を受けていないからです」
「……愛、ね」
確かに、俺の両親は俺が幼い頃にこの世を去った。が、それは俺だけではないだろう。それに、妹に関しては父や母と会った記憶すらないだろう。
またも思考を読んだのか、死神は答えてくれた。
「普通、親がいない分の愛を子どもは身近な人から受けるのです。教師や友人、その他の肉親から。いや、受けたつもりになる、というのが正しいのでしょうか。貴方の妹さんも、いいお兄さんを持ったおかげで、人よりもずっと愛を受けています。それが、どうして貴方だけが愛を感じなかったのか」
「……俺がひねくれてるから?」
「言い換えればそう言うこともできるかもしれませんね。貴方は全くの他人が押し付けてきた紛い物の愛を、受け入れたくなかった。中身のない愛を拒絶し続けたのです」
「中身のない、愛……」
そういうつもりは、一切なかった。先生だって頼って生きてきたし、妹の面倒を見る合間を見計らって友人と遊ぶことだってあった。
だが、確かにそれを愛と感じたことはなかったかもしれない。
「十分な愛を受けなかった人は、この世に未練のある不完全な魂となります。これは私の力不足が故なのですが、そう言った魂は次の人生への歩み、所謂転生させることができないのです。なので、貴方に愛を与えるためにこちらへと赴いたのです」
「……つまり?」
「貴方には愛されてもらいます」
いきなり俺の前に現れた女の子は死神で、俺が愛を受けていないから死神が愛を与えに来た。全くもって理解が追いつかない。
「俺、少なくとも未練なんてないぞ?」
すぐに死ぬと言われても戸惑わないわけではなかったが。
「そういう方が一番危ういのです。とりあえず、このアンケートに答えてください」
死神から押し付けられたのは、女性の好みについてのものだった。なるほど、愛というものはやはり異性と育むものらしい。
「私は、まだ何も宿っていない魂に肉体と精神を宿すことができます」
「俺が好きなタイプの女の子を作ろうということか」
「そういうことです。女の子ということは、その、ロリコン?」
「違う。俺の価値観ではお前も女の子だよ」
「おっと……私、人間の尺度で言うと百歳は超えてますが」
聞きたくなかった。今まで女の子だと思っていたものが、実はものすごく歳をとっていたなんて。
それは置いておくとして、人道的にどうなのだろうか。人の命を、俺のような人間に愛を与えるためだけに生み出すというのは嫌だった。
「嫌そうですね」
「まあな」
「うーん……少し、他の方法を考えてみますね」
「いいのか?」
「私としても、どうせなら悔いなく死んでほしいですから」
そこには役目なんて意識はないのだろう、心からの笑顔があった。最初はいきなり命の危機を感じる痛みを与えてきたのに、随分印象が違う。
「とはいえ、難しい話なのです。一年後に死を待つ人を愛して欲しいと頼むのも、貴方が死ぬことを隠して愛させるのも。かといって、貴方が死んでも悲しまないような人が、貴方を愛せるはずがありません」
「確かに、条件がわりとシビアだよな」
死神を家の中に招き入れながら、俺が無事に転生する方法を考える。こんな状況でも冷静に茶の準備をしていることに自分でも少し驚いているが、あの本による痛みのおかげが頭がいつもよりもすっきりしている。
「そういえば、その本はなんだ」
「ああ、説明していませんでしたか。こちらは生者の名簿、現世に生きる全ての人間の魂の名を刻んだものです。この書に書かれている名は、肉体と魂を結びつける識別番号と呼ばれるもので書かれているので、人間のみなさんには誰の名なのかはわからないと思いますが」
そう言ってペラペラと名簿を捲る。そもそも日本語ですらなかった。
「さっきペンでつついた時に、意識が飛びかけたのは?」
「この名には、先程も言ったように肉体と魂を結びつける力があります。つまり、この文字がこの書から消されてしまえば、肉体と魂が乖離してしまうのです」
「じゃあ、さっきは魂が乖離しかけてたってことか!?」
「ええ」
淡々と言ってくれるが、なかなかに酷いことをしている。もちろんこの女はそれを悪用するつもりも、魂の乖離を実行するつもりもないのだろうが。
麦茶を出すと、小さく礼を言って見た目に似合う仕草で茶を飲んだ。一応、俺の人生に関わる話ではあるのだが、そもそも本当に未練なんてないので別になんということもない。強いて言うなら、友人と妹を残してしまうことだろうか。
そんなことを考えていると、コップの半分くらいの茶を飲んだ死神が尋ねてきた。
「他にご質問は?」
「かなりあるけど、立ち話も長くなったから疲れたろ」
「おや、優しいですね。あの痛みの後にそんな態度の人間は貴方が初めてです」
そりゃそうだ、と思わないでもない。あの言葉にし難い痛みは、俺も出来ればもう味わいたくはない。
それはそうとしても、死神は自分のことを信じさせるためにやったことなので、それに対して怒ったり嫌ったりするのは筋違いだ。
「これでも魂を管理していますから、人との対話で疲れたりしませんよ。お気遣い、ありがとうございます」
「そっか。なら、そうだな。その名簿から名を切り離したりしたらどうなるんだ?」
「と、言いますと?」
「その本が紙でできているなら、破いたりできるだろ。そういうことをしたらどうなるんだ?」
死神がやってみせたのは、ペンで名前を消す方法だ。これもしっかりと名簿から名前を消してはいるのだが、なら綺麗に名前を保ったまま名簿から消してしまえばどうなるのか、という純粋な疑問だった。
だが、死神の方はその質問を意図してしなかったようで、驚いた表情をしている。やがてにやりと口元を歪めて、楽しそうに俺の頭を撫で始めた。
「いい質問ですね。そうです、この本は人の名を記したものですが、切り離せば人間ではなくなります」
「死にはしないのか」
「人間の尺度で考えるなら、生きているのでしょうね。概念としては、私とそう変わらないものになります。が、そんなことは私と同じ存在にしかできませんし、そもそも禁忌なのでやった時点でなにもかも終わります」
「へぇ……ん?」
少し、新しい疑問が生まれた。
「お前は死なないのか?」
「また難しい話をしますね……」
呆れたように首を振りながらも、死神は人間でも理解できるように説明をしてくれる。
「死なない、というよりも、概念的には死んでいるんです。死にながら生きている、そんな状態ですね。識別番号を持たない存在は、すなわち肉体か魂いずれかしか持たないもの。私は肉体に意思と意識を付与したようなものです」
「ええっと、つまり、魂ってなんなんだ?」
魂こそ人の信念のようなものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「本当は魂なんて言い方はしないのですが、私たちの言う魂は、所謂感情です。私は意思によって思考ができ、意識によって欲求もありますが、感情はないんですよ」
悲しげに笑う死神は、とても感情を持たないようには見えなかった。それに、先程から時折見せる笑顔が、作り物だとは思いたくなかった。
「俺の意思を聞いてくれたのは、なんでだ」
「えっ? それは、できるなら悔いなく……」
「それも、立派な感情だろ」
強い口調になってしまったが、思ったことを言った。
だが、死神はまた悲しげな表情で言った。
「それは、死神である私にとっての侮辱ですよ」
「……っ!」
当然だ。魂を管理すべき存在である死神が、魂に左右されてしまっていいはずがない。それなのに、俺は死神には感情があるかのような無責任なことを言ってしまった。
それでも死神は、また笑った。
「ですが、元々人間だった私からすれば、それはまだ人間らしさが残っているということ。それは、褒め言葉として受け取っておきますね」
たとえそれが俺を落ち込ませないためのものだったとしてと、その言葉と笑顔に偽りがあるとは思いたくなかった。
「さて、無駄話が過ぎました。貴方の満足のいく愛を探してみましょうか」
「……それなんだけどさ、お前じゃ駄目なのか?」
「……はぁ?」
怪訝そうな顔をした死神は、本気で頭が狂ったのかとでも言いたげな表情だ。
「私の話、ちゃんと聞いてましたか? 私には感情がないので、どれだけ貴方が魅力的な男性であろうと愛してあげることはできないのですよ?」
「でも、結局愛なんて感じたような気になってるだけなんだろ?」
「それは、そうですが……」
別に、死神でなければいけないというわけではない。ただ、残り一年しかない人生で、俺が愛されるためだけに付き合わされると考えると、そんなかわいそうな人を生み出してしまうのは嫌だった。
ここまで親身になって考えてくれた死神を付き合わせてしまうのだって、本当は嫌なのだが。
死神は呆れたようにも諦めたようにも見える表情で首を振っていた。
「まったく、その優しさはどこから来るのか……ここまで清い人、初めて見ましたよ」
「それは、お前だってそうだろ」
「私は死神ですから……わかりました。その前に、その申し訳ないという感情を無くしてください。でないと、私が愛を与えるなんて不可能ですから」
「ん、まあ善処する」
さすがにすぐに無いことにするのは無理だが、結局俺が死神の愛を受けられずに死んでしまえば、困るのは死神だ。一年も付き合わされた挙句転生できませんでした、なんて苦労をかけるのは御免だ。
「ではまあ、はい。私と付き合ってください、でいいんでしょうか?」
「頼まないといけないのは俺の方だけどな」
こうして、俺と彼女のたった一年だけの恋人関係は始まった。
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