カナギノカタリ
まゆほん
鬼斬り
時は昔。茅葺き屋根の並ぶ町を少女は一人、歩いていた。町は飢饉と疫病で疲弊し、荒廃しきっていた。少女は巫女装束に身を包み、腰には刀を下げていた。少女の名はカナギ。二十もいかないほどの少女である。彼女には記憶がない。一振りの刀とその身に染み付いた技だけしか彼女に残されたものは無かった。しかし、その技は鬼を殺すには十分であった。鬼とは、何処から生まれたのかは分からない。元は人間だったという噂もあるが、地獄より人を喰うために出ていたと言う者もいる。ただ、鬼はそこに存在し、人に仇なす存在であった。カナギは、人の世の為、鬼を斬って生きてきた。
「鬼だ! 鬼が出たぞぉー!」
町のとある一角から、男の声が聞こえた。そこから一斉に人々の群れが流れ出してきた。奴が出たのだ。カナギは刀を抜いた。
人々の群れが去った後、家の裏手からのそりのそりと何かが這いずり出てきた。鬼には特徴がある。奴らは必ず、頭に角を生やしている。そして牙だ。人の肉を喰い散かす為の大きな牙だ。醜悪な顔の鬼は、口元に何かを咥えている。ぶらんと垂れ下がったそれは人の腕であった。大方、この家の家主を喰らったところなのだろう。鬼はまだ喰い足りないと言わんばかりに、喰らっていた腕を放ると、素早い動きでカナギに飛び掛かってきた。鬼は通常の人間の数倍の身体能力を持つ。通常の人間なら、まず反応すらできない。しかし、カナギは普通の人間ではなかった。カナギは刀を正面に構えた。
鬼が飛び掛かる。しかし、カナギの姿はそこには無かった。カナギは鬼の後方に瞬時に移動していた。鬼は振り返る。しかし、その瞬間に鬼の視界が反転し、その首は地面にころりと転がった。カナギは振り返ることもなく、刀を鞘に戻した。まさに一瞬の出来事であった。騒ぎを聞きつけた役人が駆けつけてきた。
「これはまた、見事なもんだねえ」
役人は胴と頭が別々になった鬼の亡骸を検分しながらそう言った。
「カナギちゃん。お手柄だよ。はい、これ」
役人は、カナギに袋を手渡した。じゃらと音がする。銭がいくらかばかり入っているようだ。
「どうも」
カナギは軽く会釈をした。
「最近、ここいらも鬼が多くなったなあ。今月に入って十件は超えたかな。カナギちゃん、腕っぷしは強いと言っても油断してはならないよ。鬼にもお前さんよりも強い奴もいるかもしんないからな」
そう言って、役人は鬼の亡骸を抱えて去っていった。
油断などしたことはない。いつも生きるか死ぬかだ。もし、自分よりも強い鬼が出てきたら、その時は……。いや、そんな事を考えても仕方ない。今は生きることだけを考えていれば良いのだ、カナギは迷いを振り切るように足を進めた。
「きゃあ!」
カナギは振り返った拍子に小さな女の子にぶつかってしまった。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「うん。平気」
女の子はよろめいたが、カナギがすぐに支えた。齢は十歳くらいだろうか。品の良さそうな着物を着ていたので、裕福な商人の家の娘かもしれない。しかし、近くで鬼が出たというのに女の子が一人で出歩いているというのは、少しばかり妙であった。
女の子は大きな目で不思議そうにカナギを見つめていた。
「巫女さん?」
「いや。違うよ」
しかし、カナギ自身もなぜ自分が巫女装束に身を包んでいるか上手く説明できなかった。これが一番、自分にしっくりくるとしか言いようがないのだ。ひらひらしており、動きにくいはずなのに、この服でないと、カナギは技を十二分に発揮できなかったのだ。
「じゃあ、巫女さんの真似っこ?」
「うーん、まあ、そんなとこかな」
カナギは他に説明できそうも無かったので、そう言い逃れた。
「じゃあ、私と同じだね!あ、しまった……」
女の子は慌てて口をつぐんだ。それから、女の子はもじもじと言いにくそうにしていたが、口を開いた。
「誰にも言わないでね」
カナギは頷いた。
「実は私、あそこから来たの」
そう言って、女の子は遠くを指した。そこには大きな城が立っていた。そう、ここの辺りを治めている領主の城だ。
「私、身分を隠して、ここまで来たの」
「では、もしかして……」
こくんと女の子は頷いた。どうやら、この女の子は領主の娘のようだ。つまり、姫様ということになる。椿姫。カナギも名前は聞いたことがある。長年、子に恵まれなかった領主にようやく出来た子供であったはず。とても大事に育てられていると聞いたが。
「姫様がなぜこのようなところに?」
椿は俯いて、少し落ち込んでいるように見えた。
「私、ずっとあの城の中で暮らしてきたんだ。外の世界が見たかったんだ」
こんな鬼の出る世の中だ。領主も娘を外に出したくなかったのだろう。しかし、子供の好奇心はそれに勝ったということだろうか。ともかく、分かってしまったからには、椿をこのまま放っておくわけにはいかない。カナギもこの町に住んでいるからには領主には逆らえない。そもそも鬼の出る界隈にこんな小さな子供を一人で置き去りにしていくことなど出来ない。
「姫様。実は先ほど、この辺りに鬼が出たのです」
カナギはこれで姫が震え上がって、すぐに帰りたいと言い出すと思った。しかし、なぜか嬉々とした顔でカナギを見ている。
「知ってるよ」
椿は、さも当然かのようにそう言った。
「まさか……」
「うん。見てた。あなたが鬼を斬るところを」
「では、分かるでしょう。鬼の恐ろしさを。今、この町は鬼で溢れかえっているのです。とても危険なのです」
「分かってる。でも、私は知りたかったの。自分の町がどんな状況にあるのかを」
椿は、先ほどの幼い雰囲気とは打って変わって、凛々しい顔つきに見えた。さすが施政者の娘だ。
「それに、最近、巷を賑わせている鬼斬りという者にも興味があったの。まさか、こんなにすぐに会えるなんて思わなかったけどね」
カナギは、ハッと気づいた。まさか……。
「うん。あなたにぶつかったのはわざとよ。せっかくお会いした鬼斬りさんだもの。お話ししない手はないわ。それにあなた言ったよね、ここは危険だって。でも、この町一番の鬼斬りさんのそばよりも安全なところなんてあるかしらね」
そして、椿はまた屈託のない幼い女の子の顔に戻って、にこっと微笑んだ。
カナギは、幼い少女だと思って侮っていたが、とんでもない。領主の娘だけあって、頭は切れるようだ。
「ですが……。やっぱり、連れて帰ります!」
「えー。ちぇっ。しょうがないなあ。まあ、鬼斬りさんに会えたのは一番の収穫だから良いかな。あ、鬼斬りさんのお名前ってなあに?」
カナギは椿の手を引いて、城に向かいながら答えた。
「カナギです」
「カナギ。神木? 珍しい名前ね。カナギは何で鬼斬りになったの?」
カナギは足を止めた。
「鬼は殺さないといけないから」
「鬼と戦うのは怖くないの?」
「それは怖いですよ、でも……」
カナギにはそれ以上、答えられなかった。怖い。死ぬかもしれない。でも、自分にはそれ以外無いのだ。この刀と技は鬼を殺すもの。自分にはそれ以外の選択が無いのだ。カナギは再び、歩き出した。
「誰かが鬼を倒さなければならない。私にはその力がある。だから、私がやるしかない」
「そっか……。カナギは強いね」
椿は、ぼそりとそう言った。
城門に辿り着くと、案の定、カナギは兵士に拘束された。椿が事情を話し終えるまで小一時間も掛かってしまった。ようやく解放されたと思ったら、既に夕刻を回っていた。カナギが帰ろうとしているところに、椿が背中を叩いた。
「今日は有難う。興味本位であなたに会ったのは事実だけど、領主の娘として、あなたにはとても感謝しているの」
「いえ。私はただ、鬼を斬ることしか能がありませんから……」
そう言って、カナギは深々とお辞儀をした。
「何かあったら、いつでも私を頼ってね」
椿は、城門の中に帰っていった。カナギも踵を返し、帰路についた。
鬼は夜にも出没する。最近は今日みたいに昼間でも出ることが多くなったが、やはり、夜の方が多い。人気が無くなり、人を襲いやすくなる時間が彼らにとって都合が良いのだろう。カナギは帰路につく前に街中の見回りをしていた。
カナギは何処にも所属していないフリーの鬼斬りであったが、一方、カナギとは別に領主に雇われて、鬼を退治している傭兵たちも居た。彼らは、昔の武士の成れの果てだったり、ごろつきだったりしたが、この世の中、そういう者に頼るしか方法が無かったのだ。そんな傭兵たちもまた夜の見回りにも出ていたのだ。カナギの名は、傭兵たちの中でも知れ渡っていた。傭兵たちにとっては、カナギは商売敵である。良いように思うはずが無かった。
カナギは見回りの途中、その傭兵の一人に出会った。鳳という大柄な男の傭兵であった。鳳は、元は山賊であったようで、素行は悪かったが、領主も彼の実力を知っているからこそ、見て見ぬふりをしていた。カナギは、元々、人付き合いの良い方ではなかったのだが、鳳とは特になるべく関わらないように努めていた。
「よう。景気はどうだい?」
「……」
カナギは軽く会釈をして通り過ぎようとした。鳳はすかさず、カナギの肩を掴んだ。
「おいおい。無視は無いんじゃないか? お互い同業者なんだし、情報共有しようぜ?」
「昼間、鬼を一匹斬りました。西の界隈です」
カナギは必要最低限の情報を話した。
「ふうん。あんた腕は立つんだってな。頼もしい限りだが、あんまり調子に乗らないことだな。敵は鬼ばかりと思ってたら、誰に後ろから斬られるか分からんぜ?」
そう言って、鳳はにやりと薄気味の悪い笑みを浮かべたが、歩いて去ってしまった。
敵は鬼ばかりでない、か。むしろ、カナギにとっては味方というものが分からなかった。ずっと一人で戦ってきたのだ。元より、後ろから斬られるような筋合いはなかった。
カナギは、宿に辿り着いた。この町に流れ着いてからは、ずっとこの宿で寝泊まりしていた。幸い、鬼を斬ることで、金はもらっていたので、衣食住には困らなかった。宿の女将も気の良い人であったから、カナギの事情を察してくれて、安い賃金で宿に泊まらせていた。
「カナギさん。今日もご苦労様」
宿の女将であるお婆さんがカナギを出迎えてくれた。
「ご飯はまだ食べてないだろう? 出来ているから食っていけ」
カナギは空腹であったから、ご飯に貪りついた。カナギは華奢な見た目であったが、かなりの大食いであった。大量にあった食事をあっという間に平らげてしまった。
「はは。いつも見ても見事な食べっぷりだねー」
女将は呆れたような感心したような顔をしていた。
「ご馳走様でした」
カナギは丁寧に両手を合わせた。
「最近、鬼も多くなって怖いねえ」
宿の女将は、心配そうに外を眺めていた。
「大丈夫。ここは私がいるから安心してください」
「ふふ。そうね。カナギさんがいるから安心ね」
女将の笑顔を見て、カナギも安堵した。カナギは自分がこの場所を守れるのだということが嬉しかった。そして、自分を頼ってくれる誰かがいるということが誇りに思えたのだ。
それから、カナギは床についた。そして、今日あったことを思い出していた。鬼を一匹斬った。そして、椿というこの町の領主の娘に会った。そして、今日も何とかこの命は残っている。私の使命……、それは鬼を倒さなければならない。何かが自分に語り掛けているような気がした。カナギはそのまま、まどろみの中、眠りに落ちていった。
その夜、カナギは夢を見ていた。誰かが自分の名前を呼んでいる。とても懐かしくて温かい声だ。その手を取ろうとするが、どうしても届かない。誰かが悲しい顔をしている。
なんで……、なんで行っちゃうの? 私を置いていかないで……!
カナギは、ハッと目を覚ました。既に夜は明けていた。
今、夢で会った者は誰であったのだろうか。失ってしまった記憶が呼び起こされたのか。だとしたら、私はあの子を置いて行ってしまったのだろうか。
うっ……。カナギは頭痛を感じた。これ以上は何も思い出せない、いや、思い出してはいけない、とカナギの中の記憶がそう告げているような気がした。
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