ジサツの世界
川上秋来
第1話「守らなきゃ」
「…お母さん、お父さん、ごめんね」
マンションの屋上から見下ろすこの街が大嫌い。
ここから見上げる青い空が大嫌い。
ここから吹き抜ける優しい風が大嫌い。
履き慣れたローファーを脱ぎ屋上の淵へと立つ。
大きく息を吸い込む、と同時に自分の通う学校が目に入った。
「………」
誰に言うわけでもなく小さく呟いた。
そして僕は
新しい一歩を踏み出した______________
…
……
………
「…え、なに、ここ」
僕の中に思い浮かべた疑問。真っ白な空間、というか薄らとモヤが掛かっているみたいな…
「だって僕、屋上から飛び降りて…」
「あっ、目が覚めた?」
「ふぇ?!」
突然聞こえる声に思わず肩を跳ねさせる。
声の方に目線をやると線の細い男の人が立っていた。
「えっと、貴方は…?」
「僕?僕はユウ。この場所で君たちを振り分ける役割を担ってるんだ」
「ユウ…さん。その、振り分けるっていうのは…?」
「ん〜簡単に言うと天国と地獄どっちに行くか僕が決めるって感じかな」
前髪で目が隠れていて少し不思議な雰囲気を纏っている彼は優しく教えてくれた。
「そっか、僕本当に…」
「ビックリしないんだね?」
「そりゃぁね、自分から飛び降りた訳だから…」
「そっか!この世界の人達は落ち着いて話聞いてくれるから良かったよ」
「この世界って、死後の世界…って事?」
「あぁ、違う違う。ここはジサツの世界」
「ジサツの…世界」
「そうそう。自分で死を選んだ人達しか来ないから取り乱す人が少ないんだ」
こんな世界が本当にあるなんて未だに信じられない。でも僕自身がユウさんと話しているんだ…現実だと思うしかない。現実…でもないんだろうけど。
「あっ、そうそう!」
彼は思い出したかのように手を叩きこちら側へと身体を向ける
「ねぇ、なんでジサツしたの?」
ただ純粋に、だけどどこか楽しそうに彼は問い掛ける。
「え、なんでって…」
「天国行きか地獄行きか、貴方の考えや生前の行動から決めたいんだ!」
先程とは違う口調に少し戸惑う。
なぜユウさんは楽しそうに聞いてくるんだ。楽しい思い出話なんて…一つもないのに。
「そう、なんだ。ちょっとした事だよ…学校でイジメにあってて」
「あぁ、イジメ…それはクラスの子?」
「…うん。僕、絵を描くのが大好きでよく描いてたんだ」
絵を描いてる時だけは本当に何もかも忘れて夢中になれていた。小学生の頃時間も忘れて描いてたらすっかり遅くなって母さんにすっごく怒られたっけ。
「中学の時は楽しかったな。友達も居て好きな事やれて…」
楽しかった頃を思い出すと自然と笑みが溢れた。
「絵画コンクールでも入賞したり卒業文集の表紙を任されたり!」
うんうん、と頷きながらユウさんは聞いてくれている。
そう、あの頃は本当に絵を描く事がただただ楽しかった。こんな日が高校へ行っても続くと思っていた。なのに、突然、奪われたんだ。
高校へと進学して新しい生活に胸を躍らせていた僕は同じクラスになった厄介な男に目を付けられた。
"なんかムカつくから"というふざけた理由で。
「…最初は小さい事だったんだ。上履きを隠される。体操着を捨てられる。殴られる……」
その時はまだ大好きな絵を描けていたから我慢出来た。
「でも…次第にエスカレートしていったんだ。店から物を盗って来いって言われたり、金を持って来いって言われたり。女の子をナンパして来いもあったかな。挙げ句の果てには……」
「教室で、裸にさせられて一発芸やれって言われた事も、あったなぁ…」
クラスの人達はみんながみんな見て見ぬ振りをしていた。僕を助けたら次は自分が狙われる…そう考えて当たり前。僕だってみんなの立場だったら同じ行動をしていたさ。
「だんだんと、絵も描けなくなっていった。手が動かないんだ。人間、希望とか夢とか失くなると何も考えられなくなるって気付かされた瞬間だった」
泣きそうになるのを必死に堪える。
僕の話を聞いてそれだけ?って思う人も居るかもしれない。だけど希望も夢も憧れも光も何もかも消された世界で生きていける人間なんて、一握りしか居ないに決まってる。僕はそれくらい…絵が好きだったんだ。
「それだけじゃないんでしょ?」
「え?」
「ジサツしたキッカケ。他にもある気がするのは僕の勘違い?」
「鋭いんですね…」
「全てに絶望した訳ではなさそうだったからね」
「そうです、ユウさんの言う通り家族だけは唯一僕の味方で光でした。一緒に証拠を集めてくれたり校長先生へと直談判してくれたり、僕以上に必死になってくれた…でも」
「でも、学校側は動いてくれなかった?」
「…そうです。僕をいじめていた男の子の父親は高校の理事長でした」
何度両親が訴えてくれても学校は解決しようとしてくれなかった。後々母さんから聞いたのはその男の子の父親が理事長だった、ということ。それだけで学校は問題が無いと言い切っていた。いや、言わざるを得なかった。
「校長先生も学校も恨んでは居ません。相手が悪過ぎましたから。僕は諦めて転校することにしたんです。入学早々ですけど…それが1番だと。もちろん両親も納得してくれました」
「転校が決まってあと1日登校すれば全て終わる、この苦しみから解放される!そう思って学校に通っていました。失くしたはずの希望を、少しずつ取り戻せていたのに…」
最終日、荷物をまとめに1人で教室に残っていたらアイツがその荷物を突然取り上げて全部床に投げ捨てた。
その中には大事なパレットや絵の具、誕生日にもらった筆もあったんだ。
それなのにアイツは…全てを踏み潰していった。泣きながら止めても聞く耳持たずで、体格差があった僕が身体で止めることなんて出来なかった。
どんどん壊されていく僕の希望。目の前で粉々になってく夢。涙が止まらなかった、何も考えられなかった。
ソレが何か分からないくらいになった頃やっと踏み付ける足が止まった。そしてアイツは僕にこう言った。
"どこまでも、追い掛けてやる。追い掛けて追い掛けてお前に絶望を与えてやる。そうだなぁ、次は……お前の家族を壊してやろうかな"
時が止まった。
なんで?僕がキミに何をした?ただ僕は楽しく学校生活を送って楽しく絵を描きたかった。ただそれだけなのに。何もかも奪われる、これからも、遠くへ行っても、なにをやっても、希望を見つけても……!次……?家族……?僕の…?僕の、光が、壊される?ダメだ、そんなのダメだあり得ないあってはならない!!守らなきゃ…僕はどうなってもいい守らなきゃなんだ…壊される前に、守らなきゃ…!!!壊される、前、に…?そうだ、壊される前に、絶望の元を、壊せば良いんだ。なんでこんな簡単な事気付かなかったんだろう…?僕の絶望、壊さなきゃ……壊さなきゃ…壊さなきゃ、壊さなきゃ壊さなきゃコワサナキャ!!
______________
_______
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そこからの記憶は曖昧で、気付いたらその子が頭から血を流して目の前で倒れていた。
僕の足元には血の付いた椅子が転がっていた。震える手足。働かない頭で僕が導き出した答えは、"逃げないと"という事。
震える足で全速力で走った。優しい風も美しい花も元気に伸びた緑も今は何もかもが鬱陶しい。何度も転びそうになる、何度も足を止めそうになる。でも転ぶ事も止まる事も決してやってはいけなかった。遠くへ、遠くへと思っても僕の足は家族で暮らしていたマンションへと向かっていった。
こんなに走ったのはいつぶりだろう?苦しかった、息が出来なかった。気付いたら涙は止まっていた。自分の息遣いと鼓動だけが聞こえる。上手く呼吸ができずに膝に手を付いたまま肩を大きく上下に動かす事しかできなかった。
激しい風が僕の髪を揺らす。ハッとし顔を上げるとそこは僕が大好きな街が広がっていた。
ここからの景色が、街が、色が。全部が大好きだった。
手だけがずっと震えていた。その震えだけがあの現実離れした光景を現実だと思い知らせる。
そうか、殺したのか僕は。後悔はなかった。あの男なら本当に家族を壊しかねない。だから仕方なく、あの男を……絶望を壊したんだ。
絶望が失くなった僕の世界には、恐怖だけが残った。いつ僕だってバレて逮捕されてもおかしくない。
…もう終わりにしよう。
ふぅ、と小さく息を吐き出す。
「…お母さん、お父さん、ごめんね」
マンションの屋上から見下ろすこの街が大好きだった。
ここから見上げる青い空が大好きだった。
ここから吹き抜ける優しい風が大好きだった。
履き慣れたローファーを脱ぎ屋上の淵へと立つ。
大きく息を吸い込む、と同時に自分の通う学校が目に入った。
「平凡な幸せで生きたかった」
誰に言うわけでもなく小さく呟いた。
そして僕は
屋上階から飛び降りた______________
…
……
………
「これが、僕の人生です」
「全部話してくれてありがとう。辛い事を思い出させてしまったね」
「いえ…ちゃんと、僕が何をやってしまったのか、整理できました」
「そう、それなら良かった」
優しく微笑むユウさんは何処か懐かしい気持ちにさせてくれた。
多分、僕は地獄と言われるだろう。でもそれで良い。僕は1人の人生を奪ってしまったんだから。
「そうだなぁ、じゃあ君は……天国に行こうか」
「はい……って、え?なんで?地獄じゃないんですか?」
「ん?地獄へ行きたいのかい?物好きなもんだね」
「行きたくはないです、けど…僕は人を殺してしまったんですよ…?」
「でも、それは家族を守る為の行動。君の優しさ故だ。そうでしょ?」
首を小さく傾げ僕に問い掛ける。君は間違っていない、そう言ってくれている気がした。
「そうと決まったら…あっちの道へ進んで?ずーーっとまっすぐ進んで行ったら天国への階段があるから。登り終えれば天国だよ」
ユウさんが指をさす方へ目をやると長く道が続いていた。長過ぎてか先が見えない。でも何処か明るく柔らかい光が輝いてるように見えた。
「あの、ユウさん。その……ありがとうございました」
「…んーん、此方こそありがとう」
お互い同時にお辞儀をする。顔を上げるとユウさんが優しく微笑んでくれた。
「ほら、いってらっしゃい」
ポンっと軽く背中を押される。
また小さく会釈をし示された方へと歩き出した。
天国へは遠い道のりなのかもしれない。それはきっと、僕への小さな罰だ。だからゆっくりで良い、自分のペースで良いから一歩一歩確実に進んで行こう。
僕は暖かい光へ吸い込まれるように歩いてった。
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