宛ての不明なラブレター【五分図書】

比呂

宛ての不明なラブレター

 ――僕には自覚がある。自分が何事にも普通であるという自覚が。

 身長百七十センチ、体重は六十キロ、通っている高校の偏差値は五十五。

 どれをとっても褒められはしないまでも、卑下されるようなこともない、嫌味も面白味もない数字が並んでいる。

 だがこれは素晴らしいことだ。とある識者だって普通であることの難しさを説いている。だから僕は普通であることを愛し、受け入れて日々生活をしている。

 クラスでも目立つことはないが、かといって隅っこでお絵かきという訳でもない。

 跳ねもしないが沈みもしない安定こそが肝要である。僕はそんな平凡な、純然たる十六歳男子だ。


 しかしながら今朝登校して下駄箱を開けた時、この安寧に亀裂が入る。

 鉄製の下駄箱最上段。顔の高さほどの位置にある自分の名の入った鉄扉を開けた。

 薄板で上下段に隔てられた上段側に、僕はいつも上履きを置いている。いつもの如く下段側に革靴をしまい込み、上履きを取らんと上段に手を伸ばした時、その存在に気付いた。

 薄いオレンジ色の二つ折りされた紙。僕は上履きと同時にそれを手に取って読む。

『葉山君へ 好きです。付き合ってください。お返事は直接お願いします』

 おいおい、マジかこれは。

 何と単刀直入、そして綺麗な楷書体。これは古典的ラブレターというやつではなかろうか。

 少しにやけながら手紙を裏返すが、ここで問題が発覚する。差出人が不明なのだ。

 舐めるように様々な角度から見たが、名前は見つからない。そして困ったことに返事は直接言えなどと指示されているのである。

 僕は頭を回転させる。そしてごく自然に、その回答に思い至る。

 これはイタズラなんじゃないか。

 だとすれば……。

 僕は素早く振り返り、周囲に目を走らせる。僕の目が捉えたのは三人。

 つまり僕を監視することが出来たのもこの三人のみということになる。

 イタズラならば、一番の見物は手紙を発見した時の反応だ。となればその瞬間を観察するはず。だから僕はこの手紙の主の候補者を、この三人に絞った。さすがに監視カメラなんてないだろうし。

 ただ困ったことに、候補者三人は全員女子であり、僕にイタズラをしそうな人物でもなかった。となればイタズラと恋文、双方の可能性で考えていくしかない。

 もしこれがイタズラでもラブレターでも、同様に僕を見張るはず。前者なら楽しむため、後者ならば受け取ったことを確認するため。

 さて、候補者について考えていこう。

 一人目は同じクラスの花井さん。男女分け隔てなく接する快活な女子である。責任感の強い委員長タイプであり、性別問わず人望がある。イタズラなんかとは全くの無縁だ。しかし残念ながら、僕は彼女とは事務的な会話しかしたことがない。どっちの候補者としても薄いと言える。

 二人目もクラスメイトである塚瀬さん。男子が苦手なのか、ほぼ会話をしている姿を見ない。僕も話したことがあるにはあるが、その時もほとんど単語レベルの内容だった。花井さん同様、どちらの線も考えにくい。

 最後の三人目は隣のクラスの野木さん。身長百五十センチに満たないだろう小柄な美少女で、その手の嗜好のある方々から絶大な支持を得ている。人懐っこいキャラクターも人気の所以で、もし仮に彼女から告白されたとしたら、嫉妬に狂った男子が怖い。当然、そんな華々しい彼女と僕との間には何の接点もないのだが。

 うん……どの線も薄い。残念な事に。

 でもより可能性が低いのは、イタズラとして考える方だろう。される覚えがないし、誰もがそういった人物ではないのだ。

 ……自惚れ過ぎかと自重してきたが、何も穿った考えをせずにストレートに考えたっていいのかも知れない。これはラブレターだと。

 そう好意的に考えれば、これはとてもありがたい展開。

 なぜなら三人は、それぞれに魅力的な女性なのである。

 例えば花井さんは、容姿も性格も含めて、模範的なパンフレットに載せたいタイプの優等生。もし付き合えたら、すぐにでも親に会わせられる逸材、個人的にはイチオシだ。

 次に塚瀬さん。寡黙だが、スラっと長身のモデル体型。キツネ顔とも形容できる釣り目で、何となく妖艶な雰囲気を醸し出す。均整の取れたルックス全振り型だ。

 そして野木さんは前述の通り、相手には事欠かないだろう人気者。塚瀬さんと対照的な、愛らしいタヌキ顔とでも言えばいいだろうか。親しみやすいキャラもいい。

 うーん悩ましい。嬉しい悩みとは、かくも辛いのか。

 ……おっと、違う違う。誰か分からなきゃ仕方がないじゃないか。落ち着け、僕よ。

 調子に乗って浮かれている男子の見苦しいことよ。

 先日だってクラスメイトが、ラブレターを貰って「どうしたらいいと思う!?」だのと騒いでいたじゃないか。僕はそれを見て大層怪訝な顔をしたものだ。当事者になってどうする。

 ここは落ち着いて思考を巡らせよう。

 ……と言いつつ、実は答えは出ていたりする。

 これは簡単な問題だ。消去法で方が付く。


 まずは残念だが、イチオシの花井さんを消す。

 なぜなら彼女は責任感のある人物。差出人の分からない手紙など書かないしだろうし、告白なら面と向かって言いそうな、真っすぐなタイプでもある。

 次に野木さんも消える。

 名前の書き忘れくらいはしそうなタイプだが、身長がネックだ。

 最上段に位置する僕の下駄箱の、それもわざわざ上段側に手紙を置くとは考えにくい。

 誰かに置いてもらった可能性もあるが、入っているか覗き込めないような場所に入れるようお願いするだろうか。合理的じゃないように感じる。

 ならば答えは塚瀬さん一択だ。

 手紙に託す想い、単語レベルの文面、僕の下駄箱も見渡せる身長、

 彼女であるならば事実と矛盾がない。

 ――よし、塚瀬さんだ。

 僕は廊下を歩く塚瀬さんの背に向け、満を持して走り出す。

「塚瀬さん!!!」

 背後から声を掛ける。彼女は驚いた様子もなくゆっくりと足を止め、振り返る。

「……なに?」

 僕はラブレターを胸の前に掲げる。

「これ、手紙、ありがとう。僕なんかで……いいのかな?」

 塚瀬さんは恥ずかしそうに、はにかみながらコクリと頷く。

「うん……いいの。出したの、私だって、分かってくれた人だから」

 良かった。やはり塚瀬さんで正解だった。晴れて僕にも素敵な恋人が出来るのか。


 ……ん? ちょっと待てよ。何か引っかかる。

 その「分かってくれた人」という言い回しはいかがなものか。それだと差出人不明であることが、ミスではなく必然だったみたいじゃないか。

「私ね」

 塚瀬さんが続ける。

「口下手なの。だから、いろいろ、察してくれる人じゃないと、ダメなの」

 ……さっきから、塚瀬さんは僕の名前を言わない。

 彼女は「人」という抽象的な表現でしか恋文の対象者を論じていない。

 なるほど。

 分かってしまった。つまりはこういうことなのだ。

「塚瀬さん、あのラブレター出したの、僕で何人目?」

 塚瀬さんは少しばかり目を見張ったが、すぐに口元を不敵に緩めた。

「……葉山君で、五人目。でも私に声を掛けてくれた人……葉山君が、初めてよ」

 なんとまあ。

 差出人不明のラブレターは、宛先さえも不明瞭なものであったらしい。

 さあて、どうしたものかな。

                                おわり

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